第23話 イチからやり直し

「久保田くん、飼育員室で話を聞いたら?」

「そうですね、お邪魔しました」

 富田さんの言葉にしたがって、相内さんを飼育員室に通した。すこしのあいだ相内さんを放置して、壮介はそろそろと体をいたわりながらバックヤードを進む。非常灯に照らされて緑色の顔をした金子さんがいる。

「金子さん、機械大丈夫です」

「そうか。また、切り替わるときに頼むぞ」

「はい」

 説明が面倒だから、相内さんがやってきて報告が遅れたことは言わない。

「それから、芸大の事件ですけど。その後進展があったとか、奥さん言ってました?」

「なんの進展もねえんじゃねえかな。なんもいってなかったぞ」

「奥さん犯人がわかったとかも」

「ねえな」

「ありがとうございます」

 事件についての情報が得られるかと期待したんだけど。進展がないというのもひとつの情報ではある。

 壮介は照明の消えた飼育員室にもどった。相内さんは膝に肘をつき、組んだ手を額に当てて頭を支えている。友達が警察に連れていかれたことがショックなのだろう。給湯室でポットからコーヒーをいれる。

「相内さん、大丈夫ですか」

「はい、すこし落ち着きました」

 相内さんにコーヒーのカップを渡す。ちょうど電気が復旧して、照明がついた。エアコンをつける。相内さんをもう少し待たせなければならない。もう一度機械の見回りをする。バックヤードを駆ける。金子さんに異常ないことを報告して飼育員室へ戻ると、相内さんがコーヒーを口にしていた。

「で、なんで、おれなんですか?」

 おっかなびっくりイスに腰かける。

「だって、久保田さん、理系でしょう?」

「まあね。理学研究科生物学専攻博士課程前期修了です」

「そしたら、事件も解けるでしょう?」

「それ、全国の警察を敵にまわすセリフですよ」

「だって、ガリレオは理系だから事件を解いちゃうんでしょう?」

「ガリレオ?ピサの斜塔の?」

「ピザのシャトー?なんです?それ」

「さっぱりわからない」

「それです」

「なにが?いや」

 相内さんの言うガリレオというのは、壮介の知っているガリレオではないようだった。孫とかかなと、あてずっぽうに予想した。それならガリレイか?まあいい。

「あずみになにか吹き込まれました?」

「あずみさんが?なにかあるんですか?」

「何も聞いてないならいいんです。そういえば、あいつ、いつ帰ってくるんだろ。夏休みってそんなにとれるものなのかな」

「あずみさんの仕事って、なんですか?」

「公務員」

「ふーん。暇なのかもしれませんね」

 相内さんは、理系というものを勘違いしている。壮介は、まずその誤解を解かなくてはならない。

「おれがぜんぜん名探偵なんかじゃないところを、見せてあげましょう」

「脱ぎますか」

「なぜ脱ぐことになるんですか。脱いだって名探偵かどうかわからないですよね。おれの考えを話します。さっきまで考えていた事件の全貌はこうです」

「すみません、その前にお願いが」

「なんでしょう」

「もう一度、沙莉って呼んでください」

「阿久津さんは、モデルを使ってデッサンしていた」

「無視か」

「なんらかのトラブルで、モデルが阿久津さんを手近の鈍器で殴り殺す。モデルは、凶器をもって逃走する。たぶん照明は消したんだと思います。でも、鍵はかけなかったんでしょうね、阿久津さんと一緒に鍵見つかったんだから。鍵かける必要もないし」

「でも、密室だったんじゃ」

「まあ、聞いてください。阿久津さんが殺されて、降谷さんがやってくる。鍵は開いてるけど、そのことに気づかずにピッキングして鍵をまわす。鍵開いてるじゃないかと思って、アトリエにはいる。このとき中から鍵を閉めます。進入しているときにほかの人間にはいってきてほしくないですからね。で、なんかの理由で心臓発作を起こして死ぬ。もともと心臓弱かったところに血を流した死体を見てしまったショックで心臓止まったとか。発見時、照明はどうだったんでしたっけ。この推理の場合、降谷さんに阿久津さんの死体を見せたいから、懐中電灯を使ったことにしましょう。ケータイのライトでいいか。侵入しているのがバレないために照明はつけない。

 翌日、阿久津さんが死んだと報道される。モデルの人は、殴っちゃったけど、もしかしたら生きているかもしれないと希望をもっていた。でも、死んだとわかって自殺をはかった。密室で。モデルの人が、事件の翌日に頭から血を流して倒れていたという学生です」

「阿久津さんと同じアトリエの人は?」

「それは、たぶん別です。それだけ呪いですね」

「呪い。本当にあるんですか」

「まあ、外見上は」

「はあ」

「どうです?これでは、相内さんの友達の出番がないですね。間違った推理です。ぜんぜん名探偵じゃない。名探偵は、中途半端な推理を話さないものだし」

「ううん。十分すごいですよ、久保田さん。やっぱり理系の人はちがう」

「相内さんの友達が警察に連れていかれたとすると、いま話したことは間違っていたことになります。事件を考え直さなければならない」

「どういうことですか」

「それから、女子学生の事件のあと、どうも新しい発表がないみたいですね」

「そういえば」

「それを考えた場合、阿久津さんの死因は、やっぱり殴られたからではないと考えるべきです」

「なに言ってんですか?」

「別の原因で死んだ。病気か事故。つまり、殺人事件なんて起こってない」

「殺人事件じゃない?」

「そう。警察は殺人事件として捜査してないから、捜査の進展について報道がないと推理するんです」

「ついていけません。結局、どういうことになるんです?」

「うーん。モデルだったと思われる女子学生は自殺をはかる必要なかったかな」

「咲名ちゃんは?」

「相内さんの友達ですか?サナちゃんていうのは。なんだろう。まだわからない。阿久津さんか降谷さんの死因に関係しているのかもしれない。それとも、女子学生のほうかな。殺人じゃないのに、死因にどうやって関係するのかな。まったくわからない」

「そんな」

 壮介は、事件についてなにもわかっていないと結論した。

「どうしようかな。現場を見てみますか?それか、警察に行ってみるか。いや。そのまえに、相内さん、知ってること全部教えてください」

「その前に、もう一度沙莉って呼んでください」

「断る」

「ひどい。でも、解決してくれるんですね」

「善処します」

「わたしのために。愛ですね」

「」

「なんで黙るんですか」

「うまく返せなくてすみません」

「あやまらないでください。みじめになります」

 そろそろ相内さんに太田に帰ってもらおうと思ったのに。すこし延期するしかないか。

 相内さんの知り合いが死に、今度は友達が警察に呼ばれた。相内さん自身が事件に関わっていなければいいけど。またそんなことを考えて、壮介の心は曇り空だった。

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