5話 罪と罰 〜名無しの本〜(上)

序詩


 私は『名無し』

 誰もが心の内に持つ、正しき善の意識

 私のことは私が一番よく知っていると言うが

 まったくその通りである

 だから、なんでも語ろう

 なんでも教えよう

 私はあなた

 見せてあげよう

 あなたが求めているものを

 



 季節は巡り、春になった。東方から伝来した『桜』なる花が咲く。『純潔』『優れた美人』という花言葉を持つらしい。私は好きだ。美しく咲き乱れて、散る。花びらは風に乗り、束になって舞うその姿はまるで、波のようだ。

「ペネー。朝ごはんできたぞー」

「今いくよー」

 と大きめに返事をしながら腰を上げ、リビングに向かった。食卓に並べられた朝食は今日だけいつもより少ない。

「なぜなら、今日は久々の公務だから」

 どういうことか、説明しておこう。私もオーゼストも理由はわかっている。でも、貴女は分からないだろうから。

 私は現在、休職中だ。しかしながら、大臣たるものしなければならない公務というのが、アルトラス共和国には慣習やらしきたりやらとしてある。その公務を先延ばしにしていたのだ、私は。理由はもちろん、三国を走り回っていたから。

「しょうがないよね・・・」

「仕方がないな・・・」

 パンを口に運びながら二人してボソッと呟く。オーゼストの朝食が日に日に上手くなっていくのが感じ取れる。しかし、ため息をついている場合ではない。公務専用列車が民間鉄道会社に予定を変更してもらっているので、なるべく早め早めにしなければならない。

「ごちそうさまでした!」

 急いでいるので手を合わせずにそのまま食卓を後にし、自室に戻って仕事着に着替えた。

「また仕事着を着ることになるとはね」

 とはいえ、ドレスを身に纏うこと自体はつい最近したばかりなので、そこまで時間はかからなかった。髪もハーフアップに結い上げてさっさと準備をする。今回ばかりは執筆道具を持って行っている場合ではない。だが、メモだけは絶対に持っていく。

「オーゼ。準備できたよ」

「俺もちょうど出来たところだ」

 堅苦しい軍服に身を包むオーゼスト。彼もまた、久々の仕事着なのであろう。いや、彼の場合は、仕事着といっても二種類あるだろうが・・・

「じゃあ、行こっか。護衛部隊の人たちを待たせても悪いしね」

「ああ」

 颯爽と家を飛び出し、オーゼストが既に外に用意していた車のトランクに荷物を載せてから助手席に乗り込んだ。そしてエンジンをかけると発進したのだった。

「着いたね。ミリア・イスカリア基地」

 民間の線路を使うが、普通の車両ではないし、なんなら駅ですらない。基地だ。ミリアイスカリアは、首都内の陸軍基地で、公務専用列車はここにある。

「久しぶりに来るな。ミリア・イスカリア基地」

 オーゼストは輝く装甲列車を見て呟いた。

「カッコいいね」

 私は見たことがなかったので割と新鮮だった。

「三国奔走時は俺たち護衛が最小限でついてたけど、そっか。あの時はお忍びだったんだよな」

 オーゼストは尋ねてきた。

「えーっと・・・そうだった、かな?」

 欠落している。まったく記憶がないのだ。いつの間になんたら、というやつの欠落版だ。普通ないとは思うが。

「まさか・・・忘れたのか?俺たちが始めて運命を感じた瞬間も?」

「はい・・・」

 私は申し訳なさそうに言った。するとオーゼストが悲しそうながらも柔らかい表情をしていった。

「しょうがないよ。移動中はたっぷり時間があるんだ。その時にでも話そう」

「ありがとう・・・」

 言わずもがなの優しさである。

 私たちは乗り込もうとすると、その前に衛兵が立っていた。

「トランスリバー外務大臣殿。ファーリウム中佐。お待ちしておりました!」

 と言いながら私たちにビシッと敬礼した。

「お勤めご苦労様です。護衛はよろしくお願いしますね」

 その衛兵はおそらくまだ若い。なんなら私よりも若いのではないのか。

「トランスリバー殿の護衛部隊に勤めさせていただけること、大変名誉なことにございまして!」

 こういうのには少し、いや、かなりうんざりしていた。私は衛兵の鼻をちょんと優しくつついた。

「かーたーい。もっと柔らかく行きましょう?ここは戦場じゃないんですし。そもそももう、戦争も起こることはないんですし」

「だ、そうだ。まぁ肩の力抜いてな」

 オーゼストが衛兵の肩をポンと叩いた。

「上官は上官ですので、ファーリウム中佐」

「まぁ、ならしっかり守ってもらおうかな?」

 衛兵は再びビシッと敬礼した。

「お任せください!」

 階段を上がり乗り込んだ。

「いやぁ、若いのは元気があっていいですなぁ」

 年寄りみたいなことを笑って言った。

「ペネーはまだまだ若いよ」

「またそういうこと言っちゃって」

 などと話して笑いあった。

 向かいあって座るとしばらくして、汽車は汽笛を鳴らすことなく動き出す。

 出発して程なく白い軍服に身を包んだ女性が三人やってきた。

「貴女たちは?」

 すると三人の女軍人はビシッと敬礼した。

「我々は、陸軍第三十一独立機動部隊ワルキューレであります」

 と真ん中の軍人が所属部隊名を名乗った。

 陸軍第三十一独立機動部隊ワルキューレ。女性軍人で構成された独立行動部隊。大陸対戦時にアルトラス共和国内では、軍最高クラスの戦果を挙げた部隊である。その正体は先代首相のエルハインダ・ゼーテースが男女それぞれの孤児の中で、基礎体力の高い者を軍人として教育し、生まれながらにしての戦闘人形部隊を作り上げたのだ。ワルキューレはその女子の部隊で十人が所属する。男子のアルハザリアは第三十二部隊だ。

「あのワルキューレなの?」

「そうだ。なぁヘリヤ、レギン、エイル?」

 三人の名前だろうか。すると真ん中のヘリヤが硬い顔を緩めた。

「お久しぶりです、ファーリウム中佐。レストア戦線以来ですか?」

「そうだな。レストア戦線で君達が加わっていなかったら撤退戦とは言え、全滅していた」

 レストアの戦いは敗北したが、死者をほとんど出さなかった。ファーリウム中佐の功績と言われているが二人の会話を聞くからに、どうやら違うらしい。

「教科書と真相は違うってやつね」

 改めて、自分が歴史が変化している時代に生きているのだと感じさせられる。

 割と気さくなワルキューレ、ヘリヤに対し、真顔でピクリとも顔を変化させないのがレギン。会話中もどこか上の空でぼーっとしているのがエイルらしい。突然レギンが口を開いた。

「わたし・・・レギンじゃない・・・レギンレイヴ・・・です・・・」

 するとオーゼストが申し訳なさそうにした。

「そうだったな。レギン・・・いや、レギンレイヴは省略されるのがいやなんだっけ?」

 レギンレイヴはコクリとうなづいた。

「ともかく、みんなの力が状況にならないことを望むよ」

 ヘリヤはにっこりとしながら返した。

「戦わないのが何よりであります!」

 再び敬礼して三人はこの場を去った。

「ワルキューレって、色んな性格の子がいるんだね。ほんとにあれで一人一人が一騎当千の力を持つなんて信じられないよ・・・」

 あんな可愛くて、愉快な子達が戦場で戦っていたというのは心が痛い。

「任務中と、日常をはっきりわけてるからな。アイツらは」

 オーゼストはため息をついて、開くことない窓から外の眺めを見て呟いた。

「スイッチ一つでなにかを切り替えてしまう。その在り方はまるで、御伽噺にでてくるからくり人形だよ」

 私は重い空気になった状況を変えるべく、話題を切り替えた。というか、知っておかなければならない情報を尋ねた。

「そういえば、どこにいくんだっけ、私たち」

 忘れた、とかそういうのではない。事前に伝えられていないのだ。

「クレティアのトリア国立病院。戦争負傷者が入院しているところだよ」

 オーゼストは護衛部隊なので知っているそうだ。それにしても、トリア地方といえば色々な意味で名高い地方だ。

「トリアって言うと、アルトラス島分裂時代で中立を貫いたところだったよね。山に囲まれている盆地で、空気が澄んでいて、草原が綺麗だってことで有名だそうじゃない。って、あ・・・」

 トリアについての情報を確認しているとあることに気がついた。戦争負傷者だからといってそんな綺麗なところに行けるものではない。そういう病院の種類は決まっている。

「停戦から三年経ったんだ。もう・・・」

 私はオーゼストの手を握った。

「言わないで。この目で状況を確かめる。それが今回の視察の目的でしょ?」

「ああ・・・」

 なんだかオーゼストが汽車に乗ってから悲観的なことを口走るようになっていた。こういう時は私が支えなければならない。そう。言葉でなくともこの胸に頭を預かるくらいには器が大きいつもりだ。

「おいで?」

 と手を広げた。オーゼストは躊躇うことなく顔を埋めた。その頭を撫でながら優しくつぶやいた。

「どれだけ後悔しても、どれだけ間違いを犯そうとも、時間は巻き戻らない。既に示された結果は、無くなったことにもならない。もちろん、オーゼの輝かしい記録もね。だから全部受け入れて生きていかなければない。もちろん、一緒に受け止めてあげるよ。特に今回は・・・」

 オーゼストを慰めているはずが、いつしか自分に向けた言葉にすり替わっていた。そして、今回の視察の目的地である、トリア病院には、向き合わなければならない現実があるはずだ。要するに。

「私がずっと目を逸らしてきたことだからね」


汽車はさらに進んでいた。先ほどの話題のせいかすこしどんよりした雰囲気だった。なんだか気まずくなってしまった私は、その前の話題を思い出す。

「ねぇオーゼ」

「なんだ?」

 私は立ち上がった。

「隣、いい?」

 オーゼストはあいも変わらず暗い顔のままだったが

「いいよ」

 と承諾してくれた。

「じゃ、失礼して」

 ポスっと勢いよく座った。

「私たちの出会いのことを教えてよ」

 オーゼストは少し驚いて、うっすら笑みをうかべた。

「カトラヴェリオ連邦に行った時が、俺たちのはじめての出会いだ。お姫様を守る騎士ぐらいの気持ちだったよ。まぁそう思ってしまったのはもちろん。美しかったから、だよなぁ」

 美しいなんていってくるものだから、頰が火照ってしまった。

「む、今のはいじわるだったかな?」

「もう、からかわないでよぉ」

 オーゼストは、ハハハとひと笑いすると続けた。

「まぁ一目惚れしたわけだ。だから、絶対にお守りしなければって決意した。それが失敗だったんだけどね」

「どういうこと?」

 どこが失敗だというのだろうか。

「できれば未然に防ぎたかったんだよ。でも、守ることに夢中になりすぎて、怪しい奴を見逃してしまったんだ」

 この先何が起こったかは容易に想像がつく。

「それで銃声が鳴り響いた、と」

「その通り。まったく冷や汗がながれまくった。無事かと振り返ったけど相手はまったくのど素人だったのさ。銃口は上に向けられてたんだ。銃を握っていた手は震えていたよ。人を殺したことが無かったんだだろう。でも、次の瞬間、覚悟を決めたように銃口がペネーに向けられた。引き金を引こうとしたときに、俺が銃を持った方の手で手刀ではたきあげて、拘束して警察に引き渡した、って感じ」

 命の綱渡りをしてたってわけだ。今だから思えるが、よく生きているな、私。

「まぁ、オーゼが守ってくれたんだし?カッコいいところも聞けたからよかったよ。でも私の顔に惚れ込んで、ミスしたのは褒められないなー?」

 意地悪な顔をしてみる。

「返す言葉もない・・・」

 かなり焦る。明るい話をしようと思ったら、余計に落ち込ませてしまった。

「ああ、あ、あのーえーっとー・・・その話の続きを教えて?」

 私は話題を進めた。

「あ、ああ。その後、俺たちは本国に帰って、食事とかしたよ。それで、付き合ってくれって俺から言ったんだ。そしたたら、ペネーもどうやら切り出すタイミングを伺ってたらしい。相思相愛だったんだな。覚えてないと思うけど」

「そうだね。でもね、出会いは忘れたかもしれないけど、オーゼへの愛は片時も忘れてないよ」

 ちょっと恥ずかしい。でも、嘘ではない。この気持ちは確かにこの胸の内にある。

「俺もだ」

 オーゼストは少し笑って言った。

「ありがとう。少し心が安らいだよ。これで安心してペネーを守れる」

 やっぱり、優しいのやら意地悪なのやら、よくわからない。だから、ふと思いついたことを実行してみた。

「・・・ん?」

 オーゼストの肩に寄りかかって、なんなら手も組んだ。

「いいでしょ?愛人なんだし」

「それは別にいいんだけれど、なんだか突然でびっくりしたから」

「そういうこと」

 すると頭の上に大きな手が乗っけられる。

「ねむたいんだな?うん。寝ていいぞ。守ってやるから」

 まったく。いつまでもカッコいい奴だこと。だからこそ、惚れたのだろうが。

「じゃあ、遠慮なく」

「おやすみ」

「お休み」

 暖かい手の中で眠りに落ちた。

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