第19話 デートをしてしまった(1)

 デートの日の朝がやってきた。相内さんを起こさないように、そっとベッドを抜け出す。すみやかに準備を整えて部屋をでる。待ち合わせをしたいという相内さんのリクエストに答えるためだ。朝食はカフェでモーニング。

 日本からグンマになって、このあたりもヨーロッパのようになった。ファミレスチェーンや、ファストフード店は撤退し、個人営業のカフェやレストランが増えた。大企業の多くが撤退したのと同様の動きだ。壮介は、外食チェーンが好きではなかったから、すこしも惜しいと思わない。あの手の店は無駄が多い。無駄が嫌いだ。

 待ち合わせ場所には、ジェラート屋を指定した。夏はジェラート、冬にはワッフルとパンケーキの店になる。店外のシェードの下にベンチが置いてある。日陰で涼みながら相内さんを待つ。

「久保田さん。わたし、恥ずかしくなりましたよ。ドキドキです」

 相内さんが姿をあらわした。待ち合わせ場所の伝え方は合格だったらしい。となりに腰かける。

「それは成功ですね。おれもかなり恥ずかしかったです」

「ラブレターをはじめてもらいました」

「おれもはじめて書きました。これを最後にしたいですね」

「それは、最後の女的な」

「なんですか、その昭和な雰囲気は。手書きの文章はもう書かないってだけです」

「ラインですね」

「メール、です」

 額を指で押してやった。相内さんは額を押える。

「おー。なんかそれ、昭和です。いつの生まれですか、久保田さん」

「年寄り扱いしないでください」

「今日は、そんなレトロな雰囲気でデートですね。どこに行くんですか」

「すぐそこの動物園と遊園地のつもりですけど。混むかな。お盆を避ければイケるかと思ってたんですけど」

「そんなお手軽なデートだったんですか」

「移動に時間がかかるのもったいないじゃないですか」

 水族館のとなりに動物園と遊園地がある。移動に時間はかからない。歩いて十五分かからないはずだ。壮介は時間を無駄にしない。

「それとも、電車乗りたいですか?」

「うーん、まずはジェラートを食べて、それから考えます」

「そうですね」

 相内さんはピスタチオ、壮介はカフェラテ味のジェラートを選んだ。デートだから、お互いに食べさせあった。

「電車に乗って、昭和村行ってみます?」

「昭和村って」

「群馬県にありましたよね」

「ただの田舎じゃないですか。行きません、そんなとこ」

「高崎のもっと先でしたっけ」

「上越線で沼田のあたりです」

「さすが、高崎出身」

 相内さんが、ケータイで昭和村を調べる。

「村のサイトに観光情報もない。行ってもなにもないですね」

「ちょっと検索結果見せてください」

 ケータイをのぞき込む。

「ああ、やっぱり。岐阜にも昭和村ありますね。こっちは観光施設の昭和村っぽいです」

「岐阜に、泊りですか?」

「日帰りです。デートなんで」

「もう、いいです。動物園と遊園地で。ジェラート食べ終わったから行きましょう」

 手を出して壮介の紙ごみを引き取り、くずかごへ捨てた。


 国立動物園。水族館の職員は職員証を見せて無料で入園できる。相内さんはチケットを買った。入場ゲートを通過すると、噴水のある広場に出る。たいていの遊園地的な施設はそんな風にできているものだ。入場ゲートでもらった園内マップを見る。

「どうしましょう、こう時計回りに行きますか」

 相内さんに異存はないようだった。園内は、展示動物の生息地域ごとにまとまっている。

 まずはアジアの動物だ。はじめからインド象だった。人気者をこんな入口近くで見せてしまって、あとの展示で飽きられるんじゃないかと、壮介は似たような施設の職員として心配になってしまう。

「いきなり象ですね。デカい。あ、水浴びしますよ。おおっ。水浴びするところはじめて生で見ました。すごいですね。やっぱ、象も暑いんですね」

「久保田さん、動物園好きでしょ」

「あれ?相内さんは好きじゃなかったですか?遊園地に移動します?」

「いや、いいんだけど。なんか、いつもと違う」

「そうですかね。はじめから象だから、テンションあがっちゃったかな」

「象でテンションあがるんだ」

「だって、かわってるじゃないですか、象。鼻長いし、耳デカいし、体デカいし、なんか四角っぽいし」

「はあ」

「いやー、はじめてきたけど、いいですね動物園。近すぎていつでも行けると思うと逆に行かないものですよね。八木山ベニーランドみたいな」

「なんですか、それ」

「ああ、小さい遊園地です」

「わからない。もう、次行きましょう」

 壮介は相内さんに背中を押されて、園路を進む。

「サルじゃないですか。日本とグンマは霊長類の研究が盛んらしいんです」

「」

「オランウータン、すごい存在感ですね。顔が怖い。やっぱりメジャーな動物を生で見ると感動しますね」

「それって、芸能人みたいな?」

「ああ、芸能人に会うとこんな風に感じるんですかね。それは感動するわ。オランウータンは芸能人で言うと誰ですかね。けっこう強面で、でも賢いっていうと。誰だろうな、健さんかな」

 次に声をあげたのは相内さんの方だった。

「わあ、パンダですよ、パンダ」

「正式にはジャイアントパンダですね」

 一頭のパンダが、奥のコンクリート造りの建物からでてきたところだ。ノソノソとこちらへ歩いてくる。と思ったら、途中ですわりこんだ。もう疲れたのか、あぐらをかいている。

 パンダの展示は、屋外の天井のないオープンなスペースで行われている。見物の客は胸くらいまでの高さの塀越しにパンダを見る。塀とパンダのいる場所とは、深い堀で隔てられている。堀といっても水は張ってない。さっきの象の展示と同じだ。客からはパンダのスペースを見下ろすようになっている。

「パンダは中国からのレンタルなんですよね」

「あ、また歩き出した」

「繁殖して生まれた子供は大きくなると中国に返すことになるんです」

「あ、竹。竹つかんだ。人間みたい」

「パンダは中国では大熊猫と書くんです。分類学的にはクマ科なんです。レッサーパンダも姿はかなり違うのに、名前にパンダがついてるように種としては近縁なんですよ。だから区別するために、ジャイアントパンダが正式名なんですね」

「すっごい。バリバリいう音がここまで聞こえる」

「パンダは、もともと肉食の動物だったと考えられてるんです。いまは竹ばかり食べてますけど、実は肉も与えれば食べます。果物も食べますね。でも、安心してください。生きた人間を襲って食べるなんてことはしませんから。死んでたら食べそうですけど」

「あー、かわいい。モフりたい。でも、ちょっと毛が汚れて茶色になってる。久保田さん、なんか言いました?」

「いいえ、独り言です。でも、ちょっとヘンじゃないですか」

「なにがですか」

 パンダを触れないからか、相内さんは、パンダを見ながらずっと壮介の背中をなでている。

「頭ハゲてないですか?」

 言っておいて、壮介はあたりを見まわす。差し障りのあるお客さんが近くにいたかもしれない。大丈夫だったと思う。帽子をかぶった男性のことは不明だけど。

「頭ですか」

 相内さんの手が、背中から頭に移ってきた。壮介の頭をなでる。

「一部毛がないように見えますけど」

「たしかに。ちょっとハゲありますね」

 またあたりを見まわす。心臓によくない話題だ。

「カラスにでも突かれたかな」

「カラスって、そんなヒドイことするんですか」

「わからないですけど。黒い耳に白い頭で、なんか突きたくなりそうな気がして」

「久保田さんの性格があれだからじゃないですか」

「あれだからかもしれません」

 パンダが食事を終えてコンクリートの建物の中に帰ろうと、背中を見せた。

「あ、背中もちょっと」

「ホントだー」

 相内さんもあたりを見まわす。

「でも、カラス、見当たらないですね」

「夕方になると、どこからか帰ってくるのかもしれません」

「かわいそう」

「そうですね」

 パンダはどこか哀愁をただよわせコンクリートの建物の中へ消えた。周りの客も散り散りにいなくなった。

「つぎ、行きますか」

「もういないですからね」

 相内さんは名残惜しそうだった。

 次は、トリだ。アジアのトリなのだろう。大きいケージに放し飼いになっている。客はケージに入ることができる。パンダの展示の奥にあったコンクリートの建物に接していて、ケージの一面を建物の壁が兼ねている。ケージは天井も金網だから、夜には建物の中にトリをいれるのかもしれない。

「相内さん、トリ、中にはいって見られますよ」

「わたしは外で待ってます。フン落ちてきそうだし」

「じゃあ、先を急ぎますか」

「はい」

 壮介は何か異変を感じた。

「ちょっと待ってください。ヘンですよ」

「なんですか」

 声が不満そうだ。

「トリが、いない」

「本当だ。隠れてるんですかね」

「鳴き声もしないですよ」

「無口なトリなんです」

「みんな?」

「そう、ヨーロッパやアメリカと違うんですよ、アジアのトリは」

「奥ゆかしいんですか?」

「そんなところです」

 壮介はおかしいなと思いながらも、相内さんの機嫌を考えて、それ以上つっこまないことにした。

 次のネコ科のコーナーで、また壮介はハシャイでしまった。相内さんに背中を押されて進む。地域はアフリカになった。

「おー、チンパンジーだ。いや、チンパンジーをはじめて見たわけじゃないですよ。でも、やっぱり久しぶりに見るといいですね。中学時代の同級生に会ったような。いや、中学時代の同級生になんて卒業以来会ってないけど」

「」

「どこだったかな、場所はわからないけど京大の霊長類研究所っていうところがあるんですよ。そこが、さっき言った霊長類研究のメッカなんです。そこでチンパンジーも研究してるんですよね、たしか。アイっていう有名なチンパンジーがいるんですよ。もう亡くなってるかもしれないけど。どうです?相内さんもインスピレーション湧いてこないですか?後期の課題制作のアイデアなんか」

「いや、まったく」

「まだ、ペンギン作ったあとだから、あわてる必要ないですね。あ、次はオカピですよ」

「ヘンな名前」

「オカピ、知りませんか?名前もヘンだけど、姿形もヘンですよね。シマウマみたいな、普通の馬みたいな、キリンみたいな、ヘンなやつです。二十世紀になるまでヨーロッパ人に知られてなかったんですよ。前は横浜とか関東の動物園にしかいなくて、みんな海に沈んじゃったんですよね。だから、ここにいるのは、すっごい貴重なんです。いやー、生オカピ、貴重だなー」

 相内さんは先に歩いて行ってしまう。

「ああ、今度は、アフリカでもサバンナの方ですね。キリン、デカっ。キリンの舌って、紫色で血色わるいんですよね。餌やれないのかな。舌見たいな。アドベンチャーワールドって、和歌山にあって、研修してきたところなんですけど。そこは、お客さんがキリンに餌をやれるんです。あ、ちょっと、待って。相内さん。まだ、キリンよく見てないのに」

 駆け足で相内さんを追う。

「相内さんは、興味ある動物ないですか」

「殴っていいですか」

 左頬を押える。いつぞやの痛みがよみがえる。あれは、けっこう痛かった。

「おれの話つまらないですか」

「デートにきて、相手を殴りたくなる女の気持ちがわかりますか」

「そうでした。デートできたんでした。大事なことを忘れていました。すみません。はい、手をだしてください」

 相内さんは、疑り深い目で壮介を探るようにしながら手をだした。手を握る。

「やっぱり、デートは手をつながないとですよね」

「」

「なんですか?ちがいました?」

「いえ、ちがわないけど」

「じゃあ、そろそろ出ましょうか、半分きたから、ここを通って、入ってきたゲートから出ましょう」

「いいんですか?」

「次に遊園地が待ってますからね。そのまえに、オシャレな海沿いのレストランでシーフード食べちゃいますか。地中海風かな」

「はい、そうしましょう」

「機嫌なおしてくれました?」

「なんですか、それ。食べ物に釣られる食いしん坊だと思ってますか」

「いえいえいえ。動物園でハシャギ過ぎたので、動物園をでることになればいいかなと思ったんです」

「ふん、またきましょう。あと半分も見ないといけないでしょ?」

「はい、ありがとうございます。まだアマゾンとオーストラリアが残ってますからね。これ重要です。あ」

 相内さんの目が、また細くなっていた。

「すみません、調子に乗りました」

 壮介はスネを蹴られた。

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