第15話 結界を張ろう
「おお。準備はできたようじゃな、宗太郎」
御白様は用意ができ、本殿の外にやって来た俺を見ると、ふむふむと値踏みをするように頷いた。
御白様には、あの結界の中でこの服に着替え終わった後、本殿の外にやってくるようにと言われていたのだ。ちなみに、ここは本殿の中とは違う別の結界の中らしい。
とは言え、見た目はいつもと同じ境内と変わらないんだけど。ただ、霊力のない人間からは見えない造りになっているそうだ。
双子と燐牙は、俺たちとは別の場所で特訓をしているらしく、後で合流することになった。
だから、ここには御白様と俺しかいない。
「御白様、本当にこの格好じゃなきゃダメなの? 別に制服でも陰陽術が出せたくらいなんだから、もっと動きやすい恰好でも良いんじゃないかなぁ?」
俺は燐牙の居場所にツッコむのを我慢して、御白様にそう伝えた。
「いや、今の宗太郎は陰陽師修行は一度終えたとはいえ、その実力はわしらから見ればひよっこ程度じゃ。ならば、先代の霊力が蓄積されたその着物を着た方が、より早く陰陽術を習得することができるんじゃよ」
「そ、そうですか…」
う~ん。御白様はそう言って俺を諭そうとしてくれているけど、この着物、とにかく動きづらいんだよなぁ。
俺は今、目の前にいる神様に命令されて、普段修行の時に着用しているものとは違った着物を着せられている。これが、東雲家で代々受け継がれている陰陽師専用服なのだそうだ。
着物はかなり着古されているみたいで、少し埃っぽい匂いがする。
それもそうか。なんてったって、御白様がこの着物を取り出したのは、あの結界の中にあっためちゃくちゃ古そうな箪笥の引き出しだもんな。
陰陽師装束(めんどくさいので俺は勝手にそう呼ぶことにした)は、白色の着物に深い紫色の袴がセットになっていた。でも、白の着物はいつもの白装束とは違い、袴に裾を入れずにそのまま垂れ幕のように垂らす仕様になっている。それを、上から結んだ青色の帯で動かないよう止めているといった感じだ。そして、下の袴は二股に分かれ、裾が大きく膨らんだズボンのようになっている。
こうやって改めて陰陽師服を見ると、いかにもゲームのキャラとかに出てきそうな見た目なので、コスプレしているような気分になって恥ずかしい。
白の着物には、ところどころ青色の炎を想起させるような模様も入っているのも、「いかにも!」って感じがする。
「さて、では早速、宗太郎の陰陽術習得の特訓を始めるぞい。まず、宗太郎には結界を張る練習から始めてもらおうかのぅ」
「結界を張る練習?」
それって、うちの神社にも張られている、悪霊とかが入って来られない空間を作り上げるってことだよな? でも、それって力のある陰陽師しかできない業なんじゃなかったっけ? ちょっと、いきなり難易度高すぎない
「宗太郎。わしはなにも、完璧な結界を張れとは言っておらぬよ。あくまで一時的な結界を張る練習をせよと言うておるのじゃ」
御白様はまた俺の思考を読んだのか、そう言って俺の疑問を晴らした。
「じゃあ、まずはこれをおぬしに渡そう」
「あ、ありがとうございます」
御白様の手のひらには、いつの間にか古いメモ帳みたいなものが握られていた。俺はそれをありがたく受け取り、しげしげと見る。
そのメモ帳は、メモにしては紙のサイズが大きかった。そして、上の部分を茶色い麻紐で括られており、これで中身がバラバラにならないようにしてあるっぽい。
「あの……なんですか、これ?」
「それは、東雲家が代々使用しておるお札じゃ」
「お札?」
「そう。陰陽師の結界の張り方は、個人や家系などでそれぞれ違うのじゃが、東雲家はそのお札で結界を張るのじゃよ」
俺はメモ帳だと思っていたそれをパラパラとめくりながら、納得した。
そうか、これはお札だったのか。たしかに、神社の催事で売るお札と大きさが同じだ。俺はたまに神社の催し事で売り子としてじいちゃんにこき使われていたから、すぐに分かった。
「でも御白様、このお札、何も書かれてないですよ?」
だが、俺は黄ばんで染みだらけのお札の束を見て、単純に疑問に思ったことを御白様に聞いてみた。
そう、ここにあるお札たちには文字も絵も何一つ書かれていない。普通、お札ってなんか難しそうな漢字が書いてあったりするもんじゃない? っていうか、そうじゃないと効果があんまりなさそうなんだけど…。
「まぁ、そう先を急ぐでない。とりあえず、わしのことを見ておれ」
御白様は俺に渡したお札を一度自分の手に取ると、それを一枚ぺりりと引き剥がした。
そして、その一枚を本殿の真正面にある鳥居の方に向かって、ピッ
と投げた。
彼が投げたお札は、まるで手裏剣さながらに鳥居の方に飛んでいき、何もない空間でピタリと動きを止める。その瞬間、お札はぼうっと青い炎に包まれた。その炎は一秒もたたないうちに大きくなり、一瞬で神社の周りはその炎に囲まれてしまった。
「うわわわわわわわわ! な、なんだこれ!」
俺は目の前の光景にすっかり取り乱し、情けないことに尻餅をついてしまった。
俺たちがいる場所は、まるで上から椀を被せられたみたいに、その青い炎の壁に包み込まれていたのだ。多分この青い炎が、結界の壁なんだろう。
だが、それは神社の周りを全て覆いつくした瞬間、跡形もなく消え去った。
世界はもとに戻り、神社にまた午後の陽の光が差し込む。空はもとの青空に戻り、神社の木がそよ風にざわざわと音を立てるのを聞いて、俺はようやく落ち着きを取り戻した。
「まぁ、こんなもんじゃな」
御白様は涼しい顔でそう言うと、俺の方を見てにこっと笑った。
いやいやいやいや! 「こんなもんじゃな」じゃないよ!
この神様、見た目に反してやっぱり末恐ろしすぎる!
「では、宗太郎。おぬしもやってみるのじゃ」
「えっ⁉ い、今のをですか⁉」
「そうじゃ」
いや、そんな当然のことのように頷かれても…。
「とにかく、俺は何をどうすればいいんでしょうか?」
「まずはそのお札を一枚剥がすところからじゃな」
俺は言われた通り、再度渡されたお札帳から紙を一枚剥がした。
「そしてそれを人差し指と中指に挟んで持つ。それから、それをおぬしの額につけるのじゃ」
「え? おでこにですか?」
あれ、御白様、さっきはそんなことしてなかった気がするけど…。
「おぬしとわしとでは霊力がウン万倍も違う。じゃから、いろいろ手順などが違うんじゃよ」
うわっ、また思考を読まれて、しかもため息までつかれた!
いくら神様とはいえ、年下の小学生の子にあきれられたみたいで地味に傷つく…。
そんな俺の感想はさておき、とりあえず言われるがまま、俺はそのお札をおでこにくっつけた。
「これでいいですか?」
「いや、それだけでは駄目じゃ。宗太郎、その恰好のまま目を閉じたまま、目を開ける想像をするのじゃ。まるで自分の目が、そのお札に乗り移るかのようにのぅ」
「えっ! ど、どういうことですか? ちょっといきなり難しいこと言われてもわからないんですけど⁉」
「はぁ~。おぬしはいちいちうるさいのぅ。とにかく、わしの言う通りまずはやってみんか」
え~、そんな大げさに呆れられても! だってあんたが言ってること、マジで意味がわからないんだもん!
でも、仕方ない。本当にわけがわかんないけど、まずはやってみることも大切だよな。
俺は目を閉じると、額に感じているお札に意識を集中させた。そして、その紙にまるで自分の体が乗り移ったかのように、命を吹き込むような想像をする。
その時、一瞬お札が俺の体内に取り込まれたような感覚がした気がした。まるで、お札と額の境界線がなくなったかのような…。
俺が思わず気になって目を開けようとすると、「まだ目を開けるでない」と御白様の穏やかかつ厳しい声が俺の動きを封じた。
「宗太郎。そのお札に、意識を向け続けるのじゃ」
俺は黙ったまま、不思議な感覚に全神経を研ぎ澄ませた。それが何秒か続いた後、その時は来た。
…あ。なんか、お札が少し熱い気がする。
「今じゃ」
俺は御白様が呟くよりも早く、そのお札をほとんど無意識に鳥居の方に投げていた。
その途中で、お札には青い炎がまとわりつき、それは小さな隕石のように姿を変える。
そして、さっき御白様のお札が静止した場所で、それはさらにぼうっと燃え始めた。
でも、そこからの流れは御白様とは違った。
「宗太郎。おぬしの持っておるものを、しっかり離さぬように」
「へ?」
御白様が俺にそう指摘するや否や、俺が左手に持っていたお札帳から、何百枚ものお札が勝手に飛び出し始めたのだ。
「うわっ!」
お札たちはバラバラバラバラ、と音を立てながらさっき俺が投げた札のもとへ飛んでいき、そこからあっというまに壁を作り上げていく。よく見ると、お札たちには模様が次々と浮かび上がっていた。
あの模様はなんだ……? もしかして……目…?
お札の真ん中には人間の目のようなものが一つ描かれており、その瞳孔の部分には五芒星のマークが入っている。そして、その模様が入ったお札から順に、青い炎が着火していく。
御白様の時ほどの勢いではないが、俺が投げたお札を起点に、神社は再度青い炎に包まれた。そして、全てのお札が燃え尽きると、神社はまたもとの様子に戻った。
「ふむ。おぬし、意外と筋は良いみたいじゃな。さすがは、静の産んだ子じゃ」
御白様はぼうっと突っ立ったままの俺を見上げて、ふわりと笑った。
「あ、ありがとうございます…」
俺はまだ自分が成し遂げたことを信じられないまま、高鳴っている胸を必死に押さえていた。
まさか、こんな漫画の主人公みたいな技ができるなんて…。
俺、普通にすごくない⁉
「宗太郎。すぐできた気になるのは、おぬしのよくない癖じゃ。おぬしはさっき、お札を人差し指と中指で挟んで持っておったじゃろう? そこまでは良いのじゃが、それを縦に投げるのはあまり良しとせん。お札を飛ばす時は、水切りで川面に投げる石のように、横投げで鋭く投げるのじゃ」
「わかりました」
そっか。お札にもちゃんと投げ方とかがあるんだな。
「何度も言うが、おぬしはまだ霊力が弱い。じゃから、結界を作り上げるのには、もとよりお札に込められている霊力を借りねばならぬのじゃ。じゃから、おぬしが結界を張るには、たくさんのお札が必要なんじゃよ」
あ、もしかして御白様、「なんで俺と御白様じゃ結界の張り方がちょっと違うのか」っていうさっき浮かんだ質問に、先に答えてくれてるのか。
「へぇ、そうだったんですね」
「それと、あのお札に現れた模様は、札の力が開花したことを示しておる。質問はこれで以上かえ?」
「…あ、はい。もう大丈夫です。ありがとうございます」
俺は素直に御白様にそうお礼を言った。彼の言う通り、俺の質問はそれで終わりだった。
さすが神様! 俺が話す前に全部答えを教えてくださった!
「ふん。そのくらいでさすがと思われても、あまり嬉しくないものじゃのぅ。まぁ良い、特訓を続けるぞ宗太郎」
「え? 続けるって、さっきのをまたやるってことですか?」
「そうじゃ。さっきのおぬしの結界じゃあ、もって五分といったところじゃろ。せめて最低でも、三十分は結界として機能するものを張れるようになってもらわぬと、おぬしを怪盗狐火として世に送り出すことはできぬわ」
「え~! そ、そんな!」
さっきのやつでも地味に体力を使って疲れるのに、それをまた何回も繰り返さなきゃいけないのか⁉ っていうか、俺が張った結界、たったの五分しかもたないのかよ!
「でも、さっきたくさんお札を使っちゃったんですけど…」
「何を寝ぼけたことを言うておるんじゃ。お札ならここにたくさんあるじゃろうが」
「えっ! あれぇっ⁉ ほ、ほんとだ!」
俺は手元のお札帳を見てぎょっとした。
なんと、さっき使い切る勢いでなくなったはずのお札が、また元の量まで戻っていたのだ。
「たしかに、お札は結界を張るときに燃え尽きたように見えたかもしれぬ。じゃが、それはあくまでそう『見えた』だけじゃ。結界を作り上げる本体は、東雲家の人間が陰陽術として使える『厄払いの青炎』じゃからのぅ。そのため、青炎の着火剤として利用されるお札を、その役目を終えた瞬間、またその帳に戻ってくる仕組みになっておるのじゃよ」
なるほど、そうだったのか。あれは燃えて消えちゃったわけじゃなかったんだな。
「さて。では今から結界張りの千本ノックを始めるぞい。宗太郎、覚悟は良いか?」
「げっ! ほ、本当にやるんですか?」
「当り前じゃろ。それとも、神であるわしに逆らうとでも言うのかえ?」
「すみませんっ! やるのでよろしくお願いしますっ!」
そのあと、俺はいつもの修行時間が終わる時刻まで、延々とお札を投げては結界を張るという修行を、御白様に監視されながらやり続けた。
そして、ついにお札を投げるのが千回を超えたとき、俺の体力はもう限界を超えていた。
ただお札を投げるだけじゃんって傍から見れば思うのかもしれないけれど、結界を張るとなぜだか異様に体力を使うのだ。わかりやすく言えば、結界を張るごとに全力ダッシュをした後みたいな状況に陥る。息は荒くなるし、なぜか筋肉は痙攣するし。御白様によると、霊力を出すためには全身の筋肉や臓器からエネルギーを無理やり抽出しているようなものらしい。
「よくやった宗太郎。あまり期待はしておらなかったのじゃが、まさか一日で三十分もつ結界を張れるようになるとはのぅ。おぬしも意外と大したもんじゃ」
死にそうな勢いで息を切らしていても、何度も俺にお札を投げさせ続けたこの鬼コーチは、俺のことを少し驚いた顔で見た。
「ハァ、ハァ……あり……とう、ハァ、ござ……っす」
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、俺はなんとかそう答えた。
というか、御白様も褒めるなら普通に褒めてくれたらいいのに。「期待してない」とか「意外と」とか、そういう余計な一言を言うから、褒められてもなんか微妙な気持ちになっちゃうんだよなぁ。
「…………」
御白様は黙ったまま、俺にくるりと背中を向けた。そしてこう言った。
「さて、もうこんな時間じゃ。おぬしを邦匡のもとへ返さなくてはのぅ」
ちょっと待て。この神様、さっき絶対俺の心読んだでしょ。え、さっきの沈黙って絶対俺の声にどう反応するか迷った沈黙だよね?
「さて、なんのことじゃか」
「やっぱ読んでるじゃん!」
「はて? わしにはさっぱり」
御白様はそう言ってけろりとした顔で俺の方を振り向いた。
…まぁいいや。とにかく今日の分の特訓が無事に終わって良かった。
俺が力尽きて神社の地面にへたり込んでいると、御白様はそんな俺をおもしろがるようにこう言った。
「明日は悪霊との戦い方の特訓じゃな。楽しみにしておれよ、宗太郎」
「えっ! 嘘でしょ! 勘弁してくださいよ! 俺、今日だけでもうへとへとなのに…」
そんなこんなで、俺は御白様に特訓専用の結界を出させてもらい、約束していたように燐牙たちと合流した。
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