第5話 幼馴染の訪問は突然に
「はぁ、今日も地味に疲れたな…」
俺はそう呟きながらタオルで汗を拭いた。
今は自室で白装束から部屋着のジャージに着替えているところだ。
楽な格好に着替え終わると、俺はそのまま畳の上に寝転がった。
部屋の壁に掛けられた時計によると、今は午後七時。ばあちゃんはいつも七時半頃に夕食を作り終えるから、それまでは自由時間だ。
先に風呂を済ませてしまおうかと考えたが、体が重く、今は一ミリでも動きたくない。
でも、毎日の修行にはちゃんと意味があるのだ。
というのも、東雲家は代々宮司という肩書の裏で、晴名町を悪霊や悪い物の怪から守っている陰陽師として活躍しているのだ。そして、俺が小さいころからほぼ強制的に受けさせられている修行も、俺を立派な陰陽師として育て上げるためのもの。
あの厳しいじいちゃんも、今は現役ではないけれど、もとは凄腕の陰陽師だったのだ。
でも、やっぱり高校生になった今でも、キツいものはキツい。できることなら、俺ももっと友達と放課後にカラオケに寄ったりする青春を味わってみたかったぜ…。この家に生まれた時点でそれは叶わぬ夢だけど。
ん? 陰陽師になることを断れば、別に修行なんかしなくてもいいんじゃないかって?
いや、実はそういうわけにもいかないんだ。
東雲家の人間は生まれつき、妖を視ることができる霊能力を持っている。でも、霊能力を持っているからといって、妖から自分の身を守る力あるかといえば、そうではないんだ。そいつらから自分の身を守るためには、どう転んでも結局修行で自分の霊能力を鍛えなくちゃならないってわけ。
ハァ~。ほんと、霊能力があっていいことなんか一つもないよ。
俺が寝転びながらため息をついていると、突然べちゃっ、べちゃっと窓に何かがへばりついた音がした。
ん? なんだ? もしかして、変な霊でもやってきたのか?
さっき説明し忘れていたけど、実は東雲家の人間は霊能力が高いせいで、そこらへんにうよういる幽霊から体を狙われやすい。霊能力が高い人間に憑りつく方が、乗り移った後体の支配がしやすいからだ。
じいちゃんみたいに自分から悪霊たちを跳ねのける霊力を自分から放出させることができたら、こんなことにはならないんんだけど。でも、俺はまだまだ未熟者だから、そういう類のことができないんだ。
あ、でも、そういえばここは自宅だった。自宅にも強力な結界は張られているため、悪霊はここには入ってこれない仕組みになっている。それだと、相手は霊ではないってことだ。
俺はその結論に達すると、重い腰を上げ窓の傍に歩み寄った。
カーテンを開け、カギを回す。
すると、俺の司会に入ったのは向かいの隣の家の人物だった。
「よっ、宗太郎! 今、時間ある?」
「冬華!」
清水冬華、彼女は俺と同じ年の幼馴染だ。
実は、俺の部屋は隣の清水家と隣接した部分にある。さらに、東雲家と清水家はお互い二階建ての一軒家で、偶然にも二階にある俺の部屋と冬華の部屋は向かい合わせに位置している。
彼女は、自分の部屋の窓から俺の窓に向かって話しかけてきたのだ。
「お前、どうやって俺の窓を叩いたんだ?」
向かい合わせになっているとは言え、彼女と俺の部屋の間には、俺の腕三本分くらいの凝りがある。それに、さっきの音は明らかに彼女が俺の窓を素手で叩いた音ではなかった。
「ああ、さっきスライムを投げたんだよ。ほら、そこにくっついてるだろ?」
冬華の言う通り、もう一度開けた窓を見ると、そこには紫色のスライムがべちゃあっと窓に貼りついていた。
「いつのまにっ……!」
「ふふふ。私にしては考えただろ? 前に石投げたら、一階に落ちた時に危ないだろって宗太郎に注意されたから、今回はスライムにしてみたんだ」
冬華はそう言うと、へへんと胸を張って見せた。
学校での彼女はこういうキャラではないので、同じ学年の奴らが見たら驚くんだろうなぁなどと思う。
俺と冬華が通っている高校は実は同じなんだ。でも、俺は彼女とは違うクラスだから、学校で直接話すことはほとんどない。というか、冬華の方が俺に気を使って関わらないようにしてくれている。
まぁ俺自身、学校では周りから気味悪がられているので、人気者である彼女の顔に泥を塗るような真似は極力避けたかった。だから、俺も敢えて学校では彼女から距離を置いている。
でも、学校の奴らの目がないこの時間帯は、冬華の方から俺の部屋に何かとちょっかいを出してくることが多いのだ。多分、学校でのキャラを演じるのに疲れているんだと思う。
俺は冬華が本音で話せる数少ない友人なんだと思う。もしかしたら、こういう風に思っているのは俺だけかもしれないが…。だとしたらめちゃくちゃ恥ずかしいな!
「で、今日はなんの用?」
「いや、普通に仲良くおしゃべりでもしようかと思ってな。だから、宗太郎の部屋、入ってもいいか?」
「えっ? まぁ、別にいいけど…」
俺は自分の部屋があまり散らかっていないことを確認すると、素直に頷いた。
「ほんとうか⁉ じゃあ、行くぞ!」
「えっ、ちょっ、冬華! お前、何やってんだよ!」
冬華は窓枠に手と足をかけ、そこから身を乗り出そうとした。
「おいっ、危ないからやめろよ!」
「大丈夫だって! 前もこうやって宗太郎の部屋に入っただろ?」
「たしかに、前は成功してたけど! 今回は落ちるかもしれないだろ⁉」
実は彼女は前にも一度、こうして窓から窓を飛び移って俺の部屋に入ってきたことがある。その時は無事に俺の部屋の中に入り込むことができたけど、いくら二階とは言え落ちたら足を簡単に骨折してしまう高さだ。そう何度も危険な挑戦を大切な幼馴染にさせるわけにはいかない。
でも、冬華は俺の言うことなんてちっとも耳に入っていないようだ。
彼女はつかんでいる窓枠を支点として、振り子のように足を振り、見事俺の部屋の窓の中に飛び込んできた。まだ制服姿だった冬華のスカートの裾から、白いふとももが見えて、俺はついドキリとしてしまった。そのせいで、後ろへ避難するタイミングが遅れた。
彼女の足が逃げ遅れた俺の腹を直撃し、殴られたような鈍い痛みが広がる。
「うぐぅ…!」
「そ、宗太郎! 大丈夫か!」
冬華は慌てた様子で、仰向けに倒れた俺の顔を覗き込んだ。
彼女の心配そうな顔が視界に入る。冬華も、まさか俺に足が直接当たるとは思っていなかったみたいだ。
「だ、大丈夫…。っていうか、前に成功したからって、そう何度も窓から入ってくるんじゃねぇよ! 怪我するかもしれないだろ!」
「だって…いちいち一階まで下りて宗太郎の家に行くの、面倒くさいじゃないか」
体を起こしながら説教をする俺に、冬華は小さくむくれた。
そして、制服姿のまま俺の隣にすとんと座る。
「まぁ、無事だったから良かったけど…」
「ふふん、私の運動神経をなめてもらっちゃ困る」
冬華はさっきまでの態度はどこへやら、自慢げに俺を流し目で見た。
「…あとさ、こういうことあんまり言いたくないんだけど、スカートのまま激しい動きをするのはやめた方がいいと思うよ?」
今も隣で体育座りをして、肌の露出が多い彼女に、俺は控えめに忠告をした。
冬華は学校でも他学年に名前を知られているほどの美人だ。
白く透けるような肌に、くっきりとした二重の目。顔は小さく足は長いので、スタイルも申し分ない。俺と同じくらい長い黒髪は、風になびくとサラサラと清らかな音を立てるほどだ。そりゃあ、これほどの美少女、噂にならないほうがおかしい。
今でも学校中の生徒たちに注目されている存在なのだから、自分の振る舞いには多少気をつけてほしいものだ。ただでさえ、学校の男どもはお前のことをやらしい目で見てるんだからさ。
「ん? もしかして私のこと気にしてくれてるのか? でも、その必要はないぞ宗太郎。だって、ほら!」
「ぎゃあっ、何してんの⁉」
冬華はさっと立ち上がると、自分のスカートをめくって見せた。
予想外の行動に、俺は目を逸らすことができず悲鳴を上げた。
「な? これなら見えても問題ないだろ」
彼女の言う通り、めくったスカートの下には短いズボンが履かれていた。
俺はひとまず男としての過ちを犯していなかったことに安堵した。いや本当に、ちょっと残念なんて思う気持ちは微塵もないから!
「…ハァ。まぁそれならいいけど! 簡単にスカートとかめくっちゃダメだよ?」
「わかってるよ。このキャラでいられるのも、今じゃ宗太郎の前でだけくらいだからな」
冬華は切ない表情でそう笑うと、また俺の隣に座った。
「あ~あ、私も男だったらよかったのになぁ」
「……」
ぽつりとそう呟く彼女に、俺は何も言わなかった。
冬華とは幼稚園からの付き合いだけど、彼女は昔から男口調だ。冬華は二つ年上のお兄さんである武兄のことが大好きで、いつも武兄の友達の友達と遊びまわっていた。それ以外の時は、家が隣である俺と清水兄妹とでよく遊んでいた。男ばかりと遊んでいた環境のせいで、冬華は男口調が抜けなくなってしまったらしい。でも、小学校に入ってから冬華は一度それで浮いてしまった。だから、今では学校にいるときは、少し無理をしてでも男口調で話さないよう気をつけているようだ。
だから、学校にいる冬華は何もかも演技をしないといけなくて、少し息苦しそうに見える。
いつか、今みたいに自然体で学校にいられる日が、彼女にも来ればいいんだけど…。
「…お~い、宗太郎? 私の話、聞いてるか?」
「んっ? あっ、ごめん。全然聞いてなかった」
考え事をしていたら、彼女の話を聞き逃してしまっていたようだ。俺は慌てて返事をした。
「もう、やっぱり聞いてなかったんだな。今日の修行はどうだったって聞いたんだよ」
「ああ、修行のことね。それならいつも通り、神社中の掃除をみっちりやらされたよ」
「そうか。毎日毎日、大変だな」
「まぁな」
「それで、今日は変な幽霊とかは見なかったか? 実は放課後、宗太郎がものすごい勢いで廊下を走っているのを見たんだが…」
冬華はそう言いながら上目遣いで首を傾げた。モデル並みのスタイルを持つ彼女だけど、身長はやっぱり男の俺の方が高い。だから、自然と少し下から彼女に見上げられる格好になる。
うわ~、あれ見られてたのかぁ。
俺はそう思いながらも、彼女にありのままを説明した。
「うん、実は今日学校の終礼が終わったときに、悪霊に見つけられちゃったんだよ。それで、必死に逃げてた」
「やっぱりそうだったのか。宗太郎のことだから、私たちには見えない何かから逃げているのかもとは思っていたけど…。次期陰陽師は、大変だなぁ」
冬華は別段驚くことなく、俺の話を聞いていた。他の人に幽霊が視えるだなんて話をしてもすぐには信じてくれないけど、彼女は俺に不思議な力があることを知っている。そしてその大変さをわかってくれる良き理解者なのだ。
というのも、彼女の家は何代も前から俺の家系と関わりがあるらしく、陰陽師として働いていることも知っているのだ。
親や両祖母から聞かされる話とは言え、現代に生きる若者なら疑って当然の話を冬華や武兄は信じてくれている。それが、俺にはとてもありがたかった。
「心配してくれてありがとな。あ、そうだ。そう言えば、冬華には話してなかったな」
「ん? なんだ?」
「明日は、俺の十七歳の誕生日だろ?」
「うん、そうだな。宗太郎は私より誕生日が早いもんな。でも、短い期間とはいえ、宗太郎に年上になられるのはなんかムカつくな」
「唐突に理不尽だな⁉ まぁいいや。それで明日、斬髪の儀式が行われるんだよ」
「ざんぱつのぎしき?」
冬華はカタコトな日本語で、言葉を繰り返した。
「そう。俺の家のしきたりの中に、十七歳になれば今まで伸ばしていた髪の毛を切って、それを神様に捧げるっていう儀式があるんだ。それが、明日行われるんだよ」
「え……」
「だから、このうざったい髪の毛ともようやくおさらばできるんだ! いや~、俺は明日を楽しみに今まで生きてきたからな。これでやっと、ロン毛とかいう変なあだ名からも解放されるんだと思うと、せいせいするわ~!」
俺がそのことを報告すると、冬華は信じられないという顔をした。
「な、なんだと…! そんなの、私は聞いてないぞ!」
「へ? ま、まぁ、別に言うほどのことでもないかなと思って、今まで話してなかったけど…」
「なんでそんな大事なこと、今まで言ってくれなかったんだ!」
「ええ~⁉ そこまで怒ることか~⁉」
俺は冬華がなぜこんなに突っかかってくるのかがわからなかった。友人が髪の毛切るのくらい、別に大したことじゃないだろ⁉
「ごめん、怒ったつもりはないんだ。ただ、ちょっと驚いてしまった」
困惑している俺を見て、冬華はすぐに冷静になった。
でも、彼女の顔はすごく残念そうだった。
「なら、お前のその長い髪も今日で見納めってわけだな…」
「ええ…そこまでセンチメンタルになる? っていうか俺、髪切ったほうが今よりはマシな格好になると思うんだけど…?」
「だからっ、それが嫌なんだよ!」
冬華は俺の方をキッと見上げると、「あっ」と慌てて口を押えた。
ど、どういうことだ? 冬華は俺が普通の男子みたいな容姿になるのが嫌なのか?
俺が彼女の真意を測りかねて混乱していると、彼女が何かをぼそりと呟いた。
「だって普通の髪型になっちゃったら、宗太郎が本当はカッコいい人だってことに、みんな気づいちゃうだろ…」
冬華は怒りで顔を赤めながら何かを言ったが、俺にはそれが全く聞こえなかった。冬華の声は予想以上に小さく、口の動きだけでは何を言っているのかわからない。
「へ? なんて?」
「……っ! な、なんでもないっ! とにかく、私はもう帰るから。じゃあな、宗太郎!」
冬華はそう言うと、今度は俺の窓枠に足をかけた。
「おいっ、だから窓から移動するのはやめろって!」
「うるさいっ、バカ宗太郎っ!」
「なんで⁉」
俺は冬華にまたまた理不尽な態度を取られ、辟易とした。
その隙に、冬華は俺の窓をするりとすり抜け、向かい側の自分の部屋に着地した。
「じゃあ、私はもうお風呂に入るから。また、明日な」
「うん、わかった。もし明日も来るなら、今度はちゃんと玄関から入って…」
「おやすみ~」
「あっ、おい!」
冬華は俺の頼みを最後まで聞かずに、カーテンをシャッと閉めてしまった。
まったく、どんだけ自由な奴なんだよあいつは。
勝手に人の部屋入ってきたり、かと思えば話も聞かずに自分の部屋に戻るし。まぁそれも、昔から変わらないけど。
俺は窓の傍まで歩み寄ると、彼女と同じく窓とカーテンを閉めた。
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