11話 無くしたものを探して(上)

 ロッティとローレイの件はあとでローレイから聞くことにした。なので今度は私用でアトライア文庫本社へ赴いた。

「あ、トランスリバー様!」

 受付嬢が私を呼び止めたので、駆け寄ると

「本日はアイエー代表は不在でして・・・」

 と言うのだ。それは珍しいことだ。体調でも崩したのだろうか。

「キルケアさんのご自宅へは向かわれたのですか?」

 一応聞いておいた。

「ええ。それで今日はどうしても休まなければならない、とおっしゃっていたそうです。トランスリバー様への伝言も預かっております」

 伝言というのもまた珍しい。早速、内容はどんなものか尋ねた。

「もし手が空いてるなら僕の家に来て欲しい。手伝って欲しいことがあるんだ、とのことです」

 それについてはなんの不都合もないし、不満もないので即決で向かうことにしたのだが、一体何を手伝って欲しいのだろうか。

「伝言ありがとうございます。では失礼します」

「お気をつけて」

 イスカリアは盆地なのでそこまで暑くなると言うこともない。なんなら心地いい。

 その辺にいたタクシーを捕まえてアイエー宅までひとっ飛びした。

 この家を見るのは何ヶ月ぶりだろうか。そう考えながら、私はノッカーを叩き返事を待った。

「おお!来てくれてありがとう」

 前回とは違い、今回はちゃんと扉が開いた。

「ささ、どうぞ上がって」

「では遠慮なく」

 私はアイエー宅に堂々と入り込んだ。そこに広がっていた光景は・・・

「うわ、汚な!」

 びっくりするくらい汚れているのだ。私はその光景を見てから若干不満げに言う。

「まさか、片付けを手伝ってくれって言うんですか?」

 するとキルケアは「まさか」と笑って続けた。

「探し物をしているのだけれどね、どうしても見つからないんだ」

 意外だった。どう見たって綺麗そうな人なのだが。

「キルケアさんほどの人が物をなくしたんですか?」

 それを聞いたキルケアは片手で頭をかいた。

「いや、そう言うわけじゃあないんだ」

「ではどう言うことなんです?」

 するとキルケアは鳥の彫刻の隣に置かれた、一枚の絵画に手を伸ばした。そこに描かれたのは、美しい銀色の長髪で見る人をうっとりさせる姿だった。

「アリシアがこの家のどこかに、大切なものを隠したんだけどね。それを出そうと思って探してたんだ」

 アリシア、彼が戦争で失った妻のことである。

「どうして今更?」

 亡くなった直後に掘り起こしていいものではないのだろうか。

「どちらかが死んだら、そのあとに探してもらって開けようってアリシアが提案してきたんだ。あの時は受け入れられなくってね。それで『鳥と空飛ぶ少女』を書いたわけだけど。君がアリシアの死を受け入れさせてくれたから、ようやく決心して開けようと思ったんだ。でもアリシアってばどこに隠したのかわかんなくなっちゃってね」

 なるほど。そういうことだったのか。

「じゃあ早く見つけませんとね?」

 私は微笑みながらそう言った。

「ああ。でも本当にどこに隠したかわからないんだ。アリシアのお気に入りの場所はもう確認したんだけど、それでも見つからなくてね・・・」

 お気に入りの場所に隠さない、か。

「アリシアさんは空がお好きだったのですよね?」

「ああ。だから偵察機のパイロットになったと聞いたことがあるよ」

 今、空を飛ぶ手段として存在するのはは、気球か小型の偵察機くらいだろう。

「とすると・・・やはり、空が見える所だったりしないのでしょうか?」

 普通はそう思う。

「僕もね、最初はそう思ったよ?」

「なかったんですね・・・」

 そこで私の頭に一つ案が浮かんだ。

「アリシアさんとの思い出を聞かせていただけませんか?そこにヒントがあると思うんです」

 キルケアはなるほど、と頷いた。

「もちろん、出会いから話すのがいいよね?」

 私はコクリと頷いた。



 ―二十年前

 キルケアは共和国最北端の街、カマリオに軍を率いて来ていた。

「アイエー君」

 キルケアはその呼び声に反応して振り向いた。

「なんでしょう、クシマト大将閣下?」

 ザルバス・クシマト陸軍大将。生粋のゼーテース派で陸軍を代表する優秀な司令官だ。エルハインダ・ゼーテース政権では、彼は侵攻論を唱えていた。共和国は島国であるので、色々と不利なことが多いが故に、大陸の小国に侵攻し、植民地化して資源を確保せなばならない、そう言う理論だった。

 しかしこれに異を唱え続けたのが、リューク・サリタ海軍大将だった。海は我らが共和国の有利なれど、陸はそうはいかない。それに、侵略戦争を行なっては、まず大国であるヴァンヴィッヒ王国とカトラヴェリオ連邦が黙っていないだろう、と言ったのだ。

 両者共に合理的な理論だった。時の首相であったエルハインダはサリタ大将の意見を推し、一時は侵略戦争を否認していた。だが、エルハインダは大陸側の状況がわかっていたのだ。

 既にこの二国が戦争開戦するのは時間の問題であった。

 故にもし、最初に共和国本土が戦場になるとするならば、このカマリオだったのだ。

「君はゼーテース派だったかな?」

「いえ。私はサリタ派であります」

 相手は上官だ。だが、恐れずにサリタ派であることを告げた。

「そうか。アイエー家は代々平和派だったか」

 意外にも平然に話は進んだ。

「はい。戦いが起これば敵も味方も掛け替えのない尊い命が失われる、そう教育されてきたので」

 アイエー家やファーリウム家は軍人を輩出する名家であったが、平和思想を掲げていた。これは、軍部の暴走にブレーキをかける意図があったと言われている。

 ザルバスはさもありなんと頷く。その上でこう続けた。

「だがな、このままではこの国は発展せんよ。なにせ資源が足りない。どれもこれも他国頼りで自国で採掘ができないのだから輸入するしかない。資源を輸入できたとしても、そのために使った金のせいで、今度は技術の開発に金を回すことができない」

 それもまた一理ある。彼の思想は、この国を発展させたいという善意から来ている。それは、自分だけが幸せであればいいという、ある意味欲に従った人間らしい思想だ。

 サリタ派の思想にも一理ある。発展せずともいい。自国でも他国でも命が消えていくことを悪とするのだから、停滞の道を選べば誰も傷つかずに済む。

「ですが今はあまり声を大にしてそれを言えないのでは?」

 少し皮肉っぽく言う。ザルバスはため息を漏らす。

「ああ。ゼーテース派筆頭であるエルハインダ・ゼーテース首相御自ら、サリタ派を支持されているからな。従うしかあるまいよ」

 その敬語の使い方から、ザルバスがエルハインダに対して敬意を払い、忠誠を誓っていることが見て取れた。

 キルケアはエルハインダが本当にサリタ派を支持しているのか疑念を持っていた。エルハインダは機を図っているのではないか、と。

 海の先の大陸をぼんやりと眺めていると一つの点がこちらに向かってくる。

「大将閣下。あれが今回、探査に向かった偵察機ですか?」

「そうだ。確か、女と聞くがな」

 キルケアは首を傾げた。別に女性が戦場に立ったり、偵察任務をこなすのは今に始まった事ではないだろう。

「いや、私はな。女性は戦場に立つべきものではないと思うのだ。女々しくも戦場に立たれると考えると、頼り無くてかなわん」

 なんと古典的か。その思想はこの国では二百年前に絶滅した思想だと思っていた。

「古いと思いますけどね。その思想は」

 無表情ながら伝わってくる殺気はキルケアの肌にたしかに刺さっていた。

「私は先に本部に戻っている。偵察機を回収したらすぐに戻ってこい」

 キルケアは「はっ」と敬礼しザルバスは立ち去るのを見届けた。

 近づいてくる点は、もうすぐ降り立つ。一体どんな女性なのだろうか。

 勢いよくその偵察機は着陸し、しばらく滑走して足を止めた。整備兵が素早く梯子をかけて、機体の整備を始めた。操縦席から立ち上がり、梯子を伝って降りてきて、飛行帽を脱ぐと、銀色の長髪と見目麗しい容姿が現れた。薄汚い飛行服すらも綺麗に見えるくらい美しかったのだ。

「もしかして僕・・・」

 ―一目惚れしちゃった?

「はじめまして、アイエー中佐。私はアリシア・メディア海軍少尉であります」

 海軍式のコンパクトな敬礼をしてきたので、

「キルケア・アイエー陸軍中佐です。長期任務お疲れ様でした」

 キルケアは陸軍式の肘を上げる敬礼をした。

「突然で申し訳ないのですが、シャワーを貸していただけないでしょうか?大陸から本土まで結構遠くて汗をかいてしまうもので・・・」

 少し湯気が出ているように見える。

「本部別棟にありますので、案内します。報告はそのあとで私が聞きましょう」

 内心ドキドキしながら案内する。その途中でいくつか質問をしてみた。

「志願して偵察機パイロットに?」

「はい!昔から空が好きなもので、いつかは自由に飛んでみたいなーっと思っていたら、いつの間にやら飛んでいました」

 アリシアは元気にそう言う。実を言うと空が好きなのは同じだった。

「奇遇ですね。僕も空が好きなんです」

「本当ですか?!あまり共感してくれる人がいないので・・・じゃあ中佐はなんで空を飛ばないんですか?」

 痛い質問だ。しかしどうしても無視できない理由であって、縛られるべきものだった。

「家柄ですよ。陸軍に将校を輩出する家に産まれた者の宿命です。空を飛ぶ選択肢があったのならそっちを選んでました」

 するとアリシアは申し訳なさそうに言う。

「す、すみません。なんだか・・・」

 ああ。まずい。大いにまずい、そう思った。

「い、いえいえ!いいんです!そんな謝ってもらわなくても・・・」

 こう言う時にどう切り抜ければいいかわからない。本当に人生経験足りないと気付かされた。お互い黙り込んでしまい、微妙な空気が流れる。

「いえ、なにかお詫びの一つはしませんと・・・あ、そうだ!今度一緒に飛びましょう!後部席はいつも空いているので!」

「え、いいんですか?」

 思わぬ申し入れに、ドキドキしていた心の臓が特大にどくりと跳ねた。

「もちろんです!空を愛するもの同士、分かち合わない手はありません!」

 結構グイグイ詰め寄ってくるので、さらに心拍数があがった。

「じゃ、じゃあよろしくお願いします」

「ええ!約束ですよ?」

「勿論です!」


「とまぁこれが僕とアリシアの出会いかな」

 流石は小説家。彼の口から出てくる言葉を全て文字に起こしたらどれだけ素晴らしいものに仕上がったか。

「空のことが好きだったんですね」

「うん。結構、意外がられるんだけどね」

 だからあの別荘の庭からは空が見渡せるようになっていたのか、と今更ながら気がついた。

「それで、そのあとはどうなったんです?」

 いつのまにか出ていたお茶をひと啜りしてから尋ねた。

「そのあと、十回、一緒に飛んだよ。いやぁ、楽しかったなぁ・・・」

 アリシアのことを話すキルケアの表情は幸せそうに見えた。

「それで、そのあとはどうなったんですか?」

 私はキルケアが自分の世界に入る前に話の続きをせがんだ。

「そのあと二回目に飛んだ時に僕が告白したんだ。それで見事に付き合って、その一年後には結婚したのさ」

 ものすごいスピード婚だ。私も結婚したーい、という言葉を内に秘めてはいるが叶わないものは口に出しても仕方がない、そう思い胸の内にしまった。

「そういえば、空を飛んだ後はいつもどこかで自室に戻って何かしてた気が・・・」

 キルケアが思い出の方で考える一方、私は今ある情報から考える。でも、やはり、一つしかない気はするのだ。

「庭をもう一回探しませんか?」

「僕もそう思っていたところだ」

 私たちは立ち上がって探しに行った。

 見上げればそこには晴天があり、二人がこの家で最も好んだ場所と言うだけのことはあった。

「うーむ・・・隠れていそうな場所は一通り探したのですよね?」

 一応尋ねてみた。

「うん。そうだよ。だからどこに隠れてるんだろうと思ってさ」

 答えながら最後の方は呟きだった。私は庭の下に敷かれてある砂利を見た。

「あのー・・・」

 私は砂利を指差しながら言った。

「この下とか、あったりしません?」

 キルケアは手をふるふると横に振りる。

「まっさかぁ!」

 とは言ったもののもう一度

「まさかぁ・・・」

 今度は自信なさげに言った。

「絶対探した方がいいですって」

 私はキルケアをじっと見た。するとキルケアはその圧に押し負けたのか

「わかったわかった。探してみよう」

 と承諾してくれた。

「わかりました!ところで砂利に足、踏み入れても大丈夫ですか?」

 キルケアは笑顔で頷いた。

「じゃ、失礼します」

 じゃりっと音を立てて足を踏み入れた。しばらく歩いていると、なんだか変な隆起があることに気づいた。

「これ絶対に怪しい・・・」

 そこの部分を掘り返すとなんと

「はい木箱ありました」

 なんと砂利の下の土をすっぽり木箱型にくり抜いて木箱をそこにピタッと入れていたのだ。というか案外すんなりと見つかった。

「まさか本当にあったんだね・・・」

 キルケアはびっくり呆れしながら言った。キルケアは木箱を開くとそこには、丸まった一つの手紙が入っていた。それを広げてみると

「これ、日記じゃないですか?」

 覗き込んでいた私はささっと内容に目を通してそうであることに気がついた。

「日付は・・・新暦一八七九年?!」

「二十年前じゃないですか」

 それは二人が始めて出会った日にして、最初に空を飛んだ日だ。

「空を飛んだ日の直後に毎回これを書いてた、と・・・」

 ハッとした。これはつまり、つまり。

「つまり、あと九枚あるということじゃないですか」

 単純に考えればそうなる。それよりも、だ。

「内容を確認してみましょうよ。まだざっとしか読んでないんで」

 私は痺れを切らして提案した。

「そ、そうだね。どれどれ・・・」

 ________________________

 ―新暦一八七九年 一月二三日

 今日は私と、陸軍のアイエー中佐と一緒に空を飛んだ。私は空の姿を見るのは慣れていたけれど、アイエー中佐は慣れていないようだった。でも、その眼は輝いていて、無垢な青年だった。私も最初に飛んだ時はこんな反応してたなぁ・・・

 最初にあった時から思ってたけど、この人はすごく優しくて、絶対軍人に向いてないと思った。にしても、どうしてこんなに気になっちゃうんだろう、私・・・

 ______________________

 私はなんだか、いいなぁと思った。

「その後も何回か会う機会があってね。二回目に飛ぶまでにはすごく仲良くなっていて、キリー、アリシアと呼びあう仲になっていた」

 私は二回目という単語が出てきた地点で次の話題を切り出した。

「二回目に飛んだ時は、何が印象に残っていますか?」

 キルケアはすかさず答えた。

「鳥、だね。雁がV時に群れて飛んでいたんだ」

 と言うことは、次に隠されている場所は鳥の彫刻、正確には雁の彫刻だが、そこに隠されているに違いない。

「ありましたね」

「本当に助かる・・・」

 ちなみにどこにあったのかと言うと、雁の置物には小さな蓋があり、その中に入っていたのだ。

「重いから中は詰まってると思ってたけど、側がびっくりするくらい重い設計になってるんだね。知らなかったよ」

 ____________________

 ―新暦一八七九年 四月五日

 今日はキリーと一緒に空を飛んだ。前回は空を飛んだだけで本当の醍醐味を味わわせてあげれなかった。

 でも、私たちが飛んでいると雁が群れて飛んでいた。鳥たちと一緒に空を飛ぶのが最大の醍醐味なんだ。

 鳥の群れの中で、キリーは私に愛を伝えてくれた。私もその愛に応えた。

 ________________

 と言う具合に、続々と出てきた。この調子でどんどん載せていこうと思う。

 ________________

 ―新暦一八七九年 七月二八日

 今日はちょっと長めに飛んだ。沈んでいく夕日を眺めて、すっごく楽しかったぁ・・・

 一緒に過ごすうちに、段々と気づいてきた。やっぱり、キリーは優しいんだって。だから惹かれたんだよね。最初は些細なキッカケだったかもしれない。でも、この人に出会えて本当に嬉しいと心から思うの。いつか結ばれたいな・・・

 __________

 ―新暦一八七九年 十月四日

 イスカリアから出て、飛行機で遠出しようと思った。確かアートデルフ地方のベイリングという街の山に、空が見えているところがある。そこに、別荘を建てて・・・

 ・・・って早とちりか。

 __________

 ―新暦一八八〇年一月三日

 私たちが結ばれてから一回目のフライトだ。キリーと一緒に飛ぶだけで心が舞い上がる。こんな日がずっと続けばいいのに・・・



 __________

 ―新暦一八八〇年四月二〇日

 私たちが出会って、一年が経った。正直な話 、いつまでこんな風に過ごせるかわからない。年に一回休暇を取って、別荘に行き、子供達と遊んでいる。私たちも子供が欲しいのだけれど・・・。今度、キリーに相談してみようかな?

 __________

 ―新暦一八八〇年七月十二日

 私たちに子供ができる予定ができた。でも、できたとしても私はその子をすぐに孤児院に送らなければいけないかもしれない。それだけ、状況は不安定だということ。本当に、大丈夫なのだろうか・・・

 それでも、私はずっとキリーのことが好き。どこにいても愛してるから。

 _________

 ―新暦一八八一年二月一日

 無事に子供が生まれた。名前はリリア。女の子だ。生まれてきた時は、それはもう幸せだった。しかし、大陸では戦争状態に突入しかけていて、火の粉がアルトラスに飛んできたらこの国も戦争に介入することになるだろう。そうなれば、私たちも戦場に行かなければならない。

 そうなった時は、キリーが信頼しているアイギス家にこの子を託そうと思う。今のうちにたくさん大切にしなければね。

 _________

 ―新暦一八八二年一月四日

 一年ぶりにキリーと空を飛んだ。だが、海の向こう側の大陸では命の奪い合いをしているのだろう。カトラヴェリオがアルトラスに侵攻しようとしているという情報も出ている。つまりは、ゼーテース派がこれを口実に戦争を始めようとしているということだ。リリアをアイギス家に養子に出すことを決め、キリーは陸で、私は空ではなく海で戦うことになるだろう。キリーとリリアと一緒にベイリングの山の中で、しばしの別れとなる家族と短い一時を過ごした。キリーは私を守ってやるって言ってくれた。戦場が違っても守ってくれるって言ってくれるの、すごい嬉しいなぁ。また三人で一緒に暮らそうね。私たちはそう約束した。

 _______

 ―新暦一八八三年七月二三日

 カマリオが壊滅した。なぜか海軍にも陸軍にも防衛命令が出なかったのだ。いや、正確には陸軍が防衛戦を、街が火の海になった後に行ったのだ。

 街の総人口は四千人ほどと聞く。たった一人だけ、少女が生き残ったという話を聞いた。人の悪意が見える。人の命を道具として見なしている、あのエルハインダ・ゼーテース。 彼は必ず報いを受ける。

 _______

「最後の一つ。中々出てきませんね・・・」

 隠れていそうな場所はかなり探したのだが、まるで見つからないのだ。

「そんなことある?」

「もしかして・・・」

 少しばかりここあたりがないでもない。

「もしかいたらアリシアさんの部屋にあったりしませんか?」

 キルケアはたしかに、と頷いた。

 アリシアの部屋の物はなるべく動かさずに調べる。キルケアが瓶に手を差し伸べた。

「こんなのあったっけ・・・?」

 瓶の中には手紙らしきものが入っていた。

「だれがここに置いていったんだ・・・」

 一人呟くキルケアに近寄って覗き込む。

「たしかに今までとは雰囲気がまるで違いますね」

 読みましょうよ、と急かすとキルケアは「わかったわかった」、と読み始めた。

 _________

 ―新暦一八八六年十月九日

 ルートヴィア海戦で私たち第四艦隊はヴァンヴィッヒの不意打ちを受けた。つまり、艦隊は壊滅状態。私が艦長を務める巡洋艦アクラも、多分もう帰れないと思う。だから、ここでこの手紙を書いて瓶に詰めて、共和国に流れ着くことを祈ります。というか、海流とかもあるから流れ着くと思います。もし見つけた人は、アイギス家にお届けください。そして、アイエー宅のどこかに隠してください。お願いします。

 じゃあ最後に、ごめんね。キリー、リリア。私、約束守れそうにないや。悲しんでくれるのなら、私を大事に思ってくれている証拠だから嬉しいよ。でも、その時は私のことをしあわせに思い出してね。私はいつでもキリーとリリアの側にいるから、ね?

 ____________

 私の目頭には熱いものがこみ上げてきていた。こんなに

「日記を読んでいるだけで思い出すよ・・・アリシアとリリアと過ごした短いけど人生で一番楽しかった頃を」

 キルケアの眼からは一筋二筋も涙が溢れていた。

「お子さんがいらっしゃるんですね・・・」

 キルケアは手紙を握って頷く。

「うん。母親を守ってやれなかった父親のことなんて、嫌いなんじゃないかって思ってしまって。もう、顔をずっと見せていないんだ。今年で十八になるはずだ」

 キルケアの自責の念は私にはよくわかる。しかし、私は杞憂だと思う。

「お子さんは・・・きっと、そのことでキルケアさんのことを責めたりはしませんよ。だって、家族じゃないですか」

 家族の暖かさを知っている私ならわかる。

「そうなの、かな?」

 自信なさげに、尋ねてくる。だから私は自信を持って答えた。

「もちろんです」

 キルケアがそうやってリリアのことを大切に想っているのだから、リリアもきっとキルケアのことを責めたりはしない、そう信じたいのだ。

「会いに行きましょう。それがいいと思います」

 私はそう提案した。キルケアは少し不安そうな顔をしたが、頷いた。

 昼飯を済ませた私たちは片付けをした後、少しばかりのティータイムとした。

 ティーカップをコツンと置いて、一息ついて言った。

「ポジティブに考えれるんだね。ペネロペはある意味、この世界の善意そのものなのかも」

 彼からそう評価された私は首を傾げた。

「人の善意を信じる。それ以上の善意がどこにあるのだろうね。少なくとも僕は知らないよ」

 たしかに。それは私の生きる原理だ。

「でも、それはあることを否定したいから、そうあろうと思っているだけなんですよ」

「と、言うと?」

「人間の行動原理が悪意によるものなら、この世界は闇ですよ」


『どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は善意によるものであった』


 そう言った人がいた。その人は結局、我が子のように育てた者に裏切られ、殺された。それでも、自分を殺した者たちの行動原理が善意による、そう言えるのだろうか。

「それでも、私はこの世界が混沌としていて、闇に包まれているとは思いたくない。だって、こんなにも人の善意に触れてきたのに。でもそれが揺らいだ時はありました。王国の収容所を視察した時です。あれは間違いなく悪意です。そう思わざるを得ませんでした」

 私は俯いた。直視したくない現実を突きつけられた時は、誰だってこうする。

「まぁ、世の中善意だけじゃ成り立たないからね。どうしても、それに吊り合うだけの悪意が生まれてしまうものさ」

 それは理解できる。悪意しかない世界は地獄だが、善意しかない世界はもっと地獄だ。

「要は、どちらを主軸に考えるかだよね」

「私は善意を主軸に考えている、ということですか?」

「そうだね。見方によっては悪意に見えるそれも、善意に起因するものと思えるということだ」

 なら、わかってしまうこともある。

「どうしようもなく、悪意からしか生まれない事もあるってことですね・・・」

 実感したことだからよくわかる。憎しみだとか、絶望だとか、そういうものが起源なら、善意は見えやすい。仇を討つというのは、仲間の仇を懲らしめて、いなくなった仲間を向こうで安心させる、みたいに善意を掘り起こせる。それでも、単に自身の欲求を満たすために、殺す。腹がたつから手をあげる。そういうのは善意なんてかけらもない悪意だと思うのだ。

 紅茶を飲み、スコーンを黙々と食べた。束の間の沈黙が私に考える時間を与えてくれたのだ。

 と、ひとしきり話はしたのでもう用はない。が、一つ忘れていることがあった。

「ところでお子さんに会いに行くの、いつにします?というか、どこに住んでらっしゃるんですか?」

 帰宅の準備をしながら尋ねた。

「アートデルフにアイギスの館があるんだけどね。今日が金曜日だから、リリアもいないと思うし、明後日の日曜日にしようか」

 またもやアートデルフ遠征である。しかし、前回はそんなに長居できなかったので今回は少し観光しようと思う。

「わかりました。じゃあ、セントラル・イスカリア駅のチケット売り場で待ち合わせですね」

「そうしようか」

 と約束して、家に帰った。

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