第12話 式神との日々の幕開け

 その日の授業は俺の予想通り、全く集中できなかった。

 というか、今日は休み時間ごとにやたらクラスの女子に話しかけられたので、家に帰ってきたころにはいつもよりひどく疲れてしまった。

 クラスの女子たちは、「東雲くん、髪切ったんだね!」「すごくかっこいい! 似合ってるよ!」「東雲君って実はイケメンだったんだね」とか、別に今まで仲良くしたこともない奴らからそんなことを言われるもんだから、俺はその間中ずっと嘘くさい愛想笑いを浮かべなければならなかった。

 でも、俺は知っている。

 お前ら、昨日まで俺のこと「ロン毛きも~い」とかって、影でさんざん言ってただろ! だから俺は、お前らのこと信用しないからな!

 そしてその様子を見たクラスの男子が、こちらを羨ましそうに遠巻きに見ている視線も感じていた。特にいつもクラスの女子と仲良くしている男子のグループは、自分の女を取られたような気分にでもなったのか、俺のことをあからさまに敵対心のこもった目で見ていた。

 変人呼ばわりされて周りに人が寄ってこなかった時よりも、状況がさらに悪化している気がして、俺は午前中早々に憂鬱な気分になった。

 せっかく、普通の男子高校生の姿になれたんだから、普通に友達とか作って高校生活を謳歌したかったのに。この様子じゃ、男子の友達はできそうにないかもしれない。

 だが、未来に対して後ろ向きな気分になってしまったのは、この出来事だけが原因じゃない。

 信用できない女子たちに囲まれる休み時間を乗り越え、やっと黒板を写すだけの平和な授業時間が訪れると思いきや、頭上で燐牙がうるさく話しかけてくるもんだからたまったもんじゃない。

 特に酷かったのは、生物の実験の時だ。

 今日の生物の授業は、カエルの卵の成長の仕方を勉強するという内容で、生物室で行われた。それでもちろん、燐牙も生物室に行く俺についてきた。まぁ、それが御白様との約束だからな。燐牙はちゃんと、御白様との約束を守っていたのだ。

 そして、先生は授業内容を説明する流れで、せっかくだからと実験室で生育しているカエルをみんなの前で見せてくれたのだ。

 その時、実験室をずっとあちこち飛び回っていた燐牙の目がそれに釘付けになった。

 そして、俺のところまで戻ってくると、きらきらをしてこう尋ねた。

『おい、そーたろー。もしかして、あれはカエルか?』

『え? ああ、そうだけど』

 俺はそう答えた後で、燐牙が口元からよだれをこぼしているのを見て、嫌な予感がした。

『俺、あんなに太ったカエルは生まれて初めて見たぞ! うおおお、もう我慢できないっ! いただきまーっす!』

 燐牙は狩をする狐がごとく、先生が持っているカエルの水槽めがけて跳んで行った。

 生徒たちが座っている生物室の机を足場にして、ぴょんぴょんと飛んでいく。

 そのせいで、生徒たちの机の上に置いてあるプリントが勝手に舞った。

「うわっ、なんか今すごい風が吹かなかった?」

「え? でもここの実験室、今は窓開けてないよ?」

「あれ、おかしいなぁ?」

 そんな会話が聞こえてきて、俺はまるで自分の子どもが何かやらかした時の保護者のような気分になっていた。

 だが、燐牙はそんな俺の気持ちはつゆ知らず、先生の持っている水槽の上に四つ足でしがみつくと、そのまま水槽の中にいるカエルを取り出した。

 その様子に、クラスの空気が一瞬凍る。

「えっ……ちょっと待って、カエルが浮いてるんですけど……?」

「な、なんだあれ、怪奇現象だ!」

 目の前のありえない光景に、クラスメイトたちは一斉にパニックになってしまった。

 もちろん、一番驚いていたのは生物の先生だ。

 先生は自分が何もしていないのに、カエルが勝手に宙に浮いているのだ。

「う、嘘でしょ……⁉ カエルは空を飛ばないはずよ?」

 燐牙がつかんだカエルはちょうど先生の方を向くと、苦しそうに「ゲロッ」と鳴いた。

 きっと、燐牙にお腹のあたりを鷲掴みにされているせいで、声が出てしまったのだろう。

 先生はそのカエルと目が合うと、そのままふらりと倒れてしまった。

 そのせいで水槽が床に落ちて割れ、それに驚いた燐牙の手からカエルがぬるりと滑り落ちる。

「せ、先生ーーーーーーーーー‼」

「先生、大丈夫ですか⁉」

「早く、先生を保健室に連れて行かないと!」

 教室が一気に騒然となるなか、燐牙は実験室の後ろの方に逃げたカエルを捕まえようと、また教室中を派手に暴れ始めた。その度に、実験室の窓がガタガタ言ったり、机の上の教科書やプリントが落ちるものだから、クラスメイトたちはすっかりパニックに陥った。

「なんだ? 何が起こっているんだ?」

「もしかしてカエルの呪いなんじゃ…!」

 誰かが言ったその一言に、クラスの空気が一気に凍り付く。

「たしかに…実験で殺されちゃうカエルもいるし…」

「それで人間の俺たちに復讐しようとしてるとか…?」

 この超常現象を説明するのに、咄嗟にできたその作り話がうまいことマッチし、さらに実験室は大混乱に見舞われた。

 俺は次々と予想外の展開に向かう目の前の出来事に圧倒されていたが、すぐに我に返ると、まだ獣のように獲物を探し回っている燐牙を止めようとした。

『燐牙! いいから止まってくれ! うちのクラスのみんなが困ってるんだよ!』

 だが、カエルを食べたくて仕方のない燐牙は動きを止めない。机の下を覗き込んだり、窓開けて外を覗き込んだりしては、机の上をすごいスピードで跳びまわっている。

 その時、俺は自分の机の下にさっき逃げてきたカエルがよちよちと這いつくばってきているのが見えた。

 お前、こんなとこまで逃げてきてたのか!

 俺はそのカエルをどうしようかと頭を悩ませた。

 このか弱き生物は、燐牙に見つかれば絶対に食べられる。いくら小さな命とは言え、俺はここまで命からがら逃げてきたこいつを、そう簡単に見殺しにしたくなかった。

 だが、運命とは残酷なものだ。

『ああっ、見つけたぞっ! 俺の獲物っ!』

 ちょうど実験室の窓の傍にいた燐牙が、俺の足元にいるカエルに気づいてしまったのだ。

『よっしゃあっ! そいつはいただいたぜっ!』

 燐牙は鋭い犬歯を剥き出しにしながら窓を蹴ると、俺の方に一直線に跳んできた。

 や、やばい! このままだとこのカエルがこいつに丸のみにされてしまう!

 俺はすぐさまカエルちゃんを左手ですくいあげると、そいつを庇うため、やってくる燐牙を咄嗟につかんだ生物図録で叩こうと振りかぶった。あと、ついでに俺の授業への集中力を散漫にさせた憎しみも図録を持つ右手に込めておいた。

「お前っ、そろそろいい加減にしろよっ!」

 つい感情的になってしまい、俺は燐牙への怒りを大声で叫びながら、彼の脳天に重い図録を一発見舞わせた。

 すると、燐牙は一瞬で実験室の床に叩きつけられた。というか、床に体がめり込むんじゃったんじゃないかってくらい、すごい音がしたんだけど…。

『うぐぅ……い、いたい……』

 燐牙はその場にしゃがみ込み、涙目で頭を抱えた。

…あ、あれ? 俺ってこいつに太刀打ちできるほど、強かったっけ?

 っていうか俺、強すぎない⁉ 予想以上に強い攻撃をしてしまって、自分の能力に若干引いちゃったんだけど!

 それに、不思議だったのは、俺が燐牙を叩いたとき、持っていた図録に、青い炎が一瞬まとわりつくようにして出現したのだ。

 そしてその炎は、うちの神社の結界が破られたときに出現するものにとても似ていた。あと、御白様が俺の髪の毛を燃やした時の炎とも。

 でも、俺はそんなことよりも自分がとんでもなく恥ずかしい状況に置かれていることに気がついた。

 クラスメイトたちは全員、いきなり奇声を上げて見えない何かを殴った俺を冷ややかな目で見ていた。

 や、やっちまった~!

 せっかく変人キャラから抜け出せたと思ったのに、今度は高校二年生にもなって痛すぎる、厨二キャラとしての認定は必然的だよこりゃ!

 だが、クラスメイトたちの反応は俺の予想外なものだった。

「な、なぁ。東雲が叫んでから、さっきまでの怪奇現象、止まったっぽくないか?」

「たしかに…なんか、いつもの実験室に戻った気がする…!」

「もしかして、東雲がカエルの呪いから俺たちを守ってくれたのか?」

「…へ? いや、俺はただ…」

 俺は素直に答えようとして、慌てて口をつぐんだ。

 まさか、俺の式神がカエルを食べようと暴れまわてたんだなんて答えたら、マジで頭がおかしいやつと思われる!

「い、いやぁ、俺は別に…」

 俺がどう答えたものかと口ごもっていると、一人の女子が俺の左手に乗っているカエルを見て「もしかして! 東雲くんがカエルを助けたから、呪いが終わったんじゃない?」などと偉くファンタジックなことを言い出した。

 いやいや! 誰が信じるんだよそんなふわっとした答え!

 けど、俺の予想とは反対に、生徒たちはわっと歓声を上げて俺を救世主扱いし始めた。

「そうなのか東雲?」

「お前、さすが神社の息子だな!」

「えっ、東雲くんって神社の息子なの? ガチじゃん!」

「ありがとう、東雲~!」

 クラスメイトたちはそう言ってひとしきり盛り上がっていると、保健室の先生が慌てて実験室に入ってきた。そこで騒ぎはひとまず収まり、それ以来俺は呪いを払うことのできる高校生陰陽師としてクラスで噂されるようになってしまった。地味にこの噂が真実を言いえているのが、俺としてはなんだか複雑な気持ちだった。まぁ俺は、呪いとかまだ払ったことのない名前ばかりの陰陽師なんだけど。しかも、陰陽師として認定されたの、昨日なんスけど…。

 でも、そのおかげでカエルの呪い事件以降、クラスメイトたちの俺に対する態度は百八十度変わった。俺を見かけても「キモい」とか言う人はいなくなったし、俺が家に帰ろうとすると「バイバイ、東雲~!」と男子たちにすら気さくに声をかけられるまでになった。

 人って他人に対する態度を、こうも簡単に変えられる生き物だったんだなぁ…。

 昇降口で運動靴に履き替えながら、そんな風にしみじみ思ってしまったほどだ。

 燐牙はあの時俺に殴られて以来、拗ねているのか俺に話しかけなくなっていたので、俺はその時すっかりぼーっとしていた。

 だから、目の前にいた男子生徒についぶつかってしまった。

「うわっ! ご、ごめん!」

「いや、僕の方こそごめんね?」

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