第26話 事件を解決する(1)
管轄の太田警察署は、太田駅から桐生線で北へ行った三枚橋駅が最寄り駅だ。駅から西に十分くらい歩くと、周りの雰囲気から浮いた建物が目の前にあらわれる。警察と消防だ。周囲は住宅と田んぼしかない。警察と消防だけが、四角くて大きい建物だ。遮るものがあまりないおかげで、東の空に虹がかかっているのがよく見えた。
受付で来意を告げる。しばらく待つと、五階の刑事課窓口で組織犯罪対策係を訪ねるように言われた。なるほど。エレベータの案内板によると、建物は八階建てだ。よく、最上階が留置場だと言う。
エレベータをおりて、天井から突き出ているプレートに刑事課を探す。カウンターで声をかけると、制服姿の女性職員がやってきた。
「すみません。芸大の事件で取り調べを受けている笹井さんの件で、組織犯罪対策係お願いします」
「あちらでかけてお待ちください」
職員が示した方を見ると、背もたれのないベンチがあった。座面に手をついてゆっくりすわる。
「どうしよう、やくざみたいな刑事がきたら。逃げる?」
「わたしなら大丈夫ですよ。久保田さんがついてるんで」
やっぱり逃げよう。
やってきたのは、年配の刑事だった。四十代後半か五十代だと見積もった。やくざみたいなくずれた感じではない。ベテラン教師といったらいいだろうか。いや、合気道の師範かな。全体的にほっそりしているけど、心身ともに強そうだ。刑事は自己紹介した。壮介は名刺を渡し、名刺をもった刑事の手を見ながら挨拶した。向かい合わせにベンチにすわる。
「笹井さんは、どういったことで取り調べを受けてるんでしょうか」
「捜査上の秘密です」
「薬物ですよね」
「薬物事犯は組織犯罪対策係が担当する事件のひとつではあります」
どうやら、話の通じない人種ではないようだ。
「クスリなら、たぶんまだアトリエにあると思うんですけど」
「うそ」
横にいる相内さんは、驚いた表情をしている。
「それは、確かですか」
疑う気持ちはわかる。刑事の顔を見たら、全部本当のことを話してしまいそうだ。いつもどおり、手元を見て会話する。
「いえ、たぶんです。さっき、アトリエの部屋を見せてもらったんですけど。あ、ここにいる相内さんが学生で、笹井さんの友達なんです。相内さんが、鍵を借りてアトリエを見せてくれたんです。
そのときは阿久津さんと降谷さんの死亡についての事件で笹井さんが事情を聴かれているんだと思ってたんですけど、いま警察にきたら組織犯罪対策係の担当だというので、クスリ見つかってないからだとわかりました。そうすると、阿久津さんがどこにクスリ隠してたかわかればいいってことかなと思うんですけど、ちがいますか?」
「阿久津さんの死因を?」
刑事は咳払いした。
「いや。まあ、でてない。アトリエからも阿久津さんの部屋からも」
「そうすると、事故じゃなくて未必の故意とか、保護責任者遺棄を考えないといけない。その人物がクスリをもちだしたと考えられる。一方、笹井さんはのぞき趣味でいろんな部屋の合鍵をもっていた。事件の日もどうやら部屋にはいりこんでいた。一緒にクスリをやっていたと疑われる人物が浮かんでこないことから、笹井さんがクスリをもちだしたのかもしれない。ということで笹井さんが取り調べを受けてるんですよね」
「可能性は大いにあると睨んでます」
「でも、誰か阿久津さんと一緒にクスリをやっていた人物が浮上するかもしれないし、阿久津さんがうまく隠していただけかもしれない」
「どちらの線も捜査済みです」
目つきが鋭い。会見打ち切りかと心配したが、刑事の心はそれほど狭くはなかった。
「笹井さんは、アトリエに忍び込んだことは認めてるのかな。でも、クスリのことは知らないと言ってるんでしょう?」
「捜査上の秘密です」
「一緒にアトリエ行きますか?それとも、探してもってきましょうか」
「いや、それは困ります」
少し考えている風だ。笹井さんをこのまま取り調べることと、壮介の話に乗ることを天秤にかけているのか。
「一緒に行きましょう」
「笹井さんも一緒にいいですか?見つかったらそのまま大学から帰りたいんで」
刑事がうなづく。
「身柄拘束しているわけではないのです」
ベンチでしばらく待つと、笹井さんが連れてこられた。相内さんと抱き合う。ふたりが視線を交わす。壮介は笹井さんと、はじめましての挨拶をした。
警察の車で大学に戻る。運転するのは、年配の刑事の相棒と思われる若い刑事だ。壮介は助手席に、相内さん、笹井さん、年配の刑事という配置で後部座席にという具合で覆面パトカーに乗り込んだ。
車は、絵画科の建物のまえに駐車した。夕方の空は晴れていて、飛行機雲が輝いている。
警備員室で借りた鍵を使ってアトリエにはいる。
「そうそう。このアトリエ、呪われているそうです。あとで苦情言われても困るので、その覚悟をして入室してください」
「ははっ、まさか」
「そっか、もう手遅れでしたね」
若い刑事の反応を見て、壮介はアトリエを共有していた大学院生の話はしないことにした。相内さんは複雑そうな顔をしている。
照明をつけて、全員が呪いのアトリエに入室する。ドアが閉まった。
「そういえば、床にランチパックの袋が落ちてなかったですか?」
床に視線を落としてアトリエ内を進む。
「押収物の中に」
「ピーナッツ味ですか」
「そうです」
意図を計りかねているという感じだ。
「阿久津さんが食べたんでしょうね」
「関係ありますか?」
胃の内容物までは、つっこみすぎだったようだ。
「いえ、雑談です。いろいろな味のがありますよね、今は。私は、オーソドックスにピーナッツ味しか食べませんけど」
刑事さんは?と聞こうとして、慣れ慣れしいかと考え直してやめた。
「作業しながら食べるのにいいでしょうね。芸大生はよく食べるのかもしれません」
阿久津さんが使っていたと思われるスペース。
「心当りがあるようでしたが」
「はい」
刑事がなにも故障を言わないということは、ここが阿久津さんのスペースということであっていたのだろう。
「相内さん。ハンマーないですか、そのへんに」
「たしかありましたよ。必需品です」
相内さんはガチャガチャと小物入れの箱の中身をかきまぜて、中からハンマーをとりだした。ハンマー部分がこぶし二個分くらいある。
「もちろん、人に見られたくないものはこいつに隠しますよね」
ハンマーをコスタ・アラベスクと名付けられた巨大オブジェに向かって振りかぶる。
「ああっ。それ、ウン十万、いや百万いっちゃうかも!」
ハンマーをオブジェに叩きこむ直前で腕を止めた。
「おっとっとぉ。危ない危ない。そんなにしますか、これ」
「もともと阿久津さんの作品だし、それに、亡くなったから値段が」
「そりゃそうです。阿久津さんだって、隠したもの取り出すのにいちいち自分の作品を壊すわけありません」
ハンマーを相内さんに返す。
「久保田さん、この中になにか隠してあるっていうんですか?」
「そうですよ」
「どうやって?入れるときは、わかりますけど。作ってる途中でいれられますよね。でも、出すのは無理です。さっきみたいにハンマーで叩き割るしか」
年配の刑事は無言で見守っている。
「きっと、こうしたんです」
頭をオブジェの下側のすぼまった部分に突っ込み、オブジェに腕をまわして取りつく。体が痛い。よっこいせと掛け声をかけて力を入れる。あっさりオブジェが持ち上がった。
「すごい」
相内さんの声が、壮介の耳にも届いた。腰をひねり、オブジェを台からおろして床に安置する。
「あいたたた。あー、筋肉痛がキタ。ああ、ありましたね。よかった。アテがはずれなくて」
「うそっ」
相内さんが口を手で覆った。目は一点を凝視している。オブジェののっていた台には、小さいバッグが残っていた。刑事が中身をあらためる。
「それっぽいですか」
刑事がうなづく。目がこわい。
「このオブジェ、見た目コンクリートかと思いますけど、フレスコ画なので漆喰なんですね。コンクリートよりだいぶ軽い。中の骨組みも鉄筋じゃなくて竹とかでしょう。それでも、思っていたよりは重かった。それにもちづらい。筋肉痛がツライ」
腰に手をあてて反らしてから、オブジェの張り出した円盤部分を手の平でペチペチ叩いた。
「久保田さんフレスコ画詳しいですね」
「職場の人に聞きました。奥さんがミステリ好きらしい」
「あとでマッサージしますね」
「遠慮します」
「なんでですか」
「襲われそうだから」
「そんなことしません」
「本当に?」
「たぶん」
相内さんはそっぽ向いた。剣呑だ。
「警察ですでに調査済みかと思いますが、阿久津さんスペインに留学の経験があります。中身は、留学先で手に入れてもって帰ったのだと思います」
刑事が黙ってうなづいた。若い方の刑事が写真を撮ってバッグを押収する。
もう一度壮介が巨大オブジェを持ち上げて、台の上にもどした。
「じゃあ、これでいいですか。帰っても」
「協力ありがとうございました。聞きたいことができましたら、よろしくお願いします」
壮介は相内さんに驚いたでしょうといって、ウィンクした。
「じゃあ、笹井さんもいただいていきますね」
「ご協力ありがとうございました」
笹井さんは軽く一瞥して踵を返した。先に廊下にでてしまう。壮介たちもあとを追う。
「ひどい目にあいましたね。懲りましたか?」
笹井さんは壮介と相内さんを交互に見くらべた。
二人の刑事は先に去り、相内さんが元通り鍵を閉めた。
「ありがとうございました」
「わたしからも、ありがとうございました。まさか一日で解決してくれるとは」
「礼なんていわなくていいですよ。それに、おれも助かったって感じです。肩の重荷がおりて」
「約束しましたからね」
「せっかく太田だから、札幌ラーメン食べて帰りますか」
「まえのところですね」
「そう」
「おいしいんだよ」
「うん」
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