第6話 コミュニケーション

意識があると気づいてもらってから、手の平をなぞられる回数が格段に増えた。

けれど、相変わらず何をなぞられているのかは全くわからない。

なぜひらがなとかではなく、私の知らない言語を使われているのかは不思議だけど、

とにかく私はこの新しい文字を学ぶ必要があるらしい。

そういえば偉人ヘレン・ケラーは、盲目で難聴でありながらその賢さ故に、

幼少期の時点で【名前】や【意味】の存在に気付いたそうだ。

その点私には記憶があるので、同じ障害を抱えているにしても、ややEasy modeだ。


そんなことを考えていると、看護師(ではないかも)さんが私の右手を取り、

いつも通りに文字をなぞる。


これはどういう意味だろう?

[おはよう]かな。

それともこの看護師(ではないかも)さんの名前かな。


とりあえず挨拶と呼びかけを兼ねて、私も同じようになぞり返す。

[おはよう]

そうすると、おはようさん(と仮に呼ぶことにする)はまた何かをなぞり、

私を抱きしめる。


これは[ハグ]かな。


そしてまた私の手をなぞり、上着を脱がせる。


これは[上着]となぞったのだろう。

続けて同じように私の手をなぞり、脱がせていく。


[ズボン]


[下着]


[拭く]

私の体を拭いてくれる。


今までと同じように、何も伝えずに淡々とこなすこともできるはずだ。

しかし今は一つ一つの動作について、丁寧に文字で伝えてくれる。

ありがたい。

ちゃんと覚えておこう。


[下着]


今度は下着を着せてくれるのだろう。

私も返事をしてみたい。

それに、学ぶときはインプットするよりも、アウトプットする方が重要らしい。


私はおはようさんの手を取り、なぞり返す。

[下着]

すると、おはようさんは私に握手をしてくれた。

どうやら正解だったようだ。

そして下着を着せてくれる。


[ズボン]

私もまたなぞり返す。

[ズボン]

握手。


[上着]

[上着]

握手。


[スープ]

唇に熱いものが当たる。

私はそれを飲み干していく。

最初はびっくりしたけれど、慣れたら特に問題はない。


しかし、こうして人と意思疎通ができることがわかると、

少しふざけてみたくなる。

わざとらしくせき込んでみよう。


ゴホッ!


するとおはようさんは、震える手で私の手に何かをなぞった。


どうやら冗談だとは伝わらないらしい。

本当にせき込んだとか、怒っているとか思われたのかもしれない。

どうしよう?

「冗談」とか「ごめん」の文字はわからない。


私はおはようさんの震える手を取り、なぞる。

[ハグ]

そしてできる限りの力でおはようさんの手を握り締める。


身を起こして抱きしめる力があればよかったけど、

今はこれが精いっぱいの意思表示だ。

それにしても、おはようさんは本当に私を心配してくれているみたい。

自分で言うのもなんだけど、

私はそこまで誰かに愛されるような人間だっただろうか?

やはり親切丁寧なだけの、見知らぬ看護師さんなんだろうか?


おはようさんは両手で私の右手を握り返してくれた。

なんとなく、大切にされていることを感じる感触だ。

本当におはようさんは誰なんだろう?


やっぱりただの看護師さんで、患者の冗談に気づきながらも、

プロとして営業対応しているだけだったら……

寂しい。

けれど、今までのことを考えれば、それはないと思う。

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