ディア・ニュー・ミー
@g-lsifararaiya
第一部 一章 remembrance and atonement
回想 私の物語
いずれ消える私の代わりに生を受ける貴方へ。一年間の思い出と私の名前を託します。
ペネロペ・トランスリバー
私―ペネロペ・トランスリバー―はアルトラス共和国外務大臣に最年少で就任して二年たった、のだけれど。ある日私は気づいてしまったのだ。二年前から先の記憶がないことに。私は互いにペネー、オーゼと呼び合う仲の恋人、オーゼスト・ファーリウムと共に病院へ行った。
「それで、どうなんでしょうか・・・」
私は不安を含んだ声で聞いた。
「あまりこんな診断をするのは嫌なのですが、症状があまりに該当し過ぎていて」
と医者は濁してきた。
「つまり?」
オーゼストは率直に言うように促した。
「転生病、です」
聞きなれない病名だった。
「どんなものなんですか?」
私はどんな病気かわからない不安を隠しきれなかった。
「遠い記憶から順番になくなっていって、最終的に自身の名前までも忘れてしまい別人のように、いえ、別人となってしまう病気なのです。それが来世に転生するという考え方に似ているから転生病、と」
それを聞いた瞬間、私は手の震えが止まらなかった。オーゼストは私の震える手を握ってくれた。
「記憶喪失のようなものですか?」
「いえ。記憶喪失とは違います。記憶喪失というのは、録音された記録がなんらかの原因で再生できないことを言います。その場合なら、再生される可能性はありますが、転生病は違います。なぜか記録が綺麗さっぱり消えていくのですから。あたかも最初から録音なんてされてなかったかのように」
私は感づいてしまった。
「不治の病、ですか?」
医者はゆっくり頷いた。
「なにせ症例が極めて少ないので、転生病自体の解明が進んでおらず治療法もないんです。トランスリバーさんだと、あと一年だと思います」
私にとってそれは余命宣告にも等しかった。胸が締め付けられる、と言うよりかは不安や恐れといった感情が湧き上がってきた。突然の余命宣告に涙することすらできない私の代わりに、オーゼストが涙を流してくれていた。すると医者がゆっくりと立ち、頭を下げた。
「医者なのに何もできない私が情けなくて、情けなくて・・・」
私は何も悪くない医者にかける言葉が出てこなかった。自分のことでいっぱいいっぱいで、どうしようもなかったのだ。
「貴方は悪くないんです。悪くないんですよ・・・」
オーゼストが代わりに言ってくれた。さっきからオーゼストに任せきりで自分が情けなくなってきた。
雪が降る夜だった。ガス灯はゆらゆらと燃え、なんだか暖かそうだった。
帰宅してすぐにベッドに身を投げた。私はオーゼストの手を握りしめて離さなかった。
「オーゼ、私怖いよ」
やっとの事でその言葉をしぼり出した。オーゼストの握る手が強くなった。
「ペネー・・・」
オーゼストが何か言葉をかけてくれようとしているのがわかる。
「だってさ。思い出が一切合切無くなってさ、ある日目覚めたら私じゃない誰かがこの身体の中に入っていて、そんなの想像できないし怖いし。もしかしたら死ぬことよりも怖いんじゃないかなって思うんだ。最期の瞬間に大切だったかもしれない、けど誰かもわからない、っていうのはなんだかもう・・・」
すると突然、オーゼストがギュッと抱きしめた。
「大丈夫。俺がずっとそばにいる。ずっとペネーを愛し続ける」
私もようやく涙が出た。そして抱きしめ返した。
オーゼと唱える度に、心はどくんどくんと高鳴るのに、同時に安心感で満たされて、なぜか落ち着くのだ。
三十分ほどそうした。
「ちょっと落ち着いたよ」
オーゼストを見つめて言った。
「そうか。なら安心だ」
短い言葉も優しさに満ちていた。
私は自分の仕事のことを考えた。停戦状態だった、アルトラス共和国はヴァンヴィッヒ王国、カトラヴェリオ連邦国との開戦に乗り出そうとしていた。もしそうなれば、今度はこの三国だけでは歯止めが効かなくなり、大陸を巻き込んだ大戦となるだろう。私が外務大臣に就任した時には手遅れかと思った。だが、そうはさせまいと私は三国を走り回って考え直してもらえるよう懇願もした。時には殺されかけたこともある。その時の護衛がオーゼストだったわけだが。努力は実り、三国とも臨戦態勢を解き、和平条約に応じると言ってくれたのだ。
「ようやく開戦を回避する光が見えたのにどうしてこうなっちゃうんだろう・・・」
私の努力が水の泡になるかもしれない、という言葉を飲み込んだ。自国が一番信用ならないということになるからだ。だが、それは事実でイアソー・ヘレニクス大統領は元開戦派だったのだ。
「辞めたらどうだ?自分が信頼できるやつに任せて」
そうしたいのは山々だが、平和条約の調印式が終わるまでは辞めたくないというのも本心だった。
「とりあえず、休むことにするよ」
「それがいい。俺も休暇を取るよ」
オーゼストが隣にいてくれるだけで、一緒にいてくれるだけで少し落ち着いて、ようやく他人の心配をする余裕ができた。
「軍、休んでいいの?中佐さんなんでしょう?」
「いいんだ。ペネーのお陰で世界は平和だからな」
純粋に嬉しかった。だからオーゼストのことが大好きなんだけれども。だからこその不安はあった。
「私がペネロペじゃなくなっても、オーゼは愛してくれる?」
なんとなく、尋ねてみた。
「ああ。ペネーの愛を掴み続けるさ」
やっぱりオーゼストは優しい。
「明日、外務省に行くよ。代わりの人は私が直接決める、ってね。首相の勝手にはさせない」
「首相は元開戦派だったか」
オーゼストは心配してくれた。だが、迷いはなかった。
「もし臨時大臣が開戦派に持っていくようなことをしたら、その時は私がガツンと言ってやるよ。ふざけるなー、ってね」
オーゼは少し驚いた顔をしてからクスクス笑い始めた。それをみて私まで釣られて笑ってしまった。
「オーゼ」
「ん?」
「好き」
「俺もだ」
そのまま私とオーゼは何かありすぎた一日を終わらせた。
「オーゼ」
私は最愛の人の名前を呼んだ。だが、隣にはいない。悪い夢でもみているのだろうか。
「オーゼ」
もう一度呼んだ。
「どこに隠れているの?」
少し不安になる。
―どこ?
―どこ?
―どこ?
ひたすらに探す。だが、出てくることはない。ベッドから起き上がろうとして手をついた。
「あっ」
手がベッドに吸い込まれて、沈んでいった。
―助けてオーゼ!
叫んでも届かない。そのまま永遠に落ちていった。
ドンッ、という音とともに。どうやらベッドから落ちたらしい。
「大丈夫か!?」
とドアをバンッと開けて入ってきた。
「あいたたた・・・」
身体を強く床に打ち付けてしまったみたいで、痛かった。
「顔色よくないな。悪い夢でも見たか?」
「隣にオーゼがいない夢」
「それは悪い夢だ」
私はオーゼストに抱きついた。
「しばらくこうして」
「ああ」
私は気が済むまでギュッとしていた。
「おはよ、オーゼ」
「おはようペネー」
朝の挨拶を終わらせると、オーゼストが作ってくれていた朝ご飯を食べるため、急いで歯磨きやら洗顔やらを終わらせ化粧も済ませた。
オーゼストはすでに食卓についていた。
「ごめんごめん」
「いや、俺が早すぎた」
私に気を遣い過ぎていると感じたが、好意ならば受け取りたいと思った。
「じゃあ食べるか」
「うん」
「「いただきます」」
パンを手に取り、ちぎって口に入れる。その後にもう一ちぎりして、今度はコーンスープにつけて食べる。
「やっぱ美味しいね」
「それは良かった。褒められるのは嬉しいな」
オーゼストが笑顔でそう言った。するとなぜか私まで嬉しくなった。
「どうした?」
「え?」
「いや、何驚いてるのかなと思って」
「ああ、いやちょっとね?」
どうやらそういう顔になっていたらしい。いやはや不思議なものだ。人というのは。
「そうだ。今日は休暇取りに行くんだよな」
オーゼストがそう尋ねてきた。
「うん。そうだけど」
「その後時間ある?」
「ま、まぁあるけど。どうしたの?」
オーゼストは笑みを浮かべて言った。私はひたすらパンを口に運んでいた。
「まぁ、ちょっとな」
「はぁ・・・」
何を考えているか、私には推し量ることができなかった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
とオーゼストが片付けながら言った。私はおそらく最後の出勤をするべく準備をした。少し軽めに設計してもらったいつもなら沢山の書類で一杯の、小さめの革製トロリーケースの中を確認し、何も忘れていないと自信を持って家を出ようとしたその時だった。
「忘れ物してるぞー」
オーゼストが封筒をヒラヒラ振って駆け寄ってきた。
「休暇届け!普段持ってないから忘れてたよ」
オーゼストから休暇届けを受け取った。
「ありがと、オーゼ」
「昼までには帰ってくる?」
「まぁね」
するとオーゼストは困ったような顔をした。どうしたのかと尋ねてみると
「上官と話つけなきゃならないから結構遅くなりそうでな」
ということらしい。
「あーそっかぁー・・・」
ちょっと寂しく思ってしまった。
「あまりそんな顔をするなよ。夜までにはちゃんと帰ってくるから」
無自覚であったがどうやら顔に表れていたらしいく、なんだか少し恥ずかしい。さっきから無自覚が多すぎるのは気になるが、やはり気にしないでおこうと思った。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
こんな当たり前な会話だって素晴らしく思えてくるほどに、少しは追い詰められているという自覚があった。
石レンガの建物が立ち並ぶ街並みに、積もった雪が輝くのを見ると朝なんだということをいつでも感じさせてくれる。新聞配達の少年が動力付きの自転車に乗っていたり、ガス灯の点灯夫がガス灯を消しに行ったりと、朝から街は静かながらも賑わっていた。私はというと外務省舎は徒歩二十分なのでまぁ、歩きというわけだ。
外務省舎の門を潜り、誰もいない、暗いメインフロアを眺めてのっくら電気をつけに行った。
「一番乗りかな」
そう言いつつ壁に掛けてある振り子時計を見た。針が示す時間は七時ちょうど。
「そりゃ早いわ・・・」
最後の手続きとかそういうのを済ませなければいけないので、別に後悔はしていない。
今度は自分の大臣室まで向かった。いつもの如くデスクに座り、作業を始めようとしてトロリーケースから書類を出した。ふと机を眺めると、少し撫でたくなった。たった二年とちょっとの関係ではあったが私の戦いを支えてくれたことに変わりはない。そう思うと、少し寂しくなる気持ちもあった。
「また戻ってくるからね・・・」
次にトロリーケースを机の上に乗せ、数々の傷を眺め、また触った。
「あなたも頑張ったね。けど、これからも相棒としてよろしく」
と一通りの品を眺めると、最終業務にかかった。臨時大臣を誰にするか決めるために候補人材の選出をするために一時間かけて資料に目を通した。
「カストラ・ディオクス。彼女しかいない」
決まった時には既に九時三十分。流石に背中が痛い。少し休みたいが、今すぐカストラを呼ばなければならない。
カストラ・ディオクスは私の外務大臣としての職務をこなす際、最も世話になったし、信頼している女性だ。暗い赤の髪と眼鏡が特徴だ。一番世話になったのは、翌日にヴァンヴィッヒ王国のアールデン・ヴァンヴィッヒ国王への謁見が控えていたというのにあまりの激務に倒れた時のこと。どうなるかと思ったが、カストラが代わりに謁見し平和条約への参加を約束させた。カストラを厚く信頼している要因は間違いなくそこにある。
私は側近を呼び、カストラを呼びに行かせた。程なくしてドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
私は入室を許可した。
「失礼します」
カストラはドアを開け私の姿が見える位置に立ってから一礼し部屋の中へ入った。
「ご用件はなんでしょう。もしかして、大臣の職務を代行してくれ、というんですか?」
前の国王への謁見の一件でイジってるのだろうが、的を射すぎていてちょっと不気味だった。だから、別の角度で話をして見ることにした。
「カストラさん。転生病って知ってる?」
と尋ねた。
「記憶が一切合切なくなって、でも記憶喪失とは違う病気、ですよね?」
意外にも知っていたようだ。だが、この話の振り方をしたことに違和感を感じたらしくカストラは続けて尋ねた。
「もしやトランスリバー大臣、転生病に・・・」
私は頷いた。
「あと一年だって。だからさ、休職扱いにして形式上で代行、実質上は外務大臣の後を任せたいの」
カストラの戸惑いは隠せていなかった。
「カストラさんにしか任せれない」
「しかし・・・いえ、引き受けます」
カストラは一瞬考える素振りを見せた。しかし彼女の決断は早く、後を継いでくれることになった。
「あの首相に好き勝手させちゃダメだよ。そのために、信頼できる強い女性を選んだつもりだから」
私は念推しついでにプレッシャーも押し付けてやった。カストラは少し困った顔をして、同時に母親のような雰囲気も感じた。
「その御期待に全力でお応えします。だから・・・」
カストラの声が急に止まった。すると突然、なにかを隠すように顔を手で覆って動かなくなってしまった。
「どうしたの?」
気になって覗いてみた。する指の隙間から水がこぼれ落ちてきた。
「まだお若い身体で余命宣告のようなものをされても、強く生きるその姿に感銘を受けて・・・」
その言葉を聞いて私は少し驚いた。
「こんな小さい背中に強い私なんていないよ。むしろ弱いさ」
カストラの背中に右手を添えて左手で手を取った。
「でも、みんなの手が私を支えてくれていたから、強い私、背中が大きな私を他のみんなに見せることができた。だから、カストラは私を真ん中にした大きな背中の一部なんだ」
カストラの眼を見た。今更思ったがものすごく綺麗な眼をしていた。
「これからは貴女が真ん中。支えられながらも導く存在になる。だから、よろしく。新大臣」
カストラは涙を拭って、声を振り絞って言った。
「私、がんばります、がんばります・・・」
「うんうん。じゃあ、涙枯れたら臨時大臣就任報告はよろしく頼むよ。私は最後の仕事を済ませて昼までには消えるから」
カストラは入室時と同じように一礼し、自室に戻っていった。
「カストラさんすっごい安心感あるなぁ」
かつてない安心感と共に、私は椅子に座った。
「さて、仕事が残ってる、とは言ったけど」
デスクを見つめた。
「別に無いね」
特大のため息をついた。別に名残惜しい訳でも無いのに、何故だろうか。当然誰も答えてはくれないのだが答えは知りたい。
「ああでも、何だかんだで一時間は潰せそう」
と眼を向けた先にあったのは資料の小山。早速ラストワークに取り掛かった。
二時間経ってようやく終わり、私は外務省舎を後にした。その後適当にご飯を食べ家に帰った。その後はオーゼストを待ちながら好きなことをしていた。
時は経ち夕方四時。まだ帰って来ないかと思って窓から少し身を乗り出して見た。すると、白髪で長身の男性が近づいてきたのがわかった。私はおーいと手を振った。すると、白髪の男性は走って家に帰ってきた。
「オーゼ!」
「ペネー!」
私とオーゼストはほぼ同時に呼び合い、お帰りの言葉の代わりに抱擁を交わした。
「で、どうだった?」
私は尋ねた。
「流石に一年ずっとは無理だった。遠出する時は一緒に行けないが、緊急時以外は自宅にいてもいいと言われた。ペネーこそ、託してきたか?」
「うん。それはもうとても信頼できる人に!」
満面の笑みを浮かべるものだから私も満面の笑みを返した。
「で、話ってなに?」
私は早速尋ねた。するとオーゼストは自室にある引き出しに駆け寄り何やら分厚い本を出してきた。
「プレゼントだ」
嬉しくなった私はすぐに中を開いた。だが、真っ白だった。
「真っ白じゃん」
ちょっと不満げにオーゼストに見せつけた。
「本を書いてみないか?」
突然変なことを言ってきたのでどう返していいかわからなかった。
「要はこれからの一年間のことを本にして、生まれ変わった後の君に名前と共に受け継いでもらう。どう?」
「日記を物語調に書くってこと?」
分かっていながらもつい、尋ねてしまった。
「そう。それなら、生まれ変わった君が楽しく読めるんじゃないかな、と思って。といってもそれに直接書き込むのはやりにくいだろうからただの紙を用意してある」
名案だと思った。
「私に新しい楽しみを持ち込んじゃって〜採用!」
早速私は家の机の上に万年筆をとり白紙を置く。書き出しはもちろん、未来の私宛だ。完成すれば本の最も頭に書かれるであろうからここには書かない。
「どこを旅しよかな。汽車で北の方に行くのもいいね・・・」
と頭の中に沢山の計画が沸き起こってきた。
こうして鮮やかな青髪と美しい碧眼、そして水のせせらぎのような美しくもうっとりする音色の声を持つ少女と旅とその旅の道中で出会った様々な人々との物語が始まった。
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