第3話 ペンスケ(1)

 相内さんは、たびたびやってきて飼育員室で動画をスケッチをするようになった。壮介はいつでも相内さんの相手ができるというわけではない。手を離せないときには、展示スペースでのスケッチでガマンしてもらわなければならない。

 そのうち、壮介が女の子と親しくなったと、飼育員の間で噂になった。悪い気はしないけど、相内さんにそのことを知られるのは、いたずらがバレるような感覚があって避けたかった。

「いっぱいスケッチするんですね。一枚の絵になるんですか?」

 展示スペースで相内さんがスケッチしていて、ペンスケは水槽の陸地で突っ立っている。

「いえ、わたし彫刻科なので。絵ではなくて、オブジェって感じのなんです」

「へー、それでも絵を描くんですね」

 壮介は、スケッチブックを見つめて話す。よく相手の目を見て話せというけど、会話をするときは視覚情報がすくない方が話しやすい。目は口ほどに物を言うというとおり、目は表情ゆたかで情報量がおおい。話の内容を理解し、反応を返すためには、多すぎる情報は邪魔になる。壮介は会話の合間にちらとだけ目を見るようにしている。

「はじめは絵からはいって、全体の構想を絵にまとめてから制作にうつります」

「絵が専門じゃないのにうまいのは入試があるからですか?」

「入試でも素描の試験あります。彫刻制作に絵を描く段階が必要だから、試験科目になってるんですけどね。もちろん実技の授業もあります」

「じゃ、彫刻やるには、まず絵が描けないとダメなんですね」

「ダメかどうかわからないけど、普通みんな絵うまいです」

 聞いてしまったら、相内さんがつくる作品に興味が湧くというものだ。

「作品が完成したら、一般の人も見られるますか?」

「ただの授業の課題なので、展示会とかないです。でも、完成したらお見せします」

「やった。約束ですね」

「はい、約束します」

 壮介は、相内さんに視線を移す。魅力的な目が壮介を見つめていた。


 給餌の時間。いつもどおり最後はエンペラーペンギンのペンスケだ。

「今日もきとったな、あのベッピンさん」

「ああ、相内さんな。とりあえず食え」

 ペンスケのくちばしに魚の頭を押しつける。

「いただきます」

 頭から魚を飲み込む。

「相内さんは、ペンスケの絵を描いてるんだぞ」

「そのペンスケっちゅうイケとらん呼び方やめてんか。わいにはリチャードっちゅう立派な名前があるんやんか。これからはリッチー呼んでんか」

「リチャードって、誰もそんな名前つけてないぞ。ペンスケはペンギンのペンに壮介のスケをとって、おれがつけてやった名前なんだ。ありがたくペンスケと名乗っておけ」

「なんやねん。名前くらい自分の好きに名乗らせたかて神様も文句いわんやろ」

「おれが文句いう」

「意地っ張りで子供やな、いつまでたっても」

「お前はおれの親父か」

「で、なんやったっけ。そうや、モデル。モデル代もらえるんか?んんぐぅ」

「シャベリながらメシを食うな。死ぬぞ。ちなみに、モデル代はもらえない」

「なんや、ケチやなー」

「お前は突っ立てるだけでなにもしてないだろが。相内さんは、ペンスケが泳いでるところが見たいんだ。今度見かけたら泳ぐところ見せてやれよ」

「なんでわいが、そないなことせなかんねん。惚れたんか?」

「さあな。でも、目がキレイなんだ」

「惚れとるやないかい!さっさと交尾キメたればええんや」

 壮介はため息をついて、額に手を当てる。

「ペンギンとはちがうんだよ。そんな単純な話じゃないんだ」

「ペンギンかて、相手は選ぶっちゅうねん。バカにすんなや」

「だったら、言わなきゃいいだろ」

「ちょっと言うてみただけや」

「ま、いいや。気が向いたら、泳いでるところを見せてやってくれ」

「けっ」

 ペンスケは、卵から孵ってヒナのころは天使だったのに、いまは見る影もない。どんな動物でも同じだ。小さいころがかわいい。

 エンペラーペンギンのヒナは特にかわいいことで有名だ。天使といっても多くの人が同意してくれる。灰色の体に黒い頭。目のまわりから首にかけてが白い羽毛で覆われる。エンペラーペンギンにそっくりなキングペンギンの場合、ヒナはむしろキウイに似ている。エンペラーペンギンのヒナとは全然違う。あまりかわいくない。

 ペンギンはトリだ。トリには、有名な刷り込みという現象がある。刷り込みによって、人間を親だと思って、自分がペンギンだということがわからなくなってはいけない。水族館のペンギン担当たちは、その対策として刷り込みの起こる期間中、特製ぬいぐるみを使ってヒナのペンスケに餌を与えた。エンペラーペンギンのぬいぐるみを加工したもので、くちばしの奥に餌を与えるための管をだすようにした。餌は、魚と生クリームをミキサにかけたもので、ドロドロしている。ドロドロの餌を注射器につめて管から押しだす。工夫の甲斐あってか、ペンスケは自分がエンペラーペンギンであるということを自覚している。

 むしろ、壮介がペンスケを自分の子供のように思ってしまう場合がある。ペンスケと口論になって、イラッときてしまう。口論には、頻繁になる。人の親になるというのは大変だ。人ではなくペンギンの親だけど。

 ペンスケは人間の言葉を話す。自分が人間ではないと自覚しているのに。不思議だ。はじめてペンスケが言葉を発するのを聞いたとき、壮介は自分の頭がおかしくなったのだと思った。それは三年前、年明けの忙しさが落ち着いてきて、どうにか二月にはいったころのことだ。肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていた。ペンスケはその前年の十月に孵化して、ヒナの羽から大人の羽にかわっている最中だった。

「すまんねんけど、ちょっと頼まれてくれへんか」

 ペンスケは、はじめから文章をシャベった。ヒトの子供なら意味のない音をだして、単語になり、文を話すようになる。壮介が自分の頭を疑ったのも道理というものだ。

「おれは働きすぎのようだ」

「ほうか、あまり根を詰めると体こわすで」

「ペンスケがシャベる幻聴なんて」

「幻聴やない。わいシャベっとるがな」

「あり得ない」

「なんや自分が信じれんくなっとるんか。病院行ったほうがええんとちゃう」

「ペンスケがしゃべるわけない。これは現実ではない」

「アホやな。現実より常識を信じるんかいな」

「常識ではない。生物学だ」

「だったら簡単や。生物いうんは進化っちゅうもんをするんやで。ヒトかてサルから進化してシャベるようになったんや。ペンギンが進化してシャベったかておかしないやろ」

 壮介は自分が冷静になるのを感じた。相手が生物学でくるなら生物学で返すのみだ。

「おかしい。知能の高いチンパンジーだって、シャベるチンパンジーなんていないんだ。ペンギンがシャベってたまるか」

「ヒトは脳が大きなったんやろ。なんでか知っとるか。ゆうてみい」

「二足歩行することで、直立姿勢をとって脳の重量を支えられるようになったからと考えられている」

「見てみい。これなんや」

 ペンスケは立っていた位置を中心に円を描くようにヨチヨチ歩いている。

「まさか。二足歩行か?」

「そうやな。いままで気づかんかったんかいな。アホやなあ」

「トリに前足がないんだから、二足歩行で当然だ。四足歩行するトリがいたら、その方がすごいぞ」

「よくわいがトリやゆうこと知っとったな。パンダの仲間と思わんかった?」

「あのな、パンダとペンギンの似ているところといったら、白黒のところと脂肪がたっぷりのっているところくらいだろ。誰にむかってそんなこといってんだ、おれはペンスケの育ての親だぞ」

「オトン。気にしとんのに」

 ペンスケは首を折って腹のあたりを見た。

「オトンじゃない」

「ホンマ寝ぼけとるんかいな。二足歩行が大事なんちゃうで。自分でゆうたやないか。直立姿勢で脳の重量を支えられることが大事なんや。トリの中でもペンギンだけやろ、こないな姿勢しとるのは。まったく世話の焼ける子やな」

 ペンギンはまっすぐ立っているようにみえて、実は骨格的には膝を折った状態で立っている。厳密には直立姿勢ではない。でも、いまは脳の重量を支えられるということを話しているのだ。脊椎と頸椎が重要なのであって、膝をのばしているかどうかは本質ではない。壮介は膝を曲げた姿勢については言及しないことにした。

「それだけでシャベれるようになるわけじゃないぞ」

「ええとこに気づいたで、ソウスケ。ダテに飼育員やっとらんな。

 たとえば、チンパンジーが賢いゆうたかて、わいやヒトのようにシャベれるようにはならへん。なんでかゆうたら、声帯や舌を器用に使って声を調節できるようにはなってないからや。せやから手話とか音声以外を使って人間とチンパンジーが会話するなんて研究はある。

 トリやったら声を自在に操れるで。カナリヤはなかなか複雑な歌を歌うし、九官鳥やオウム、インコはヒトの真似をしてシャベることができる。ほかにヒトの真似してシャベれる動物なんておらへん。トリだけや」

 壮介は言葉に詰まってしまった。ペンギンに言いくるめられるなんて、ひどい屈辱だ。

「だが、ペンギンはペンギン目で、鳴禽類の属するスズメ目ではない。九官鳥や、オウム、インコがシャベれることはペンギンがシャベれることの根拠にはならない」

「知らんがな。これが現実なんやし、現実が根拠や。大事なのはナントカ目かどうかちゃうやろ。ペンギン目もシャベれると生物学を変更したらええやん」

「ぐぬぬ」

 壮介は納得させられてしまう自分が悔しかった。生物学を勉強したものとして、現実を無視して、いままでの生物学が正しいとすることはできない。

「なんで関西弁なんだ。きっと関西の人が聞いたら怒るようなインチキ関西弁だぞ」

「はて、なんでやろ」

「だれも関西弁を話してないのに、どうやって言葉を覚えたんだ」

「世の中には不思議なことがあるんや」

 のらりくらりと。壮介は、自分の頭がおかしいという可能性をいったん棚上げにした。

「それで、頼み事ってのはなんだ」

「ああ、頭かいてくれへん。かゆうてたまらん」

 ペンスケの頭のテッペンにはヒナの羽がモサモサとこびりついていた。

「そんなもん、そのへんの岩にでもこすりつけろ」

「ああ、その手があったわ」

 翌日になってもペンスケは遠慮を知らずシャベった。一度くらいなら気のせいということで自分をごまかすこともできたのに。しぶしぶ壮介は現実を受け入れ、人間と話すのと同じようにペンスケと話すようになった。いまのところ二人だけの秘密だ。いや、ひとりと一羽だけの秘密だった。

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