第20話 デートをしてしまった(2)

 動物園を出て、海岸沿いの道に出る。シーフードが食べられる店にはいった。案内されたのは、窓際の海が見える席だ。

「地中海料理なんですか?ここ」

「いや、地中海とは書いてなかったですね。気のせいかもしれない」

「大丈夫です」

「海を見ながら、美女とシーフードなんて、すごい贅沢だな」

「いまなんて?」

「贅沢だって」

「その前」

「その前?地中海料理じゃないかもってこと?」

「そうじゃなくて。美女って」

「ああ、美女と食事するのはいいですよね。相内さんも、どうせなら美男と食事したいでしょ」

「わたしのことじゃないんですか」

「相内さんのことですよ?」

「本当ですか?」

「美女でしょ?」

「はい」

「言われ慣れてると思うけど」

「そんなことありません」

「そう?おれに言われても嬉しかったりするんですか?」

「もちろん」

「じゃあ、積極的に言っていきますか」

「お願いします」

「相内さん、キレイです」

「はい」

「ビューティフォー」

「もっと」

「エクセレント。あーと、えーと。すみません。ボキャブラリーが尽きました」

「ええ。わたしもあまり知りません」

「一番のチャームポイントは、目だと思うんです。切れ長っていうんでしょうね、とても魅力的です」

 店員を呼んで注文した。前菜の盛り合わせが一番にきた。

「オシャレですね、牡蠣まで。岩ガキってやつですね、この季節だと。このゼリーみたいのが味付いてるんですね」

 壮介は牡蠣の殻にのった身をトッピングと一緒に一口で食べた。ジューシーかつプリプリ。ポン酢風のサッパリ味がマッチしている。喉ごしも堪能した。

「うまい。次は、なんだろ。タイかスズキのカルパッチョですね。うん、歯ごたえがいい」

 下に敷いてあったオニオンをシャキシャキいわせて噛んだ。盛り合わせは三種類。残りのひとつは、パテというのか、カニの味の濃いペーストだった。

「海はキラキラしてるし、相内さんはキレイだし、料理はうまい。幸せです」

「久保田さん、けっこう恥ずかしい言葉うまいですね。よくスラスラでてくると感心します」

「積極的に言うって言ったじゃないですか」

「悪いわけじゃないけど。よく女の人に言ってるのかなと思って」

「言いませんよ。下手にいうとセクハラになりますからね。相内さんは、許可でてるからです」

「わたしだけですか?」

「そうですよ」

 壮介は都合の悪いことをよく忘れる。きっと高熱を出したからだ。

「そうですか」

「はい」

 次の料理がテーブルへやってきた。シーフードのグリルだ。魚とエビとイカとムール貝が焼いてある。

「うーん、この魚、なにかな。カジキマグロ?なかなか絶妙な焼き加減でいいですね」

 イカも、よく噛んで歯ごたえを楽しみながら食べる。

「イカ久しぶりに食べた気がする。イカって、パスタにはいってないからかな。ペスカトーレにははいってるか。でも、食べるのが面倒だから頼まないんですよね。ムール貝は、この間一緒に食べましたね」

 貝の殻を手で押さえて、フォークで身をとる。

「ムール貝は、焼くより、この間みたいにワイン蒸しがいいですね。身がプリップリでうまかったな」

 エビは両手で殻をとって食べた。

「シーフードは、一人じゃ食べる気にならないけど、美女と一緒なら話しながら手を動かせるからけっこういいですね」

「そうですか、うれしいです」

 壮介は、べとべとになった手を使い捨てのナプキンで拭いた。手はキレイになり、相内さんとの関係も良好になった気がした。親しくなるには一緒においしいものを食べるのが一番だ。最後はパスタで、タコのトマトソースのスパゲティ。

「いやー、地中海かどうかわからないけど、シーフード食べましたね」

「はい、おいしかった」

「デザートも食べますよね。なんにしますか」

「ガトーショコラ」

「迷わないですね。おれはフルーツのタルトにします。コーヒーは、エスプレッソにしよう。相内さんは紅茶?」

「はい」

 壮介は、エスプレッソのあと、ドリップコーヒーを頼んだ。相内さんを目の前に、最高の眺めを楽しみながら、コーヒーをすする。海が輝いている。

「遊園地で何乗りますか」

「なんでもいいですか?」

「なんでもはよくないかな」

「フリーフォールとか、ジェットコースターとか」

「相内さん、考え直しませんか」

「なにを?」

「乗るものです」

「ダメですか?」

「そうですね、加速度系はひとつにしぼりましょうか」

「乗るものがかなり限られますけど」

「眺めて楽しむ楽しみ方もあるんですよ」

「それ、ウィキペディアにあります?」

「いや、ありませんね」

「じゃあ、却下」

「ウィキペディア基準?」

「コーヒー、飲み終わりましたね。行きましょうか」

「え?いまの話は?乗るものは決めないの?」

 壮介は、相内さんに追い立てられて、店をでた。


 遊園地は入場無料。アトラクションごとに券を使って払う仕組みだ。フリーパスもある。壮介と相内さんはフリーパスを買った。なぜなら、ジェットコースター三回分でモトがとれるからだ。相内さんからそれを聞かされて、壮介は体のふるえを感じた。容赦しないつもりだ。

 相内さんに連れられて、さっそくやってきたのは、フリーフォールの列だった。壮介は、フリーフォールの塔を見上げて目眩がした。あんな所から落とされるなんて拷問だ。相内さんは美人の皮をかぶった悪魔だ。

 列はずいぶん長いように感じたけど、待っていたらぐんぐん列が消費されて、あっという間に壮介の番がまわってきた。夏休みなんだから、保護者はもっと子供をつれて遊園地にくるべきだ。

 すわり心地最悪のイス、頭の上から拷問器具のような金属の固定具がおりてきて、体を拘束する。やめてくれと叫びたい。ガタンッという機械の音とともに、壮介がつながれた装置が上昇をはじめる。足が床から遠く離れてしまう。床はついてきてくれないのだ。

 相内さんは、こちらを向いて嬉しそうにしている。壮介は顔がひきつるのを感じた。体はグングン上昇させられる。こんな上のほうまであげられたら、塔がバランスをくずして倒れるんじゃないか。

 眺めは、楽しめない。目の前にガラスがないから、現実感を感じられない。ありえない。この高さでガラス越しでない眺めなど。足もとがすうすうする。

 上昇が止まる。首ががくんと振れる。ああ、首が痛い。これではアトラクションを継続することができない。装置を止めてゆっくり降ろしてもらいたい。そんなことを主張すべき係員は、ここにはいない。これはアトラクションの不備ではないか。どうやってアトラクションを継続して大丈夫だという判断をするというのだ。

 思考は一瞬。壮介の体は、思考を置き去りにして落下した。

 フリーフォールの装置から解放されて地上に降りてきたとき、壮介の足は力が入らなくなっていた。近くのベンチに腰を落ち着ける。

「こ」

「こ?」

「こんな危険な乗り物には、二度と乗らないからな」

「大丈夫ですよ、三回も乗れば慣れますって。さあ、並びましょう」

 壮介は、相内さんの顔を、まじまじと見つめた。なにを言っているのか、理解できない。そうではない、壮介のいったことが相内さんに理解されていない。言葉が通じないのだ。壮介の住んでいた世界ではないのか、ここは。

「さあ。はい、立って」

 壮介は、脇に手をいれられて、立ち上がらされた。そのまま、ふたたび最後尾についた。列は消費され、体を固定される。床は足を離れ、フリーフォールの塔は倒れず、壮介の目の前には、凶暴な景色が遮るものなく飛び込んできた。今度はなんの思考も浮かばなかった。落下した。

「はい、三回目」

「ちょ」

「ちょ?」

「ちょおっと、待ってください」

 なにかおかしい。そうだ。同じアトラクションに何度も乗ったっておもしろくないではないか。

「もう二回乗ったんだからいいんじゃないですか。ほかのにしましょう」

「もういいですか。早く並ばないと、もとがとれなくなります」

「おれの言ったことわかったんですか?」

「ビビりを直したいからフリーフォールに慣れるまで乗るってことですか?」

「ちょっと、待ってください」

「なんですか。もう待てませんよ」

「飲み物でも。ノドが乾きました」

「自動販売機を見つけた子供ですか。もう一回乗ってから買ってあげます」

 壮介は、無慈悲に列に並ばされて、三度目のフリーフォールを体験させられた。もう、体のあちこちが痛くて、ガタガタだった。

 壮介がベンチで死にそうにぐったりしていると、相内さんが飲み物を買ってきてくれた。

「はい、よくガンバりましたね。ご褒美にメロンソーダでちゅよ」

 無言で受け取って、メロンソーダを吸った。ため息がでた。こんなものでダマされてたまるか。

「つぎは、すわってるだけでいいやつにしましょう」

「たいていすわってるだけでいいですよ」

「一回落ち着きましょう」

「はい、いまです。いま落ち着いてください」

「思いっきりせかされてます。もしかして、まだ加速度系の危険なやつに乗るつもりですか」

「危険じゃないですよ」

「以前に、ジェットコースターがレールから外れたり、人が死んだりした事故がありましたよね」

「そんなの日本時代のことじゃないですか。そのあといろいろ厳しくなったし、いまは安全です」

 壮介の肩に手を置く。

「人間のやることだから、まだ漏れがあるかもしれません」

「じゃあ、それもスリルのうちってことで。そろそろ行きますか」

 腕を組んでくる。

「いや、ぜんぜん飲んでないです」

「もう、明るいうちにジェットコースターも三回乗りたいのに」

「なにさらっとすごいこといってるんですか。ジェットコースター乗りませんよ」

「乗ります。苦手を克服すれば、世界が広くなります。自由が広がるんですよ」

 相内さんはセリフに合わせて両手を広げた。壮介は、三文芝居だと内心で毒づいた。

「ジェットコースターを克服して広がる世界はいりません。その部分は狭いままでいいです」

「それだけ口答えできるようになれば、もう大丈夫ですね。さあ、行きましょう」

 壮介は、駄々をこねる子供のように踏ん張ろうとしたけど、根性なしの足腰がいうことを聞かない。ずるずると相内さんに引かれて、ジェットコースターの列の最後尾まできてしまった。

「相内さん、園内を走ってる電車に乗りたいです」

「大人が乗るのは恥ずかしいですよ。ま、ジェットコースターに三回乗ったあとに、ご褒美で一緒に乗ってあげますけど」

「三回?相内さん、動物園でハシャギ過ぎたの、まだ怒ってるんですか」

「怒ってません。おいしいものに釣られて機嫌を直しましたよ。それに手をつないでるじゃないですか」

 つないだ手をちょいとあげて示す。

「あの、ジェットコースターは長いので、三回といわず値引きしてください」

「負かりません」

「相内さん」

「あー、つべこべ言ってると、口をふさぎますよ」

 壮介は、しなびた。

「なんで急に黙るんですか。そんなにわたしとキスするのが嫌なんですか」

「まさか。とんでもない」

「じゃあ、したいんですか」

「答えられません」

「知ってました?久保田さんの答えられませんていうの、答えはバレバレなんですよ?」

 それでも、答えられないものはしかたない。

「今夜も一緒の部屋で過ごすんです」

「だから?」

「おれがブレーキをかけないといけない」

「そんなことが必要なんですか。わたしは成人した大人ですよ」

「まだ二十歳です」

「警察に捕まったりしません」

「楽しい人生が待っています」

「一緒に楽しく過ごしてくれないんですか」

「おれは、そういう時期を過ぎてしまった人間です」

「歳がちがうからですか」

 壮介は、空を見上げた。青い空が広がって、いなかった。鉄骨が邪魔でよく見えない。

「なんじゃこりゃ!」

 相内さんも見上げる。

「ジェットコースター、です」

 額を指で押された。昭和な雰囲気。そんなのん気な状況ではない。言っているそばからコースターが進入してきて、轟音と悲鳴とともにグルングルンすごい勢いでまわって去っていった。

「なんですか、この悪ふざけした鉄道模型のレールみたいなコースは。殺しにかかってますよ」

「死にはしません」

「これには、さすがに乗りませんよね」

「いま並んでます」

「これ?」

「これです」

「ちょっと用事が」

 相内さんが、壮介の手を離さない。デートだからか?

「あの、デートはこの辺で終わりということには」

「今日一日お願いします」

「なんで一緒に乗りたいんですか。人間、死ぬときは一人なんですよ」

「せめて生きている間は一緒がいいですね」

 時間切れ。壮介は、コースターに乗せられ、バーで体を固定されて、無情にもコースターがレールの上を走りはじめる。もうおしまいだ。スピードに乗ってしまうと体がかたまって、歯を食いしばって耐えることしかできなかった。足が床についているから、足を踏ん張ることはできた。

 地獄の数分間を終えて、コースターがスーッとスタート地点にもどってきた。やれやれと思った瞬間、地獄は半分しか終わっていないことがわかった。今度は後ろ向きに走り出したからだ。壮介は、絶望を知った。

 地上に降りてきたとき、壮介の体はボロボロだった。体中に不必要な力をふりしぼって、普段使わない筋肉をフルパワーで酷使した、その結果だった。

「あの、もう体がもたないんですけど」

「本当にもうダメそうですね。しょうがない、一人で乗ってきます」

 壮介は、燃え尽きた灰になって、しばらくベンチに置き去りにされた。

 どのくらい経ったのかわからない。

 相内さんは、何回ジェットコースターに乗ったのだろうか。

 いつのまにか、日が傾いて、

 目の前に相内さんがいて、

 ほっぺにキスしていた。

 これはなんだろうと、ひとりの壮介はうつろな意識で考えていた。

 ほっぺを触ると、ペトペトする。

「あ、拭かないでください。失礼な」

 相内さんの声。手にあたたかいものを感じた。紙コップを手にもたせてくれようとしている。

「ココアでちゅよ。ふーふーして飲むんでちゅよ」

 ああ、またご褒美か。三回乗らなかったけど、もらえたんだ。ぼーっとしているうちに、相内さんが紙コップのフタをはずして、ふーふーして冷ましてくれた。手を添えて口にカップをもってきた。一口飲む。あたたかい液体が喉を通って、胃に落ちるのがわかった。ため息をついて、今度は自分の意志でもう一口。甘くておいしい。

 すこし風がある。海のすぐ近くだから当たり前だ。相内さんがとなりにすわる。ココアを飲む。やっと落ち着いてきた。

 地面についた足がガタガタ震えている。ずっと震えていたのだろうか。ココアのカップを相内さんに渡して、足をさする。足首をまわしてみる。慎重に立ち上がって屈伸。はじめて立ち上がった小鹿になった気分で、倒れないように常に体の傾きを意識しながら。ベンチに浅くすわって、足をのばす。足をさする。普通にベンチにすわる。足のふるえはおさまった。ココアをもどしてもらって、ごくりと飲む。熱い液体が喉を通ってゆく。肩を上げ下げして、首を左右に傾ける。バリバリと耳の奥に音がする。ああ、疲れた。ほっぺに触る。ペタペタする。

「グロスです。色はついてませんよ」

「マンガみたいにリップマークついてるかと思いました。夏なのに、よくホットココア売ってましたね」

「カップの自販機です」

 カップを片手でもって、相内さんの手を握った。

「今日一日ですね」

「まあ、そうです。乗り物は勘弁ですけど。あー、横になりたい」

「貸しましょうか?」

 腿をポンポンと叩く。

「すごくありがたいけど、ベンチで横になるのは気が引けるので。誘惑に負けないことにします」

「大人は難儀ですね」

「難儀な生き物です。そろそろ夕飯の時間ですか」

「そうですね。日が落ちそうだから、そろそろ食べてもいいころかな」

「さっぱり蕎麦がいいんですけど、いいですか」

「じゃあ、わたしはコッテリ、カレーうどんにしようかな」

「うへー。胃をかきまわされたから、もたれちゃって」

「繊細ですね」

「長生きできません」

「じゃあ、カレーうどん食べて体力つけますか」

「もうダメ」

 相内さんは、壮介のとなりで楽しそうに笑った。美しさに見惚れた。そういえば、今日は化粧していたのか。そば屋に向けて、ベンチを立つ。

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