第10話 オブジェ完成

 壮介が飼育員室のデスクで帰り支度をしてケータイをチェックすると、相内さんからメールがきていた。今日会えないかという。とりあえず水族館をでて、駐輪場で電話をかけた。太田にこいと言うから、水族館から自宅ではなく駅に向かう。電車に三十分揺られて太田駅の改札をでる。相内さんがスタスタスタッと小走りにやってくるところだ。

「はじめてですね、久保田さんが呼び出しに応じてくれるの」

「いままで呼び出してないでしょ」

「ふふ、呼んだらきてくれるんですね」

「くるかもしれないし、こないかもしれない」

「なんですかそれ!きてくださいよぅ」

「いや、約束しちゃうと、またいろいろ大変なことになりそうだから」

「なにを警戒しているのかな」

「いつでもうちきていいって言っちゃいましたからね」

「後悔してるんですか」

「どうでしょう」

「もういいです。行きますよ」

 相内さんは、駅構内をどんどん歩いて行ってしまう。壮介も追いかけて歩き出す。約束しなくても、いつも相内さんのいいなりだけどなと内心思っていた。相内さんは駅をでてすぐの弁当屋にはいる。

「今日の夕食はお弁当です」

「お店で食べないんだ」

「食べません」

 弁当とペットボトルのお茶を買った。注文してから弁当を作る店だった。あたたかい弁当が食べられる。袋は壮介がもつ。

「どこで食べるんですか?」

「すぐわかっちゃうから教えてあげます。ガッコウです」

 大学の正門前にやってきた。梅雨の中休みというのか、五月晴れというのか、今日はいい天気だった。日が落ちても蒸し暑い。歩いてきてダル暑だ。まだ門だから、もう少し歩かなければならない。

「ここが大学です。わたしが通ってるんですよ」

「ふーん。道のあっち側は?あっちは大学じゃないんですか」

 道を挟んだ反対側も大学みたいな構えだ。

「あっちは、音楽学部です」

「相内さんの学部は?」

「美術学部」

「ふーん。芸大って、音楽と美術にわかれてるんですね」

「そうです」

 相内さんは、自慢げだ。

 大学の門を通ってすぐ、コンクリート造りらしい小屋の前にやってきた。

「ちょっと待っててください。警備員室で鍵借りてきます」

 次に立ち止まったのは、大学の校舎らしき建物の前だ。建物を仰ぎ見る。ごく一般的なビルだ。芸大だからと言って、ガウディの建てたような奇抜な外観の建物ではない。

 玄関のドアをはいる。やっとクーラーが効いたところにたどり着いた。相内さんがエレベータのボタンを押す。すぐにドアが開いて乗り込む。

「相内さんがいつも通ってる建物ですか?」

「そうですよ。ここは彫刻科の建物です。院生と教員もこの建物使ってます。講義は別の建物があるんですけど」

 エレベータがとまって降りると、廊下の照明がついた。赤外線センサーがついているようだ。相内さんが先にたって歩いてゆく。ひとつのドアのまえで止まって鍵を鍵穴にいれてまわした。

「あれ?逆だった」

 鍵を正しくまわしたら解錠の音がした。ドアを開けて壮介を先に入れる。ドアが閉まる。鍵を閉める音がして、ギクリとした。エアコンが作動をはじめた。大切だ。ドアのすりガラス越しに廊下の明かりがはいってくる。

「そのままちょっと待ってください」

 奥へ進んでゴソゴソ。奥がうっすら明るくなった。相内さんがもどってきて、壮介を部屋の奥に導く。光源が目の前だった。

 青い光が巨大なクリスタルを通って周囲を幻想的に染める。

 高い天井と壁に陰影が生じている。

 これが相内さんの作品なのだ。並んで作品を眺める。大きさと美しさに度肝を抜かれた。

 照明はクリスタルがのった台に仕込まれていて、下から光が当たっている。時間が経つと光の色がかわる。クリスタルはきっと、壮介が一緒に業者に話をしに行ったときのアクリルだ。

 クリスタルは氷をあらわしているのだろう。表面を削ってそれらしく整形されている。高さは壮介の身長より高い。二メートルくらいか。周も腕がまわらないくらいある。二人分くらい。クリスタルの上に乗っているのがペンギンのオブジェらしい。壮介の頭上にあって、クリスタル越しに見える。突きでた氷からワイヤーがさがっていて、もうひとつペンギンのオブジェがぶらさげられている。フリッパーを使って海を泳いでいるところだ。頭が上を向いているから、氷の上に飛び上がるため、羽ばたいて浮上の勢いをつけているのだとわかる。

「おめでとうございます。完成したんですね」

「はい、ありがとうございます。全部久保田さんのおかげですよ?」

「いや、おれはなにもしてません。アクリルの業者だって、ネットで調べればすぐ見つかっただろうし」

「いいんです。わたしが久保田さんのおかげっていったら、おかげなんです」

「女王様キャラでしたっけ?」

「そんなにエラそうでした?」

「いや、そんなつもりじゃなかったんですね」

「一応、下のが棚氷をあらわしていて、上でオスが子守、メスは餌を取るために海にいるって感じなんですけど」

「うん、よくできてます。すごくキレイです」

「ご飯、食べましょっか」

「はい」

 近くにイスとテーブルがあった。壮介はもっていた弁当の袋をテーブルに置いてイスにすわる。相内さんはもうひとつのイスをとなりに移動してきてすわった。テーブルに取りつけたスタンドライトのスイッチを入れて、テーブルの上だけ照らしてくれた。弁当が食べやすい。美術作品を眺めながら美女と並んで食事。弁当だけど、リッチな気分を味わえた。満足だ。

「相内さん」

「はい」

「これ、すごくいい雰囲気を醸しますね」

「はいっ!」

「ラブホテルに売ったらどうです?」

「はい?」

「これ目当てでお客さん集まるんじゃないですかね。けっこういい値がつくかもしれません」

「それなら、すこし機能を追加しないといけないですね。カップルに向かって倒れて押しつぶす機能。リア充爆発しろっていう音声もつけますか」

「ごめんなさい、いまのなしで」

「当たり前です。わたしの作品をなんだと思ってんですか」

「おれと相内さんはつぶされるんですかね」

「え?」

「あ、すみません。なんでもないです」

 ちょっと調子に乗ってしまった。協力したから作品を見せてくれているにすぎない。勘違いしてはいけないと、壮介は自分を戒めた。弁当は食べ終わった。

「あの、上のやつよく見えないんですけど、見られないんですか?」

「ああ、脚立に乗らないと見えないんです。いま用意しますね」

「ありがとうございます」

 相内さんも弁当を食べ終えて、脚立を移動してきた。もともと近くにあったようだ。

「ああ、もうそのへんでいいです」

 脚立にあがってペンギンを目の前に見る。どうも金属でできているようだった。黒光りしている。

「これ、彫刻じゃないんですね」

 相内さんまで脚立をあがってきて、壮介にしがみつくようにする。

「金属彫刻とか、金属造形とかいうものです」

「すごいな、よくできてる。オスのペンギンの足にヒナがのってるところですね。ヒナがオスのお腹から頭を出してる。金属でよく作りましたね」

「ありがとうございます」

 相内さんは壮介を見つめる。壮介は、ペンギンのオブジェを見ている。

「これ、普通に立って見られないのもったいないですね」

「階段のそばに置かないとダメですね」

「でも、この氷の迫力は大事ですよね。すごいな、こんなの作るなんて。氷の部分も自分で形を作ったんですか?」

「大体の形をキャドでつくって、その通りに加工してもらったんですけど、さらに整形したり、表面の氷っぽさを出すために、削ったり磨いたりはしました。坂本さんに普通の工具で大丈夫だって教えてもらったんで、難しいことはなかったですね」

 脚立からおりた。相内さんがため息をつく。壮介は許可をもらって、写真を何枚か撮った。

「いやー、すばらしい。いいものを見せてもらいました。ありがとうございました」

「こちらこそ、久保田さんがわたしにこれを作らせてくれたんですよ?ありがとうございました」

「はあ。どういたしまして?」

 さっきもそんなこと言ってたっけ。でも、どういう意味なのかわからない。

「こんな大きなオブジェ、みんなが作るんですか?」

「大きさは、特に決まってないです。たぶん、こんな大きいの作る人も、アクリルを使う人もいないと思います。金属の課題なので」

「すごい。相内さんのオリジナリティが爆発ですね」

「爆発させちゃいました」

「いつもこんなダイナミックな作品なんですか?」

「違います。イルカのストラップありますよね。あんな普通のです。だから、いったじゃないですか。久保田さんが作らせてくれたって」

「これ、おれのせい?」

「そうですよ?責任とってください」

「ああ、なるほど。作品は相内さんの子供みたいなものだと。認知を拒否します」

「極悪非道だ」

 机とイスのところに戻って、あらためてオブジェを鑑賞する。

「単位とかあるんでしょう?」

「はい、これで単位とれるはずです」

「余裕でしょう」

「たぶん」

「相内さんは、あまり芸大生っぽくないから、ちょっと心配ですね」

「芸大生っぽいってなんですか」

「こう、奇抜なファッションに身を包んで、一般人には理解できないことを自信満々でシャベる感じです」

「それは、油画の人はそういうところがあるかもしれないけど、一般の芸大生は、普通です」

「そうなんですか?てっきり全員そういう人だと思ってました」

「なんという偏見」

「一般の人はみんな思ってますよ」

「金属の溶接とか、木や石を彫ったりとかするのに、格好なんて気にしてられないですよ。むしろ汚い格好して作業します。粉が出るからマスクしたり、エプロンもしますし。久保田さんには見せられません」

「なるほど。絵具が飛び散りそうなのに、ヘンなファッションしてるってのは、やっぱり油画科の人はぶっ飛んでるんですね」

「そうかもしれない」

 弁当のゴミを捨ててもらって後片付けをしたあと廊下に出ると、消えていた照明がまたついた。何箇所にも赤外線センサーがついているのだろう。

 建物の外に出る。もわっと暖かい空気を体に感じる。となりの建物で明かりが漏れている窓がある。たぶん窓だ。横に細長い形をしている。

「あの建物は、ぶっ飛んでる人たちの巣です」

「油画科ですか。まだ残ってるんですね」

「大学院生とか、ほとんどアーティストとして活動している人がいたりして。締め切りが近くなると泊まり込みしたりするみたいですよ」

「そりゃ、大変ですね。ま、おれもそんな感じだったか」

「そうなんですか」

「二日に一回しか家に帰らないとかやってました」

 顔をしかめた。明かりのついた窓を見上げながら、相内さんがボソッとなにか言うのが壮介の耳にはいった。呪いのアトリエと聞こえた気がした。

 警備員室に寄って鍵を返してから、駅に向かって歩き出す。

「家の近くまで送らなくていいんですか?」

「大丈夫ですよ、いつも一人で帰ってるんですから」

「そうですね。男に家とか探られたら怖いですからね、やめておきましょう」

「そういうんじゃないですけど」

「課題を提出したら、夏休みですね」

「そのまえに試験がいくつかありますけど」

「そうなんだ。試験は自信あり?」

「いえ、しばらくサボっちゃったから」

「そっか、しっかり勉強してください」

「はい。早く夏休みこい!」

「学生はいいですね、二箇月も休みがあって。水族館は、逆に夏休みが忙しい時期なんです」

「遊びに行きます」

「忙しいから相手してあげられませんよ?混んでるし、いいことないと思います」

「いいですよーだ」

「邪魔者にしてないですよ?」

「そんなこといってません」

「実家に帰らないんですか?」

「うーん、久保田さんが冷たくするから帰ろうかな」

「冷たくしてません」

「わたしに会えないと寂しい?」

「ま、まあ」

「まあ?まあ、なんですか?」

「寂しいですよ?」

「帰りません」

「いや、でも帰った方が」

「どっちなんですか」

「だって、学生のうちじゃないと、実家になかなか帰れなくなったりするものだから。帰っておいた方がいいです」

「久保田さんて、やっぱり大人ですね」

「オッサンくさかった?」

「ううん。相手のことを深く考えられるから大人。でも、人の気持ちには鈍感かな」

「よくわからないけど、オッサンじゃなければいいや」

 駅で相内さんとわかれた。課題の制作が終わったからもう会えないということにはならないみたいで、壮介は安心した。美人さんに会うと生活に潤いがでるというものだ。

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