第28話 さようなら

 翌週水曜日、壮介の週休日に相内さんが荷物を太田に引き上げ、壮介の部屋をでることになった。太田に帰ったあとは、高崎の実家へ帰省すると聞いた。

「わたし、久保田さんの手品ぜんぜんわかってないんですけど」

「おれの手品っていうんだから、もうわかってるじゃないですか。呪いはもう信じてないでしょう?全部忘れて実家でゆっくりしてください」

「呪いのアトリエの噂はなんだったんですか」

 ぜんぜん忘れるつもりがない。

「阿久津さんがクスリをやっていたことに気づいた人がいたんでしょう。もしかしたらやっていたんじゃないかくらいかもしれないけど」

「それで、人が近づかいないようにしてたってことですか」

「夜、阿久津さんが創作しながら奇声を発していたのが、呪いの噂の元になったんでしょうね、きっと。もともとあった噂に尾ひれをつけたり、広めたりした人がいたんだと思います。アトリエを共有してた大学院生を襲ったときに呪いのせいってことにできるという見込みがあったからですね。それで、たぶんその人なりにアトリエの中を探したんじゃないかな。一人じゃないかもしれないけど」

「でも、アトリエからは何も見つからなかった」

「そうですね。家まで探す度胸がなかったか、阿久津さんがクスリやってたという考えが間違ってたと思い直したか。あまり余計なことして警察に目をつけられるのを恐れたのか。どちらにしろ、もうあきらめてるはずです。ほっといても無害でしょう」

「その事件は?」

「おれには何もわかりません。警察にまかせておけばいい。警察に通報したかどうか知らないけど」

「いいんですか?」

「ほかの選択肢はありません」

「名探偵が」

「そんなものはいません。相内さんが後ろから殴ったんですか?」

「違います」

「じゃあ、おれには何もわかりません。呪いは呪いのままです。専門じゃない」

 不服そうな顔をしていたけど、ふと思い出したという表情になった。

「頭から血を流して倒れていた四年生の女子の人。意識もどったそうです」

「それはよかった。勘違いで死んじゃうのはもったいないですからね」

「なんで阿久津さんのこと殴っちゃったのかな」

「さあ。女のプライドもいろいろなんでしょう」

「プライド?」

「阿久津さん、ほら、ほうぼうに手を出してるって噂だったでしょう。それを信じてたんじゃないかな。実際は彼女一筋だったわけだけど。人気者の阿久津さんとしては、彼女の存在をカモフラージュするために、噂になるように仕向けたのかもしれないですね」

「なんでそんなことするんですか」

「女同士って怖いっていうじゃないですか。彼女がいじめの標的にされたらかわいそうでしょう」

「なるほど」

 女の相内さんは納得した様子だ。

「相内さんなら、男の人を殴ることのほうがプライドを傷つけるでしょ」

「わたしのこと、わかってるんですね」

「すみません、知ったふうな口ききました」

「久保田さんは安泰ですね」

 相内さんは笑顔を壮介に向けた。

「そのクジラのオブジェ。本来の持ち主がいるんじゃないですか」

 クジラのオブジェをリュックに詰めようというところだった。相内さんは、阿久津さんを弟子にして指導したのはクジラのオブジェだと話していた。壮介が目にしているクジラは、背面にカラフルなガラスがはめ込んである。イルカのストラップと同じ方式だ。クジラの体内は空洞になっていて、背中がパカッと開くようになっている。

「これは、習作です。阿久津さん、ふたつ作ったんですよ。本番作品は彼女にわたってます」

 事件の前にということか。幸いだった。

「中身は、指輪って言ってたけど」

「鯨井さん?」

「え、誰です?それ」

「いや、知らない。中身が指輪なら罪がなくていい」

「これを残してくれたのはうれしいです。警察に押収されたらどこにいっちゃうかわからないですから」

「遺族のところかな」

「そしたらもう手にはいらないですね」

「お金をだして買ったら?」

「買える値段のわけないじゃないですか。あのポーチどうしたんですか」

「ああ、あの小さいバッグね。百均です」

「嘘つきですね」

 いたずら好きな子供みたいな顔だ。バレなきゃいいとは、壮介は思わない。

「絵は、笹井さんですね?」

「なんでもわかっちゃうんですね」

「イーゼル空だったから。モデルの人を描いていたはずなのに。完成した絵がアトリエにおいてあったのに、なんでイーゼルからもっていったのかな。モデルだった人、笹井さんも知らない人ですよね」

「意識不明だった四年生のことですか?知らないと思いますよ?」

「じゃ、かばうってことはないか」

「名探偵でもわからないことあるんですね」

「ぜんぜん名探偵なんかじゃないです」

「嘘です」

「じゃあ、もうひとつわからないことがありました」

「もういいですよ」

「相内さん、なんでその習作を阿久津さんに話して譲ってもらわなかったんですか。いま、不吉なことを思いついちゃったんですけど」

「わたし嘘ついてませんよ?もうひとつ作ったこと知らなかったんです」

「なるほど。筋は通りますね」

「信じないですか」

 ジロリと、相内さんの目が壮介をとらえる。

「いえ、信じます。相内さんが言葉にしたことに嘘はない」

「その言い方は理系だからですか。わたしのこと疑ってるからですか」

「理系は、自分の言ったことも疑う人種です。つまり、両方という答えになります」

「ふん」

 相内さんは矛を納めてくれた。

「おれに期待してたのって、どんなことだったんですか」

「それは、自分でもわかりません。咲名ちゃんだけは助けてほしかった。殺人犯にされちゃうかと思ったから。あとは、久保田さんならなんとかしてくれるって思ってました」

「すごい思い込みですね」

「はずれてなかった」

「だといいけど」

 壮介はすこし迷っていた。

「あのドデカいオブジェはどこにいくのかな。遺族も引き取りに困るだろうな」

「どこかの美術館に行くんじゃないですか。やっぱり阿久津さんの作品、値段がうなぎ登りみたいです」

「へえー。でも、死んじゃったらカネ使えないしな。いまさら意味ないよな」

 壮介は手にもったマグカップを傾けてコーヒーを飲んだ。

「相内さん」

「はい?」

「怒ってます?」

 手を止めて壮介を見上げる。

「怒ってます。わたしの下着あさったでしょう。パンツの匂いかぎました?」

「そんなことはしてません」

「パンツの匂いかぎたいって正直に言ってくれれば、提供したのに」

「怒ってるのってそこ?」

「冗談です」

「ですよね」

 壮介にはやましいことは少ししかない。相内さんの荷物をあらためさせてもらったのは事実だ。

「クスリはよかったんだよね」

 作業にもどる。

「処分に困ってたんです」

「そう、なら安心だ。脳は自分自身だからね、クスリで操作するのは怖いよ」

「そんなことしません」

 聞いてみてよかった。これで心置きなく送り出せる。壮介はひとつため息をついて、マグカップのコーヒーに映る自分の変な顔を眺めた。

 相内さんは、キャリーバッグを閉じて立てた。リュックを背負う。準備が完了したらしい。壮介もソファから立ち上がった。駅まで送る。

 相内さんのとなりを歩きながら、キャリーバッグを転がす音が耳触りで気になる。古いアスファルトの上を転がすとよけいに大きい音がするものだ。壮介は嫌いだからキャリーバッグをもっていない。

「同棲生活も終わっちゃいました」

「どう。そうですね」

 ガラガラが止まった。壮介も足を止める。

「せいせいしますか?」

「複雑な気分です」

「わたしもです」

 ガラガラが再開する。

「気が合いますね」

「気づいてなかったんですか?はじめから相性バッチリですよ?」

「いや、まあ、認めたくなかったんですね」

「若さですか」

「いや、もうオッサンです」

 駅舎が見えた。

「もう着いちゃいますね」

「出発してしまえば、じきに到着してしまうものです」

「終わりが見えていたから、距離をとってたんですか」

「あずみの言った通りかもしれない。臆病だったんでしょう」

「勇気を出す気にはならないんですか」

「答えられません」

 ガラガラがまた止まった。

「はじめてです。否定の意味の答えられませんは」

「それは、聞き方の問題です」

「そうですね」

 相内さんは、改札の前で壮介に相対した。

「いろいろと、ありがとうございました」

「元気で太田に帰せてなによりです。さようなら」

 相内さんは改札をはいってから、一度振り返って壮介に手を振った。壮介は、軽く手首を反らして答えた。相内さんが歩いてゆく背中を見て、方向転換した。失恋したときと同じような味わいの苦しみが襲ってきた。

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