第11話 事件です(1)

 壮介は南極の展示水槽の中で寒さに身震いした。外は真夏で暑い盛りだというのに。観覧スペース側では、相内さんのオブジェが輝いている。

「どうだ、ペンスケ。写真で見るよりキレイだろ」

「せやな。あの上に乗っとるんが、わいなわけやな」

 壮介たちが立っている水槽の陸地は、観覧スペースの床より一メートル半くらい高い。オブジェの棚氷の上面は、陸地よりさらにもう少し高いくらいだ。

「モデルな」

「妻も子もおらんのに」

「まあまあ、一羽だけで突っ立ってたら寂しいだろ。見てもつまらないし」

「ええんやけどな」

 相内さんのオブジェは、壮介の提案により水族館に買われた。大学の部屋に置きっぱなしではスペースをとって次の作品を制作するときに邪魔になるし、自宅に置けるはずもないからだ。これで父親としての責任は果たせたはず。

 南極の展示は、おあつらえ向きに観覧スペースが階段状だ。その横の通路になったスペースにオブジェは置かれている。階段をあがると、丁度よく氷の上のペンギンのオブジェが見られる。元そこにあった展示物は廊下側にずらされた。

 相内さんは自分の作品が大勢の人に見てもらえることになったのをよろこんだ。いまも子供たちが階段をあがってペンギンのオブジェを近くで見ている。お金も、材料費を引いていくらか利益がでるくらいはもらえたはずだ。デザインの費用や手間賃を考えれば利益といえないかもしれないけど。


 壮介は一日の仕事を終えて、アパートの部屋のドアの前に立った。部屋の中で物音がする。また相内さんがきているようだ。ドアを開けて部屋にはいる。

「あ。いうちさんじゃなくて、あずみ?」

「壮介くん。お帰り。勝手にあがってる」

「あずみ。なんでお前がいる。人んちでなにしてんだ?」

 あずみはクローゼットを開けてなにやら荷物を物色しているところだった。答えは返ってこない。壮介は靴を脱いで部屋にあがる。バッグを所定の位置に置いて、手と顔を洗い、うがいをした。冷蔵庫から麦茶のボトルを出す。

 玄関のドアが開く音がして、振り向く。

「あ、久保田さん」

 すこし明るさの残る空をバックに、室内の照明に照らされた相内さんが立っていた。壮介の心臓が飛び上がった。麦茶のボトルをもったまま動きが止まる。あずみに気を取られて鍵をかけるのを忘れていたらしい。なんてタイミングで相内さんはやってくるんだ。壮介の脳が対策をひねり出そうとフル回転する。タイムアウト。相内さんの口が動きだす。

「お仕事お疲れさまでした。お邪魔します」

「え?」

 予想していない反応だった。相内さんが誤解をして機嫌を悪くしてしまうのではないかと思ったんだけど。

「あ、沙莉ちゃん。早かったね」

「はい、すぐ近くだったから」

 相内さんは玄関で靴を脱いで揃える。背中にリュックを背負っているのがわかった。服装もリュックに合わせたのか、スポーティだ。どっちがどっちに合わせたのかわからないけど。

 相内さんは、あずみと顔合わせを済ませていたらしい。面倒ごとにならなくて、ほっとひと安心。でも、どういうことだ?

「こっちは、まだ見つからない」

「久保田さん、ホットプレートどこですか?あずみさんと探したんですけど、見つからなくて」

 相内さんはリュックを壮介のバッグのとなりにおろした。

「えーと、状況が飲みこめないんだけど」

 壮介は二人の顔を見くらべる。相内さんは手に提げていたビニール袋をテーブルに置いた。

「わたしは、明日から旅行に行くから、今日泊めてもらおうと思って」

「わたしは、久保田さんに会いたくなって、きちゃいました」

「あ、あそう」

 あずみは旅行に出かけるとき、出発前日に仕事を終えてからやってきて壮介の家に泊ることがある。館林は交通の要衝になっていて、北に行くにも西に行くにも便利なのだ。いうまでもなく、東は海に沈んだ。

「えーと、どうやって部屋にはいったの?」

「わたしがきたときは、沙莉ちゃんがいて鍵かかってなかったけど?」

 あずみに鍵をあずけたことはない。あずみだけなら部屋にはいれなかったはずだ。

「あれ?相内さん、合鍵返してもらわなかったっけ」

「そうでしたっけ?そうそう、今日は焼肉ですよ。おいしそうなお肉買ってきたんです。わたしのおごりですよー。きっと、すっごいおいしいですよー」

「えー、そうなの?沙莉ちゃん、いただきます!」

 あずみは調子よく手を合わせて相内さんを拝む。

「相内さんは、どうやって部屋にはいったんですか?」

「やだなー、前からいれてもらってるじゃないですか」

「今日はどうやって?」

「えっと、合鍵で?」

 相内さんは、目をそらしている。壮介にははっきりと声が聞こえなかった。

「沙莉ちゃんに合鍵渡してたんだね。やるー」

「合鍵、出してください」

 相内さんに向かって手を出す。相内さんは、いま床におろしたばかりのリュックから、ジャラジャラと音をさせながら合鍵をだした。白い色をしたプラスチックの鍵だ。

「これは?」

「合鍵です」

「どこで手に入れたんですか?」

「友達に作ってもらいました」

 本当に芸大生はなんでも自分でつくってしまうようだ。

「どうやって?」

「プリンタで出力して」

「いま、バッグから出すとき、なんか音しましたね。まだあるでしょう。全部出してください」

 うなだれて、バッグから両手にあまるほどの鍵をテーブルに出した。

「こんなに。一度バレれば全部没収されると思わなかったんですか」

「すみません」

 作ってもらった鍵を今日受けとって、そのままやってきたということか。間抜けだったな、相内さん。それとも、もっと間抜けなのか。

「まーまー、壮介くん。壮介くんが合鍵を渡してあげればこんなことにはならなかったんだから、ひとつ渡したらいいじゃない」

「なに、さらっとすごいこと言ってんだ」

「だって、付き合ってんでしょ?」

「ええ?」

 腰に手をあてて、相内さんを睨む。

「ひぃっ。ごめんなさい。誤解されてるのはわかったんですけど。訂正する機会を逃したというか、ちょっとうれしかったというか。乗っかっちゃえ、みたいな?」

 壮介はあずみの肩を抱いて、部屋の隅に移動する。

「余計なこと言って、話をややこしくするな。おれと相内さんは付き合ってない」

「そうなの?」

「見ればわかるだろ。それに声がでかい。もっと声を落としてくれ」

「はいはい。で、どういう関係なの?」

 ペンギンのオブジェ制作に協力したこと。たぶんそのお礼のつもりでメシを作りにきてくれたりしたことを、かいつまんで話した。

「壮介くんは、沙莉ちゃんのことどう思ってるの?」

「おれは、美人だと思ってて。一緒に食事したり、話したりできるのはうれしい。けど、まだ二十歳なんだ、相内さんは。それに、男に対する警戒心がないだけで、おれに興味があるわけじゃない」

「そんなことないんじゃない?わたしが部屋にはいってきて、沙莉ちゃんに誰?っていったときすっごい睨んでたよ。妹ですって自己紹介するまで、殺意がすごかったんだから」

「殺気な」

 やっぱりそういう出会い方をしていたか。居合わせなくてよかったと、壮介はほっとした。

「知らない人が勝手にはいってきたら、自分を守ろうとするのがあたりまえだろ」

「わたし、どう見ても強盗じゃないよね」

「デカいバッグパック背負ってたんだろ?何ものかと思うぞ、普通」

「強盗は家にいる人に誰っていわないよね?」

「ビックリしたら冷静な判断なんてできなくなるものだ」

「ビビッてんでしょ。沙莉ちゃんと付き合って捨てられたときのこと考えて、ショックで死んじゃうって思ってるんでしょ」

「ビビッてないし、死にはしない」

「壮介くんの恋愛だから、わたしがあまり口出すことでもないんだけど、沙莉ちゃんの気持ちも考えてあげなよ」

「女の子の気持ちがおれにわかるか」

「無理だね。でも、考えるだけなら壮介くんだってできるでしょって。お待たせ。ごめん、沙莉ちゃん。合鍵は自分でゲットしてね」

 相内さんに手を合わせる。

「はいー。やってみます」

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