1話 大切な人を幸せに思い出せるように(上)

 少女は鳥とともに空へ消えていってしまった。

 少女を愛した少年は鮮やかな花園で少女の帰りを永遠に待ち続けた。

鳥と空飛ぶ少女より 末文




 本を書こうと決意したのが昨日。しかし、いざ紙の前に向かってみれば、筆が進まなかった。よくよく考えれば私は本の書き方がわからなかったのだ。今ここに並べられた文字の羅列も結局は後日に書いものた。

「ねぇオーゼ。なんか報告文みたいな文章になっちゃうよ」

 オーゼストに助けを求めた。

「いやぁ、俺に聞かれても・・・」

 オーゼストは私の手元の万年筆を見て不思議そうに尋ねた。

「そういえば、なんでタイプライター使わないんだ?」

 それを聞いて、私は苦笑いしながら言った。

「あれ、手痛くなるしミスタイプとかもしちゃうから好かないんだよね。オーゼもタイプライター使ったところ見たことないけど」

「同じ理由で嫌いだ」

 オーゼストとその辺の感覚が似ている、と思ったことは何度もあるがここまで気があうのは、流石は私とオーゼの仲だと思った。

「話、戻すけどどうやって本を書こうかな」

 紙にはすでに黒い斑点が沢山ある。するとオーゼストの手が私の右手を覆った。

「キルケア・アイエーって言う、小説家がいるんだが」

 その名前を聞いた時、私は手を止めてオーゼストの話を聞く体制をとった。

「あの『鳥と空飛ぶ少女』の?」

「そう、それの著者」

『鳥と空飛ぶ少女』という小説は、二週間前に出版された、誰もが知っている感動の物語だ。

「知り合いなの?」

 気になって尋ねてみた。

「知り合いもなにも、元部隊の隊長でその時の副官が俺だった」

「すごく近い関係じゃん?!」

 とんでもないコネを持っているもんだな、と感心してしまった。会えると思うと胸の高鳴りがおさまらないというのが私だ。

「それで今はアトライア文庫の代表取締役兼小説家って聞いてる」

 あの美しい作風からは考えられないストイックさを持っていそうだと感じた。

「最近は新しいの作ってるって話も聞かないし、どうしてるんだろうか」

「いそがしそうだねぇ・・・」

 私は純粋に言葉を漏らしながら、お茶をすすった。

「絶対暇してるわー」

「ぷっ」

 吹き出しそうになった。オーゼストが普段使わない語尾を使ったのが面白くてつい。

「あのキルケアさんだから」

 そう言うとおもむろに本棚から一冊の本を取り出した。

「それは?」

「キルケアさんが途中まで書いて俺によこしてきた書きかけの本だ。タイトルもまだ決まっていない」

 有名人となったキルケアの新刊と言うことだろうか、と考えた。

「『鳥と空飛ぶ少女』の原本だ」

「え!?」

 素っ頓狂な声が出るほどには驚いた。新刊よりも貴重なのではと思った。だが、オーゼストの次の一言が全て吹き飛ばした。

「死ぬほどつまらないがな」

 私は別の意味でびっくりした。オーゼストがこんな毒舌になるのは珍しい。よほどひどいのだろう。

「ど、どのぐらいひどいの?」

「そりゃあ半分まで書かれた小説を自信満々に持ってきたキルケアさんをボロカス言ってダメージ負わせるほどには」

 相当だろうな、と思った。

「まぁあの後、三年間頑張ったらしくて、ついにあれが完成したらしい」

「へぇそうだったんだ・・・」

 知るよしもない裏話ではあるが、面白い話ではあった。

「あの文筆力だ、キルケアさんに習ったらいいだろう?」

 確かに、あの綺麗な描写を習えるのなら習いたい。

「でも弟子なんてとってくれるの?」

 有名作家だから、さぞ忙しかろうと思った。

「人いいからな。取ってくれるんじゃない?」

 オーゼストがそういうのなら本当だろうと信じた。

「じゃあ、キルケアさんのとこ行きますかーっと」

 掛け声かけつつ立ち上がり、出発の準備をした。

 着替えをしようとしたとき、ふと思いついたことがあった。私の職場での基本は青を基調としたドレスだったが、白っぽい服にして、動きやすい服装にしようと思った。全体的に短く、しかしゆったりとしたものを選ぶ。着替え終わると、早速見せびらかしに行った。

「どう?」

「いつもの完全防御じゃなくて、今風にしたんだな」

「お、気づくねぇ。まぁそもそもデスクワークばっかだったし青主体のドレスでよかったんだろうけど、動くかもしれないとなれば温存してたやつを引き出してまでってもんよ」

「白くしたのもいいな、似合ってる」

 その言葉が一番最初にほしいものだが、ここは不問に処すことにしておいた。

 差し出されたトロリーバッグと紙切れを受け取った。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 やはり日常は素晴らしいものである。

 タクシーを呼び止めてアトライア文庫本社まで行った。目の前で降ろしてもらい、扉を開けて入っていき、受付に話しかけた。

「すいません、アイエー代表はいらっしゃいますか?」

 すると受付係の女性は少し驚いてから、困った顔をして首を横に振った。

「申し訳ございません。本日アイエー代表は不在です」

「そうですか・・・いえ、ありがとうございます」

 本社を後にし、頭を抱えた。やはりこういうのは一筋縄にはいかないもの、とわかってはいても、流石に長丁場になりそうなのは避けたい。

「しょうがない。次は自宅を訪ねてみるか」

 住所が書かれた紙切れを握りしめた手で再びタクシーを捕まえ、次の目的地へ向かった。オーゼストが住所を教えてくれた。

「割と街中だし、割と大きいし。名だたる軍人ってお金持ちなんだ」

 と自身もトランスリバー家出身であることを忘れそうになっていた。

 扉の前に立ち、ノックしてみた。しかし、返事がない。もう一度してみた。やはり返事はない。

「キルケアさんに用があるの?」

 私の様子を見ていたのか、女性が近づいてきた。

「はい。ですがいらっしゃらないようで」

 女性は心配そうな顔をしていた。

「なにかあったんですか?」

 よく知らない人なのに私まで心配になってきた。

「一週間前からいなくってね、ちょっと・・・」

「どこにいったとか、検討などつきますでしょうか?」

 私は期待を持って尋ねてみる。しかし女性は申し訳なさそうに首を横に振った。

「そうですか。ありがとう、他を当たってみます」

 そして町の人々に尋ねるがどれもハズレ。一時間も聞き込みをしているのに、有力な情報が一つも入ってこない。滅入りそうなので長ベンチに座って少し休んだ。

「ほんと参った。結構秘密にしてるんだなぁ」

 懐中時計を見ればもう十二時。一連の行動を始めたのが九時だから、もう三時間近くしていることになる。すると

 くぅ〜

 とお腹が鳴った。

「お腹も減ったしその辺でご飯食べるか」

 回避したかった長丁場になっていた。

「肉でも食べよっかな」

 今日は平日なので飲食店もそこまで混んではいない。しかし、一時あたりになると男女働く人々が昼食を食べに出てくる。

「さっさと食べちゃおうか」

 普通のお店に入ると、ウェイトレスが席まで案内してくれた。座るとその向かいの壁には沢山の絵とサインが並んでいた。

「割と有名なお店なのかなここ・・・」

 よくよく考えればこの店は少しながら上品に見えた。もしかしたら、そう思って手元の紙切れの肖像と見比べる。すると先ほどのウェイトレスが再び近づいてきた。

「お客様、どうかなさいましたか?」

「いや、探している人の肖像とかあるかなと思って。」

「どなたなんですか?」

「キルケア・アイエーって人なんですけど・・・」

 するとウェイトレスはその絵の一枚に近づいていった。

「この方ですね。店長がキルケア様が子供の頃から可愛がっておられ、この店にもよく来店していたとか」

 唐突に有力情報ゲット、である。やはり運というのは持ち合わせるものだ。

「お店が閉まった後で構いません。お会いすることは可能でしょうか?」

 ウェイトレスは少し考えた。

「店長に聞いてまいります」

 少し間を置いて、再びウェイトレスが近寄ってきた。

「四時になってもよろしいのならば、と」

 私はすぐさま承諾した。そして注文をとってもらい、そのまま昼食とした。

 十五分ほどで食べ終わると会計を済ませ暇つぶしの時間に入った。

「さて、これまでのことをメモにでもまとめるか」

 本はまだ書けないので今までのことをメモにまとめる、くらいの作業しかできなかった。とはいえ、その作業に二時間ほどもかかってしまったのは、未来の私へだけのヒミツである。その後は本を読んで過ごした。今までは報告書など、硬い文面だけを見てきたので正直なところ本の文章はすごく柔らかく見えるのだ。夢中になれば時が経つのが早くなる、というのは知っていたけれどここまで顕著に感じたのは初めてかもしれない。気づけばもう四時になっていた。

「もうこんな時間か」

 と時計をみてから立ち上がった。そして昼食をとった店に再び向かった。

「すいませーん」

 と呼びかけると奥の方から、来い、と言わんばかりのオーラが流れ出ていたので近づいてみた。そこには巨躯の老人が座っていた。

「あの・・・」

「あやつを探してるそうだな?」

 重い声が身体に響いた。あやつ、とはおそらくキルケアのことを指しているのだろう。

「え、ええ」

 恐る恐る答えた。

「まぁ座りな」

 私は言われるがままに座った。

「わしはアテールス。この店の店長兼料理長をやっている」

 見かけほど怖い人ではなさそうだった。

「ペネロペといいます」

 アテールスの眉がピクッと動いた気がした。

「平和の女神って言われたあのトランスリバー外務大臣かい?」

 知っているらしい。が、そんな二つ名を頂戴していたとは知らず、なんだか恥ずかしくなった。

「わしはお前さんの働きを評価している。それで何万もの命が救われたのだからな」

 どストレートにものを言ってくるタイプだ、と読んだ。

「お褒めに預かり光栄です」

 私は丁寧にお礼をする。

「そういう言い方はいらねぇよ。んで、その女神さんがどうしてあやつのこと探してんだい?」

 隠す理由はないので率直に答えた。

「訳あって一戦からはなれ、執筆をしたいと思ったんですけど書き方がわからなかったんです。それで・・・」

「弟子入りしてぇっと・・・そういう訳だな?」

 皆まで言う必要は不要であった。

「それでどこにいらっしゃるとか、わかりますか?」

 するとアテールスは少し考える素振りを見せるも、二秒と経たず答えた。

「わかる。嬢ちゃんの師匠になってくれるかは知らないが、最近顔を見せなんだ、どうしているかは気になっておった」

 キルケアとの関係が気になる。

「キルケアさんとどんな関係だったのですか?」

「そうさな、わしとあやつ、キルケアの関係はあやつが小さかった頃からだ。あやつは優しくも元気な奴だった」

 アテールスの表情を少し伺ってみた。すると既に自分の世界に入り込んでいることが見て取れたので口を挟まないようにした。

「わしがまだ二十すぎの若造だった頃は失敗続きだった。そんなある日だ。わしは大ミスをやらかした。それで死にたいくらい落ち込んでいた時だ。あやつはわしに尋ねてきたんだ。どうしたの、と。大きな過ちをしてな、すごく死にたい気分なんだ、と答えた。だがな、当時六歳のあやつがわしになんと言ったと思う?」

 私はわかりません、と首を横に振った。

「死にたいなんて言っちゃダメだよ、だってよ。その時は腰を抜かしそうになったな。だって、六歳の坊主から飛んでくるような言葉じゃねぇだろ?」

 私は尚更、会ってみたくなった。師事云々ではなく、人として。だが、一つ疑問が浮かんだ。

「なんでそんな優しい心を持った人が、軍人に?」

 アテールスは少し悲しそうな表情をした、が私はそこに怒りが見えた。

「家柄だ」

 私は言葉が詰まった。曖昧な記憶でオーゼストからの受け売りだが、私も家柄で政治家になったらしいからだ。

「まだ、上流階級の人間は家柄に縛られている。そう考えるとわしらのような下流の人間の方がまだ自由なのかもしれんな」

 少し皮肉を含んだ表現だった。しかし、今の私には生憎そういう誇りを持ち合わせていない。なにせ記憶がないのだから。

「それでもあの優しいあやつが戦場に行くというのが許せなかった」

 やはり怒っている。

「貴方も、優しいんですね」

 その怒りは優しさを含んでいた。優しくなければ、赤の他人である子供のために怒れはしないからだ。

「そうか?よく怖がられるんだが」

「真顔のせいですよ」

 私とアテールスさんはクスクスと笑った。

「あやつ、わしを結婚式に呼んでな。祝い飯の依頼を受けたから作って持って行きもした」

「へぇ。いい思い出でいいじゃないですか」

 私はすごくいい関係だと思った。少し羨ましくなるほどに。

「わしはその結婚に反対だった」

「え?」

 意外だ。どうして、と問うた。

「その時はまだ、戦時中でな。いや、今も正確には戦時中ではあるか。そのお嫁さんもな、偵察機乗りの軍人だったんだよ」

 私はわからなかった。それがどうして反対につながるのか。

「失っても知らんぞ、と忠告した。だがな、あやつは絶対に守ってみせると言った」

 するとアテールスは私の肩に手をポンと置いた。

「アートデルフ地方の山にある小さな街、ベイリングにあやつの別荘はある。嫁さん共々、連れ帰ってきてくれ」

 私は置かれた手を掴み

「はい必ず」

 と約束をした。

 家に帰るとオーゼストは夕飯の支度を済ませていた。

「会えたか?」

「ううん。でもどこにいるかはわかったよ」

「どこなんだ?」

「アートデルフのベイリングって言う街」

 オーゼストはそれを聞いて驚いたいた。

「最南端か。遠いな・・・そこまでしなくていいんじゃないか?」

 尋ねられたが、私に迷いはなかった。

「約束したの。ある人とね」

 オーゼストは一瞬考え込んだ。

「そうか・・・」

 流石に考えるだろう。

「ダメ、かな?」

 私は首を傾げて尋ねてみた。するとオーゼストは笑っていった。

「散々見せつけられてきたのにな、ペネーは止めて止まるような女じゃないって」

 それはおそらく許可を示しているのだろう。

「明日行くか?」

「うん、そのつもり」

 私は答えながら自分の部屋へ向かい、そのまま寝巻きに着替えた。

「六時間ほどもかかってしまうから、一日では帰ってこれないか」

 オーゼストがそう言ったのが聞こえた。

「まぁそうだね。二、三日はかかりそうかもー」

 とドア越しに聞こえるトーンで答えた。オーゼストから次の言葉が返ってくることはなかった。着替え終えて夕飯を食べるために席について、いつものごとくいただきますご馳走さまを済ませて、さっさと明日の準備に取掛った。

 その日はいつも通りのやりとりのまま終わった。


 ―翌日 セントラル・イスカリア駅

 まだ昇りかけの太陽が汽車の艶のある蒼い身体を照らしていた。平日だからか、駅に人はあまりいない。

「二番線は・・・あっちか」

 終点であるセントラル・アートデルフ行きのチケットに書かれた出発番線と標識を交互ににらみ、二番線へと向かっていった。

 オーゼストは定期出勤で来てくれてはいないが、既に家で別れを済ませてきた。チケットは購入済みなのであとは乗るだけだ。

 乗り込むと空席に座る。時計を見ると時刻は朝八時。到着は昼の一時になる予定だ。窓の外を見ていると汽車は声をあげ、ゆっくりと動き出した。そういえば煙で思い出したが、私は葉巻を吸わない主義だ。だって明らかに身体に悪いもの。汽車では勿論窓を開けて、葉巻を吸う者もいる。しかし、煙を吐くのは汽車の役目だと思うのだ。

 ―アレ?どっかで聞いたことあるフレーズ・・・ま、いっか。

 電車の中の過ごし方は勿論、読書とメモである。先にメモをして日常を綴る。その後に本を読み心情表現などを学ぶ。その繰り返しだった。そしてしばらくすると、頭と瞼が重たくなったのでその眠気に任せて眠りについた。

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