小夜啼鳥 Ⅲ

 矢車菊か青玉さながらの、僅かに紫を帯びた深い青は、残念ながら目蓋に隠れている。だが銀梅花の蕊めいた睫毛が白い頬に影を落とす様だけでも、彼女は十分に魅惑的だった。胸に巻いていた布を取り、華やかな女の服を纏っているためか、細い身体が描く曲線の女らしさが際立ってもいる。

 こんな外見はいい女と三年一緒に居たのに、一度も欲情しなかったなんて。アスコルこそが天主正教で言われている聖人かもしれない。

 かつて散々にシグディースを貶していた従兄に一種の敬服の念を抱きつつ、眠る彼女に近づく。いったいどんな夢を見ているのだろう。短いが見事な月の金色をした髪に囲まれた顔は、淡く微笑んでさえいた。彼女が起きている間は決して拝めない顔だ。

 腹が減っているだろうからと、奴隷たちが持ってきた麺麭と焼き肉を貪っていても、シグディースは起きない。これならばどうだろうかと、高く通った鼻の先に肉を近づけてみても同じだった。

 蜜酒で麺麭の欠片を流し込む。小腹が満たされると、ロスティヴォロドまで眠くなってきた。だがこの部屋には寝台は一つしかないし、女奴隷の寝床を借りようものなら、間違いなくそういった目的だと誤解されるだろう。椅子に座ったままでも眠れなくはないが、中途半端に眠ってしまうと却って眠気が増してしまう。床に横たわるのは流石に遠慮したかった。

 どうしたものかと考えあぐねていると、シグディースが寝返りを打って、丁度ロスティヴォロドが横たわれそうな間が空いた。彼女が目覚める前に起きれば問題なかろうと、華奢な身体の隣に横たわる。

 ほとんど密着していると、若い女の甘い匂いと柔らかさが、容赦なく肉欲を刺激してきた。今日はシグディースを抱くつもりはなかったのに。おまけに、人肌のぬくもりを欲したのか、眠る彼女に急に抱き付かれたのだからたまらない。押し付けられた乳房の瑞々しい弾力に誘われた欲望を宥めるのには骨が折れた。

 そっと抱きしめた女の寝顔は普段よりも稚かった。と、言ってもロスティヴォロドが知る彼女の表情は、怒りか憎しみかその二つが入り混じったものなのだが。

 別人だから当然なのだが、シグディースは造作以外はリューリヤに欠片も似ていない。それがロスティヴォロドにはありがたかった。これで中身まで似ていたら、どうしてもリューリヤやリューリヤの最期を意識せずにはいられなくなる。


 いつの間に熟睡していたのだろう。艶のある声に釣られて閉ざしていた目蓋を持ち上げると、引き攣っていても美しい顔がぼやけた視界に飛び込んできた。

「……よう、元お姫様」

「呑気に挨拶をする暇があるのなら、まず私を離せ! そして状況を説明せぬか!」

 シグディースの声は女にしては低めだから、耳元でぎゃあぎゃあと騒がれていても煩くはない。ただ、自分から抱き付いてきたくせにと思わなくもなかった。

「わ、私がそなたに抱き付いてきただと? 空言を弄するのも大概にせい」

 揶揄うついでに真実を教えても、右から左に流されるばかりで。だが、怒りのためであっても仄かに紅くなった頬は良かった。願わくば、いつか自分の腕の中でそんな顔をしてほしいものである。決してそんな時は来ないだろうが。

「空言も何も、事実なんだが。……ま、んなことどうでもいいか。とにかく、お前が元気にしてたみたいで何よりだよ」

 とにもかくにも、想像以上に元気そうなシグディースの様子に、安堵したのは事実だった。

「多少の疲労と打撲はともかく、私は特に怪我も病気もしていなかったのだから、元気にしていたに決まっておろう」

 リューリヤは性奴隷として売り払われ、貞操を穢されるのを恐れて自死した。だのに実際に身を穢されたシグディースは、ロスティヴォロドの憂慮を鼻で嗤いさえしている。つくづく、こんな女は世界中探したって他にはいるまい。

「で、何だ? 経緯はいまいち分からぬが、そなた私を抱きに来たのであろう?」

 しかもこの女、ロスティヴォロドの前で堂々と服を脱ぎ、寝台に横たわって脚を開きさえした。

「ほれ。そなたの好きにするがよいわ」

 露わになった裸体の胸は程よく大きく形良く、胴は蜂のごとくくびれ、臀部は小ぶりながらよく締まっている。確かにこの身体に恥じるべき所など一つもないが、それにしても羞恥心がなさすぎやしないか。

「いや、あのな……折角その気になってくれたところすまないし勿体ない気もするが、実は違うんだ」

 予想もしない方向に逸れだした話を元の道に戻すべく、疲労感と鎌首を擡げてきた性欲を力ずくで押し込める。生々しいまでに蠱惑的な亀裂からは目を逸らしながら。

 ロスティヴォロドは、十日前に繊細な手から離れた短剣を、シグディースに返すためにここを訪れたのである。昼頃には戻ると従士たちに告げたのに、その昼すら既に過ぎているのだ。これ以上長居したら、とんだ面倒が起りかねない。

「――だ、だったらそうと早う言わぬか! そなたのせいで要らぬ恥をかいたではないか! このうつけが!」

「お前が勝手に勘違いして、勝手に脱いだんだろ? なのにうつけはねえぞ」

 簡単に事情を説明すると、シグディースは脚を閉じて身体を起こした。だが薄桃色に染まった肢体をロスティヴォロドに押し付けてきたのだからたまらない。

 シグディースはあくまで、拳を打ち付けるために近づいてきたのだろう。しかし胸板に押し付けられたふくらみの柔らかさばかりが気になって、殴られている肩や上腕の痛みなど、微塵も感じられなかった。全裸の美女に抱き付かれたも同然の状況で、彼女を未だ押し倒していない自分もまた、聖人と呼ばれてもよいのではないだろうか。

「……何故だ?」

 短剣を手渡すとシグディースは神妙な、物問いたげな眼差しでこちらを仰いできたが、その目つきもやめてほしかった。こんな状況であからさまに視線を逸らすわけにもいかず、致し方なく上目遣いや淡く開いた艶やかな唇から視線を下ろす。すると視界に入って来たのは先端が桃色に染まった形良い双丘であって。

 そこから先、ロスティヴォロドは自分が喋った内容を、大雑把にしか把握していない。目の前の女を組み伏せ、種を撒けと命じる欲望を抑え込むので精一杯だったのだ。けれども伝えたかったことをシグディースに伝え、更に結びたかった約束を彼女と交わせもした。だから目的を果たした以上は、さっさと踵を返してしまえば良かったのだ。

 だが頬に喜びの紅を叩いたシグディースが、剣の鞘に嵌めこまれた貴石に唇を落とすのを目撃した瞬間。酷使していた理性はついにとどめを刺されてしまったのである。

 自分もまた服を脱ぎ、呆然とするシグディースに抱かせてくれと懇願すると、当然拒否された。けれどもロスティヴォロドはもはや引き返せない所まで来ている。今この瞬間シグディースを抱けるなら、その後彼女に殺されてもよいような気さえしてきた。

 ロスティヴォロドが晒す醜態があまりに惨めだったのだろうか。輝かんばかりに白い裸体を引き寄せ、果実のごとく紅い唇を貪っても、拳も蹴りも浴びせられなかった。勢いに任せて舌を羽交い締めにした女の口腔に押し込み弄ると、流石に噛みつかれてしまったけれど。

「な、なにを……する」

 僅かながら血が混じる唾液に濡れ、一層赤くなった唇に、もう一度くちづける。

 先ほどの事があって警戒しているのか。シグディースは頑なに歯列を閉ざしていたが、いつまでも観賞していられそうな曲線を描く脇腹をそっと撫でると、円い肩をびくりと震わせた。最初に抱いた際もおやと感じたが、彼女はどうもここが――というか下腹部全体が弱いらしい。

 ならばと剣や斧、弓を扱ううちに硬くなった指の先で突き擦ると、その度に腕の中の身体は陸に打ち上げられた魚のごとく跳ねた。反応を抑えようとしているのだろう。シグディースは血が滲むまで唇を噛みしめているが、声はともかく身体の動きは誤魔化せていない。

「……そなた。穴は開いているのに、なぜかような無駄な真似をする……?」

 虫を誘い吸い込む花めいた唇が傷ついたのは惜しいが、生理的な涙で目を潤ませた女の言外の懇願は聞かなかった振りをした。そうして探索を続けていると、一番の宝が見つかった。挿入すれば丁度切先が当たる辺り。つまり子壺の入り口付近をくすぐると、シグディースはついに声を漏らしたのだ。

 これは中からと外から同時に刺激すればさぞ面白くなるだろうと、彼女を後ろから抱きかかえた体勢で、猛り狂ったもので繊細な蕾を一思いに割る。すると中は想像よりも潤っていて、すんなりとロスティヴォロドを受け入れた。

 巻貝の耳からなよやかな項にかけてを舐って薄朱の花弁を散らし、双丘の頂点の片方を捻りながら、子壺の入り口をとんと叩く。すると力が抜けた肉体は一層大きく震え、肉の洞は咥えこんだものを引きちぎらんばかりに締め付けた。

「……くび、は……」

 シグディースは髪が短いから、首筋に痕を付けると目立つ。だから止めろと言いたかったのだろう。しかし生憎がしりと歯を立てた直後だった。円い噛み痕は、少なくとも二日は消えないだろう。

「おい、」

「ここにはどうせ奴隷しかいねえだろうが」

 見事に残った痕跡に満足感を抱きつつ、胸を揉みしだいていた右手をしとどに濡れた入り口まで下ろす。幹で貫かれた洞のすぐ上でひっそり佇む球に蜜を塗りつけこねくり回すと、叫びが迸った。

「……おかしくなる。だから、もう、やめ、」

 どうにか懇願の文句を紡ぎ出した女は、それが男を更に煽るとは、考えもしなかっただろう。切れ切れの喘ぎは艶めかしく、一度欲望を放った茎は、瞬く間に硬さを取り戻した。

「大公様。従士団の方がお見えになっておられますが、」

 初めは意味を成していた喘ぎがただの獣の咆哮となるまで、細い身体を苛める。最中、痺れを切らして自分を探しに来たのだろう従士を伴った女奴隷が扉を開いてきたが、それしきで愉しみを中断してやるものか。

 しかし肌はともかくシグディースの秘部が、自分以外の男の目に晒されるのは癪ではあった。なので、彼女の身体の向きをくるりと変え、自分と向かい合わせる。そうして己の物より薄い舌に吸い付き絡めながら隘路を穿っていると、いつの間にか正午から更に一刻も過ぎていたらしい。

「……お前、“自重”という言葉は知っているか? 知らないなら、覚えておけ」

 女奴隷が運んできた湯で身を清め、脱ぎ捨てていた衣服を纏っていると、あからさまにうんざりとしたアスコルがぼそりと呟いた。確かに、肌理細やかな肌のあちこちに花弁と歯型を散らし、太腿を伝い落ちた体液でべとつかせたシグディースは、見るも哀れだと認めざるを得ない。

 自分がしでかしたことは、自分で責任を取るべきだろう。男は後始末をしようと、散々穿った場所に指を入れ、注いだ胤を掻き出す。するとぐったりと死にかけの魚同然になっていた身体は、活きが良くなった。

「……」

 口を開く力も残っていないのか、ただロスティヴォロドをきっと睨みつけるシグディースの身体を拭い、皺が寄った服を着せる。そうして再び眠りに落ちた女に接吻して、男は女の許を去った。

「全く。いつまでも御父君が存命でいらした、トラスィニ公の頃のままの気分でいられると、我々は幾つ命があっても足りませんよ!」

「へいへい。覚えとくわ」

 従士たちの小言に耳を傾けつつ、屋敷に戻る。途中、腹が減っていたので簡単な食事を運ぶよう言いつけた。すると部屋の重い扉を潜る寸前、アスコルがひっそりと囁いたのである。

「……お前、少しは申し訳なくならないのか?」

「あ? 確かに、少し前まで処女だったやつに無理させすぎたけど、でも俺だって溜ってたんだよ。十日もヤってなかったんだぞ?」

 夏の間しか楽しめない生の野菜と鶏の脚の炙り焼きを咀嚼しながら応えると、アスコルはもういいと言い捨てて出て行った。昔から、あいつが考えていることはいまいちよく分からない。

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