第13話 密室殺人かもしれない事件(1)

 朝、あずみは六時前に旅行に出かけて行った。壮介は、何も考えずに楽しんでこいといって送り出した。行先は、日本の京都らしい。

 パスポートは?ときいたら、いらないと言われた。壮介がそのことを忘れていただけだ。日本とグンマはパスポートなしで往来が自由なのだ。シェンゲン条約とかいったか、ヨーロッパのアレと同じ方式らしい。通貨は共通じゃないから、両替が必要だ。ただ、観光地の多くの店では両方の通貨を受け入れている。あまり困ることもない。

 京都は天皇がいる日本の首都だ。直下型地震で関東平野のほとんどが水没して、天皇も皇居もろとも海に沈んだ。地下に避難施設があっても、関東平野のほとんどが水没してしまえば無力だ。東京に住んでいた多くの皇族も生存者が見つからなかった。皇位の継承権が何位だとかいう人物が京都で見つかり、即位した。天皇はそのまま京都に住んでいる。

 ついでに言うと、グンマが独立するとき、もちろん天皇制のない憲法が発布された。元号もない。グンマでは、直接選挙で行政のトップを決めることとなった。大統領制だ。国会は二院制で、トップは各議院の議長。議長は議員による選挙で決まる。最高裁の判事はアメリカ方式で、大統領が指名し、議会が同意する。国民審査は残り、アメリカと日本の制度の折衷になっている。最近はテクノロジーの発達と普及のおかげで、直接民主制の議論もはじまっている。そのうち憲法改正により国会がなくなるかもしれない。


 あずみの見送りで早起きした壮介は、いつもより早く出勤した。相内さんの大学の事件について調べるつもりだ。とりあえずパソコンを起動して新聞にとりかかる。

 亡くなったのは大学院生、阿久津ローズ(二十七)。昨日の朝、阿久津とアトリエを共有する大学院生が、アトリエで遺体を発見して通報した。頭から血を流して死んでいた。阿久津は、ハーフの男性。専攻は壁画とあった。今どき壁画を描く人間がいるのだ。壮介には新しい発見だった。

 同じアトリエに、遺体はもうひとつあった。やはり大学院生で、降谷鈴(二十五)油画専攻。名前はスズと読み、女の名前のようだけど、男と書いてある。降谷は、阿久津の遺体に覆いかぶさるように亡くなっていた。先に阿久津、あとから降谷が亡くなったと考えるのが自然だ。あとから他者により操作されていなければだけど。降谷の死因は、まったくわからない。外傷が見当たらないとある。心不全とみられると書いてあるのは、死因がわからないという意味だ。

 相内さんが言っていた密室の意味がわかった。阿久津が使っていた鍵は、アトリエで見つかっている。降谷の遺体のポケットに、カギを使わずに開錠する道具、平たく言えばピッキングの道具がはいっていた。調べると、ドアの鍵のシリンダーにピッキングしたあとが残っていた。まさか、芸大でピッキングを教えることはないだろう。さらに、ふたりの遺体発見時に部屋に施錠してあったと第一発見者が言っているそうだ。

 阿久津が頭に傷を負って亡くなったときカギがかかっていて第一の密室。降谷がピッキングして入室し、なぜか亡くなって、そのときにも鍵がかかっていて、第二の密室。ということらしい。

 第二の密室には第一発見者がいる。ミステリなら一番に疑われる人物だ。第一発見者はアトリエを共同で使っていた大学院生だ。つまり、阿久津は阿久津で鍵をもっていて、第一発見者は自分で自分の鍵を管理している。もし第一発見者が犯人だったら、すくなくとも自分が鍵を管理しているアトリエで犯行を犯し、自分で発見するなんてことはしないはずだ。

 ちょっと考えれば、第二の密室は密室でもなんでもない。降谷という大学院生が中から鍵をかけて死んだだけではないか。それとも、死因がわからないような殺し方があるだろうか。司法解剖でそのあたりが判明するだろうか。いまは考えても仕方がない。

 第一の密室はどうだろうか。ピッキングのあとが残っているということだから、密室であったことは間違いないのだろう。阿久津がアトリエで作業中にどこかに頭をぶつけて死んでしまえば、密室になる。

 呪いについては一言も触れていない。それはそうか。新聞が呪いのせいで事件が起きたなんて書いたら苦情が殺到するだろう。

 ひと通り考えてみたけど、相内さんを早々に帰せるかもしれない。いや、殺人事件だという前提でも考えみる必要があるか。

 相内さんが知り合いと言っていたのは、どっちだろうか。油画の先輩といっていたか。そうなると、心不全の降谷のほうだ。病死の可能性が高い。相内さんが、事件にかかわっていることはなさそうだ。昨日泊まりにきたのは、知り合いが亡くなったからショックだというだけだったのだろう。壮介は考えすぎだったと自分の心配性を笑った。

 考えごとをしている間に始業時間になってしまった。すぐに朝礼がはじまる。今朝はコーヒーを飲んでいる時間がなかった。

 昼休み、金子さんと近所の食堂にはいった。金子さんは生姜焼き定食。壮介は野菜炒め定食を注文した。

「金子さん、芸大で事件あったの知ってます?」

「知ってるよ。ワイドショーでやってるやつだろ?」

「よく知ってますね。ワイドショーやってる時間にテレビ見られないでしょうに」

「うちのが見てっから」

「ああ、奥さん産休なんでしたっけ。いつが予定日なんですか」

「九月だから、来月の中旬だな」

「もう、お腹パンパンですか」

「すごいぞ」

「すごいですよね。出てくるとき激痛だっていいますね。男だったらショックで死ぬとか」

「男に生まれてよかったな」

「ですね」

「で、芸大の事件がどうしたんだ?」

「いや、芸大の知り合い。ああ、知ってますよね、相内さん」

「あれだろ?あの久保田んとこでビデオ見て、デッカいオブジェつくった子だろ」

「そうです。亡くなった人と知り合いだったらしくて」

「そうか。ショックだろうな」

「ですよね」

「しかも密室殺人だってんだろ」

「え?殺人に決まったんですか?」

「違うのか?うちのは、そういうの大っ好きなんだよ。お腹の子に悪いんじゃねえかとヒヤヒヤすんだけどよ。ミステリってやつ。一日中本ばっか読んで、ワイドショー見て暮らしてんだ。胎教にいいことしてもらいてえんだけどな。昨日は帰ったらその話ばあっかり聞かされたよ」

「密室って、窓とかないんですかね」

 そういえば、オブジェが完成したとき相内さんにアトリエに案内されたんだった。あのときは夜で照明もつけなかったから、窓のことはわからなかった。建物が違うから、間取りも違うのかもしれない。もし、あのときよく見ていたとしても参考にならなかったか。

「窓は、天井の近くに換気用の窓があるっつってたな。こう、下でハンドルをグルグル回して閉めるやつ。ボタンを押すと全開になるんだよな」

「ふーん。で、それが閉まっていたと」

「壁画が専門らしいな。壁画なんて、今でも描くのかってビックリだ。あれか?どっか外国行って修復とかすんのか。前いただろ、日本人でイタリアかどっかの何百年もずっと作ってる教会で大工やってるってやつ」

「ああ、いましたね。そうなんですかね」

「壁画ってのは、シンナーみてえの使わねえんだってな。漆喰塗って、乾かねえうちに水性の絵具で絵描くと、漆喰がかたまるときに膜ができてコーティングしてくれるんだと」

「へー、知らなかった。当たり前か、壁画のことなんか知らなかったから」

「まー、そうだいな。あー、だからよ。外傷がなかったほう、そういう絵具とかの中毒で死んだってことはねえみてえだな。それから、窓は開けることがねえんだとよ。乾かねえうちに絵ぇ描かなきゃいけねえから」

「夏はどうするんですか」

「お前、そりゃクーラーついてんだろ、さすがに。今どき小学校にだってついてんぞ」

 漆喰の乾燥を防ぐためにクーラーつけなかったりして。地獄だ。

「じゃあ、廊下のドア閉まってたら、もう密室なんだ」

「そうらしいな」

 注文の品がやってきて、黙って食べることに集中した。料理がきてしまえば、十分もかからずに食べきってしまう。夏休みで、時間をずらしてきたのに食べ終わっても店が混んでいる。長居はできない。勘定を済ませて店をでる。

「金子さん」

「なんだ」

「奥さん、ミステリ好きなんですよね」

「狂ってるな」

「芸大の事件が殺人事件としたら、犯人とかわかったりしますかね」

「わっかんねえだろうな。たぁだ読むばっかで考えねんだ。考えてたら、一日やそこらで一冊読み終わんねえだろ。芸大の事件のことは考えてるんだけどよ、頭わりいからダメだな。つまんねえ推理聞かされてうんざりだ」

「そうですか」

「なに、探偵でもはじめようってのか?」

「いや、そういうわけじゃないんですけどね。相内さんが心配だなと思って」

「なんでだよ」

「亡くなった人と知り合いで、その人が殺されたかもしれないわけですよ。殺された理由がわかればいいけど、そんなのわかれば事件解決じゃないですか。理由がわからないと、これで事件が終わりかどうかわからなくて、被害者と知り合いだった相内さんが狙われる可能性だってあるじゃないですか」

「まあ、ねえとはいえねえか」

「夏休みの間に解決すればいいけど」

「大学なんて、九月いっぱい休みだろ?解決してんだろ、そりゃ。警察だってバカじゃねんだから」

「ですかね」

 避難のために相内さんが家に泊りこんでいるから、早く解決してもらわないと体がもたないとは言えなかった。

 海岸沿いの道に出る。海のない県で生まれ育ったから、海が見えるといまだにどこか旅行にきたような気分になる。だからといって、郷愁が湧くというわけではないけど。ここは生まれ育った県だし。

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