第6話 お宅訪問(2)

 相内さんが部屋にいたいようだから、出かけるのはあきらめた。お茶を飲みながらいろいろと話をした。壮介の中学時代のこと、首都直下型地震、プレートの沈込みで関東平野のほとんどが水没したのが高校卒業間近というときだったこと、群馬県が中心になり東日本が独立を宣言してグンマ国成立したのが大学時代のこと、国立水族館ができて飼育員として就職できたことなど。途中、何度か席を立ってレコードを裏返したり交換したりした。

「高校のときはどこに住んでたんですか?」

「太田。だから、うちも海の中に沈むかと思いました」

「じゃあ、わたしのうちと久保田さんの実家は近いかもしれませんね」

「うちは南のはずれのほうですよ。駅から遠いから、そんなに近くないと思う。え?実家にもきたいですか?」

「いいですか?ご挨拶にいって」

「冗談キツイ。親はよろこんじゃいますけど。年寄をぬか喜びさせちゃかわいそうだ」

「もう経験が?」

「なんの?」

「とぼけましたね」

「なんのことですかね」

 肩をすくめる。

「まあ、いいです。人に歴史ありですね」

「相内さんは歴史が好きなんですか?」

「いってろです」

「そろそろ帰る心配した方がいいんじゃないですか?」

「また追いだそうとする」

 むっとした表情をする。

「いやいや、遅くならないうちに帰った方がいいんじゃないかと心配してるんですよ」

「今日は泊って行こうかな」

「勘弁してください。明日仕事なのに、寝不足で働けなくなっちゃいます」

「なんで寝不足になるんですか。エッチなこと考えてるんでしょう」

「泊っていくってことは、エッチなことが待ってるってことじゃないんですか」

「久保田さんが望むなら、わたしはこの身を捧げます」

 指をからめて胸のまえで手を組んだ。敬虔なクリスチャンと見まごうばかりだ。

「すみません。美人さんが同じ部屋に寝てると思うと、緊張して眠れなくなっちゃうってことです」

「お上手ですこと。でも、お酒飲むと電車に乗って帰るの、けっこう大変なんですよね。前回わかったんですけど」

 それは、わかっている。

「お酒を飲まないという選択はないんですか」

「わたしとお酒飲みたくないんですか」

「またー。なんですか、その被害妄想的な発想は。自分を大切にしてください」

「わたしを大事にしてくれるんですか」

「してますよ」

「じゃあ、泊めたらいいじゃないですか」

「うーん。ああ、そっか。これから太田に行って、太田で飲んだらいいです。そしたら、相内さんの家の近くまで送ります」

「わたしは、久保田さんの部屋で飲みたいんです」

「げっ。なんですか、そりゃ。そうすると、買い物に行って、料理して、食べながら飲むってこと?」

「ざっつらいと」

「すでに酔ってます?」

「首絞めますよ」

「そういうのは、お付き合いしている男女がするものでは」

「え?」

 目を細めて睨んでくる。そんな表情の相内さんもいい。

「えっと、今日ですか、それは?」

「今日です」

「次の機会とか」

「今日です。だれかきますか」

「きませんよー。そうだ、泊る準備とか」

「万全です。化粧しないので、着替えとかだけ」

「はじめから泊るつもりだったんですか。料理は」

「お任せします」

「反応はやっ。作ってくれるんじゃないんですか。女の子の手料理、ポイント高いですよ」

「男性の手料理はもっとポイントが高いと思いますけど」

「布団一組しかないです」

「一緒に寝ましょ?」

「ソファで寝ます」

 なんなんだろ、この押しの強さは。壮介の中で、相内さんの印象がかわってきた。

「相内さん、出身はどちらでしたっけ」

「高崎ですけど、なにか」

 そうか、どうりで。壮介は納得した。群馬には、昔から「かかあ天下とからっ風」という金言だか格言だかがあって、女性が強いので有名なのだ。女性の外見の美しさに騙されると痛い目にあう。日本三大ブスともいったけど、相内さんには当てはまらない。かつての日本三大ブスは、いまそのままグンマ三大ブスだ。

「高崎だったんですね。太田まで通って通えない距離じゃないですよね」

「遅くまで大学に残ることが当たり前だと思ってたので、はじめから一人暮らしするつもりでした」

「あ、そうですか」

 駅で相内さんがやってきたとき、スケッチブックをもってきたわけでもないだろうに、やけに大きい荷物もってきたなと思ったのを、壮介は思い出していた。

 この警戒心のなさは、なんなのだろう。壮介を男と思っていないのか、草食系というやつか。自分の方が強いという自信のあらわれなのか。警戒心をもつには若すぎるのか。痛い目に遭わないといいけど。

 壮介は相内さんの言葉に従うしかないとあきらめた。

 一度買い物に出かけ、壮介が料理し、お酒を飲みながら食べた。相内さんが入浴中、偶然いい思いをするということもなく、相内さんがベッドで、壮介がソファで就寝した。

 翌朝、壮介が出勤する時間になっても相内さんは起きなかった。合鍵をテーブルに置き、帰るとき鍵をかけて郵便受けにいれるように書置きをした。書置きは古くさいやり方だった、メールにしておけばよかったとあとで気づいた。

 昨日相内さんが家に泊ったという事実がふと頭をよぎることがあって、仕事が手につかない。ペンスケにもぼうっとするなといわれてしまった。ペンギンのくせに、よく見ている。

 仕事をどちらかというと上の空で終えてアパートに帰ったら、まだ相内さんが部屋にいた。

「ちょ、なにやってんですか」

「おかえりなさい」

「あ、ただいま。じゃなくて」

「ノリツッコミだ」

「いやー、お恥ずかしい。じゃない!」

「きゃ、急に大きな声ださないでください」

「あ、すみません。とにかく、どういうことですか。なんで帰ってないんですか」

「だって、またきていいって」

「え?一回帰ってまたきたんですか?」

「帰ってないけど」

「帰れやー」

「大きな声ださないでください。近所迷惑です」

「あ、すみません。もうええわ」

「わあ、お笑いみたい」

 頭をかかえる。

「とにかく、どういうことか説明してください」

「まずは、腹ごしらえしません?夕飯はなににします?」

「作ってくれるんですか?」

「お願いします」

「くっ。やっぱり」

 壮介は、仕方ないから、夕食の支度をした。米は夜に一日分を炊くことにしているから、相内さんに食べてもらう分も炊ける。おかずは二日分を一度につくることにしている。今日は明日の夕食の分もおかずを作る予定だったから、相内さんが食べても明日またおかずをつくればいいだけだ。

 食後は、紅茶とコーヒーをいれた。その間、相内さんは、映画を観ていた。

「これでしょう?エンペラーペンギンの映画」

「そうです。観てなかったですか?貸しますよ」

「ありがとう」

 笑顔で返されても、壮介は複雑な気分だった。

「で、今日も泊るつもりですか」

「ううん、帰ります」

「よかった」

「あ、やっぱり帰りたくない」

 口をとがらせてへそを曲げてしまった。

「着替え、もうないですよね」

「洗濯して、今日も天気よかったから乾いてます。あ、久保田さんのも洗っときました」

「なんてこった。ありがとうございます。えーと、大学は?」

「明日は一限に授業はいってないから大丈夫です」

「ペンギンのオブジェは?」

「締め切りまでに制作すればオールオッケー」

「間に合うんですか?」

「間に合わせます」

「すごい自信」

「そのためには、充電が必要なんです」

「充電?」

「そう、充電。愛情パワー」

 肘をまげて力こぶをつくるポーズをとる。

「愛情?」

「愛情」

「それはどうやって」

「会話したり、抱きついたり、困らせたり、励まされたりですよ」

「はあ。えっと、もう遅いから、そろそろ」

「あん?」

「女の子が男の部屋にいりびたるというのは、あまりよくないというか」

「まだ、励まされてませんが?」

「おれ?」

「えーと、ほかに誰か見えてるんですか?」

 手を額に当てて遠くのものを探すように、キョロキョロと室内を見まわす。

「おれから、なにか吸い取るの?」

「愛情パワー」

「はあ。そしたら、こういうのはどうです?」

 立ち上がり、相内さんの手を引っ張って立たせる。腕を背中にまわして、相内さんを抱きしめる。女の子って、華奢だ。つらい。相内さんも壮介の背中に手をまわして、シャツをつかんでいる。相内さんの耳元にささやく。

「大丈夫、相内さんなら、きっといい作品になります。ファイト」

 すこし間をとってから、体をはなした。

「どんなもんでしょう。愛情パワー」

「帰ります」

 相内さんは、うつむいている。

「な、なんか感想はないんですか」

「なかなかよかったです。久保田さん、やりますね。そうやって、何人の女性を落としてきたんですか」

「してません、そんなこと」

「駅まで送ってくださいます?」

「わかってます?」

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