第18話 呪われたアトリエ(2)

「あの、どんな絵ですか。呪いの絵というのは」

「見た人はみんな死んでしまうので、どんな絵かはわかりません。久保田さんも気をつけたほうがいいですよ」

「なるほど、登場人物全員死んだはずなのに話が伝わってるホラーとはわけが違うと。あれ?でも、重症の人は意識不明じゃないってことは、どんな絵を見たかわかるんじゃ」

「アトリエを共有してたんだから、いろんな絵を見てたんですよ。だから、どの絵か特定できません。まったく。そういうのツッコミいれるの大好きな人いますよね。ホラーとして楽しめばいいのに。そんなケチばかりつけてたら楽しいことなんてなくなっちゃいますよ」

「すみません。でも、大学にはいったときとか、就職したときなんかに、そういういかがわしい話を得意になって話すやつでてくるでしょう。だるま女とか」

「なんですか、エロですか」

「エログロナンセンスというやつかな。女の子をビビらせて楽しもうという愚劣なやつがいるんです、世の中には。そういう人間がいるということを学ぶ機会になっていいかもしれないけど。美しいだけではないですから、人間の世界というのは」

「ペンギンの世界は?」

「ペンギンの世界も汚くて、臭いです」

「話、戻していいですか」

「そうでした。どうぞ」

「呪いの絵と、アトリエも呪われてます。いま確定しました。きっと呪いの絵で亡くなった人の未練やなんかが渦まいてるんでしょうね。夜になると、狂人の叫び声が聞こえたり、地獄から聞こえてくるんじゃないかというような女の嗚咽が漏れてきたりするんです、そのアトリエから」

「それ、もともと呪いっていわれてました?事件があったから呪いのセットになったんじゃないですか」

「ハンバーガー屋じゃありません。呪いは前から言われてました」

「狂人の叫びというのは、単に学生が課題に取り組んでいるだけとかじゃないでしょうね」

「芸大生もみんな普通の大学生と同じです。叫んだりしません。すごい偏見」

「女の嗚咽というのは、単位を落とした女の子とか、就職活動に失敗したとか失恋したとかいう女の子じゃないですか」

「もう。芸大生だって、普通の大学生だってんですよ。大学生はゼミの教室で夜中泣いてるんですか」

「全力で歌なんかは歌いますよね」

「おっかしいんじゃないですか」

「ごめんなさい」

 自分だけがおかしいわけではないと、壮介は自信をもっている。

「まったく、久保田さんになんか話すんじゃなかった」

「うん。相手を間違えましたね。で、結局なんでしたっけ。科学的に証明でしたっけ、なにを?」

「呪い」

「ということは、一万人くらい年齢性別がバラバラな被験者をかき集めて、半分は呪いにかかってもらって、半分はそのままで、それでいつごろ何人死ぬか統計的に調べるんですか?メンドクサイですね。お断りします」

「そんなにスッパリ断らないでください」

「どういうことですか?スッパリじゃない断り方があるんですか?」

「そうですよ。考えさせてくださいとか」

「それって断ったことになるんですか?」

「たぶん」

「たぶんじゃダメです。お断りします。それに、呪いがある場合はそのせいで人が死にますけど、いいんですか。それこそ呪われますよ」

「そうなりますか」

「はい。断言します」

「なにか、もうちょっとオブラートに包んだ言い方とかないんですかね」

「デリケートなんで、誤解されると神経がすり減っちゃうんです。誤解のないような物言いを心がけています」

 そうですかと吐き捨てて、相内さんはキッチンに立った。鍋を火にかける。今夜はロールキャベツだ。壮介が風邪でダウンして以来、冬のように体のあたたまりそうなものばかり用意してくれる。ベッドで寝ることにしてクーラーの風が直接あたらなくなったから大丈夫なんだけど。とはいえ、料理の苦手な相内さんが、ガンバって手の込んだものを作ってくれるのは嬉しいことだ。

 食後の飲み物の用意と皿洗いは壮介が自分でするようにしている。皿を洗っていると、相内さんが後ろから抱きついてきた。

「相内さん、それはアウトです」

「じゃあ、わたしが洗うから久保田さんが後ろから抱っこしてください」

「本当に怖がってるんですか」

「いけませんか」

 壮介の背中に顔をうずめているから、声がくぐもっている。

「呪いなんて、ないと思えばありませんよ」

「ないと思えばって、あると思ったらあるってことじゃないですか」

「あるかもしれないし、ないかもしれない」

 皿をスポンジでこすり終った。スポンジを定位置にもどす。相内さんが邪魔だ。

「ちょっと、放してください」

「やだ」

「子供ですか」

 仕方ない、相内さんをくっつけたまま水道から水を流して、皿をすすぐ。シンクで流し、キッチンの上に皿を置いてゆく。上体を動かすたびに相内さんがこだわる。

「相内さん、もう少し抱きつき加減をゆるめてください」

「やだ」

「胸を押しつけないでください」

「そこはガマンします」

「いや、ガマンするのはこっちです」

「さわって確かめていいですか」

「お断りします」

「けち」

「けちじゃない」

「じゃあ、見るだけ」

「お断りします」

「けち」

「メンドくせっ」

「ひどい」

 今度は、皿を布巾で拭いてシンクの上の棚にしまう。棚にしまうときは、壮介の身長でも軽く伸びあがらないといけない。相内さんの胸の感触が移動する。

「あの、相内さん?」

「なんでしょう」

「相内さんも快適じゃないですよね」

「ガマンします」

 仕方ないといって、壮介は相内さんを引きはがす。肩をもって体の前に移動させる。腕をまわして、相内さん越しに布巾で皿を拭く。棚が遠くなって、背伸びをしなければ皿がしまえなくなった。ガマンする。

「なんか小さい子供になった気分です」

「精神年齢がですか?」

 壮介は足を踏まれた。

 数々の障害を乗り越えて、どうにか皿洗いを片付けることができた。

「相内さんて」

「はい」

「おれのこと誘惑してきますけど、ヤリ」

 壮介の顔面に相内さんの右フックがはいった。頬を押える。殴られたところが大きくなったような感覚がある。熱いし痛い。

「親父にも殴られたことないのに」

「一度言ってみたかったんですか」

「言わざるを得ない」

 冷凍庫から保冷材を出して頬にあてる。クローゼットからハンカチを出して、保冷剤をくるんで、また頬にあてる。

「相内さんビッチって感じでもないのに、なんで誘惑するようなことを言ったりやったりするんですか」

「久保田さんが何もしないからです」

「セックスしたいの?」

「乙女にそういうことを聞くもんじゃありません」

「少しくらいの抵抗ならオッケーという意味だからやっちゃえ的なことですか」

「そんな伝説があるんですか」

「聞いたことないですか」

「ありません」

「おれは飼育員なので、動物の交尾を見る機会が多いし、そう仕向けることもあります。お互いにセックスしたければすればいいと思いますけど。一方的に無理矢理やっちゃう動物もいるくらいだし。人間の世間的には恋愛感情がからんだり、からまなかったり複雑な事情があるみたいですけど」

「わたしは人間です」

「複雑ですね」

「複雑」

「立ちつくすのみ」

 壮介は、女性にしてはいいパンチだったと思いながら、頬を冷やし続けた。

 トイレに行って出ると、目の前で相内さんが待機していた。壮介は相内さんの呪いが心配になっていた。

「呪いが怖いからトイレに入っている間待っててほしいんですか?」

「トイレ長かったんじゃないですか」

「トイレでしか落ち着いて考えごとできないので」

「お風呂は?」

「この間、聖域を犯されました」

「便座にすわって?」

「蓋にすわったら割れそうですからね」

「痔になりますよ」

「そうなんですか」

「はい」

「気をつけよう」

「じゃあ、下脱いでください」

「じゃあってなんですか。脱ぎませんよ」

「チェックします」

「なにを」

「その、一人で寂しくしてなかったか」

「はあ?オナニーのことですか?」

「オブラートに包めないんですか。乙女に向かって」

 言っている内容が乙女ではない。

「はあ。オナニーすると相内さんになにか関係があるんですか」

「さっきの台所ので、エッチな気分になっちゃったからトイレ長かったのかと思って。今後はそういうとき、責任を取ってお手伝いを」

「お断りします」

「わたしがいるから、大っぴらにできないですよね」

「ほっといてください。それに、オナニーしたかどうか、見てわかるんですか」

「どうでしょう。舐めてみればわかりますか」

「お断りします。誘惑しないでいてくれれば、十分です」

「そうなんですか?」

「相内さんは、どうなんです?おれに舐めてほしいんですか?」

「乙女の口からは答えられません」

「すみません。聞かなかったことにします」


 風邪でぶっ倒れて回復したとき壮介がソファで寝ようとしたら、相内さんはベッドで二人で寝ることを頑強に主張した。聞き入れられなければ、太田に帰って大学にも行くといって聞かない。常のように、壮介が折れてベッドで二人で寝るようになってしまった。

 夜、壮介が先に布団にはいってうとうとしていると、あとから相内さんがベッドにもぐりこんで、壮介にひっついてきた。

「ん?」

「今日だけ」

「今日だけね」

 半分寝ぼけていた壮介は、相内さんを胸に抱いた。夜中、汗をかいて目が覚めた。相内さんに抱きつかれて暑かったらしい。ベッドの端によけて寝なおした。

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