第30話 事件の終わり(2)
笹井さんは、しばらくして落ち着いた。壁際のイスを向かい合わせてすわっている。
「あの、降谷さんですけど」
「はい。一緒に亡くなってた人ですね」
「降谷さんは、わたしのせいで死んじゃったんです」
「ということは、降谷さんと鉢合わせしたんですか」
その可能性を考慮していなかった。
「ローズ、阿久津がデッサン中に倒れて、わたしがきたときは頭から血がでてたから、そのせいかと思って。死んじゃうって騒いでたら、降谷さんがアトリエにはいってきたんです。そのときは、降谷さんのこと知らなくて」
「ピッキングして鍵開けたんですね」
「そうみたいですけど、そのときはわからなくて、服着てなかったし、ビックリして。黙っててやるから大人しくしろっていって襲いかかってきて」
「降谷さんは、その、阿久津さんが目当てじゃなかったんですか」
「そうなんですか?わかりませんけど。わたしが殴って阿久津を殺したと思ったみたいで。弱みを握ったという意味で、黙っててやるって言ったんだと思いました」
「そうですか。わかりました」
阿久津さんは、笹井さんの胸の中で息を引き取っていた。笹井さんがイーゼルから絵を持ち出した理由もわかった。相内さんめ、いろいろと。それはいい。なんといっても、頭の中の好ましくない映像を修正できてほっとした。降谷さんの事件は、自殺から事故死に変更だ。
「わかったんですか?」
「ランチパックって、ふたつはいってますからね。阿久津さんとわけて食べたんでしょう?」
「はい。阿久津のお気に入りで。よく分けてもらってました」
「そうか、そういうからみ方をしていたのか。唇を奪われて数分で降谷さんは亡くなりましたね。嫌な思いをさせられて災難でしたとしか、おれには言えません」
笹井さんが膝の上で組んだ手を見ている。
「阿久津さんのアトリエには合鍵使ってはいったんですか?」
「いえ、あのときはノックして開けてもらいました。手が離せないときは、合鍵ではいれって中から指示されます」
そういう使い方があったか、合鍵は。彼女なのに合鍵使ってアトリエに忍び込む必要はないと思っていた。
「よくアトリエに?」
「夜しか会ってもらえなくて。でも、夜はアトリエで創作していることが多いので」
暇つぶしのためにのぞき趣味を覚えてしまったのかもしれない。それに、呪いだ。噂は阿久津さんが発信元かもしれない。
「その、笹井さんはクスリもってたり使ってたりしないですか」
「もってないし使ってもいません」
「ですよね。そんな感じに見えない。クスリやると、話せばわかるくらい人がかわるっていいますからね。なら、安心だ」
セックスのとき快楽が増すといわれる種類のクスリを阿久津さんはやっていた。呪いのアトリエの話もあって、少し引っかかっていた。彼女探しの目的も達成できた。
「アトリエに入ったとき、阿久津さん頭から血をだしてたわけですよね、普通にしてたんですか」
「頭痛いって言ってたけど、病院にいかないの?って聞いたら平気だっていうから、そのままでした。創作に集中すると、ほかのことがどうでもよくなっちゃう人でした」
すでに気分が高揚していたのだろう。
「それで、阿久津さんが亡くなって、押し入ってきた降谷さんも亡くなった。床に阿久津さんの血があったんじゃなかったですか?」
「わたしがアトリエに入ったとき、ちいさい血の水たまりが床にありました。でも、デッサンをはじめるから、掃除はあとだっていってました。そのときはもう血が止まってたみたいです」
「ふたりの遺体をすこし移動させたんですか?たしか、阿久津さんは頭から血を流して亡くなっていて、血だまりができてた。降谷さんは阿久津さんに覆いかぶさるように亡くなっていた。そんな話だった気がするんですけど」
「それは」
「はい」
なにか言いづらいことのようだ。
「沙莉ちゃんを呼んだんです」
「そっか、そうですね」
相内さんを忘れていた。アトリエにきたのは笹井さんのため。遺体の工作をした。それでキレイ好きな阿久津さんのアトリエにランチパックの袋が床に落ちることになった。ついでにクジラのオブジェの習作をもちだした。本番作品はまだアトリエに残っていて、このとき笹井さんがもちだした。それで、鯨井さんの彼氏に流した。クジラのオブジェは笹井さんに見つからないように隠してあっただろうに、かなり念入りに家探ししたに違いない。
「そうすると、アトリエを密室にしたのは笹井さんなんですね」
さっきまでは、密室で降谷さんが死んでから笹井さんが忍び込んだのだと思っていた。
「そのほうが自然だと思って」
「合鍵にピッキングか。密室トリックなんて考えるのがバカらしくなりますね」
「誰かに謝らないといけないですか?」
「ただの冗談です」
世間には、なんでも不思議にしたがる人種もいるものだけど、たいていツマラナイ現実が待っている。
「それで、結局どういうことですか?」
「なにがです?」
「降谷さんは、なんで死んじゃったんですか」
「え?」
壮介は頭がフル回転するのを感じた。脳みそが考えてくれている。
「理由もわからずに自分のせいで死んだと思ってたんですか」
「だって、ほかに理由がないし。呪いってわけじゃないですよね?」
「持病の悪化です。笹井さんを襲ったりしたから興奮して負担がかかったんですね。呪いなんてありません。命がけだったと思えば、襲ってきたこと少しは許せませんかね」
「その、死ぬほどの罪とは思いません」
「そう思えるなら、よかった」
アトリエをでて鍵をかけたうえで、笹井さんはトイレに行った。外に出るための準備があるのかもしれない。壮介はアトリエの前で待つことにした。呪われたアトリエといわれるアトリエ。外見がいいのも考え物だ。
絵画科の建物をでると、外は夕方の気配だった。いくらか日が短くなってきた。水族館にやっともどれる。長居をしすぎてしまって、壮介はすこし焦っていた。ケータイで時間を見る。
「そのストラップ」
「これ?相内さんがつけてくれたんです」
「それ、一年のとき一緒に作ったんです」
「大学の課題だったって言ってましたね」
「あまり甲斐がなかったけど、水族館にイルカ見に行ったりしたんです」
「へー、たしかに見なくても作れそうな形ですよね」
特になんてことはない、いかにもイルカという形をしている。ケータイをゆすってイルカを躍らせる。
「ついでに水族館を一周して。そのとき、ペンギンに餌やりをしている飼育員さんがいたんです」
「おれも、よくペンギンの給餌してます」
「沙莉ちゃん、帰りに年間パスポート買ってたんですよね」
「じゃあ、そのときにもうペンギンのオブジェのアイデアが浮かんでたんですね。あのオブジェお客さんにも好評なんです。笹井さんも見ました?まだなら水族館に見にきてください」
「いや、そういう」
「長居してしまったので、そろそろ帰らないと。笹井さん帰るなら送りましょうか?」
「いえ、大丈夫です。あの、久保田さん。わたしなにか犯罪を」
「笹井さんですか?クスリやってないでしょう?」
「やってません」
「阿久津さんに飲ませてもいない」
「飲ませてません」
「絵とクジラをもっていったから、窃盗かな」
「窃盗ですか」
「でも、笹井さんがもっていていいものです。黙ってれば大丈夫。相内さんの方がね、重罪ですよ」
壮介は、人差し指を立てた。
「窃盗に加えて、覚醒剤取締法違反」
「沙莉ちゃんが?」
「逮捕しちゃいますか。相内さんのせいで笹井さんが警察のお世話になっちゃったんですよ。本人は知らずにもっていったと言い張ってましたけど」
「沙莉ちゃんのこと、信じてあげてください。久保田さんに信じてもらえないと、ショックだと思います」
「そうですね。信じることにします。合鍵処分しましたか」
「はい、データも全部消しました」
「もうやらないことです」
笹井さんと別れ、車を運転して水族館に向かう。
相内さんは部屋を出て、おそらく高崎に帰省した。笹井さんは阿久津さんに対する誤解を解いた。警察もクスリが出て満足したはずだ。芸大の事件はすべて収まるところに収まった。
仕事のほうは、地獄のようなお盆の混雑という困難を乗り越えた。お盆直前に相内さんが帰省したのは都合よかった。水族館の飼育員は大変なときもあるのだ。ガイドをしたり、各種イベントを開催したり。目がまわる忙しさだった。
壮介の毎日は通常運転に戻った。
「壮介、お盆はぎょうさん人きたな」
「そうだな。忙しかった。こんどは、暇なときに人を呼ぶことを考えないといけないんだ」
「せやな。こんなところでオシャベリして暇つぶしててもしゃーないからな。人呼ばな」
「暇をつぶしにきているわけではない。こんな寒いところ、喜んでくるもんか」
「こらえ性のないやっちゃな。こんくらいで寒いゆうてたら、南極の冬は越せへんで」
「南極にいけるなら我慢するけどな」
「ホンマかいな。わいは留守番させてもらうわ」
「どうかな。パートナーを探しに南極に行かないわけにいかないんじゃないか」
「不吉なことわいんといて。あの子とはどうなったんや?まだ家におるん?」
「相内さんなら、とっくに実家に帰ったよ」
「フラれたんか?」
「まあ、そんなところだ」
「なんや、水くさい。話なら聞いたるで。話してみい」
ペンスケが慈悲深い表情になった。もちろん気のせいだ。
「芸大で事件があったろ」
「そうやったな」
「死んだ人の片方はクスリのやりすぎで死んだみたいなんだ」
「おっそろしいのー。クスリやりすぎって、アホやな」
「たぶんだけど、一回クスリやったあとに頭殴られたんだ。それで気がついたとき記憶をなくしていて、もう一回クスリをやったんじゃないかな」
「頭殴られたんか、踏んだり蹴ったりやな。なんでそいつクスリなんて物騒なもんもっとったんや。コンビニで売っとるんか?」
「スペインに留学してたらしいんだよな。たぶんそのとき買ってもってきたんじゃないかな」
「スペインはコンビニで売っとるんか?」
「スペインにコンビニがあるかどうか知らないけど、クスリは大学でわりと簡単に手に入るんだと思う。学生同士の横のつながりで」
「なんや、詳しいな」
「別に詳しくない。それでクスリをな、クジラのオブジェのなかに隠してたんだよ、その死んだ人は」
「うん?」
クジラと聞いて、ペンスケは不快そうな顔をした。気のせいだ。
「相内さん、その人が死んだ後に部屋にはいったらしい。で、クジラのオブジェが欲しくて、クスリはいってるの知らずにもってきちゃったんだな」
「うえー、死人のおる部屋なんか、よう入らんわ」
「事件に巻き込まれた友達から助けてくれって連絡があったんだ」
「ほうか」
「クスリは、警察に渡して解決したんだけど、クスリをもってるだけで犯罪なんだよ。覚醒剤取締法ってやつで」
「バレたら捕まってまうんか」
「うーん、証拠がないから大丈夫だと思うけど」
「ならなんや」
「相内さんがクスリもってきちゃったこと知ってるから、もう会いにこないと思う」
「フラれたって、そういうことやったんか」
「そういうことだ」
「別のメスがおるやろ、忘れたらええ」
「そう、だな」
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