第21話 デートをしてしまった(3)

 壮介はそばを食い、相内さんはカレーうどんを食べて部屋の前までもどってきた。相内さんがちょっと待ってと言って、玄関先に壮介を放置した。

 廊下の手すりに手を置いて脱力する。目を閉じる。このまま寝てしまいそうだ。手の甲に額をつけて頭を支える。体が下に落ちていく。そんな錯覚がある。遊園地での恐怖体験のせいにちがいない。

 玄関のドアが開く音がして、頭をあげて振り返る。


 相内さんの浴衣姿。


 下駄がカランコロンと作り物の音をさせる。右手が、上前の端をつまんでめくる。左足が前に出る。くるぶしが、のぞく。

「惚れなおしました?」

「はい。素晴らしいです。よく似合ってます。地獄から天国にやってきた気分です」

「ふふふ。気づかなかったでしょうけど、ずっと天国にいたんですよ」

「その通りですね」

「少し歩きません?」

「ぜひ」

「態度が違いますね」

「人間ができてないので。すみません」

 相内さんの手を引いてアパートの階段を降りた。

「ちょっとここで、よく見せてください」

 壮介は少し距離をおいて、相内さんの浴衣姿を鑑賞した。浴衣は、濃い青紫の地に白抜きで花と曲線の柄だ。曲線は水の流れをあらわしているらしい。帯は明るく薄い水色。帯の上から黄色い紐を締めていて、素晴らしいアクセントになっている。

「素晴らしいですよ」

「光栄ですわ」

 こんな素晴らしいサプライズがあるなら、遊園地なんて行かずに浴衣でどこかへ出かけた方が何倍もよかった。もったいないことをした。

「浴衣でどこに行って、なにしたらいいんですかね」

「さあ。おまかせします」

「なんだろ。縁があるかき氷屋でかき氷とか」

「いいイメージですね」

「行ってみますか?水族館のほうですけど」

「はい」

 ポクポクと歩く浴衣美人と手をつないでゆく。壮介の心臓は高鳴っていた。水族館のある通りまでくると、人通りがあった。

「久保田だ。デートしてる!」

 声をあげたのは、美作さんだった。

「おれ今日週休だから」

「そっか。お楽しみだね」

「お仕事、お疲れ様です」

「うむ、苦しゅうない」

 美作さんは敬礼した。セリフとちぐはぐだ。

「これからかき氷食べに行くんだけど、どう?」

 美作さんは手で両目を覆って首を振った。

「久保田はバカだな。女がデートの邪魔するわけないだろ」

「そうか」

「相内さん、浴衣バッチリ似合ってるよ」

 相内さんに向かって親指を立てた。

「ありがとうございます」

「じゃあ、楽しんでね」

 美作さんは駅に向かって歩き去った。相内さんは、不機嫌そうな顔をしていなかった。

「よかったですね。女性から見ても似合ってるって」

「敵に塩を送るってやつですね」

「敵じゃないでしょ?」

「女の戦いは男にはわからないものです」

 かき氷屋は閉店間近だった。おばちゃんにミルク宇治とマンゴーミルククリームのかき氷を注文した。店の外にある縁側風の木の台にならんですわる。目の前のテーブルにはビニールのシートがかかっている。

 マンゴーミルククリームのかき氷がやってきた。黄色いシロップがかかったかき氷の上にバニラアイスがのっている。浴衣姿の相内さんが、シロップのたっぷりかかった氷をスプーンですくって口に運ぶ。なんとも風流だ。もう一度すくって、壮介に食べさせた。マンゴーの甘い味にミルクが加勢して、甘々だ。気分も甘々になった。

 ミルク宇治のかき氷も運ばれてきた。ザクザクと氷をほぐして、ミルクとお茶シロップのかかった部分を食べる。苦みと甘み、氷がすっと解けていく感触。ワビサビの世界には届かないが、気分だけ味わえる。お返しに相内さんにも食べさせる。

「氷が、大きいのを削ったやつだから、ふんわりしていて軽いですね。口の中ですぐに解ける」

「おいしいですよ」

「ありがたきお言葉。痛み入ります」

「久保田さん、劇とか好きなんですか?よくそんなセリフがすらすらでてきますね」

「劇は、見たことないですね。学校とかで強制的に連れられて見たことはあるかもしれないけど」

「なんでそんなに口がうまいんですか」

「うまくありません。いつも言葉につまって相内さんにツッコまれてます」

「そんなこと」

「相内さんも、ドラマとか物語みたいでしたよ。今日のサプライズ」

「成功ですか」

「大成功です」

 かき氷を頬張る。

「あ、つめてっ」

「ゆっくり食べてください」

「解けるじゃないですか」

「解けない程度でゆっくりです」

「むづかしい。それで、浴衣はどうしたんですか。買ってきたんですか」

「そうですよ?実家まで取りに行きたくないので」

「ディスプレイされてるの一式とかいう買い方ですか?」

「バカにしてます?」

「なんでですか。服なんかはよくディスプレイされてるやつとってもらって買いますよ」

「自分で全部選びました」

「そうなんですね。すごくセンスいいですね」

「当たり前です。芸大生ですよ」

「そうでした。失念しておりました。いやー、それでも見事ですよ」

 写真撮らせてくださいと言って、いつもバッグにいれているコンパクトデジカメで撮影した。

「ちょ。いま、かき氷を手前にいれて撮りましたね」

「ダメです?」

「思いっきり食いしん坊な写真じゃないですか」

「かき氷もオシャレな感じだし、いいかと思ったんですけど」

「なんか、褒められたのが嬉しくなくなってきました。久保田さんのセンスを疑います」

「ダメかー。じゃあ、神社とかですか」

「まあ、悪くないですね」

「でも、もう真っ暗だからやめておきましょう」

「やめちゃうんですか」

「真っ暗で写真撮れないですよ」

「このあとどうするんですか」

「人通りの多いところを通って帰りましょう」

「せっかく着たのにもう脱ぐんですか」

 相内さんの目が、壮介の目を読む。

「いま、エッチなこと考えたでしょう」

「えっ?」

「やっちゃいます?お代官様」

「そちも悪よのう」

「それじゃ越後屋です、わたし」

「フリが悪いんですよ」

「じゃあ、何ていうんですか」

「町娘はお代官様を誘ったりしません」

「それはもういいです。お代官様ごっこしますかってんです」

「いや、それはちょっと」

「なにビビってんですか。夢を壊すようですけど、下着きてますからね」

「そうなんですか?ヒドい」

「あまり見せたくない姿ですけど、和服用の下着があるんです」

「夢も希望もないですね」

「なんですか、人生の絶望を味わってんですか」

「浴衣と言ったら、こう、脇のところから手を差しこんだら、おっぱい触れるんじゃないんですか」

「試してみます?」

「いや、まあ遠慮します」

「実は、下着のせいで直接は触れません」

「そうなんですね」

「なんで、触らないのに目をうつろにしてガッカリされなくちゃいけないんですか」

「男のロマンです。手で触ることはできないけど、何億光年かなたの銀河に思いをはせるわけです」

「いや、すぐここにありますけど」

「そう言っちゃうところが、わかってないんです」

「まったく、わけわからない」

「いいんです。男の子の心はガラス細工なんです。簡単に割れて砕け散ってしまうんです」

「大げさですね。女の人の胸触ったことあるんでしょう?」

「ノーコメント!ノーコメントです」

「はあ。もしかして、わたしのことも何億光年かなたの存在だと思ってます?」

「手をつないだじゃないですか。ほら。ちゃんと近くに感じてますよ」

 スプーンを手から放して、相内さんの手を握った。

「ならいいんですけど」

「あ、店閉まります。あと少し。食べきっちゃいましょう」

 相内さんと壮介は、口の中を冷たくしながら最後のかき氷を食べきった。

 せっかくだからもう少し浴衣を堪能しようということで、駅まで商店街を往復することになった。いまの時間、開いているのは飲食店くらいなもので、歩いても面白くはない。

「足痛くならないですか?」

「おんぶですか?」

「いや、引き返さなくて大丈夫かという意味です」

「むう」

「ドラマかなんかの見すぎです」

「なら、大丈夫です」

「浴衣でおんぶってむづかしくないですか。股開かないでしょう」

「やってみます?」

 壮介は、周りを見渡す。照明の明るい商店街、人っ子一人いないというわけではない。

「リクエストなら、家の近くまで行って、人通りがなくなってから受付けます」

「足が痛くなったら?」

「もう引き返しますか?」

「なんでもありません」

 壮介はすでに筋肉痛がはじまりかけていて、体のあちこちに痛みを感じた。おんぶ、できるだけしないで済ませたいという気分だった。

「今日は人生最悪の一日であり、人生最高の一日でした」

「最高だけにならないんですか」

「全部相内さんのおかげです」

「複雑な気分です」

 ケータイで時間を見る。イルカのストラップ。

 壮介は芸大で起きた事件の全体像が見えたつもりでいる。事件は、おそらくもう終わった。

 相内さんには太田か高崎に帰ってもらおう。相内さんと壮介を結びつけるものは、もうない。会うこともなくなるだろう。最後に最高にいい思い出ができた。

 店が閉まり、人通りもまばらな商店街の雰囲気と相まって、寂しい気分だった。

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