第17話 約束

 俺は燐牙を連れて自室に戻ると、襖をぴしゃりと閉め、俺が燐牙と話している声がじいちゃんたちに聞こえないようにした。

「いいか、燐牙。御白様に言われた通り、今日からお前は俺と一緒に生活を共にすることになる。それで、いくつかお前に頼みたいことがあるんだ」

「おお、もちろんいいぜ。お前がこの俺様に頼みたいっていうのは、なんだ?」

 くっ! こいつ、俺が下手に出たからって、偉そうに腕組みしながら俺を見下ろしやがって…! しかたない、この大妖怪とスムーズに会話するためには、俺のほうが身分が下という前提で話を進めた方がうまくいくはずだ。

「まず、この家には俺以外に、俺のじいちゃんとばあちゃんが住んでいる。そして、その二人は俺と同じようにお前のことが見えるわけじゃないんだ。だから、二人を驚かすような真似は絶対にしないこと。例えば、二人がいる場所でいきなり何か食べたり、物に触ったりしたら、じいちゃんたちは勝手に物が動いたと思ってびっくりしちゃうだろ? だから、そういうのは行動は決してとらないでくれ」

「う~ん、わかった! 多分やらねぇ!」

 燐牙は俺の部屋の照明の周りをふわふわ漂いながら、そう答えた。そして、すぐに大きなあくびをする。そして、宙に浮きながら、ハンモックに揺られているような恰好をとった。

 こいつ、絶対ちゃんと話聞いてないだろ。

「多分じゃなくて、絶対やるんじゃないぞ。もしそれでじいちゃんやばあちゃんが倒れたら、俺たちごはん食べられなくなるからな」

「なんだと⁉ それは困るっ!」

 燐牙は「ごはん」と言う単語は聞くと、がばっと身を起こした。よしよし。この作戦はうまくいったみたいだな。こいつは多分、めちゃくちゃ食い意地が張ってるはずだから、食事の話をすれば飛びついてくると思ったんだ。

 まぁでも、実際じいちゃんたちが倒れてしまったら、俺はきっと簡単には生活できなくなるはずだから、さっき言ったことは脅し文句なんかじゃなくて割と事実だ。

 東雲家は今、神職とばあちゃんが近所でやっている裁縫教室、そして地元からの神事の際の依頼金くらいで、なんとか生活費を稼いでいるわけだし。あ、とは貯金か。だから神社の家系とは言え、決して裕福なわけじゃないんだ。だから俺も、できる限り進路を広げて高収入の仕事に就けるよう、勉学に励んでいるわけだけど…燐牙のせいでこれから授業に集中できなくなる日が続きそうで、憂鬱だ。ま、人のせいにするのは良くないってわかってるつもりだけど。

「わかったら、ちゃんと俺との約束を守ってくれ。頼んだぞ?」

「おう、わかった。なぁ、そーたろー、じゃあ俺様は今は何してればいい?」

「とりあえず今は俺の部屋にいてくれ。もうそろそろ、ばあちゃんが晩ごはんを作り始める時間だから、お前の分も作ってくれるよう下に頼んでくるよ。あ、そういえば燐牙は妖怪だったな。もしかして、普通の人間が食べるごはんは食べられないとかある?」

「いや、そんなことはないぞ! 俺も昔はよく、貴族たちのごちそうを勝手に盗み食いしてたくらいだからな!」

「あ、そうなんだ…」

 そういうエピソードを聞くと、やっぱりこいつって妖怪なんだなと改めて思わされるな…。

「じゃ、とにかくここから出るなよ?」

「おお~」

 俺はまた、襖をぴしゃりと閉じると、さっさと一階の台所に向かった。

 とはいえ、ばあちゃんもいきなりもう一人前料理を作れだなんて言われても困るよなぁ…。その分の食材だって、家にないかもだし。最悪、もしあいつの分の食べ物がなかったら、近所のコンビニでおにぎりとかを買いに行くことにしなきゃな。

 俺はそんなことを一人考えながら、台所の入り口にかかっているのれんをくぐった。

「ばあちゃん、ただいま」

「あら、そうちゃん。おかえり。そう何度もただいまって言わなくてもいいのに。さっき玄関先で言っているのを、ばあちゃんちゃんと聞いてたわよ?」

「あ、うん。まぁそうなんだけど」

 ばあちゃんは大根の皮をむく手を止めると、隣に来た俺を見てにっこりと笑った。けど、すぐにちょっと眉間にしわを寄せると、

「もしかしてそうちゃん、ばあちゃんが聞こえてなかったと思ったんじゃないでしょうね? やぁねぇ! ばあちゃん、まだそこまで老いてないわよ~」

 ばあちゃんはそう言うと、包丁を置き、ばしばしと俺の背中を叩いた。

 いたたたた! 想像以上に力が強い! 

「そうじゃなくて! いきなりで悪いんだけど、今日さ、もう一人分のごはんを作ってくれないかなと思って、頼みに来たんだ」

 俺がそう言うと、ばあちゃんは目を丸くして息を呑んだ。

「……どうして?」

「いや、えっと。ほら! 俺、もう高校生だし、食べ盛りでしょ? だから、二人前食べないいと、お腹いっぱいにならないっていうか…」

 俺が慌ててそう言い訳すると、ばあちゃんは俺の顔に穴が開きそうなほど凝視したまま、黙り込んでしまった。

 まるで、信じられないとでも言いたげな顔だ。

 俺、そんなにすごい顔されるような言い訳したっけ? それとも俺って、ばあちゃんにそんなに小食だと思われてたのか?

「ば、ばあちゃん…?」

 俺が石像化してしまったばあちゃんに恐る恐る声をかけると、彼女ははっと我に返ったようだ。

「ご、ごめんね。ばあちゃん、ちょっとびっくりしちゃったのよ。そうちゃんが、高校生くらいの時の静と、全く同じことを言うものだから」

「え? 母さんも?」

「そうよ。静も、たしか今のそうちゃんと同じ、十七歳くらいの時に、こうやって二人分の食事を作ってくれないかって私に頼みに来たの。どうしてって聞いたら、今のそうちゃんと全く同じことを言っていたわ。きっと、そうちゃんも静に似たのね」

 ばあちゃんは少し遠い目をして、若かりし母さんのことを思い出しているようだった。

 そうか。母さんもきっと、俺と同じように式神と暮らすことになって、それでばあちゃんに頼みに来たんだろうなぁ。

 …あれ? そういえば母さんの式神って、いったいどんな妖怪だったんだろう?

 俺がふとそんなことを考えていると、ばあちゃんはさっきの頼みを快諾してくれた。

「いいわよ。ちょうど今日使い切りたいお野菜も冷蔵庫にたくさん残っていたし、作ってあげるわ」

「ほんと? ありがとう、ばあちゃん!」

「夕飯ができたらまた呼ぶから、それまで待っていて頂戴ね」

「うん、わかった!」

 意外とすんなりミッションをクリアすることができて、俺はほっとした。

 食い意地が張っていそうなあいつのことだ。もし食べ物を何を与えなかったら、狂暴化してしまうんじゃないかと、ちょっと不安だったんだ。

「お~い、燐牙。ばあちゃんがお前の分もごはん作ってくれるってさ。っておいっ!」

 俺は自室に戻ってきた瞬間、部屋の有様に仰天した。

「おお~、ほ~はほ~、ほはへひ~」

 燐牙は口をもごもごさせながらそう答えた。この厄介な妖怪は、俺が机の引き出しに隠しておいた駄菓子を食べ散らかしていたのだ。しかも、部屋の真ん中にだらしなく寝転び、本棚に収納していた漫画雑誌を読み漁っているではないか!

「ちょっと、何勝手に人の部屋漁ってるんだよ!」

「だって俺様、お腹すいてたんだもん。それに、お前が戻ってくるまで暇だったし」

 燐牙は漫画の上にポテチの食べかすをぽろぽろこぼしながら、そう答えた。

 ぬあ~! 俺の漫画を勝手に汚すんじゃねぇ~!

「とにかく! お菓子を食べるならちゃんと座って食べろ! あと、勝手に部屋の中を漁るのも禁止!」

「な、なに~! じゃあ俺様、この部屋でなんにもできねぇじゃねぇか!」

 燐牙はショックと怒りが混ざった表情で、首を上げて俺の方を見た。

 うっ、それはたしかに、こいつにとって厳しすぎる処置かもしれないな…。一応、こいつだって俺を悪霊たちから守ってくれてるわけだし(本人の意思はともかくだけど)、あんまり自由を奪いすぎて、かえって癇癪を起越されても嫌だし…。

「わ、わかった。やっぱりこの部屋では好きに振舞っていいことにする! でも、俺の部屋以外では、勝手に物を動かしたりするなよ?」

「やっは~! あひはほう、ほーはほ~!」

 今度はグミをもぐもぐしながら、燐牙は嬉しそうにそう頷いた。

「じゃあ、俺は今から風呂に入ってくるから」

「え~! もしかして、まだこの部屋にいないといけねぇのか?」

 「まだ」って…。お前が俺の部屋に入ってから、十分も経ってないんだけど…。

「しかたないだろ。お菓子も食べていいってことにしてあげてるんだから、ちょっとの間くらい我慢してくれよ」

「え~、やだ! つまんない! 俺も一緒に入る!」

「は、入るって、風呂に?」

「うん」

「嘘でしょ…」

 俺は絶句した。

 絶対嫌なんですけど‼


          



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