超古代姉文明
太刀川るい
超古代姉文明
シベリアの永久凍土から【姉】が発掘されたという話を聞かされた時、わたしは思わずカレンダーを確認した。
そして、その日がエイプリルフールでないことを確認すると、
「意味が分かりません」と電話口に向かって言った。
「そんなことを言っても事実だから仕方がない。とにかく【姉】としか言いようがないんだ。とにかくすぐ来てほしい」
エヴァンズ教授は電話越しに困ったような声でそう告げた。
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「信じられない……」
月並みな言葉が喉から漏れた。
電話から3日後。シベリアの永久凍土に空いた巨大な穴の中、その穴の底で、私は3メートル程の石柱を目の当たりにしていた。柱と言っても、ギリシャの神殿の柱のように丸く削られているわけではない。細長い石をそのまま地面に垂直に突き刺しているようなものだ。だが柱の表面はなめらかに削られていて、明らかに人の手が入っていることが見て取れた。
柱の周囲には、横倒しになった石が時計の文字盤のように並んでいる。日本の石器時代のストーンサークルにも似たようなものがあるが、それを一回り大きくした感じだ。
私は思わず上を見上げた。4階建ての建物ぐらいはある穴の上に、小さく青空が見えている。これほどの深さに遺跡があるなんて、常識では考えられない。
「このあたりって農耕にも不向きですから、狩猟採集民ですよね。彼らがこんなものを作れるんですか?」
「狩猟採集民族による、モニュメントの建設は、ギョベクリ・テペの例を考えると、ありえないことではないさ。だが、問題は年代だ。同じ地層から出てきた石器の柄は、炭素年代測定によると3万年前という値になっている」
「3万年!?」
エヴァンズ教授の言葉に、私は思わず声を裏返した。
3万年前といえば、氷河期真っ只中、旧石器時代の話である。そんな時代に建設されたモニュメントなんて、世界中どこを探しても見つかっていない。それだけで教科書が書き換わってしまう大発見だ。
「大発見じゃないですか! これ、ロシアの考古学会は把握しているんですか?」
「もちろん。だが彼らはここの発掘を中止して引き上げてしまった。私を残してね」エヴァンズ教授は現場用のヘルメットの下で難しい顔をした。
「彼らが、発掘を中止した理由。それが問題なのだ。彼らはここで……【姉】に遭遇したと言っている」
「【姉】ですか? 来る途中にも資料読みましたけれど、何がなんだか……」
「詳しい話は上でしよう。ショーン」
教授が無線機にそう話しかけると、上からクレーンで吊り下げられたゲージが降りてきた。教授は閂を開けると、私と一緒にそれに乗り込む。
教授が無線機で確認を出すと、ゲージはゆっくりと上がりはじめた。
「しかし、凄い深さの穴ですね。これ、全部掘ったんですか?」
私は懐中電灯で壁面を照らしながらそう聞いた。土は脆いのか、食べかけのチョコレートケーキのように、自然にポロポロと崩れ落ち、穴の底に落ちていくのが見えた。
「いや、自然にできたものだ。気候が温暖になった影響で永久凍土が融け、そこからでたメタンガスが一度溜まったものが抜け、この様な穴が形成されたと考えられている。地上に穴が通じたのはつい最近のことだそうだが……そうしてできた穴の底が、偶然遺跡に繋がったのだな」
「でも、ここの永久凍土って……もっとずっと前に凍ったものですよね……。最後の氷河期だったら、7万年前とかですよ? なんでそこの下に3万年前の遺跡がでてくるんですか?」
私がそう言うと、エヴァンズ教授は首を振った。
「わからない。古代人がわざわざ永久凍土まで掘削したのかもしれない。そしてそれを埋め直したとは考えられないだろうか?」
「何のためにでしょうか?」
「わからない。しかし、それよりも今は、【姉】の話を考えねばならない」
ゲージは穴の縁を超え、広いシベリアの大地が眼前に姿を表した。短い夏を駆け抜ける涼しい風が私の髪の毛をふわりとなでていった。
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「ロシアのチームは先日までここで発掘作業をしていた。だが……」
さっきまで私達が入っていた巨大な穴の近くに、発掘用のテントがあり、そこに私達はいる。テントの中は案外広く、なかなか快適だ。
「今はもう引き上げたって言ってましたね。それって……」
ああ、とエヴァンズ教授は頷くと話はじめた。
「全ては【姉】の影響なのだ」
エヴァンズ教授の話をまとめると、以下のようになる。
始まりは、シベリアの大地に空いた巨大な穴に向かって、YouTuberがドローンを飛ばしたことだった。穴の底に、人工物のようなものが見えていることが、動画共有サイトで指摘され、実際に地元のテレビ局が出向いたところ、いくつかの石器と、石像を見つけたのだ。
たちまちロシアの考古学会が発掘隊を組織し、現場に向かった。また海外の大学からも何人かの研究者が呼ばれた。エヴァンズ教授もその一人だ。
遺跡は、今まで見つかったどの遺跡よりも古く、世紀の大発見になることは間違いなかった。だが……
「発掘に関わった人間が、ことごとくおかしくなり始めたのだ。彼らは同じことを口走りはじめた『自分には姉がいる』とね」
「【姉】ですか?」
「その通り。実際に姉がいない人間ほど、どんどんおかしくなっていった。【姉】が自分を呼んでいる。【姉】は優しく、間違えない。【姉】は自分を導いてくれる。【姉】は私に奉仕してくれる。私は【姉】を助け出さなければならない……等とね」
「それって……どういうことですか? 同じ幻覚を見ているってことですか?」
「同じ……とはちょっと違う。これは各隊員に姉の容姿を描いてもらったものだ。こうしてみると、見事にバラバラになる」
教授はそういうと、ファイルから手書きの紙片を何枚か取り出して机の上に並べた。ブロンドの姉、黒髪ロングの姉、ウェーブがかかった姉、優しい微笑みを浮かべる姉、慈愛に満ちた姉。
「ただ、【姉】という概念だけは共通している。君はどう考える?」
「集団ヒステリーのようにも思えますが……」
「確かに、そう考えることもできる。だが全く事情を知らない新規できた作業員も同じ症状を訴えたのだ。最後には【姉】を助け出そうと穴の底を手で掘り続けるものまで出てきて、結局発掘は中止になったのだ」
「先生は……大丈夫だったんですか?」
「私は本当に姉がいる。だからかは解らないが、それほど影響は受けなかったようだ。そこのショーンも同じだ」そう言うと教授はテントの入口近くに座っているショーンという若い男を指差した。聞く所によると大学院生らしい。
「だが、影響はゼロではない。例えば、夜、【姉】の夢を見ることがあるのだが、底に出て来る【姉】は、私の本当の【姉】とは異なるのだ。なんていうか、【姉】の概念そのものというか……」
「確かに、夢の中で突飛な設定が出てきても、勝手に受け入れてしまいがちですが……。イメージとしてはそんな感じなんでしょうか?」
「そうだ。存在しない記憶が頭の中に存在し、睡眠中などのひょんな所でそれが顔を出すという……そんな感じに近い。まるで夢でも見ているような……」
私は眉間に皺を寄せた。そんな症状、今まで聞いたことも見たこともない。
「これは仮説だが……あの遺跡を作った古代の狩猟採集民族は【姉】を信仰していたのではないだろうか? 例えばだ。女系の氏族集団が存在し、そこで【姉】が崇められていたのではないだろか?」
「母ではなくて?」
「そう、母ではなく、姉だ。これも勘だがね」
そういうとエヴァンズ教授は遠い目をした。
「とにかくそんな気がするのだ。これも、あの遺跡が見せているだけかもしれないが……」
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教授の不思議な体験はさておき遺跡は調べれば調べるほど、不思議だった。永久凍土層からは他にも様々なものが出土して、どうやらなにか儀式を行う度に埋めていったものらしかった。
奇妙なことに、それらは石柱を掘り出す前の段階で、すなわち石柱よりかなり上の階層で見つかることが多かった。石柱が完全に埋まってしまってから、もしくは意図的に埋めた後も、しばらくの間、儀式の場として使われていたのだろうか。
興味深いのは何かしらの絵が描かれた木の板だ。永久凍土に閉じ込められていたからか、驚くほど状態がよく保存されていた。木の板には石がはめ込まれ、何か抽象的な絵が描かれており、これだけで人類の芸術の歴史を大きく遡ることは確実だった。
絵は木の板に彫り込まれた線に、すすの様な顔料を流し込むことで描かれており、入れ墨の技法によく似ていた。もしかしたら、これが元で入れ墨が生まれたのかもしれない。
「ラスコーの洞窟壁画とほぼ同じ年代に、既にこんな文化があったなんて……」
「もしかすると、こういった木片に絵を書くという技術は他の文化でもあったかもしれませんね。ただそれが残っていないだけで……」
発掘を手伝ってくれるショーンはそう興味深げに木の板の写真を撮った。
「この絵、これは女性でしょうか?」
「多分、そう思います。ほら、胸のあたりのカーブはそれらしいと思いませんか?」
ショーンの指がなめらかに流れる線を指し示す。
「古代の日本でも、女性のシャーマンが部族を率いていたことがあったそうだけれども、この部族も同じだったのかも」
絵はその女性を描いたものが多かった。中心の女性に向かって周囲の人間がひれ伏すような様子で描かれている。
【姉】その言葉が頭をよぎった。
幸い、私が教授の言う【姉】にとりつかれた兆候はなかった。これは私が実際に姉で、下に弟と妹を持っているからかもしれない。または、性別によって効果が違うのかもしれない。
それよりも、【姉】なんて本当に実在するのだろうか?
考えると、途端にバカバカしく思えてくる。教授はストレスでおかしくなってしまったのだろうか?しかしながら、ロシアのチームが発掘を中断したのは紛れもない事実なのだ。
木の板に描かれた【姉】の絵を見ながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。
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私は、埋葬されている。
重い土が私を押しつぶしている。声を出そうとしたが、出なかった。手足の感覚がなくなり、首だけで狭い場所に閉じ込められている。
気が狂いそうだ。
そう思った所で、私は目を覚ました。
寝袋の中は汗でびっしょりだった。時計を見ると、今は明け方近く。もう一度寝る気分にもなれず、私は寝袋から出て、外の空気を吸いに出た。
シベリアの肌寒い朝の空気の中で私はぼんやりと、段々と明るんでいく空を見ていた。
「早いですね」
後ろから声をかけられて思わず振り向くとショーンだった。
「ええ、ちょっと変な夢を見てしまって……」と、そこで私はふと思いついたことを口にした。
「ショーン、あの遺跡なんだけれども……墓って可能性はないでしょうか?」
「墓……ですか?いや、可能性はあるとは思います。まだ骨が見つかっていないですけれど。これから更に下を探せば出てくるかもしれませんね。しかし、一体どうしてそんなことを?」
「そんな気がしただけ」
と答えて、随分といい加減なことを言っていることに気が付き、自分で笑ってしまった。【姉】がどうのこうの言っている教授と変わらないではないか。あんな夢を見たから、ついそう考えてしまうのだ。
だが、墓という概念は魅力的だった。埋められた板の表面には、生と死を描いたような場面もあったからだ。もし墓だとするならばどうやるのだろう。そのまま土に埋めるのだろうか。いや、ただ埋めただけでは野生動物に掘り返される危険がある。大抵の民族は、それを嫌い、棺を作成する。きっと彼らも石棺のようなものを……。
そこまで考えた所で、私はふと気がついた。そして思わず飛び上がるとショーンに向かって早口で告げた。
「ショーン、もしあれがお墓だとすると……探す場所が間違っている!下を探しちゃだめ。穴の底じゃない。横を探すの。穴を拡張して!」
「はあ……」とショーンが戸惑った表情で告げた。
最初から気がつくべきだったのだ。この遺跡はおかしい。どう考えても深すぎる。洪水で遺跡が埋まることは有るが、数十メートルもの地下に埋まるなんてことは普通はありえないのだ。建設当時ここらの地面が数十メートル陥没していたなんて、都合が良すぎる仮定だ。
おそらく、宗教的な理由でこのストーンサークルを埋めるにしても、古代人は数メートル程度しか掘削しなかったに違いない。
ではなぜそれが地下深く埋まっているのか。
「自分で沈み込んだんです」
私はエヴァンズ教授に向かってそう説明した。
「教授、永久凍土というのは凍った湿地です。ですから、夏になれば融けて柔らかくなる。その上に巨大な岩があれば、自重でだんだんと沈んでいくはずです」
まるで、水の中を沈んでいく小石のように、周囲の泥と、石の比重の違いは、石をゆっくりとではあるが、地中深くに沈めていくはずだ。
「そして、永久凍土層にぶつかるとそこで沈み込みは一旦止まるはずです。3万年前なら気候はまだ寒冷ですから、もっと浅い階層で止まる。もしかしたら、古代人はそこまでは掘り進めたのかもしれません。しかし、そこから先、一万年ほど前の温暖な直に、永久凍土層の融解は更に進み……」
その時代、日本では縄文時代だが、かなり気候は温暖な時期が存在した。その間に、遺跡はまるごと永久凍土の下に沈み込み、そして
「そのまま寒冷化すると同時に保存された。というわけか」
エヴァンス教授は納得した顔で、私の言葉に続けた。
「そうです。そしてその後、メタンガスの噴出でこの穴が形成された。遺跡はさらに落ち込んで、今の位置まできたんです。だから最初はもっと浅い階層にあったんですよ」
「しかしその場合、木片等の軽いものは逆に浮かび上がっていくのでは?」
ショーンが横から口を挟んだ。
「その通り。でも思い出して、見つかった木片には、石がはめ込まれていたし、年代測定に使ったのは石器の柄だった。どちらも重りがついている。だから浮かび上がりはしなかった。その後、メタンガスの噴出に巻き込まれて、穴の中に落下した。そう考えるのが自然だと思う」
「なるほど。しかしそうなると……横を探せというのは?」
私はショーンに向かって言った。
「もし……仮に石棺のようなものを彼らが埋めていたとしたら……それは他の石よりは沈み込みにくいはず。中は中空ですからね。となると、他の石が埋まっていた階層を探してもダメです。もっと上を探すんです」
私はそういうと、原野にぽっかりと空いた穴を指差した。
棺は直に見つかった。クレーンを使って穴を螺旋状に拡張していくと、やがて立派な石棺が見つかり、私達はそれを穴の底に下ろして詳しく調べることにした。
全部で数百キロはあるだろうか。外気に触れないようにテントで覆ってから、私達はゆっくりとその蓋を開けた。
3万年以上の時を超え、一体のミイラがそこから姿を表した。
思わず、私達は息を呑んだ。保存状態が異様に良く、干からびて皮膚が骨に張り付いていながらも、今にも起き上がりそうに見えた。おそらく権力者だったのだろう。骨や貴石のビーズらしきものがいくつも付けられており、死してなお華々しい見た目だった。
髪の毛は長く、編み込まれている。
調べなくても、女性であることが分かった。【姉】だ。間違いない。直感でそう分かった。気がつくと、私は目に涙をためていた。彼女は見つけて欲しかったのだと、なんとなくそう感じた。
その晩、私はまた夢を見た。
今度は悪夢ではない。私は地面から抜け出して、広い大地を駆け抜ける。氏族の皆が私を尊敬し、私の愛を欲しがる。私は彼らに愛情を注ぎ、太陽のように慈愛を振りまく。私は解き放たれたのだ。再びこの地上に蘇る時が来たのだ。
ふと、目を覚ますと、また明け方だった。
私は夢の続きを見ているように、ふらふらと外に出る。
今にも沈みそうな月がシベリアの平原を照らしていた。
そこで、私はテントを取り囲む人々に気がついた。地元の若者に混じってちらほらと学者のような年寄りも見える。彼らは皆私の方を見て、羨望の眼差しを投げかけていた。発掘を途中でやめたロシアのチームだろうとなんとなく私は察した。
彼らはぐるりとテントを取り囲んでいた。車で来たらしく遠くには彼らの車が何台も止まっている。無言のまま、操られるように彼らはじっと私の方を見ていた。私は彼らに笑顔を振りまいてみせる。
彼らは満足そうに微笑み、やがて、一人、二人と跪きはじめた。
さざなみのように彼らは私に頭を垂れる。
その時、私は理解した。
なぜ狩猟採集民族があれだけの人員を投入できたのか、なぜ農耕民よりも先に人々を集めて巨石を建てられたのか、その答えはとても簡単だった。
「みんな。もう大丈夫です。私は戻りました」
私の声だったが、私が喋っている気はしなかった。
完全に理解した。なぜ私が【姉】の影響を受けなかったのか。私が【姉】なのだ。私が【姉】を掘り出したのだ。私は【姉】と一つになるのだ。
氏族が私の声を待っている。私が一度声をかければ、彼らは忠実に動き、巨石を組み上げ、巨獣を倒し、そして文明を築くだろう。文明の始まりは【姉】なのだ。全てはここからだった。
超古代姉文明 太刀川るい @R_tachigawa
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