第21話 燐牙の過去
特訓を無事に終え、俺と燐牙は昨日と同じように一緒に家に帰った。
そして、二人で自室に戻ると、俺はそういえばと燐牙にあることを尋ねた。
「あのさ、俺が千弦と特訓をしている間、燐牙と弓弦がいつの間にかいなくなってたけど、どこ行ってたの?」
「ん~? ああ、俺様たちは神社の裏の結界の中で、取っ組み合いしてたんだよ。へへん、今日は俺様、あの関西弁野郎に一発入れてやれたんだぞ? すごいだろっ!」
数学の宿題をしている真っ最中の俺の頭上で、燐牙は得意げに言った。
「へ~、それは良かったな」
「む! なんだよ、もっと俺様にすごいって言えよ」
「はいはい。お前は十分すごいよ」
俺は顔の周りをふわふわ浮かんでくる燐牙を適当にあしらいながら、問題を懸命に考えた。
くそ~! この問題を考え始めてすでに十分くらい経過してるけど、ちっともわからねぇ~!
「はぁ~、もういいや。明日、学校で藍田くんに教えてもらおうかな」
俺は数学のノートを閉じて、問題を考えるのを諦めることにした。
藍田くんとはあれ以来(って言ってもまだ昨日だけど)、クラスでも一緒に過ごすようになった。この調子だと、本当に友達になれるかもしれない。実際、俺は藍田くんと気が合ったし、彼のかわいい顔面をしている癖してたまに毒舌なところも割と気に入っていた。
今日はもう夕飯も風呂も済ませたし、布団もスタンバイオッケー。あとはもう寝るだけだ。
特訓のせいか眠気もすごいし、ちょっと早いけど、寝ることにしよう。
そう思って布団に入ろうとすると、燐牙は俺のもとへすい~っとやってきた。
「なんだよそーたろー、もう少し俺様の話をちゃんと聞いてくれてもいいだろ~?」
燐牙はさっき俺が雑に扱ったのを根に持ったのか、やたらと俺の周りをふわふわと飛び始めた。
「あ~もうっ! あんまり近くをうろちょろしないでくれよ!」
俺は近くにあった燐牙の尻尾をバシッと叩いた。でも、燐牙の尻尾は結構ふかふかで、叩いてもあんまり効果はなさそうだ。実際、こいつは少しも痛そうな顔してないし。
俺はこいつのニマニマしている顔を見て、つい何度も頭の中で考えてしまっていた疑問を、彼にぶつけたくなった。こういう平和なやりとりをしてると、余計にこう思わずにはいられなくなるんだよなぁ…。
あんまり過去のことは聞かない方がいいのかもしれないけど、俺はもう耐えきれなくなって燐牙にこう尋ねた。
「…なぁ、燐牙。お前、なんで世紀の大妖怪なんて呼ばれてるんだ?」
燐牙は耳をピンと立てると、とても驚いた顔をした。
「俺、お前といればいるほど、なんでお前がそんな風に呼ばれているのかがわからなくなるんだよ。お前は妖怪には違いないけど、人に悪さをするような奴には見えない。ましてや、
俺が人を殺したなんて、全く想像できない。なぁ、お前は本当に、悪い妖怪なのか?」
俺がそう言うと、燐牙は目を丸くしたまましばらく呆然としていた。
だがすぐに我に返ると、少し悲しげな表情で俺から少し離れた布団の上にふわりと座った。その瞬間、燐牙のぼさぼさの髪から、俺の家のシャンプーの香りが漂った。
「…それが、俺様もわからないんだよ」
「え?」
燐牙は着物から出た自分の尻尾をいじりながら、そう答えた。
「俺様が世紀の大妖怪なんて呼ばれているのは、きっとその言葉通り、俺様が今まで多くの人にたくさんひどいことをしちゃったからだ。でも、信じてくれ、そーたろー! 俺様は、自分の意志で人を傷つけようと思ったことは一度もないんだ! そりゃあ、軽いいたずらぐらいならしてもいいかなって思ったことはあるけど、それは人間たちと仲良くなってみたいと思っていたからだ…! 怪我を負わせたりとか、殺したりとかしたいなんて欲望は、俺様の中に全くなかったんだよ……!」
燐牙はそう言うと、俺の両肩をバッとつかんだ。そして、これは本当なのだと訴えるように俺の目を見た。燐牙の顔は引きつり、まるで何かに怯えているように見えた。
「わ、わかった! 大丈夫、俺はお前が言ってることを信じるから!」
「そ、そうか……ならいいんだ」
燐牙はそこでほっと息をつくと、まだ怯えが残ったままの表情で続きを話した。
「でも、ある時から俺様は、自分が取った行動を一時的に思い出せなくなった。いきなり自分の体が何者かに乗っ取られたみたいになって、それで気づいたら、自分の足元にたくさんの死体が転がってるんだ……。初めてその体験をした時は、俺様は自分でも訳がわからなくて、慌ててその場から逃げ出した。怖くて怖くて、たまらなかった。でも、俺様は逃げている途中に気づいてしまったんだ……俺様の爪や手足や着物に、血がべったりとついていることに。特に、爪なんかはひどかった。染まっていないところがないじゃないかってくらい真っ赤だったよ。そして、俺様の足元にあった死体たちは、どれも鋭い爪で引っかかれたような形跡があった。だから俺様は思ったんだ。あの人たちは自分が殺してしまったんだと……」
そう言うと、燐牙は頭を抱えてガクガクと震え始めてしまった。きっとその時のことを思い出してしまったのだろう。
俺は燐牙にショックを受けていないわけではなかったけど、それでも今は目の前の彼をなんとか落ち着かせたかった。
だから俺は燐牙の手を取ると、そっと握った。
燐牙は一瞬びくっと肩を跳ねさせたが、俺が手を取ったことには反抗しなかった。むしろ少しほっとしたらしい。さっきよりも震えがマシになった気がする。
そのおかげもあったのか、燐牙はまたゆっくりと口を開いた。
「それから、俺様は人間たちに人殺し妖怪呼ばわりされるようになった。そのころ俺様がいた平安の世は、今よりももっと俺様たちみたいな妖を見ることができる人間がたくさんいたんだ。だから、俺様は人間に見つからないよう隠れて生きていた。どちらにしろ、俺様はもう人間に合わせる顔がないと思っていたから、そういう生活をする覚悟はできていたんだ。でも、悲劇は一度では終わらなかった。俺様はまた、自分の意志とは関係なく、人を殺してしまったんだ…。本当に、なんで俺様がそんなことをしちまったのか、自分でもわからない…。ただ、前と同じように突然意識がなくなって、気が付いたら知らない場所にいる。そして、俺様の手は真っ赤に染まっていて、周りは血の海になっているんだ…!」
燐牙は震える声でそう言うと、もうこれ以上思い出したくないと言わんばかりに目をぎゅっと閉じた。
「そうか…そんなことがあったのか……」
俺はそれだけ言うと、燐牙から明かされた過去を冷静に受け止めていた。
今の話を聞くと、燐牙は自分の意志ではなく、いつのまにか勝手に人を殺してしまっていたということになる。俺はこの話を聞いて、妙に納得した。やっぱりこいつは、人を殺したいなんて思う奴じゃなかったんだ。
でも、不思議なのは、なぜ燐牙は自分の意志とは真逆の行動をとってしまったのかという点だ。しかも、その間の記憶がないのだから、それもおかしな話だ。
まるで誰かに燐牙の体が操られていたみたいじゃないか。
…あれ? そういえば、妖怪を使って人を殺したみたいな話、千弦の話にも出てきたような…。
「そういうことが度々あって、俺様は世紀の大妖怪なんて呼ばれることになっちまったんだ。だから、俺様はあの坊主に封印された。でもあいつは、もしかしたら俺様自身が、封印された方がいいと思っていたのを知っていて、そうしてくれたのかもしれないな…。だってあいつ、俺様を封印する前に『本当にいいのかえ?』なんて聞いてきやがったんだぞ? 俺様は驚いた。まさかそんな風に聞かれるなんて思ってなかったから。それに、あいつは他の人間や妖たちと違って、俺様を侮蔑や恐怖の目で見なかった。普通の妖怪として見てくれていたんだ」
燐牙は目をそっと開けると、「なぁ、そーたろー。この話を聞いても、俺様のことが怖くないと言い切れるか?」と俺に尋ねた。
「ああ、怖くないよ。というか、その事件はお前のせいじゃない気がする。なぁ、燐牙。お前の話を聞いて思ったんだけど、お前は誰かに操られていただけなんじゃないか?」
「俺様が…操られていた……?」
「そう。実は今日、千弦からそういう話を聞かされたんだ。お前がそんな目に合った平安時代に、妖怪を操って人をたくさん殺していた悪い人間がいるって。もしかしたらお前は、その人間に…」
俺の脳内で千弦から聞いた話と燐牙から聞いた体験談が繋がり、ある結論が出る。
燐牙はきっと、千弦が言っていた妖怪使いの人間に、操られていただけなんじゃないだろうか。
だが、俺が燐牙にそのことを言いかけたその時、部屋の空気が一瞬ピリッとした。
「え、何?」
俺が慌てて部屋の中を見渡した。でも、変わったところは特にない。ただ、燐牙が何かの気配に気づいたように、窓の外を見て耳をピンと立てていた。さっきまでの臆病そうな様子はどこへやら、今は凛とした佇まいで背筋を伸ばしている。
燐牙は窓から目を離し俺を振り向くと、低い声でこう注意した。
「そーたろー。誰か来たみたいだぞ」
「え?」
燐牙がそういった瞬間、ピンポンとチャイムが鳴らされる音が部屋まで聞こえてきた。
そして、ばあちゃんたちがバタバタと玄関に向かっていく足音がここまで響いてきた。
「そーたろー。話は後だ。俺様、何か嫌な予感がする。お前も早く行ったほうがいいかもしれない」
「えっ、わ、わかった」
俺は燐牙の態度の変わりように少々戸惑いながらも、彼に従うことにした。燐牙と同じように、俺も胸がざわつくのを感じたからだ。
俺は燐牙と顔を見合わせて頷き合うと、玄関に急いだ。
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