3話 家族(上)


 あれから一週間。キルケアの元で彼が培った執筆技術を学び、書き始めようとしていた。しかしそう簡単なものでなく、なかなか筆が進まないでいた。

「ここ、どういう表現がいいのかな・・・」

 心情表現というのは存外に難しい。例えば、暗くてどんよりした気持ちの時は天気を悪くしてみたりする。しかし、雪はダメだ。美しくなってしまう。雨を降らせてみたらどうか。それだけで少しどんよりしたりはする。絶望感を漂わせるにはさらに、キャラクターに傘を持たせずあえて雨に打たせ、雷もならす。などがあるが私のこれは、あくまで実体験主軸なのでそこまで事実を改変するわけにはいかない。いやはや、難しいものだ執筆は。というわけで私はキルケアに相談するため、アトライア文庫本社に来たのだ。

「まぁそうだよね。そんなもんだよ」

 私の肩をポンっと叩いて言った。

「心情表現の難しさはマナシリア山にように高く、マリスピ海溝のようにふかーいから」

「マナシリア山?マリスピ海溝?」

 わかりにくい例えを繰り出してきたので、なんなのかという意味も込めて訊ね返した。

「東にある別の大陸と大洋にそういう所があるんだよ」

 日常会話に比喩を持ち込まないでほしい、という言葉を飲み込む代わりに新聞の記事の一面広げてみせた。

「それはそうと決まったらしいですよ、和平条約調印式の日程」

 そう言いながら新聞を差し出した。キルケアはそれを受け取りまじまじと見つめた。

「ディオクス代理外務大臣が急ピッチで進めてるんだな・・・」

 カストラの行動の早さには正直驚いている。停戦状態がしばらく続くと思っていたから、改めて彼女に後任を任せてよかったと思う。

「でも日程の公表はしないんだね」

 キルケアは少し不思議がったが、私にはその理由がはっきりとわかっていた。

「開戦派によるテロを防ぐためだと思いますよ」

 実際、命を狙われた身としてはそれ以外の理由が考えられなかった。

「そりゃそっか。でもまだ、抵抗する人たちがいるんだね」

「どんな理由があるんでしょうか・・・」

 正直、開戦派がどんな理由で戦おうとしているかなんてわからない。というか話すら聞いたことがない。あのときは余裕がなかったので、耳を傾けたことなんて一度もなかった。キルケアは新聞をたたみ、ため息をつきながら言った。

「理由、ね。僕は上から命令されて戦ってただけだから考えたこともなかったけど・・・」

 そのままコーヒーをひと啜りした。そして何か言おうとしたその時だった。電話がなったのだ。即座に受話器を取ると何やら話し始めた。少し離れていたので何を言っているかはわからない。キルケアの電話での会話が終わるとジャケットを着て何やら準備を始めた。

「どうしたんですか?」

「緊急で会議なんだって。社長も来いってことらしい。」

「命令されたんですか?」

「された」

 この社長、信用されていない。

「じゃあ、私もこれで失礼します」

 私も帰宅の準備をした。

「うん、またいつでも来てよ」

 キルケアはそれだけ言い残して、部屋に私を残して退出した。

「帰るか・・・」

 真っ白なオーバーコートを羽織り本社から出ようとした。

「さむっ」

 扉を開けるとビュンと冷やされた風が吹いた。扉を盾にするかのように一瞬身を縮め、風が吹き止んだのを確認してから再び扉を開けた。先日行ったアートデルフはあんなに暖かったのに首都イスカリアは寒い。なにせ今日は五度にまで冷え込む上に風も吹くと来た。当たり前だが外出するのは間違っている。心なしか、ゆらゆらと輝くガス灯が少し暖かく感じられた。幸い雪は舞っていないのでまだマシと言えるがそれでも結構しんどい。昼に太陽の光で暖められているはずなのに一日経っても溶けていない昨日の残雪を脇に寄せる男女。それを手伝う少年少女がいつもはいるのだが、今日に限ってはいない。なんなら人通りも少ない。早歩きで自宅に向かった。

「へくちっ」

 小さくクシャミをしながら扉を開けて入る。部屋はポカポカしていて少し頰が緩んでしまった。

「おかえり。寒かった?」

「そりゃもう」

 オーゼストが腕を出してきたのでありがと、と言いながらコートを腕にかけると暖炉のところまで直行した。手をかざし、かじかんだ手を暖めているとあらかじめ淹れておいてくれたらしい紅茶を出してくれた。

「ありがと」

 それを受け取って一度机の上に置き、ティーカップを取り紅茶を飲んだ。する今度は身体が緩んできた。芯から温まっていくのを感じる。

「生き返るわー」

 一口飲んで息をつく。

「さっきなんだけど、ちょっと窓開けてみたら強烈な冷気吹き込んできたんだよ」

「なんで開けたの・・・」

 寒さは身を以て知っているので、ツッコミたくなる。だって、窓から見たら明らかに外吹雪いてるのわかるのに。オーゼストはもう一つ自分のためのティーカップを持ってきた。

「横失礼」

「どうぞ」

 私の横に座ると、オーゼストが持ってきたものが自分の紅茶だけでないことに気がついた。

「その便箋は?」

 と尋ねると差出人と宛名が書いてある方を上にして差し出してきた。受け取ってみるとそこには意外な人物のなが書かれていた。

「テュンダレイ・トランスリバー?」

 同姓だったのだ。だがもっと驚くような関係であることをオーゼストの次の言葉で知ることになる。

「知らないのか?ペネーの母上だけど」

 記憶にない。どうやら転生病で消えた記憶の中に含まれていたようだが、しかし奇妙だ。普通抜け落ちない記憶だ。もっとも私と深く関わっていたと言っても過言ではない。

「ああ、そう言うことか」

 オーゼストは納得したようだ。

「なんと書いてあるんだ?」

「ん?ああ・・・」

 少しぼーっとしていた。両手で頰をパンパンと叩いて内容を確認した。

「えーっとなになに・・・?『近いうちに会いましょう。父さんも母さんも待っていますからね』か」

 前回のベイリング訪問の時から一週間しか経っていない。正直執筆に集中したい気持ちはあるが肉親の顔を覚えていないと言うのは異常な気がする。

「すぐにでも行くべき・・・なのかな?」

「その方がいい」

 オーゼストは即答した。

「忘れてしまってるなら、何よりも親との時間のことを刻むべきだと思うけど」

 もっともな提案だった。だが少し不安でもある。なにせ今の記憶のまま会いに行けば初対面になるからだ。それになぜこのタイミングなのかというのも少し気になる。

「お母様とお父様か・・・」

 呟いてみるも実感が湧かない。私を産み落とし育ててくれた人との対面するというのは恥ずかしい気もするし、ドキドキもする。するとオーゼストの手が私の背中にそっと添えられた。

「あまり緊張するなよ」

 どうやら顔に隠しきれてなかったらしい。

「うん」

 小さく頷いてからまた一口紅茶を飲んだ。喉から順番にじわっと暖かさが広がり、ふんわりする。

「ねむい?」

「うん」

 窓を見上げるとガタガタと鳴る音はなく、風がすっかり止んだことを悟った。そしてガス灯に照らされて輝く雪がしんしんと降っていた。


―二日後


「そういえば、クラスハウンって北だよな」

 荷造りする私にオーゼストが尋ねてくる。

「そうだよ。母さんたちが住んでるのは北・・・ってああっ?!」

 真冬な上に北というのはあまりにもアレだ。そんなの死ぬほど寒いに決まっている。

「どんなところに住んでるの・・・」

 悪態は付いているが早く会ってみたいという気持ちが大きかった。

「まぁそう言わずにさ、せっかくなんだから楽しんできなよ」

 オーゼストの言う通りだ。私は笑みを浮かばせる。

「ええ」

 と一つ返事をすると同時に荷造りが終わり、コートを羽織った。トランクを持って懐中時計を意味もなく握りしめた。

「ん?」

 オーゼストがマフラーをかけて結んでくれた。

「多分それだけじゃ足りないからな」

 首元ではなく頰があったかくなった。

「ふふ、ありがとオーゼ」

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 ガチャリとドアを開き外に出ると、一昨日ほど寒くは感じなかった。寒いのはわかっているのでいつもより重装備にしたからであろう。東を見ればまだ太陽はもう半分ほど顔を隠していた。だがその日光が雪を被ったセントラル・イスカリア駅を輝かせていた。

 セントラル・クラスハウン駅へは意外と近く三時間程度。乗車券に書かれた番線を確認してそこへ向かう。乗車すると今回は人が賑わっていた。席に座ると前のベイリング訪問時とは違い出発前なのに既に眠りの精霊が舞い降りてきた。


「ん、またか・・・って」

 眼を開けるととそこは静かな客車だった。朝日が差し込んでいたはずの客車は薄暗く、誰もいない空間だった。あまりの不気味さに背筋が凍る。下手に身体を動かせば何かに刺されそうな感じがした。

 ―どういうこと?

 思考が追いついていなかった。何が起きているのかまったくわからない。やがて、今まで誰もいなかったはずの客車に気配を感じた。私の真後ろに背を向けて座っている。意識していると重苦しい声が響いた。

「お前は親の言うことに耳を傾けたことはあるか?」

「どういう・・・意味です?」

 冷静を装いながらも内心焦っていた。覚えているわけがない。記憶にない親のことを言われても仕方がない。しかしこの重苦しい響きは不思議と嫌な感じではなかった。

「そのままの意味だ」

 夢だと言うのはハッキリと理解している。だからこの空間も自分が夢想している空間だ。しかし、この男性の声は知っている気がするのだ。

「では、もう少し範囲を広げるか」

「範囲を、広げる?」

 関係の範囲を広げると言うことだろうか。

「お前の周りの人がお前に向けて放った言葉を聞き入れたことはあるか?」

「それは・・・」

 痛いところを突いてくる。正直周りの意見を気にせずに突き進んできた節はある。私は迷う。

 本当にこれで良かったのか

 これは正しい選択だったのか

 もっと他の人の意見を聞くべきではなかったのか


 ―あれ?何を考えて・・・


 思考のループにはまり目を覚ませばあたりは雪国だった。

「変な夢を見たな・・・」

 出発から二時間半が経っていて時刻は午後八時。セントラル・クラスハウン駅に到着しようとしていた。なにやらおかしな夢を見ていたらしく、イマイチ目覚めが悪いが下車の準備を始めた。列車の中では暑いので外していたマフラーを再び巻き、防寒対策を万全にして客車から降りた。

「さぶっ!?」

 なんと、よりにもよって今日のクラスハウンは吹雪いていたのである。積雪量も尋常ではない。足を地面に踏み入れればザクッ、ザクッという音とともに深い足跡ができる。そのぐらい積もっているのだ。

「いつまで続くのかな・・・」

 今日は今まで経験してきた中で最悪の天候である。少し機嫌が悪くなってしまいそうだ。こうなったら、とっとと実家に辿りつくに限る。送られてきた手紙に書かれていた住所を辿ろうとしたが、流石にこの吹雪ではたどり着けそうにない。近くの案内所に立ち寄った。

「すみませーん」

 窓口で呼びかけると

「はーい」

 とすぐに出てきてくれる。

「どういったご用件でしょうか?」

「宿屋を探していて・・・」

 すると案内所の若い男性は横に置いてあった地図をスッととり、広げて宿場の記号を指して言った。

「今日はどこも空いていると思うので、ここなんてどうでしょう?少しばかり値段は弾みますが、温泉があります。冷えた身体を暖めるのには最適かと」

 なるほど魅力的な話だ。温泉ときた。これはアルトラス共和国内では滅多にないテルマエの一つであろう。しかし、生憎そこまで高い路銀を持ち合わせているわけでもない。

「あーえーっと。ここからなるべく近くて普通の料金のところってありますか?」

「ありますよ」

 男性は私の真後ろに視線を向けて言った。

「あの宿屋が最適かと」

 私は振り返ってその存在を確認すると

「ありがとうございます」

 と言ってその場を去り、宿場に行った。宿場の入り口の扉を開けると、内装はシンプルでいい雰囲気だった。受付カウンターに向かいチェックインを済ませ、指定された部屋に行った。

「ほぉ。ベッドも良さそうだし、結構いいとこ当てたんじゃない?」

 値段以上の綺麗さだ。少し得した気分になりつつ、トランクを置いて、コートなど防寒装備をハンガーにかけベッドに身を投げた。宿場ならではのベッドの柔らかさで、すごく気持ちよかった。しかし、このままでは寝てしましそうなのですぐさまベッドから身を起こし、トランクの中の一日分の着替えとインクと紙とペンを取り出す。執筆道具を机の上に並べ、持参した衣服は棚の中にしまった。

「そういえば、共同浴場があるって言ってたっけか・・・」

 寒くて凍えていたので身体をほぐすためにもお湯に浸かろうと考えた。共同浴場があるだけでもものすごくありがたい。

 脱衣所には誰一人として入っている形跡がなく、少なくとも最初は一人で楽しめることが確定し少し嬉しかった。浴場には想像した通り人はいなかった。掛け湯をして身体にお湯をなじませると同時に、少しだけ身体を洗い流しそれからゆっくり風呂に肩まで浸かった。

「ああ〜あったかい〜・・・」

 思わず声が出るほど気持ちがよかった。温泉ではないが、それなりに寛げるし、なにせゆっくりできるし。

 じっくりとお湯を楽しむこと既に一時間が経過していた。入ったり出たりを繰り返しているので逆上せるということはない。上がることを決心した私は一度お湯から身体を持ち上げる。しかし寒くて再び浸かった。二回目には勢いで脱衣所に直行した。ぶるっと身体を震わせたが、身体を拭き水気を落とせば暖炉のお陰でそこまで酷く寒くはなかった。誰と会うこともなく自室に戻った。

 机の上に並べられた執筆道具と向き合う。

「ベイリングの子供達、みんな元気にしてるかな・・・」

 思い出しながら書くのは楽しい。頭の中に留めておくのもいいが、それでは新しい自分に伝えられない。だからこうやって、本にしているのだ。

 ペンを取り筆を進める。いつもと違う環境だからか、少し早く進んでいる気がする。薄暗くも暖色のランプに照らされた部屋は心を落ち着かせてくれるのだ。自室もこれくらいにすればいいのかもしれない。

 もう書き始めて一時間。時刻は午後十時半を回ったが、筆が止まることはなく、瞼が重くなることもなかった。久々の超集中状態だ。記憶に残るくらいの激務をこなしたことがある。あの時以来だろう。しかし、社畜だったというわけではない。あれはあれで楽しかったから全然いいのだ。

「き、キルケアさんとの会話のとこまで書けた・・・」

 時刻は既に午後十一時半を過ぎ流石に眠くなってきた。ぐぐっと背伸びをと欠伸を同時にししまった。集中していたので気づかなかったが、まだ窓はガタガタ音を立てている。吹雪は止んでいないようだ。ペンを置き、原稿を片付けて就寝の準備を始めた。ヨロヨロとベッドに歩み寄り、倒れ込んだ。

「にしてもだけど、どんな人なんだろう・・・」

 まったく想像ができない。どう呼べばいいだろうか。どう接せばいいだろうか。どんな話をすればいいだろうか。記憶もなしに実の親と初対面というのはなかなか特異な状況ではないだろうか。溢れ出る不安を胸に眠りについた。

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