4話 家族(下)

 窓から日差しが差し込み、眩しくなって目が醒める。ぽかぽかと暖かく、ふわりとしてしまうが割と強い光が私の意識を強制的に覚醒させた。部屋の中にかけられた振り子時計に目をやる。

「十時か・・・結構寝込んじゃったな」

 時間も昼に近づいていたので、朝食を食べる気は起こらなかった。

 トランクを持ち、チェックアウトを済ませると、直ぐに実家探しを始めた。ところで気がついたのだが、クラスハウンは想像以上に都会だった。土日曜日なので、街は更に賑わっているのだろう。しばらく歩いていると、港まで来た。

「そういえば、山霊祭の記憶の街とよく似てるな・・・ってまんまか」

 前回は南の海、今回は北東の海なのでアルトラス二大港町に来てしまったわけだ。とはいえ、こちらの海はそう簡単に綺麗と言ってはいけない。このさらに北の海は元々戦場だったのだ。沢山の敵味方の兵士たちが命を落とした海だ。

「まぁ、平和になったし。今度の山霊祭の灯篭飛ばしには、報告でもするかな」

 港を後にした私は、手紙の住所を確認しながら街を見て歩いた。

「改めて思うけど、ここが私の故郷なんだよね・・・」

 知ってはいるが見慣れているというわけでは無かった。故郷のはずなのだがその実感が湧かないというのは少し不思議だった。

 街から少し外れて、それなりに大きい家が立ち並ぶところまで来た。

「えーっと、ここか・・・」

 少しだけ他の大きな家より大きい、トランスリバー屋敷までやってきた。柵門を開きドアノッカーを叩く。ドアが開いて使用人の女性が出てきた。

「どなた様で・・・って、ペネロペお嬢様?!」

 いきなり修羅場である。まさか最初に出てきた使用人が自分と多少以上の面識を持っているとは思わないじゃないか。

「あーえーっと・・・」

 言葉を必死に探した。使用人の胸元を見る。律儀に名札がついていたのでその使用人の名前はすぐにわかった。


 ―よく考えれば・・・


 何を言うべきか理解した。そして私は自信を持って言う。

「ただいま戻りました、ルドミラさん。」

 ルドミラは安心したのか、顔が緩んでいた。

「おかえりなさい、お嬢様。」

 ルドミラは私を手招きし、屋敷の中へ入れた。

「お父様とお母様は?」

 気配がなかったので尋ねた。

「外出中ですよ。」

 どうやらタイミングが悪かったらしい。

「あ、それから、お嬢様のお部屋ですが、全てそのままにしております。」

 お父様かお母様の配慮だろうが、残念ながら全く覚えていない。

「ルドミラ、さん?それともルドミラって呼んでたっけ?」

 色々不安だ。しかし、私担当の使用人であったことは間違いなさそうなので聞いてみた。

「ルドミラとお呼びいただいておりました。」

「そっか。じゃあ、ルドミラ。みんなに話さなきゃいけないことがあるんだけど・・・」

「それについては聞いております。」

 誰がそんなことを、と考えたが、これは間違いなくオーゼストの仕業だ。変なタイミングの帰省勧誘の説明もつく。

「お父様も、お母様も知っているの?」

「ええ。深く悲しんでおられましたよ」

 それだけでも安心した。オーゼストがどんな書き方をしたかは知らないが、ちゃんと私の状況が伝わっているようで何よりである。

「ルドミラは私専属の使用人だったのかな?」

「そうでございます。身の回りの世話から、花嫁修行のご指導まで、色々いたしましたとも」

 なるほど。家事が妙に身体に染み付いていたのはルドミラのおかげだったということだ。

「私はさ、ルドミラの知ってるペネロペなのかな?」

 少し不安になる。当時と話し方が異なっていたら、当時と振る舞いが異なっていたらどうしよう、それはルドミラやお父様、お母様が知っている私ではないのではないか、と。しかしルドミラの次の言葉が私の不安を全て吹き飛ばす。

「なにも変わっておりませんよ。お嬢様はお嬢様です。記憶がなくなったとしても、その人格がお嬢様をペネロペであると認識しているならば、お嬢様はお館様やご友人の知るペネロペ・トランスリバーなのです。」

 言われて初めて気づいた。それは簡単なことだった。記憶の有無は些細な問題でしかない。そこに親と子、大切な人々との切れない絆が存在するという事実だけが重要なのだ。

「思い出は新しく築きあげていけばいい、か」

 ルドミラに教えられてばかりの子供時代だったろう。

「未だに教えてもらうことがあるなんてね」

「簡単なことだからこそなかなか気づけないものです。」

「灯台下暗しってとこか」

「ちょっと違いますかねー?」

「あれ、そうなの?」

 と会話が続いているが、これが私たちの本来の関係なのだろう。

 パンと手を叩きルドミラは尋ねた。

「昼食はもうお食べに?」

 くぅ〜

 と私のお腹が鳴った。

「ふふっ。どうやらお空きのようですね。すぐに作りますから、どうかお寛ぎなさってください。それとも、お先にご自分のお部屋を見ていきますか?」

 正直疲れていたし、ご飯を食べた後に部屋を確認しようと思ったのでここでくつろぐ選択をした。

「かしこまりました。ではごゆっくりどうぞ」

 ルドミラは下がって厨房の方に行った。先程寛ぐと言ったが、自分の家の内装やら装飾品やらが気になったので眺めることにした。

「私ってば、結構すごいんじゃないの?憶えてないけど」

 と最初に見つけたのは、大学の卒業証書。通常卒業するべき年齢より二歳低い。飛び級していたということだ。ちゃっかり自画自賛してしまった。

 次に見つけたのは作文の賞だ。これは、私が小学生の頃に書いた物らしい。内容はわからないが、つまらない、かつ可愛い文章であったことだろう。

 私の知らない私の秀才っぷりを見せつけられて逆に恥ずかしくなってしまった私だったが、こうやって記憶を紡いで・・・

「なーんて、覚えても忘れるんだけどね」

 悲しくもそういう現実が私の前に立ちはだかるのだった。

「お嬢様〜できましたよ〜」

 と台所の方から声が聞こえた。

「はーい」

 台所に行って配膳の手伝いをしようと考えた。だが、

「お嬢様は着席願います!」

 と止めてきたので、今回は甘えることにした。

 料理の内容はカニのペペロンチーノだ。私の大好物なので嬉しかった。

「すっごい美味しそう!」

「見た目だけではありませんよ?」

 と自信満々に言ってきたので早速頂くことにした。

「じゃ、いただきます」

 まずはフォークで取り、スプーンの上で回して食べやすい大きさにする。そして口の中に入れ、一口一口丁寧に噛みしめる。

「この、スパイスの絶妙な効きがいい・・・!」

 ピリッと口の中に衝撃が走るが、キツすぎず、かといってマイルドすぎず、とこういうのが美味しいのだ。

「しかも、塩味もしつこくなくて、ふまひ!」

「口の中に食べ物を入れながらしゃべるものじゃないですよ、お嬢様」

 と注意されてしまったので飲み込んでから、

「はーい」

 と返事をした。

 その後も、黙々と食べ続けものの十分足らずで完食した。

「ふぅ・・・ご馳走様でした」

「はい、お粗末様でした」

 私は一息つくと片付けようとしたルドミラを制止した。

「片付けは後にして、ルドミラと私のことを教えてくれない?」

「いいですよ。私がここに来た時の話からしましょうか」

 懐かしむように語り出した。

「私がここに来たのは十六歳のころ。義務学校を卒業してすぐにここの使用人として働き始めました。まだお嬢様は三歳でいらっしゃいましたよ。新米の頃はなにもかもダメダメで。先輩方からは叱られてばかりでした。ある日、ご主人様が私の義務学校時代の成績をご覧になったのです。私は頭だけが取り柄でありましたが、家の事情で高等学校に進学できないでいました。しかし、支援を頂き、使用人としての仕事を傍らとして勉学に重きを置くべし、とおっしゃったのです。その代わり、高等学校を卒業した後にお嬢様の専属使用人として、教育係としてトランスリバー家に従事することを約束いたした。ですので、専属使用人となったのはお嬢様が七歳の頃であります」

 義務学校在学時代は順風満帆というわけではなかったようだ。ルドミラは続ける。

「奥様に拾っていただかなければ、今の私は無いと思います。専属使用人となってからは、常識や様々な知識、料理などもお教えしました。そうしているうちに気づいたのです。お嬢様は才がお有りだと。もしかすると、ご主人様をも超える立派なお方になるのでは無いかと思いました。ですが、お嬢様がイスカリア大学に飛び級進学いたして、央都に移り住もうという時、私は奥様の元を離れませんでした。それが少しばかりの後悔だったのです」

 拾ってもらった恩を忘れなかった、というところだろうか。

「私はそれで良かったと思うよ。だって恩人の元を離れるのはいいことで無いから」

 私はそう思う。

「ええ。ですから今は後悔していません」

 ルドミラと私の関係を知れた良かった。これで、また一つ記憶を増やせたというものだ。

「じゃ、片付けようか」

 私は空になった食器を台所まで運び、水につけて洗おうとした。

「あ、そちらもお任せください!」

 今日は甘えるというのを忘れていた。

「あー、じゃあ任せた!」

 私はそう言い残して、二階の自分の部屋に向かった。ガチャリとドアを開くとそこには手入れが行き届いた、綺麗な部屋があった。

「でも、私の趣味にあってる・・・」

 今の自分の部屋の雰囲気とさして変わらない、落ち着いた雰囲気で、物もそこまで多くはなかった。ただ、一つを除けば。

「ぬいぐるみ、多くない?」

 そんな趣味があったとは、自分のことながらびっくりだ。今でも『可愛いもの』は好きで本能的に触ったり抱いたりしてしまうが、その中でもぬいぐるみが好きであるというのは知らなかった。

 一つ一つ手にとって見てみると縫い目が粗いものと、上等なものがあることに気がついた。そちらの方が少ない。

「粗悪なものから上等なものまで蒐集していたってことだね・・・」

 上等なモノの数は全部で十六。ということは。

「お父様とお母様、どちらかはわからないけど、誕生日にいつもいいものくれていたんだ」

 私のわがままに両親は応えてくれていたのだろう。

 そういえば、両親がいつ帰ってくるか、ルドミラは知っているのだろうか。私は自室を後にし、食器洗いをしているルドミラに尋ねる。

「ルドミラ。あのさ、お父様とお母様はいつ帰ってくるのかな?」

 ルドミラは片手間に答える。

「午後五時までには帰るとおっしゃっていましたよ」

 壁の振り子時計に目をやる。現在の時刻は午後一時。

「あと最低四時間ってこと」

 わりかし長い時間である。ならばやることは一つ。

「書くしかないな」

 自室に再び戻り、トランクを開き用意を広げて、勉強机を作業台化する。

「椅子とか、やっぱしっくりくるね」

 潜在的に覚えているということなのだろうか。

「『ペンをとり、スラスラと書き始めた』っと・・・」

 と、ペンをとり、スラスラと書き始めた。

 二時間ほど休まず書くと流石に疲れてくる。しかも窓から差し込むポカポカする陽気が私に眠気をもたらした。

「ちょっと寝ますか・・・」

 まぶたを落とすと、すぐさま意識が離れたのであった。


 眼を開けると、そこは劇場だった。観客は私一人。舞台は実家のリビング。そこにいるのは仲良く談笑する家族と使用人の姿だ。

「今までこんな夢あった・・・?」

 あの家族の中にいる青い髪の少女は間違いなく私だ。となれば、使用人はルドミラで、私と笑顔で会話しているのが両親であろう。しかし、両親の顔はうまく見えない。にしても、だ。今までの夢は一人称だったのに、今回は三人称、というか観劇しているような立ち位置だ。

「明らかにおかしいはず・・・なのに見入ってしまう。なんで?」

 質問者に対して、明確な回答者はここに存在しない。ならば、この劇そのものが解答なのか。いや、そうとしかとれないだろう。ならば最後まで目を離さず閲覧しない手はない。


 ―お母さん。

 ―なぁに?

 ―お勉強って楽しいものなの?

 ―そうね。その人がもつ感覚にもよるわよ。例えば、知識を身につける喜びをもつ人なんかはお勉強は楽しいと思うわ。

 ―うーん・・・わかんないよぉ・・・

 ―はは。母さんの話はたしかにちょっと難しいな。

 ―あら、そうかしら?

 ―そうとも。だから簡単に言うとだな、楽しいと感じる人もいるし、嫌いと思う人もいるってことだ。

 ―ちょっとニュアンスが違うんじゃないの?

 ―差異だよ差異。

 ―なるほどー・・・じゃあ、私は好きかも!

 ―じゃあお父さんみたいな立派な政治家になれるわよ。きっとね。

 ―ほんと?!

 ―ああ。なれる。きっとなれるとも!

 ―ねぇ、今度はお父さんに聞いてもいい?

 ―もちろんだとも。

 ―夢ってなんで見るのかな?あ、夜見る方の夢だよ。

 ―そうだね。夢っていうのはさ、物語だよね。

 ―うん、そうだね。

 ―そのほとんどが、自分にとっていいものであるはずなんだ。ここまではいい?

 ―うん。大丈夫だよ。

 ―でもね、それは妄想なんだよ。


「ん?」

「いい夢は自分にとって都合のいいように組み立てられた物語さ」

「・・・」

 もはやそれが物語のセリフではないことは明白だった。



「この夢は、現実ではない」



 二度目の覚醒を経るとそこは自室のベッドの上だった。夢の内容は鮮明に覚えていて、最後の言葉はたしか–

「この夢は、現実ではない・・・か」

 当たり前のことだ。いや、おそらく伝えたいことはそういうことではないのだろう。あの劇は私が描いた理想。しかしながら理想は真実になり得ない。私は本当の家族関係がどんなものであるかもわからないのに、仲の良い家庭であるという妄想によって作られたフィルムを再生していたに過ぎないのだ。

「迷ってるな、私は」

 だがその夢のあらゆる言葉、風景、人物が私の妄想だとしたら、本当の私はどこにあるのだろうか。

「意味わかんない・・・」

 前にもこんなことがあった気がする。自身の思考に塗りつぶされて、挙句はかき回され、停止する。自分で自分を潰しているようなものだ。それが私のウィークポイントなのだろう。

「こういう時は甘くて冷たいもの食べるのが一番なんだけどなぁ・・・」

 時期が時期なのでそんなもの売っているわけがない。ちなみに時間は五時前。この調子では親に合わせる顔が無い。しかし、甘いものは絶対に必要だ。階段をのそのそと降り、椅子に座って新聞を読んでいるルドミラに近づいた。

「ルドミラ・・・あまいものない?」

 と尋ねた。

「カップケーキがありますが・・・もしや不調だったりしますか?」

 どうやら私のウィークポイントは昔からあるもので、甘いものを求めた時は決まってそういう時だということを理解した。

「両親と会うことが、まだ不安なんだろうね」

「なるほど・・・」

 ルドミラは新聞をたたみ机に置くと、私に近づいてきて私を腕で包み込んだ。

「えっ」

 私は戸惑った。さらに背中に手を添え、ぽんぽんと優しく打つ。

「不調の時はいつもこうしてたんです。こうしていると・・・」

 なんだか、ふんわりしてきた。

「ほら、落ち着いてきたでしょう?」

 不思議と暖かい、と意識したのは初めてかもしれない。これまでなんどもオーゼに抱きしめられてきた。でもそれはオーゼだからだと思っていた。それが、少し残念かもしれないが嬉しかった。

「ありがと・・・」

 ルドミラの胸に顔をうずめ、しばしその暖かさを堪能した。

 だが、そんなに悠長にしている場合でもない。もうすぐ両親が帰ってきてしまう。急いでカップケーキを頬張り糖分を摂取すると、思考の乱れが晴れてきた。

「ドレスはお嬢様のお部屋にあるので、今日はそれをお召しになってくださいね」

 ルドミラから指定があった。パーティーでもするのだろうか。

「わかったー」

 と返事しながら自室に戻った。衣服が仕舞われている棚を引くと、そこには青みがかかった白を基調とした所々濃いめの青いラインが入ったドレスが入っていた。

「一昔前の私の趣味といっしょ・・・」

 仕事着もほぼ同じものを着ていた。ここまでパーティー用のものではないが。今の趣味は違うので滅多に着ることはない。ともあれ早速身につけようとした。

「あ、ついでに髪型も昔してたやつに戻そっかなぁ」

 と思いつきはしたが、先に着替えるのが先だ。

「ああ・・・面倒くさい。だからドレスはあんま好きじゃないんだ」

 そう。あり得ないくらい面倒くさいのだ。工程を話せばそれだけで文字数を食いそうなので書かないが、時間で言ったら、どんなに急いでも十分以上はかかってしまう。

 着替え終わると、身体が少し痛い。背中に腕を回すのがとても疲れるのだ。

「次は髪ね」

 ローポニーテールにくくっていた紐をスッと抜いて外し、紐を咥えて一度髪を下ろした。

「む」

 ふと思った。このままの方が良いのではないかと。部屋の端に設置されてる鏡を見に行った。

「ああやっぱり、下ろしといた方がしっくりくる気がする」

 するとこの紐をどこにつけるか迷う。あまり長いものでもないので選択肢は減る。

「ハーフアップが無難かな」

 紐を咥えながら言っているので実際ははふはふ言ってるように聞こえているはずだ、などと考えながら髪をまとめ、片手で止めておきながら口から手で紐を取る。そしてそのまま括れば完成だ。

「お、良い感じ」

 これなら両親と対面できる。

「何時・・・ってもう帰ってくるんじゃ」

 がちゃんという大きな音がした。一階の扉が開く音だ。突然どきどきしてきた。不安ではない。胸の高鳴りというか、緊張だろうか。私はゆったりと階段を降りた。しかし、足が止まってしまう。

(なに緊張してんだ・・・わたし!)

 止まってしまった足を再起動させるためには、あまりに私の決意力が足りていなかった。だが

「降りてきなさい、ペネー」

 その声は、私を包み込むような暖かさだった。オーゼストのように直接的ではなく、ルドミラのようにふわりとした暖かさでもない。私はその声に導かれ再び歩み始めた。

 そして最後の段を踏んで、一階の床に足をつける。私は俯いた。もし目の前の光景が夢だったら、と考えてしまった。すると

「俯いたままでは、ペネロペが望む願いは単なる夢のままで現実にはならないぞ?」

 男の声だった。それは私が憧れた、私が目標としたであろう男の声だ。

「私は自信を持ってあなた方を・・・」

「ええ」「ああ」

 私が続けようとした言葉に、男と女は肯定した。ならば、することは決まっている。

「ただいま。母さん、父さん」

 顔をあげてしっかりと両親の顔を見据える。

「お帰り、ペネー」

「お帰り、ペネロペ」

 すると母、テュンダレイが手を広げた。

「おかえりのハグ、させて?」

「え?」

 いきなりすぎて、何が何だかわからない。

「父さん?!」

 と状況の解説を請おうとしうたが、

「応じてあげなさい、ペネロペ。テュンディがこうなったらもう止まらないから」

 苦笑いしながら、華麗に躱された。なのでおとなしくテュンダレイのハグに応じた。本日二回目である。

「あなたはどれだけ大きくなっても私たちの愛する娘なんだから」

「母さん・・・」

 ―ああ、これが母親の愛か

 その温もりを確かに感じる。

「ええ、母さんです」

「あのーえーっと・・・」

 という声がした。そこには話すタイミングを見誤ってどうしようか迷っている父親の姿があった。

「テュンディ、ペネロペ。リビングで話さないか?」

 テュンダレイは私を離して少し申し訳なさそうにして言った。

「そうね、ラエル。続きは中でしましょう」

「ええ母さん、父さん」

 微笑を浮かべて言った。

 ラエルとテュンダレイはコートと荷物をルドミラに任せると食卓椅子に並んで座った。私はその向かいに座り、一息ついた。

「ねぇ、母さん父さん。どこに行ってたの?」

 話題は決まっていたので早速聞いた。

「実はな・・・」

「私たち、今日が結婚記念日なの!」

 なんという偶然か、と思ったがオーゼストと仕込んだことなのだろう。だが、そんな

 配慮に思わずにやけてしまった。

「おお!おめでとうだねー」

「ふふ、ありがと」

「ということで久しぶりに二人でデートしてたんだ」

 仲良くはしているらしいので少しほっとした。

「私も一緒に行きたかったなぁ」

 と本音を漏らす。なにせ家族の団欒なのだから遠慮する必要はない。

「行くか?明日にはなるが」

 ラエルが真面目に提案してきたのでびっくりした。

「いや、いいよいいよ!それよりも教えて欲しいことが沢山あるから」

 これもまた本音である。十六歳以前のことが知りたいのだ。

「そうね、そうよね。だってペネーは記憶がないんだもの」

 テュンダレイは物事を結構スパッと言う人だ、と感じた。

(私も似たようなもんか)

 やはり遺伝だろうか。いくら記憶がなくたって、癖や性格などが似ていると、親なんだなぁと感じさせられる。

「ほんと。なんで父さんと母さんのことを忘れてしまったのか、それが気になってね」

 するとラエルがコホンと小さく咳払いして話し始めた。

「それはやっぱり、父さんと母さんと考えが合わなくてイスカリア大学への進学を期に音信不通になったから、じゃないか?」

 要は半ば、家出したようなものだ。ただ、もう少し当時の状況が知りたい、というか確かめたい。だって、なんとなく目星はついているんだもの。

「えーっと・・・その時の私ってもしかしてだけど、父さんも母さんも、私にうざがられてた?」

 ラエルもテュンダレイは目を見合わせて、たしかにと頷く。ならば、おそらく考えが合わなかった、というのは間違いだ。それは大人になったからか、分かる気がする。

「父さんも母さんも私の身や将来を案じて怒ったりしてくれたけど、私はそれをうざがってしまった、と。」

 子供なんて、そういうものだ。誰だって口うるさい親を不快に思う場面はあるはず。しかし、その叱るという行為は善意から来ているのだ。自分の子の将来を想って、叱る。まったく素晴らしい行動である。しかし、子供ではそれを理解することはできないばかりか、親の善意とは裏腹に不快にすら感じる。。十七になればそうと理解しておきながら、不快に思ってしまう。

「ペネーがイスカリアで暮らし始めてから一回も連絡なんて取らなかったものねぇ」

 そして、記憶を失って私は親がどこにいるのか忘れてしまった。

「それで、ファーリウム陸軍中佐から手紙が来て何事かと思えば、ペネロペが転生病であることが書かれてなあってな」

 そこで私は一つ引っかかる。

「なんでオーゼが私の実家の住所知ってるの?」

「ん?なんでって・・・ああーそうか。記憶ないから知らないのか・・・」

 ラエルは少し考えてから、すぐに納得した。

「実はね、トランスリバー家とファーリウム家は親交があるのよ」

 ということは私の護衛がオーゼストだったのは仕組まれたことだったのか。

「まぁ、オーゼストくんがペネロペの護衛任務についたのはまったくの偶然なんだけどな」

 それを聞いて少しホッとした。

「オーゼストくんが知らせてくれたから、ペネーを呼ぶこともできたのよ」

 それは感謝しなければ。オーゼストの優しさをこんなところでも感じられた。

「それにしても転生病か・・・」

 ラエルは腕を組んで俯く。テュンダレイも大きなため息をついた。

「正直、あの手紙を読んだときは泣いたわよ?だって娘を失うも同然だもの」

「ああ。だがな、オーゼストくんは最期の瞬間まで側にいると約束してくれた」

 ラエルもテュンダレイも柔らかな表情だった。

「私たちも、めそめそしてられないってね。だからまず、ペネーに会わなきゃって思って呼んだの」

 周りの人の優しさを沢山受けて今の状況がある。皆に感謝しなければならない。しかし−

「でも、この家を出た時には関係が悪かったんだよね。だったらどうして・・・」

 ラエルは立ち上がると私の後ろに回り込んだ。

「父さんなにを・・・」

 と焦って口を開いた時にはすでに、ラエルの手は私を包んでいた。

「愛してるからに決まってるだろ」

 一瞬ドキッとした。この暖かさは、親の愛情だ。

「俺が愛して育てた愛娘が帰って来てるんだ。こうやって迎えることが親として正しいことだろ」

 ずるい。ずるいずるいずるいずるい。こんなのかっこよすぎる。と文面が爆発してしまった。こんなの惚れてしまうなんて、必至だろう。

「テュンディ?その私も、というのを訴える眼差しはなんだ?」

「私もそのハグの中に入れて・・・」

「さっきやっただろ」

「えー」

 テュンダレイがあまりに駄々をこねるので、というのは嘘で家族でハグがしたくなった。

「母さんもしよ?」

「いいの?!」

 テュンダレイが目を輝かせる。ラエルはやれやれと、ため息をついた。ハグしながら。

「我が愛娘が言うならしょうがないな」

「恥ずかしいよう・・・」

 ささやかな意地悪が嬉しかった。家族三人で抱き合った。

 ―家族の暖かさ、か・・・

 私も家庭を持ちたいな、という叶わぬ願いを、夢想した。

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