第2話 悪霊に追いかけられて

 朝、自分のクラスに入ると、早速俺は憂鬱な気分になった。

 今日も、いる。

 クラスメイトたちが朝から芸能ニュースや部活の話など、たわいもない話題で盛り上がっている中、俺には教室の隅に赤い幽霊がその場にひっそりと佇んでいるのが視えた。

 最悪だ。しかも、色がよりにもよって赤だなんて。

 実は、幽霊にはさまざまな色がある。そして、彼らは色で一般人に危険を及ぼすかどうかの危険度を推測することができるのだ。

 まず、一般的に幽霊と呼ばれる霊は基本的にこの世に未練があって成仏できていないものたちのことを指す。そして白いイメージを持たれがちな幽霊は、基本的に生きている人間に無害な幽霊だ。むしろ、白の幽霊は生きている人間のご先祖さまだったりすることが多い。 

 だから、怪談話なんかでよく白い幽霊の話とかが出てきたりするけど、霊が視える俺からすれば、作り話だなぁと思う。白の霊が、襲い掛かってきたりするはずないのだ。

 でも、赤や黒の幽霊はこの世で生きている人間にとって有害だ。黒の幽霊は低級霊であることが多くて、動物の形をしていたりすることが多い。そして、俺も猫や犬の形をした黒色の低級霊に、今までになんどか襲われたことがある。まぁ、全部じいちゃんにお祓いしてもらったけど。

 そして、ようやく赤の幽霊について説明するわけだけど、実はこのタイプが一番危険なんだ。赤の幽霊は敵意の塊で、この世にとても激しい憎悪や嫉妬、そして悪意を抱いていることが多い。

 だから、誰かれ構わず憑りついて、その人を操作し悪事を働こうとするのだ。さらに、その憑りつくターゲットになりやすいのが、俺みたいに中途半端に霊力が高い人間だ。

 そんなわけで俺は、自分と同い年くらいに見える男子の姿をした赤い幽霊と、絶対に目が合わないように教室の中に入った。もし万が一彼らと目が合うようなことがあれば、一発で自分が視えている人間だと判断されてしまうからだ。

 わざと長めに伸ばした前髪の隙間から、そいつの姿を確認しつつ、俺は自分の席にそろりそろりと歩みを進めた。そして、教室の一番後ろの窓側にある自分の席に座ると、ほっと一息をついた。

 幽霊の彼は一番前の窓側に立っており、揺れるカーテンの隙間でひたすらじっとしている。彼は黒板の方をずっと黒板を見つめているので、ここからだと簡単には目が合わなそうだ。よかった。

 俺は中学の頃から愛用しているダテ眼鏡をくいっと上げて、自分の目がもっと他人から見えにくくなるようにセッティングした。

 その様子を見たせいか、いつものようにクラスメイトたちが俺の姿に引いている会話が聞こえてきた。

「げっ、ロン毛! もう学校来てるじゃん」

「あいつ、二年に上がっても髪の毛切らねぇのかよ。男なのに髪長いとか、普通に気持ち悪ぃ」

 少し遠くにいた男子のグループが、そう言いながら俺のことをチラチラ振り返る。高校に入学してからつけられた俺のあだ名は、ロン毛だった。

 まぁでも、そう呼ばれてもしかたない。実際俺は腰まである髪を無造作に束ねた、イマドキの男子らしからぬ髪型をしていたからだ。おかげで、男女構わず俺に対する態度はドン引き気味だった。

 でも、俺だって好きでこんな髪型をしているわけじゃない。これは、次期竜宮神社の宮司として生まれた俺に課せられた、とあるしきたりなんだ。なんでも、満十七歳を迎えるまで、ずっと腰から下まで髪の長さをキープしないといけないらしい。本当に、誰だよこんなルール作ったの。昔の人は男が髪の毛長くても普通だったかもしれないけど、現代に生きる俺からすれば最悪だよ。

 まぁ、俺が他人から気味悪がられているのは、今に始まったことじゃないけど。すでに俺もこういう悪口を言われるのには慣れっこだった。

 それに、実はこういう負の感情が感じられる会話をよくしている人間には、だいたい低級霊が憑りついている。実際、今俺のことをヒソヒソ話しているやつの肩にも、黒いイタチの低級霊が乗っていた。こういう変なのをくっつけているやつが勝手に自分から離れてくれるのは、わりと楽だったりする。だから、この姿で損ばかりしているわけでもなかった。

 一時間目の授業で使う教科書やノートも机の上に並び終えたので、俺はそのまま優雅に机の上に突っ伏した。まだ授業が始まるまで少し時間がある。それまで、少し寝ていよう。

今日もいつものように、朝の五時から神社の掃除を兼ねた修行をさせられたので、俺はすでに眠かった。

 隣の窓から入ってくる、春のあたたかな風が気持ちいい。今は五月なので、もうすっかり桜の花びらも散り終えてしまった。その代わり、新たに出てきた若芽の匂いが、鼻を微かにくすぐる。

 ああ、今日も平和な一日になりそうだ。

 春風に髪を優しく撫でられながら、俺はしばし安らかな眠りについた。


     ♢


 でも、俺の予想は最後の最後で大いに覆されてしまった。

 特に何かしでかすわけでもなく、最後の六時間目の英語の授業が終わり、俺は完全に安心しきっていた。ああ、これでやっと家に帰れる。

 俺の家は、この学校の近くにある竜宮神社の敷地内にある。

 そのため、俺のご先祖様が昔神社に張ってくれた結界のおかげで、低級霊や悪霊などが入れないような仕組みになっているのだ。だから、そいつらに心をかき乱されることなく自由に過ごすことができる。まぁ、じいちゃんからの修行がなかったら、もっと自由なんだけど。

 担任の教師が明日の連絡事項などをべらべら話している間、俺はカバンに教科書とかを詰め込んで、すぐに帰れるよう準備していた。そして、帰りの挨拶が終わると、さっと席を立って教室を出ようとした。

 だけど、その時。俺は今朝の赤い幽霊のことをすっかり忘れていた。

 だから、普通に前を向いて席を立ったんだ。

 赤い幽霊は今朝のまんま、ずっとそこに立っていた。でも、ひとつ変わったところがあった。

 それは、彼は黒板の方ではなく俺の方を見ていたということだ。

 彼の目線と俺の目線がピタッと重なり合う。それはもう、ジグソーパズルの最後のピースが嵌まったときみたいに、バッチリだった。

 俺はすぐに目をパッと逸らした。そして、またしまったと思った。

 こんなの、完全に目が合ったから逸らしましたってわざわざ言ってるようなもんじゃん! もし万が一悪霊と目が合ってしまったら、自分が視えていることを悟られないようゆっくり逸らさなければいけないのに、俺はそれと思いっきり反対のことをしてしまった。

くそっ、完全に動揺してしまった。

『小僧…オマエ、オレガ視エテイルノカ……!』

 予想通り、俺が視えていることを悟った赤い幽霊が、話しかけてきた。

 ちなみに、幽霊の声は直接脳内に響くみたいに聞こえてくる。って、こんなこと説明してる場合じゃないんだけど!

 俺はその声を無視して、今さらだけど何も見えていないフリをして、ゆっくりと教室を出た。さっき、あからさまな反応をしてしまったけど、このまま普通の人のフリをしていれば、あいつも勘違いだったと思うかもしれない。

 けど、俺の考えは甘かったようだ。

『小僧、コノ俺ヲ騙セルトデモ思ッタノカ…? ヤット俺ヲ視ルコトガデキル生キタ人間ヲ見ツケルコトガデキタノダ! 絶対ニ逃ガシハシナイゾ…!』

 そいつはそう言うと、俺の跡を追いかけてくるような発言をした。

 俺は慌ててブレザーのポケットに入っていたコンパクトミラーを取り出すと、それで後ろを映した。もしここで振り向いたら、俺はあいつの言葉が聞こえていることになる。そうすれば、俺はあいつの思う壺だ。だからこうして鏡で後ろを確認したのだ。

 便利なことに、鏡はなんと霊の姿もちゃんと映してくれる。もちろん、霊の姿は視える人間じゃないと確認できないけど。

 残念なことに、鏡にはこっちに向かって飛んでくる幽霊の姿が映っていた。さっきのセリフは嘘じゃなかったみたいだ。

「はぁっ、もうっ!」

 俺はコンパクトミラーをパタンと閉じると、その場から逃げようと一目散に走った。廊下をのろのろと歩く女子生徒たちの間を駆け抜け、階段を二段飛ばしで降りる。

「うわっ、あぶねっ!」

 階段を飛び降りた先にいた男子生徒にぶつかりそうになり、慌てて避ける。

 その男子と一緒にいた生徒が

「うわ、ロン毛じゃん。なんであいつ、あんなに必死に走ってんの?」

「さぁ、一人で青春ごっこでもしてんじゃね?」

と言う会話が聞こえてきたが、今はそれを訂正している暇もない。

『待テ、小僧…!』

 幽霊はしわがれた声で叫びながら、しつこく俺についてきた。

 他の生徒たちから異様な視線を浴びながらも、俺は昇降口にたどり着くと、高速で下足に履き替えた。そして、そのままダッシュで校門を出て、家に向かう。

 学校の正門からまっすぐ続いている道を、途中で左に曲がり、住宅街に入る。

 細い路地を何度も曲がり、小高い丘になっている自宅付近を目指して走った。

 走り続けて息も絶え絶えになってきたころ、ようやく長い階段の上にある朱色の鳥居が見えた。

「おしっ、あともうちょい!」

 この時間帯、閑散とした受託買いには誰もいないのをいいことに、俺は走りながら自分にそう言った。

 体力も尽きて、鉛のように思い足で階段を駆け上がる。そして、倒れこむように鳥居の中に入ると、俺はようやくそこで足を止めた。

 そして、勝利の笑みを浮かべ、鳥居の下に広がる階段を見下ろした。

 そこには、さっきまで追いかけてきていた赤い幽霊が予想通り会談の上をふわふわ飛んできているところだった。

『ヤット追イ詰メタゾ、小僧…!』

 幽霊は意地汚い笑みを浮かべると、すごいスピードで俺のほうに迫ってくる。今さらだけど、俺と同い年くらいに見えるこの幽霊に、小僧呼ばわりするのは地味にムカつくな。

 でも、俺はこいつの脅しにはびくともしなかった。

 さっきまではあんなに逃げていたけど、ここまでくればもう俺の勝利は確定しているのだ。

「ふん、こっちに来れるもんなら来てみろよ!」

『言ッタナ…!』

 幽霊は不敵な笑みを浮かべたまま、鳥居の前まで飛んでくると、なんの躊躇もなく俺のほうに手を伸ばした。俺を捕らえようとする彼の赤い腕が、鳥居を大きく超える。

 だが、その時。

『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼』

 彼が鳥居を超えた部分の腕に突如青白い炎が発生し、燃え始めた。幽霊は聞くに堪えない叫び声を上げると、そのままよろよろと後ろへあとずさった。あ、もちろん体は浮いたままだけど。

 幽霊って足がないイメージを持たれがちだけど、実はちゃんと足も存在しているんだ。でも、彼らは移動のほとんどを浮遊で行うから、歩行することはほとんどないみたいだ。

 でも、鳥居の外に出たからって、その炎が消えるわけじゃない。それは彼の全身に燃え広がっていき、そのまま全て焼き尽くしてしまった。燃えた部分は細かい灰のようになって、俺の目の前で跡形もなく消える。

 どうやら、彼にもちゃんとご先祖様の結界によって無理やり『成仏』させられたみたいだ。

 俺はそれにちょっと手を合わせて、次からはそいつが幸せな人生を送れるようお祈りしてやった。悪霊とは言えど、もとは普通の人間だ。彼は俺と同じくらいの年に見えたけど、生きている間に相当嫌なことがあったに違いない。だから、あんな警告色を示す危険な幽霊になってしまったのだ。

 でも、こればっかりはしかたない。これは俺の持論だけど、この世にいる悪霊は早く成仏するに越したことはないと思う。たとえ悪霊の復讐がなんらかの形で果たされたとしても、それはまた別の憎しみを生むだけだ。だから、俺はご先祖様がこの神社にかけてくれた決壊に、とても感謝している。

 本当は自分の霊力で彼をその場で成仏させられるのが一番なのだが、俺はまだそこまで力があるわけじゃない。それに、悪霊を成仏させるにはいろいろと呪文も言わなければいけないので、もし学校でそんなことすれば、ますますほかの生徒たちから気持ち悪がられることになるだろう。もうすでに気味悪がられてはいるが、、これ以上他人から変な目で見られるのは俺としてもごめんだ。だから、どうしても変な悪霊に憑りつかれそうになった時は、なりふり構わず神社に逃げ込むようにしているのだ。

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