第25話 探偵ごっこ(2)
せっかく警備員室で管理しているのに、誰でも簡単に鍵が借りられてしまったらセキュリティはないも同然だ。相内さんによると、学生証の磁気を読み取り、貸出理由を登録することで鍵を貸し出してもらえるということらしい。なにかあれば簡単に借りた人を特定できるようになっている。院生は自分が使用しているアトリエの鍵を借りた人があるとメールで通知を受け取れる。
向かった先は、相内さんの通っている建物のとなりだった。ペンギンのオブジェを見せてもらったときに見上げた、ぶっ飛んだ人たちの巣だ。
「ここは、油画科って言ってませんでした?」
「壁画は大学院からなんです。絵画科の油画をでた人が、壁画にわかれてやってくる感じです。それで、アトリエも同じ建物ってわけ」
「そうすると阿久津さんと降谷さんは同じ建物だったんですね。もう一人の女子も。三人ともか」
「そうです」
降谷さんがピッキングしたというドアの鍵を、相内さんが開ける。なんとなく感慨が湧く。
「ここが呪いのアトリエといわれてるところですね」
「もう!やめてくださいよ。考えないようにしてたのに。久保田さん一人ではいってください」
「いいですよ。狂人のように叫び出したら助けてくださいね」
相内さんは、すっぱいものを口いっぱいに放りこんだようだ。ドアをスライドさせて中に踏み込もうとしたら、後ろに引っ張られた。相内さんがシャツの背中を両手で握っている。
「一張羅のシャツがクシャクシャになるじゃないですか」
「あとで洗ってアイロンかけます」
「ありがとうございます。どうしますか、一緒に入るなら、絵は見ないようにしてください。見ないつもりでも目に入っちゃうかもしれないけど」
シャツをつかむ手にさらに力が加わった。
「じゃあ、行きますよ」
まさか本当に呪いを怖がっているのだろうか。からかいすぎてしまったかな。人がふたり死んでいた場所だから不気味だということがあるのかもしれない。壮介には人の死体も動物の死体のうちだという感覚しかない。
アトリエは天井まで二階分くらいの高さがあり、奥行きも幅から想像する二部屋分くらいある細長い部屋だった。とりあえずキョロキョロしながら奥まで進む。奥は手前とちがって片付いていた。阿久津さんの片づけ好きのせいもあるかもしれないけど、警察が押収していったからというのもあるだろう。壮介は、奥側が阿久津さんのスペースだとアタリをつけた。折り畳みイス、空のイーゼル。小道具が大量に入った木箱。そんなものが目についた。そのあと目を奪われたのは、巨大なオブジェのようなものだった。デカすぎて認識に時間がかかったのかもしれない。
「なにこれ。デカい、壺?」
「なんでしょうね。意味わからないものつくる人多いですよ」
「さすが芸大」
相内さんも横にきて見上げる。高さは四メートルくらいありそうだ。
上下の真ん中は円盤が水平になった状態で外側に張り出している。円盤から変形した筒みたいなものが上下にでている。下側の筒はオブジェの足を兼ねていて、厚さ三センチくらいの黒い石の台に立っている。筒はそれぞれ、上下の真ん中あたりに向かってギュッとすぼまっている。すぼまったあとにまた急激に広がる。円盤には急激に広がった部分が滑らかに接続している。全体に模様が描いてある。
これはなんだろう。デカい壺なのだろうか。それなら、上の筒と下の筒はつながっているということか。
オブジェの台には、金属のプレートがついていた。「コスタ・アラベスク」。オブジェに描いてある絵は、幾何学模様と植物の模様だ。これがアラベスクなのだろう。ということは、壺みたいなこのオブジェのことをコスタというのか。
壁画科の作品だから、これは壁画だ。つまり、主役はオブジェではない。オブジェに描いてあるアラベスクのほうなのだ。
巨大なオブジェ、それを埋め尽くすアラベスク。
コスタ・アラベスクの奥はアトリエの壁になっていて、天井に近い上部に換気用の窓がある。窓を開け閉めする装置が、腰の高さの壁に埋め込んであった。壮介は試しにボタンを押す。ガチッと機械的な音がして窓が全開になった。見上げると埃が舞い落ちてきた。
「もう、脅かさないでください。死んだらどうするんですか」
「線香あげに行きます」
「キスして目覚めさせてください」
「ロマンチックな気がするけど、死体とキスですか。ちょっと尻込みしますね」
「じゃあ、ゾンビになって唇を奪います」
「うっ、リアルな想像してしまった。恐ろしい」
「わたしのゾンビ、恐ろしいなんて言わないでください」
相内さんはむくれてしまった。いや、誰のゾンビでも恐ろしいと思うけど。女心はむづかしい。
ハンドルを回して、窓をキッチリ閉めた。視線を窓からずらして天井をたどってゆくとエアコンが埋め込まれていた。金子さんが小学校にだってはいっていると言ったやつだ。金子さんから聞いたことは、これで確認できた。
「相内さん、こっちの奥側が阿久津さんのスペースでいいんですかね」
「たぶん。手前はちがいそうです」
アトリエにきたことがなかったのか。いや、とぼけただけだろう。
手前側のスペースをあらためて見ると、棚とか机の上とかが雑然としている。きっと警察も手をつけていない。なにより、コスタ・アラベスクのような突拍子もない作品はなさそうだ。
「呪いの絵っぽいのはないですね。適当にその辺見てて大丈夫ですよ。おれも勝手に見るんで」
相内さんはキョロキョロしながら離れていった。
巨大オブジェを近くでよく見たいと思うけど、むづかしい。オブジェに近づこうとすると、まず頭を円盤にぶつけそうになる。かがんで近づこうとすると、急激に広がった筒が足元に引っかかる。どうやって見たらいいのかわからない。遠くから眺めるのが一番よさそうだ。
いまはオブジェを鑑賞することが目的ではない。下側のすぼまっている部分に頭をいれて円盤を下からのぞくと、穴があいていた。その穴は上に向かってのびた筒部分につながっているらしいことがわかった。筒の内側の壁とアトリエの天井が見える。
下からのぞいて見える部分にも隙間なく模様が描かれている。頭を突っこんで描いたのだろう。よくこんな曲面にうまいことつながるように幾何学模様を描けるものだ。これに絵を描くのは、腰痛との闘いでもあったはずだ。作業を想像すると、壮介はそれだけでうんざりしてしまった。
反対側を調べると、同じように穴が開いていた。上にのびている筒はひとつだから、はじめの穴とつながっているということだ。
壮介は違和感に気づいた。穴の内側の模様が、さっき見た反対側の模様と違っている気がした。もう一度まわりこんで、最初に見たほうの対応する部分を見る。やっぱり違う模様が描いてあった。こっちは、大きめの丸っぽい模様が中心あたりに描いてあるのに、反対側は波打った横棒だけだった。対称になっていないのは、陽明門みたいなものだろうか。腰をまげてすぼまった部分に頭を入れないといけないから、見るだけでも腰が痛い。筋肉痛にひびく。
「相内さん、こういうのって芸大でよく作るんですか?」
相内さんの姿は見えない。
「はじめて見ました」
当然あるだろうと思って探したら、案の定脚立が見つかった。脚立にのって円盤の上側を身を乗り出してのぞく。円盤に触っていいものかわからず、手をかざすだけにして触らずにおく。上側の筒の張り出しのせいで円盤の中心方面は照明が当たらずうす暗い。のぞいた範囲ではわからないけど、ある種の対称性があるらしい。なんという対称性かわからない。オブジェの中心を通る床に垂直な軸で九十度回転のあと、円盤のある水平面で面対称という対称性だ。
脚立に立って振り返ると、相内さんは棚に納まっている阿久津さんの作品らしい絵を引き出しては熱心に鑑賞していた。呪いはもう気にしないことにしたのだろうか。
いまの状況、壮介の仕事にはうってつけの好条件だ。
壮介は脚立にのって、円盤の上側から中心方面に向けて手を伸ばす。
「相内さん、これ掃除どうやってするんですかね。埃がたまりそうですよ」
オブジェに反射してくぐもった声になった。
「何もしないんじゃないですか、百年くらい。壁画なんてそんなものでしょう?」
絵に夢中でこちらに見向きもしない。
「はたきくらいかけないのかな。ま、いいや。おれが掃除するわけじゃないから」
手に残ったタオルをバッグにしまう。バッグを背負いなおして脚立を降りた。脚立をもとあった場所に返す。出しっぱなしにしたら片付け好きの阿久津さんに祟られそうだ。
「その絵は、壁画に描くまえの練習の絵ですね」
「はい、習作だと思います」
「すると、同じ絵が描かれた壁画がどこかにあるんですかね」
「そうかもしれません。これから描くはずだったのかもしれないけど。ちょっと。見ないでください」
背中で絵をかばうようにして壮介から隠した。
「え、なんでですか。おれも阿久津さんの描いた絵見たいですよ」
「女性のヌードですよ。しかもここの学生の。見たいんですか」
「学生の?モデルを雇うものじゃないんですか。ヌード。うん、見たい。相内さんのはないんですか」
「ありません」
触れたら斬れそうな、鋭い視線だった。壮介はスンデのところでかわした。
「遠慮しておきます」
アトリエに入ってはじめにチェックすれば見られたのに。絵は壁にかけてあるものかと思っていたけど。壮介は気が小さく焦っていた自分を恨めしく、絵が見られないことをかなり残念に思った。これが呪いか。
「作品を制作中だったかもしれないのか。大学院生も課題があるんでしょう?」
「課題というか、修了のためにポートフォリオを提出して審査をうけるみたいです」
「ポートフォリオってなんです?」
「いままでに作った作品のアルバムです」
「なるほど。この巨大なオブジェを提出しますと言って教務に提出したら、ひどいことになりますからね」
身振りを見て、相内さんは笑った。
壮介の仕事は終った。アトリエ内を眺めわたす。警察が捜査したあとだからか、きれいさっぱり。目に付くものはなにもない。
「呪いの絵は見つからなかったですね、たぶん」
「そのへんの床にランチパックの袋が落ちてたんですけど」
「そう?気づかなかった。下を見てなかったな。蹴っ飛ばしてどっかやっちゃったかもしれません」
床の上をさっとチェックした。なにもない。
「警察が必要なものはもう押収してるはずだから、いいか。なかったことにしてください」
相内さんが、不安そうな顔をしている。
壮介は知らんぷりしておいた。次は警察に行ってみる。
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