第7話  オブジェ制作中?

 今日最後の餌やりタイム。エンペラーペンギンのペンスケを残すのみ。相変わらず一人ぼっちでぽつんと突っ立っている。エンペラーペンギンは一羽しかいないから無理もないけど。

「おい、食事の時間だぞ」

「ああ、ほうか」

「食欲ないか?どこか具合わるいのか?」

「いや、大丈夫や。最近あの子見ぃひんな」

「あの子っていうと、相内さんだな」

 ペンスケに餌を食わせる。

「逃げられたんか?さっさと交尾かまさへんから逃げられるんやで」

 ペンスケがくちばしを壮介のほうに向ける。人間で言うと、顔を向けるといったところだ。

「うーん。このあいだ、ちょっとチャンスだった気もするんだけど、相内さんの気持ちがいまいちはかりがたいものがあって、いや、自分の気持ちもそうなんだけど」

 もやもやした気持ちを、そのままもやもやした言葉で表現することしかできない。

「気持ちなんてどうでもええやん。子供ができたら一緒に育てるだけやろ」

「だけじゃない」

「なにがあったんや。わいが聞いたるさかい、ゆうてみい」

「相内さんがさ、うちにきたんだよ」

「ほう、そりゃ、子供がほしいゆうとるようなもんや」

「まあ、世間の常識は、そんな感じなんだけどさ。相内さん天然だから、わかってないんだよな、たぶん」

「わかってなかったら、わからせるだけやろ」

「いや、そうしようと試みたんだけど、なんか相内さん強がって反撃してきて、うまくいかなかったんだ」

「なんやそれ。なにゆうとるのかさっぱりわからんな」

「おれにもわからないんだから、仕方ない。なんで泊っていったんだろうな」

「なんや、泊っていったんかいな。そんでなんもしいひんかったら、そら怒るがな」

「いや、怒ってはいないと思うんだけど」

「怒ってるから顔見せんのとちゃうんかい」

「最近こないのは大学でオブジェを作りはじめたからなんだ。もうペンスケは用済みということだな」

「オブジェ?絵ぇ描いとったんはそのためだったんや」

「そうだ。完成したら見せてもらうことになってる」

「わいも見られるんか?」

「ペンスケは無理だ。ここから出られないからな」

「もってきたらええやん」

「オブジェがどのくらいの大きさか知らないけど、もってくるのは無理だろ。壊れたら大変だ」

「完成品をチェックする権利はないんかい」

「権利はペンギンには認められてないな」

「けったくそわるいな、ほんま。公民権運動起こしたろか」

 そんなことができたら面白いと、壮介は一瞬考えた。グンマでは権利の意識が高く、ペンギンまでも公民権運動を起こすまでになった、などとテレビのレポーターが紹介する場面を想像してみた。

「まあまあ、デジカメで撮らせてもらって、写真を見せるから。それで納得しろ」

「なんや、その玉虫色の解決は。日本の政治家か」

「日本の政治はいまだにひどいみたいだけどな。でも、ほかに方法が思いつかないんだ。悪いな」

 壮介はニュースを見たり聞いたりしないから、日本どころかグンマの政治にも詳しいわけではない。

「わいも連れてったらええやん」

「死ぬぞ、ペンスケ。外の世界は、菌やらウイルスやらであふれかえってるんだ」

「うへー、ようそんなところで生きとんな、人間ゆうのんは」

「そうだな。人間の世界は汚いんだ。出てこない方がいいぞ」

 帰り、梅雨の雨のなか自転車をこぐ。今日あったことを反芻する。ペンスケに相内さんのことを相談するなんてバカなことをしたものだと、自分でおかしくなった。壮介はニヤニヤしてアパートへ帰った。

 玄関ドアの前まできたら換気扇がまわっていて、カレーのいい匂いがしている。ドアノブに手をかけると、鍵が開いていることがわかった。ドアを開ける。

「あ、おかえりなさい」

「ただいま。今日はカレーか」

「大好きでしょう?」

「まあね」

 傘を玄関に立てかける。

「すぐ夕飯にする?あともう少しでできるけど」

「そうだな、腹減ったよ」

「じゃあ、着替えておいて」

「ああ。って、なんでうちにいるんですか!」

 キッチンでカレーを作っていたのは、相内さんだった。

「いつでもきていいっていったでしょう?」

「いいましたっけ?」

「いいました。では、録画をご覧ください。どうぞ」

 明後日の方向を向いて手を伸ばす。壮介も手で示された方に顔を向ける。また壮介の方に向き直る。

「ほら。言ってる」

「なにも見えてないけど」

「もう、冗談はよし子さん」

「どっちが冗談ですか。だいたい、どうやって部屋にはいったんです?戸締りは完璧だったはずなのに。まさか、大家に妹ですなんて言って開けてもらったんじゃないでしょうね」

「なんですか、そのソーシャルハック。そんな古典的なことはしません。大家さん知らないし。大家さんの連絡先教えてください」

「断る。じゃあどうやって部屋にはいったんですか」

「合鍵をくれたじゃありませんか」

「合鍵?」

 壮介は思い出した。相内さんが泊まった翌朝、仕事にでかけるのに合鍵を預けていたのだった。でもその日、壮介が仕事から帰るまで相内さんは部屋に居すわっていた。そのせいで、合鍵を返してもらうのを忘れていたのだ。

「相内さん。合鍵を返してください。合鍵を使うなんて、ミステリのトリックだったら読者怒りますよ」

「おっと、下手に出てきましたね。自分のミスに気づきました?」

「合鍵を渡したわけじゃないですからね。一時的に預けただけです。あのとき帰らなかったのは、このためだったんですか?」

「そんなことはありません。わたしも忘れてました。家に帰るまで合鍵をもってきてしまったことに気づかなかったですよ。気づいたときは、使える!と思いましたけど」

 腰に左手をあてて胸をはる。右手はお玉をもっている。そんな決めポーズをするようなことではない。合鍵は返してもらえた。

「で、どうしたんですか、今日は」

「まあまあ、食事ができますから、まずはカレーを召し上がれ?」

 右足を引いて腰を落としている。カーテシーだ。相内さんは高貴な出なのかもしれない。そんなわけはない。本格的なやつじゃなくて、一般人のイメージ通りの軽いやつだ。

 壮介は、バッグをいつもの場所に置いて洗面所へ行き、手と顔を洗い、うがいをした。

 帰ってきてクーラーが効いているというのはなかなかいいものだと思いながらテーブルにつく。相内さんがカレーの皿をもってきてくれる。席につくのを待ち、いただきますと言って一口食べる。

「どうです?」

「うん。おいしい。自分じゃ作らないから、久しぶりな感じです。いつもはレトルトばっかりなんですよね」

「よかった」

 もう一口カレーを食べる。

「どうしたんです?料理は苦手なのかと思ったけど、自分から作ってくれるなんて」

「いいえ、苦手ではないですよ?」

 横を向いている。たぶんウソだなとわかった。おいしくて、壮介はどんどん食べる。食べながら話す。

「オブジェの進捗はどうです?」

「進捗ダメです」

「ダメ?けっこう何日もたちましたよ。ということは逃げてきた?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど。そういうわけじゃないんですけど、ダメです」

「わかりません」

「わからなかなー。この気持ち」

「すみません。鈍感なんで」

「ホント、人の気持ちに鈍感ですよね。動物ばっかり世話してるから?」

 チャンスを見つけると逃さず攻撃してくる。

「けっこうヒドくないですか」

「ヒドくありません。まだ生ぬるいくらいです」

「生ぬるい?手ぬるいかな」

「生ぬるいって言わないですか?手ぬるいと同じ意味で」

「そう?いうんだ。わからない。言うかもしれない。で、なんで進捗ダメなんですか」

「だって、大変なんだもん」

「大変だとは思うけど。せっかく絵を何枚も描いたんだから、形にするのが楽しみになるんじゃないですか?やっと次の段階なんだから」

「形にするところに行くまでが、つらいんです。材料を用意したり、スペースを確保したり、そういうことを考えると、手をつけるまでにすごい気力を使うんですよ」

「そんなものですか」

「そんなものです」

 やっぱり、ここでも胸をはる。なにかごまかしたいという意識なんだろうか。どう対応していいかわからない。

「それで、逃げてきて、うちでカレーを作っていたと」

「逃げてきたわけじゃないんだけど、きちゃいました」

「じゃあ、明日から制作に取りかかるぞってことですか」

「うーん。どうしよっかな。どうしたらいいと思います?」

「なんですか、その問題は。明日から取りかかってください。締切あるんでしょう?」

「うう。またきていいですか」

「いいですよ。そのかわり進捗だしてください」

「鬼だ。会社の上司だ」

「つぎは、麻婆豆腐でお願いします。できれば、味付けはクックドゥ的なものじゃなくて、合わせ調味料をつくっておいて投入で」

「わたし魔法使いじゃないんだけど」

「魔法というほどじゃないですよ。本があるので、見ながら作っていいです」

「か、借りていっていいですか」

「もちろん。でも、料理よりオブジェですよ?」

「わかってます。そうそう、これあげますね。ケータイください」

「ケータイ?」

 ケータイを受けとると、ごそごそやって、壮介に掲げて見せた。イルカのストラップがさがっている。イルカは金ぴかの金属でできている。鳩サブレのように扁平で、片面にはステンドグラスのようにカラフルなガラスがはまっている。はいといって、壮介にケータイを返した。

「これは?」

「まえ授業の課題で作ったんです。かわいいでしょう」

「え、一個しかないんでしょう?自分でもってたほうがいいですよ」

「ん?あげるっていったでしょう。迷惑?」

 目つきが鋭くなる。

「いやいや、なんというか、もったいないと思うんだけど」

「必要になったらまた作ればいいんですよ」

「そんな。簡単にいうけど、大変じゃない?」

「わたしがいいっていってんだからいいの!」

「はあ、ありがとう、ございます。でも、ケータイにつけて失くしたら大変だから、違うところに」

 相内さんは、腰をあげてケータイをもつ壮介の手首をつかんだ。目を見つめてくる。

「ケータイにつけて、肌身離さずもっておいてね?」

「これは、なにかお守り的な」

「どちらかというと、縄張りを荒らすなという警告です」

「そんな物騒なものなんですか」

「まあ、男性がもっているイメージとはかけ離れているかもしれません」

 目が笑っていない笑顔が怖い。もう言われたとおりにするしかない。

 相内さんは、泊るといいださずに、素直に帰ってくれることになった。駅まで送りに一緒に部屋を出た。駅構内にはいって、もうすぐ改札というところ。

「カレー、おいしかったです。ありがとうございました」

「つぎは麻婆ですね」

「それより、オブジェ、しっかり取り組んでください」

「うう、言わないで」

 立ち止まって両手で耳をふさぐ。壮介は相内さんの手をとって、両手で下から包む。頭をさげて額を相内さんの手の甲につける。

「はい、手にパワーをいれました。これでガンバれます」

 相内さんはいま創作の苦しみを味わっている。懊悩は壮介の計り知れるものではない。気休めのまじないくらい提供するのはなんてことない。それでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 また歩き出す。

「いまの、愛情パワー?」

「恥ずかしくないんですか」

「ぜんぜん」

「じゃあ、そうです」

「え?」

「です」

「なんですか?」

 改札が目の前だ。

「愛情パワー、です」

「はい、よくできました」

「ぐぅ。前回吸い取られたのに進捗がなく、また。魂がすり減った気分です」

 壮介は立ち止まり、相内さんが改札に踏み入る。

「もう帰ってください」

 急に振り返る。すでに改札を通過していて、ゲートが閉じる。閉じたゲートに太ももを押えられながら、相内さんはなにか言いたげにしていたけど、あきらめて帰って行った。

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