第8話 陰陽師の間

弓弦は普段俺が本殿に入るときに使っている障子扉に手を触れ、しばらくじっとしていた。

 すると、弓弦が触れていた障子の部分が一瞬、ぐにゃりと歪んだように見えた。

「よし、もう入ってええで」

「あ、うん……って、あれ⁉ さっきと違う部屋になってる‼」

 俺は弓弦が何をしたのかイマイチわからなかったけど、その障子が開かれた先を見て大いに驚いた。

 そこはさっき儀式を行った本殿の中とは全く違った場所だった。

 障子の中は近所にある銭湯の大浴場くらいの広さになっていた。

 部屋の両脇には上までぎっしり詰まっている本棚があり、本の種類はどれもとても古そうなものばかりだ。部屋全体が少しかび臭い匂いがしているのも、ここにある大量の書物のせいかもしれない。

 天井は高く、四方向の壁には全て簾がかかっていた。床はうちの家と同じく畳だけど、ここの畳のほうがかなり年期が入っているように見える。

 この部屋を一言で言い表すなら、平安時代の貴族がいそうな部屋って感じだ。

 神棚が祀られていたあたりの場所には、小さな机が置かれている。その上には何冊かの古そうな書物と筆、そして赤い布とセットの水晶玉なんかが置いてある。まるで占い師の部屋みたいだ。

「おい、宗太郎。そこでぼけっとつっ立っとったら、この神聖な場所が汚れるやろ。早よ中に入れ。結界がちゃんと閉じられへんやろ?」

「えっ、ああ、ごめん…」

 俺はあんぐりと開けていた口を慌てて閉じると、部屋の中に一歩踏み出した。

 すると、弓弦はすぐに俺のいた方に手をかざした。その瞬間、俺の後ろにある障子が勝手にスパーン! と閉まった。音にびっくりして振り返ると、もちろん障子の側には俺以外誰もいない。千弦もすでに弓弦の隣にいる。

「もしかして、この障子が勝手に閉まったのって…」

「ん? ああ、俺の術やけど…なんや、お前今までにこういう術見たことないんか?」

「うん、見たことない…」

「あっ、そうか。お前が今までに見たことあるのって、位の低い悪霊ばっかりやもんなぁ。そりゃあ、俺らみたいな神使獣(しんしじゅう)が使う妖術は見たことないか」

 弓弦は一人でそう納得したようだ。

 俺は次々と起こる超常現象に圧倒されながらも、必死で意識を保つことに努めた。

 日常生活で人ならざる者とさんざん関わってきたと思っていた俺だけど、どうやらそれは自分の思い上がりだったみたいだ。俺が過去に視たことがあるのは、ほとんど顔の判別もつかないような低級霊ばかりだ。だから正直、ここまで人間と大して変わらない人ならざる者と関わるのは、初めてで戸惑いを隠せない。

 というか、神様だの神使獣だのいろいろ言ってるけど、俺はこの得体の知れない奴らのいうことをほいほい聞いてついてきて大丈夫だったんだろうか。どうしよう、今更不安になってきた。

 俺がそんなことを考えていると、弓弦の隣に並んでいた千弦が、誰もいない部屋の奥に声をかけた。

「御白様、宗太郎を連れてきました」

「うむ。ご苦労じゃった」

「うわっ!」

 俺は突然目の前に御白様が現れたので、悲鳴を上げた。

 白い煙とともに忍者のように現れた御白様は、想像以上に俺よりも背が低かった。

 さっきはこの人に見降ろされている格好だったからあんまりわからなかったけど、こうして真正面に立たれるとやっぱり小さいなぁと思ってしまう。

「なんじゃ、宗太郎。今、わしに向かって失礼なことを思わんかったか?」

「い、いえ! 何も⁉」

「ふむ。なら別に良いが」

 俺は御白様に心を見透かされたのかと思って、心臓が止まるかと思った。さすが神様、やっぱり人間の心は手に取るようにわかるってことなのかな~。

 とはいえ、御白様の声は声変わり前のかわいらしい声だし、まだ威厳のある神様って感じがしないんだけど…。

「それで、御白様。これからどうなさるのですか?」

「まぁまぁ、千弦。そう先を急かすでない。これから、宗太郎にはできる限り簡潔に、神であるわしから頼みたいことを話そうと思っておる。弓弦に千弦、そして宗太郎。まずはそこに座りなさい」

「はっ」

 御白様がそう命令すると、双子はすぐに畳の上に正座をした。そして、頭を深く下げた。

「えっ、あっ、はい! すんません!」

 それを見て、俺も慌ててその場に正座する。

 御白様は俺たちの目の前にちょこんと座ると、俺をまっすぐに見た。

 この世のものとは思えないほど、美しい銀色の瞳に見つめられ、俺は息をすることをうっかり忘れそうになる。それくらい、御白様の目には有無を言わさない麗しさがあった。

「宗太郎や。いきなりこのような形でこの場所に連れてきてしまい、お主には申し訳ないことをしたのう。まずはそれを詫びようと思う。すまなかった」

「えっ…」

 なんの話を切り出されるのか緊張していた俺は、いきなり神様から謝られ、拍子抜けした。

「なっ、御白様! なに人間風情に簡単に頭下げてはるねん! あんたは神様やねんから、もっと堂々と振舞わな!」

「御白様! 今すぐ頭をお上げになってください! あなたは位の高い神様なのでございますよっ⁉」

 俺がぽかんとしていると、双子が怒涛の勢いで御白様にツッコミを入れた。

「ええ? でもわし、堂々と振舞うの苦手じゃし…」

「まったく、あんたはこの日本で一番偉い神様やというのに…しっかりしてくださいよ!」

「す、すまぬ…。でもどうにも神様らしいふるまいというのは苦手なのじゃ…」

 御白様があまりにもわかりやすくしゅんと落ち込んだので、双子は慌てて彼を宥めた。

「え、ちょお、そんな落ち込まんといてくださいよ」

「御白様、我々も別に無理にそうしてくださいとは言いませんので…」

「いや、わしはおぬしらに恥をかかせぬ態度を取らねばならぬのじゃ…ふむむ…神様らしく行動するというのは、ほんに難しいのう…」

 御白様はぐぬぬと困った顔で目をぎゅっと閉じている。

「あ、あの~。それで、お話ってなんでしょうか? 俺、このあと学校に行かなくちゃならないんで、できればそれに間に合うように元の世界に戻してほしいんですけど…」

「おい、お前! 自分から神様に話しかけるなんてええ度胸やなぁ。目上の人と同じ場に折るときは、立場が上の者から話しかけられるまで黙っとかなあかんって知らんのか?」

「弓弦。宗太郎にそう突っかかるでない。心配せずとも、宗太郎は我らを子どもの見た目だからと言って見くびるような器の者ではあらぬよ。それは今までの東雲家の人間を見て、わかっておるはずじゃろう?」

「う…ですが…」

「御白様、どうか兄者をお許しくださいませ。最近は我らに対して尊敬する心を持ち合わせておらぬ者が浮世に多く存在します。ですからこの千弦も、兄者と同じ気持ちでございます…」

「そうであったか。じゃが、二人とも。今後はあまり宗太郎にむやみに突っかからぬように。おぬしらがそのような態度をいちいちとっては、話が進まぬ。これはわしからの命令じゃ……よいな?」

「はっ、承知しました」

 御白様が少し低い声でそう言うと、彼に忠実な二人はすぐさま承諾した。

「…では、話を戻すぞ。宗太郎、時間のことは気にせずともよい。わしの話が終われば、おぬしのことはきちんと時間までに帰すからのう」

「本当ですか! ありがとうございます」

「うむ。良い返事じゃ。それではまず、この場所について説明しようかの。おぬしもいきなり見知らぬ場所に連れてこられて、内心戸惑っておるじゃろうし。弓弦、わしは説明するのが苦手なゆえ、おぬしが宗太郎に説明してくれんかの?」

「はっ、もちろんでございます」

 さっきまで静かに黙っていた弓弦は、そこでようやく口を開いた。そして、俺のほうに向きなおり、はきはきとした口調で説明を始めた。

「宗太郎、お前は結界ってわかるか?」

「あ、うん。わかるよ。悪霊や低級霊たちが入って来れないような、神聖な空間の中のことだよね?」

 それぐらいの知識なら俺にもある。実際、うちの神社にも結界は張られているわけだし、だから俺は割と自信満々に答えた。

「まぁ、だいたいは合ってるな。でも、お前が言ってる結界はほんまもんとはちょっと違うねん」

「えっ、違うの⁉」

 俺は今までの知識を全否定された気がして、少しショックを受けた。

「結界っていうのは、悪霊や低級霊から守られた場所に限定されてるわけじゃないねん。例えば、神様しか入られへん種類とか、おれらみたいな神使獣しか入られへん種類とか、入れる者を限定することができる空間のことなんや」

「へぇ、そうなんだ…」

「でも、そんな風に結界内に入り込むことができる者の条件を細かく設定するには、御白様のような神様や、よほどの実力を持つ物の怪、もしくはお前の先祖のような陰陽師じゃないと無理やけどな。それくらい、結界を張るっているのは、人ならざる者にとっても難しいことなんや」

「な、なるほど…」

「そして、この場所は御白様が張った特別な結界の中なんや。やからここは、御白様、そして御白様に代々使えるおれと千弦、ほんで次期陰陽師である東雲家の人間しか入られへんようになってるねん」

「そ、そうだったんだ…」

 俺は改めてこの部屋中を見渡した。本当によくできた作りだ。簾も畳も柱も壁も、全部本物と変わらない。

 魔法だか妖術だか知らないけど、この場所にここまで精巧な場所を作り出すなんて、目の前に座っている小さな神様はなんて力の持ち主なんだろう。御白様はさっきから弓弦の話を、眠そうな顔で聞いている。まさかとは思うけど、この神様、説明が苦手なんじゃなくて、ただ面倒なだけなんじゃ…。俺はそんなことをつい思ってしまったけど、顔には出さないようにした。というか、それよりもさっき何かひっかかることを言われたような…。

「ねぇ、ちょっと待って。さっき、次期陰陽師って言った?」

「おん、言うたけど。それがどうかしたんか?」

「あのさ、俺は別に次期陰陽師とかそういうのじゃないんだけど! っていうか、うちの家系が陰陽師として活躍していたのは、もうかなり昔のことなんでしょ? たしかに、今でも東雲家では陰陽師修行をやらなくちゃいけない習わしになってるけどさ。俺のじいちゃんも母さんも、陰陽師として働いていたことなんて一度もないよ?」

 そうだ。うちの家系はたしかに陰陽師として活躍していたっていう言い伝えはあるけど、それに関するちゃんとした証拠は一つもない。そもそも、うちのご先祖様が本当に陰陽師だったのかすら怪しいぐらいだ。たしかに、ご先祖様が張ってくれた結界は今でもちゃんと残っているけれど、よくよく考えればそれもご先祖様が張ったものだという証拠もないわけだし…。だから俺は、東雲家に伝わる『ご先祖様は陰陽師説』をあんまり信じていなかった。

「何を言っているんですか、宗太郎? お前の母である静は、立派な陰陽師だったではないですか」

「え?」

 俺は、右側に座っていた千弦の突然の発言に目を見開いた。

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