夢 楽しい

 いかがわしいネオンに彩られた繫華街の奥。薄汚れたピンクの看板が掲げられた雑居ビル。彼に連れられその三階にある風俗店に入る。

 店内の設備は年月で薄汚れていたものの、それを誤魔化すようにやたら清潔感が強調された内装になっていた。ぺたぺたと赤い絨毯を進み、彼が受付に尋ねる。

「二人でプレイしたいんだけど大丈夫?」

「お二人分の料金を頂くことになりますがそれでよろしいなら」

「じゃ、それでよろしく。それで一番膨らんでる子がいいな」

「それならエリナ嬢はいかがでしょう。八か月です」

「その子で。コースはフル」

「かしこまりました」

「おい、金払って」

 あれよあれよと彼が決め、お金を払うことになる。かなりの金額だ。いくらここが違法だとはいえ性風俗というのはこんなにお金がかかるものなのか。恋人がいるのに風俗店に通う男はどう考えてもクズだな。つまり彼はクズだった。だがそんなことは前から知っていた。

 番号札を渡され待合室に通される。幸いにして誰もいなかった。部屋を見渡す。古ぼけた漫画の入った本棚、くだらないバラエティー番組を流す大型テレビ、灰皿の置かれたガラスのテーブル。馴染みのない空間に緊張するが、彼はそんな私を意に介さずスマートフォンをいじっていた。どうせセフレにでもメッセージを送っているのだろう。

「ねえ、それで結局何すればいいの?」

「何ってバカ、そりゃあセックスだろ」

「でも私女だし……」

「あー、まー、最初は俺が楽しむけど、それからはお前もできるからいいだろ。ってか来る前に言ったろ馬鹿」

 彼はそれきりまたスマートフォンをいじりだす。これ以上話すと不機嫌になるだろう。私は諦めて気晴らしのため煙草を吸い、溜息の代わりに煙を吐いた。

 しばらくして私達の番号が呼ばれた。待合室を出ると、エリナ嬢が出迎えてくれる。ざっと全身を確認して格付けをし、まあ私よりは下だろう、こんな糞みたいな場所で売られている女はこの程度だろうなんて馬鹿な優越感を抱く。

 エリナ嬢の腹はこんもりと丸く膨らんでおり、一目で妊娠しているとわかる。彼女の特徴は、というよりもこの風俗店の特徴は、在籍する風俗嬢が全員妊婦であることだ。いや、在籍する風俗嬢が妊婦であるだけなら他の店にもある(らしい)。この店ではさらに。それがどういう意味か、私は身をもって理解している。

 エリナ嬢に案内されプレイルームに入る。浴槽とベッドが同居するセックスのために作られた空間。彼はなれなれしくエリナ嬢に話しかけながら、早速彼女の膨らんだ腹をいやらしく撫でる。

 エリナ嬢は私のことを気にし、ちらちらとこちらに視線をやっていたが、「あいつはいいからさ」と彼にキスをされ、いつも通りをするようになる。つまりはまあセックスだ。エリナ嬢の性技は彼から強要されたものばかりで、こういうところから余計なことを覚えてくるんだなと変な納得をしてしまった。

 エリナ嬢は風船のように膨らんだ腹と黒ずんだ乳房を揺らし、彼と交わる。だが傍から見ているセックスほど滑稽なものはない。私が退屈しのぎにやたらと頑丈そうなガラス製の灰皿に何本も吸殻を入れていると、獣のように交わった二人が果てる。私はふかと煙を吐いた。

「じゃ、二回戦行こうか。エリナちゃんはオナニーでもしといてよ」

 彼は部屋の隅にいた私の手を取り、今度は私の胸をまさぐりだす。一方でエリナ嬢には部屋に備えられていたバイブを渡して自慰を求める。拒むことなどできない。そう躾けられてきたから。私は先のエリナ嬢と同じように前戯をし、彼と交わる。昂ぶりは恨めしいほど平等に訪れた。

 二回したにもかかわらず、彼の精力は衰えるどころかますます盛んになった。いわゆる絶倫というやつなのだろう。

 彼は獣欲に歪んだ笑顔で従順にオナニーを続けていたエリナ嬢に尋ねる。

「ねえ、エリナちゃんは何回目なの?」

「何回目ってのは」

「だからそうやって腹をでかくするのがだよ」

「三回目です……」

「へー。その時もここに来たの?」

「その時は普通に」

「普通にろした」

「うん、まあ」

 エリナ嬢は困ったように眉をひそめて頷く。それでも彼は笑顔のままだった。

「でさ、俺高校の時サッカーやってんだよね」

「あ、そうなの?」

 急な話題転換にエリナ嬢は愛想笑いで尋ねる。私はその先の話をよく知っていた。

「でさー、じょマネがいたからちょっとレイプしてやったんだよ。そしたらあいつブスのくせにキャンキャン騒ぎやがってマジふざけんなって感じでムカついてぶん殴ったら顔ボコボコでもっとブスになってマジうけたわ。んで、ブスが騒いだせいで退部になっちゃってサッカー辞めたけど、俺シュートはマジ上手かったから。ストライカーってやつ」

「そ、そうなんだ……」

 彼はエリナ嬢の元まで近づく。エリナ嬢はきゅっと身をすくめるも逃げる場所なんてなかった。まだプレイタイムは終わっていない。

「だからシュートには自信があるんだよ、な!」

 彼がサッカーボールを蹴るようにエリナ嬢のまあるく膨らんだ腹を蹴り飛ばす。ぎゃんとエリナ嬢が潰れた悲鳴をあげた。

「お、蹴ると中の感触あるし! 詰まってる詰まってる」

 彼は子どものように清々しく笑った。本当に邪悪な笑顔だった。

 すすり泣くエリナ嬢を意に介さず、彼は「ちゅどーん」なんて言いながらエリナ嬢の腹に向かってジャンプする。壮健な成人男性一人分の体重がエリナ嬢の腹にかかる。やわらかな妊婦の腹がぐしゃりと音を立て歪んだ。

「お、今のいったんじゃね? なあ、お前もやれよ」

「でも」

「でもじぇねーよ。やれよ。やりゃあ楽しいって。マジ楽しいから」

 彼は善意で非道を強制する。エリナ嬢はお腹をかばうために亀のように背を丸めうずくまっている。これからすぐ病院に行けばお腹の子は大丈夫かもしれない。まだ助かるかもしれない。だからどうかこれ以上酷いことはしないでほしい。涙する彼女の懇願が手に取るようにわかった。嗚呼。彼女はかつての私だ。ならば結末が異なるのはおかしい。最後まで同じであるべきだ。

 知っている。私は彼女の背中を踏み、体重をかける。そうするとお腹が潰れないよう上からの負荷に耐えようとする。だから重心が浮いてしまう。そこを横から突き飛ばしてやると、くるりと無様に回転し大事なお腹が無防備になってしまうのだ。もう全部知っていた。

 自分の失敗を悟ったエリナ嬢の表情が歪んだその時、私は確かに嗤った。命が宿った腹に全体重をかけてかかと落としをする。肉が詰まったやわらかで鈍い感触。エリナ嬢の口から小さく不明瞭な音が漏れ、その股ぐらからつつと濁った血が流れる。

 その刹那、今まで使われていなかった脳神経に鮮烈な電気信号が走る。しびれる悦楽。不思議に思っていた。どうして彼は何度も何度も私を妊娠させ、その都度執拗な暴力を振るってお腹の子を殺してしまうのだろう。私の子宮が駄目になって妊娠できなくなるまで止めてくれなかったのだろう。そんなこと一度やればわかると彼は言った。その通りだった。やればわかる。人をぐちゃぐちゃに踏みにじるのはこんなにも楽しい。

 エリナ嬢の涙は止まらず、出血もまた止まらない。私の経験からすればお腹の子はもう駄目だろう。私が駄目にしたのだ。致命的な事実を反芻すると脊髄が快楽で波立つ。こんなの、もっと欲しくなるに決まってる。だから私は言った。

「ねえ、これ楽しいね。ほんと最高だと思う」

「だろ。楽しいだろ」

「うん、楽しい」

 同意を得られた彼は素直に嬉しそうで、私はその糞みたいな陰嚢を全力で蹴飛ばしてやった。彼が犬みたいに甲高い悲鳴をあげる。その隙に灰皿を掴んで思い切りその頭に叩きつける。怒りの形相をした彼が反撃しようとするが、どうすれば楽しめるのか私にはもうわかっていた。弱点を狙う素振り見せ、かばおうとしたら別のところを攻撃する。かばわないならそのまま弱点を突く。簡単だ。こんな単純で簡単なこともっと早くに気づけばよかった。

 そうして彼をぐちゃぐちゃにしていく。生涯一の悦楽がどっぷりと私を満たす。彼はもう動かない。エリナ嬢はただ泣いている。返り血を浴びた私だけが笑っていた。

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