第8話 オブジェ制作中!(1)

 始業後、水槽の様子を見て飼育員室にもどると、課長が壮介を呼んでいた。

「久保田、冷え性だったな」

「はあ、恥ずかしながら」

 まだこれから夏だというのにふさわしくない話題。壮介はいぶかる。

「そうすると、南極で越冬なんか無理だよな」

「いや、基地の中はあったかいでしょうから、無理ってこともないんじゃないかと。なにかあるんですか?」

「ちょっと南極に関心があって聞いてみただけだ」

「そうですか。いいですよ、南極。花粉症ないし。行ったことないけど」

「そうなのか?」

 課長は南極に詳しくない。

「菌やウィルスが存在できないから風邪もひかないといいますね」

「へー、パラダイスじゃないか。行ってみたいな」

「はい。行っちゃいますか」

「バカンスでか」

「いいですね。たしか、チリとか、オーストラリアとかから、南極に行けるツアーがあるんです。五百万くらいするんだったと思いますが」

「五百万!まず、宝くじを当てないと無理だな」

「そうですね。でも、宝くじはお勧めしません。たしか、オートかボートがいいんじゃなかったかな」

「なんだ、久保田そんなことも詳しいのか。やるのか?」

「いや、やりません。賭け事は胴元にならないと儲からないと、相場が決まってるんで」

「なるほどな。まじめに働くのが一番か」

「そういう結論に落ち着きますね」

「仕方ない、仕事に精をだすか。ああ、邪魔したな。久保田ももどってくれ」

 課長が何を言いたかったのか、わからなかった。

 餌の時間は、ペンスケがいつもどおり最後だ。

「ペンスケは、南極に行ってみたいか?」

「なんや、藪から棒に」

 もうペンスケでいいことにしたらしい。

「いや、さっき課長が南極の話題をふってきたからさ」

「南極ゆうたら、ごっつう寒いんやろ。行きたない」

「そうか。メスのエンペラーペンギンがいるんだぞ」

「急に南極行ってメスに会うたかて、話合わんやろ。お嬢さん、ちょいとお茶でも飲まへんゆうても、喫茶店ないやろし」

「この水槽にもないけどな」

「ええんや、引きこもってるのが一番なんや」

「でもな、そのうちパートナーを見つけないといけないんだよな」

「パートナー?」

「そ、赤ちゃんを作って、家族を増やすんだ」

「人間の思い通りになんかなるかい!わいは一人で生きるんや」

「あと一年もすれば、パートナーが欲しくなるさ」

「なるかい!あほ!」

 壮介は最後のホッケをペンスケの口に押し込んで給餌を終了した。


 仕事を終え、自転車をこいで海岸に沿った道を走る。今日も雨だ。きっと明日も雨だ。世界は鉛色に沈んでいる。梅雨はそういうもの。自転車をこぐのに退屈して、壮介はすぐに考えごとをはじめる。南極に行けたら、エンペラーペンギンを思う存分調べられるんだろうなと。

 南極の冬、オスが足の上で卵を温めている間、メスは氷の大地を二週間ほどかけて何百キロも旅して餌をとりにゆく。冬は海の上に氷が張りだしていて、海にたどりつくのがそれほど大変なのだ。メスがもどるころ、卵から孵ったヒナは腹をすかせて待っている。多くのオスとヒナがかたまってメスを待っているところに帰ってきて、鳴き声を聞き分けてパートナーの元にたどり着く。この声によるコミュニケーションを調べたいと壮介は思っている。

 エンペラーペンギンは孵化して四年くらいから繁殖行動をするといわれる。いまペンスケは三歳と九ヶ月くらい。六月ころにエンペラーペンギンはつがいを形成するから、今年はまだでも来年あたりはパートナーが欲しくなってよいはずだ。水族館としては、まだなんの計画もない。そろそろ検討をはじめなければならない。ペンスケを連れて行って南極でパートナーを探し、嫁さんを連れて帰ってくるなんてことができたら素晴らしい。となると越冬が必要で、冷え性の壮介にはかなりの困難が予想される。基地に引きこもっていられればいいけど。

 アパートの部屋の前につくと、また換気扇がまわっている。ということは、今晩は麻婆豆腐か。前回相内さんがきてから一週間くらいしか経っていないはずだけど、課題の制作はどうなっているのだろう。

「こんばんは、いらっしゃい」

 壮介がドアを開けると、キッチンに相内さんが立っている。

「おかえりなさい。あなた」

「冗談でもやめて」

「えー、いいじゃないですか。わたしじゃダメっていうんですか」

 ペンギンのように単純にいけばいいのに。

「いや、あまりある光栄です」

「リクエストどおり、麻婆豆腐ですよ。取りかかったばかりだから、まだもうすこしかかりますけど」

「ありがとうございます」

 まあ、話はおいおい聞けるだろう。壮介は、バッグを定位置に置いて、箸など、食事の準備をする。

「明日、休みでしょう?」

「そうです。水曜日がおれの週休です」

「今夜泊りますね?」

「なぜ、うちに泊りにくるんですか。相内さんの実家じゃないですよ、ここは」

「いつでもきていいっていったじゃないですか。録画を見ますか?」

「もう、ええわ!」

「そういうわけですから」

 泊まりにきていいとまでは言っていないという確信があるんだけど。ため息とともに肩を落とした。冷蔵庫から缶ビールを二本だして、グラスに注ぐ。グラスを両手にもって、相内さんのとなりに立つ。

「はい、どうぞ」

 互いにグラスをあてて、ビールを飲む。壮介は大きく息を吸い、いろいろと吹きだまったものを払うように、うまいと言った。

 冷凍庫から餃子の袋をだす。相内さんのとなりで、フライパンに餃子を並べて火にかける。

「餃子ですね」

「食べるでしょ?」

「ビールに餃子。贅沢ですね」

「安いね、相内さん」

「安い女みたいに言わないでください」

「でも、男の家に泊りにきたら安い女なんじゃないの?」

「いえ、高くつきますよ?」

「えー、どういうこと?押し売り?そうだ。クーリングオフ!」

 戦隊もののヒーローのようにポーズを決めた。

「ひどい」

 餃子と麻婆豆腐が完成した。ビールを飲みつつ食べる。

「麻婆豆腐うまい」

「へへん」

「簡単に作れたんですか?」

「もちろん」

「本当は?」

「昨日友達に手伝ってもらって、特訓しました」

「その甲斐ありましたね。友達もおいしいっていったでしょう?」

「まあ」

「課題の制作は、もう終わったんですか?」

「構想はかたまって、作ってるんですけど、問題がありまして」

「どうしたんです?」

「わたしには作れない部分が」

「相内さんに作れないものを、おれに作れと?」

「いえ、そうじゃなくて、作りたいものがアクリルなんです」

「あれ?学科は?」

「彫刻」

「彫刻でアクリル使うの?」

「そのうち樹脂をつかった造形も実技の授業あります」

「彫刻なのに樹脂の作品もつくるんですね」

「基本なんでもつくりますよ?必要があれば。木でも、石でも、金属でも。箸とか家具とか、ノミとか工具だって」

「すごい。でも、今回はまだやってないから、プロに頼むってことですか」

「やったことないだけなら誰かに聞けばよさそうだけど。大きいし、特別なことをする必要がないし、時間の節約になりそうだし」

「アクリルっていうと、あれでしょ?水槽のガラス」

「まさに!それで久保田さんに相談しようと思って」

「そういう真面目な相談なら、水族館にくればよかったのに。麻婆豆腐の特訓しなくても済んだし」

「いいんです!ホント、わたしのこと邪魔者扱いしますよね。失敬な」

「ごめんなさい。邪魔者扱いして、ごめんなさい」

「言い直さなくていいです」

 もうお決まりのやりとりみたいなものになっている。壮介にはひとつの楽しみといっていい。

「アクリルの業者を調べればいいんですか?」

「はい。そして、安くお願いしてもらえると、たいへん嬉しいです」

「どうだろ。おれが発注してるわけじゃないですよ」

「でも、水族館の人が紹介ってことで安くしてくれないですかね」

「わからないけど、学生だからって頼んでみるか。えーと、相内さんのケータイにかけてもらうようにします?それとも直接行きたいです?」

「明日付きあってください」

「なるほど。休みだけど、一回水族館に顔出さないとだな」

「ありがとうございます。いまのわかりました?ハートマーク」

「ぜんぜんわかりません」

「むー」

 相内さんはほっぺをふくらませた。かわいいからつい、ほっぺをふくらませるようなことを言ってしまう。

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