第43話
全てが、終わった。
オーベルは、ノノから受け取った刃毀れだらけの、まるでノコギリのような剣を、大地に突き刺し、その場に腰を下ろした。
肉体的な疲れはなかった。しかし、精神的な疲労は限界に近かった。
体の中が全部、めちゃくちゃになってしまったような感覚と、込み上げてくるような熱――そして、恐怖があった。手の震えが、まだ収まらない。
それでも、王城からここまで逃げてきた宰相を追い、追いつき、一息に斬り伏せることができた。
もう、自分は、昨日までの自分ではない。
ノノと同じ―――
ざっくりと、身体が削げ落ちるほどの傷が、もう完全に塞がっている。その傷の痛みを証明するものは、無残に破壊された鎧の残骸だけだった。
思えば、この鎧もノノから借り受けたものだった。
自分は、何もかも彼女から借り、そして、最終的に命までも借りてしまった。
意識が消える寸前、彼女が自分に何をしたのか、覚えている。
彼女の唇の感触を覚えている。
喉に流れてきた、大量の血の味を覚えている。
彼女の舌が、血が、魔力が、自分の腹の中で解けていく感覚を覚えている。
剣を、鎧を、力を、宰相を倒すための全てを、彼女から貰った。
ただただ、感謝の念しかない。
彼女が居なければ、この生命はなく、彼女が居なければ、この国を救えなかった。
早く戻らなくては。
彼女は、魔力を使い果たして、気を失っている。彼に宰相を追いかけろと言い残して気を失った。後のことは、すれ違ったミシェルに託してきたから、悪いようにはなっていないはずだけれど―――…
それでも、彼は心配だった。
「おいおい、変異した直後だろ? それ以上無理しないほうがいいよ」
オーベルが立ち上がろうとして、立ち上がることができず、再び尻もちをついたのを見て、声がかかった。
「…貴方は?」
オーベルが視線を声の元へと送ると、そこに、知らない少年がいた。
怒りと焦りで、全く意識できていなかった。そうか、宰相は彼に話しかけられて足を止めていたのか。
そして、オーベルが少年を見て、最も驚いたのは、その両目が、ミシェルと同じく朱色に輝いていたためだった。だたの人ではない。ミシェルやノノと同じ”魔人”だった。
「お初にお目にかかる。僕の名前はヴァスガロン・ライフォテール」
「…オーベルです」
「ありがとう、オーベル。孫達からも、息子からも、君の名前を聞いているよ」
「―――…」
ライフォテール…孫……つまり、驚くべきことに目の前の少年は、ミシェルの祖父だという。しかし、今のオーベルには、それすらも納得できることだった。
自分が、人を超えた”何か”――ミシェルやノノと同じ魔人……いや、魔法使いになってしまっているのだ。老人が少年になることも、不思議ではない。
「君に謝らなくちゃならない。君が倒したこの男もまた、僕と同じ、濡闇ノ国の住人だったんだ。200年前の戦争の復讐に駆られ、この国を滅ぼうそうと画策していた、哀れな男さ」
「………」
「僕がもっとしっかりしていたのなら、そもそも君がそんな姿になることもなかった。僕らの国に迷い込むこともなかった」
ヴァスガロンは帽子を脱いだ。
「本当に申し訳ない。全面的に謝罪する。この通りだ」
そして、深く深く、頭を下げる。
「…やめてください。頭を上げて下さい。僕は、何も――恨んでもいないし、後悔もしていません」
「………」
ヴァスガロンは、静かに顔を上げる。
「…いいや、言い難いけれど、後悔はこれから先にすることになるだろう」
「どういうことですか?」
「ミシェルやノノから、どこまで僕らについて聞いているかはわからないけれど、僕らの寿命は、普通の人間の10倍に近い」
「…」
「君の親しい者は、全員、君を置いて死んでいくだろう。それがどれだけの痛みであることか、”生まれ変わる”よりも辛いよ。それに、その力。圧倒的な身体能力に、思うがままに魔力を操る能力。それはあまりにも、人には過ぎた力さ。つまり、君はもう普通の暮らしをすることはできないってことだ」
「それは――…わかります」
今なら、オーベルは全てを理解できていた。どれだけ、ノノが自分に気を掛けていてくれたのか。ミシェルが、どれだけ自分を気遣ってくれていたのか。”手加減してくれていたのか”を。
「力に溺れてしまっても、自身を律し生きていても、君に訪れるのは、周囲からの畏怖、忌避、疎外感、孤独感だ。自分を知る人間が、君の世界に一人も居なくなり、そしてあらゆる全てに疎まれる。間違いなく、絶望するよ」
「………」
「でも、君は一人じゃない」
ヴァスガロンは帽子を被り直し。オーベルの傍らに歩む。
「君には、君を愛する
苦笑して、ヴァスガロンはオーベルに肩を貸した。
オーベルは肩を借り、立ち上がる。
そして突き立てた剣を抜き、腰に差して、ゆっくりと歩き出す。
「だから心配しないでくれ。いつでも、僕らはあの場所にいる」
あの暗くて深い、湿地の国にいる――と、ヴァスガロンは続けて言った。
「いや、軽いな。オーベル君、ちゃんとご飯食べてるかい?」
「え、いや…、あの、食事はちゃんと摂ってるつもり、ですけれど…」
「そっか。でももっと食べたほうがいいよ」
「あ、はい…」
「ところで、ちょっと聞きたいことあるんだけどさ」
「な、なんでしょう…?」
「正直なところ、ミシェルのことどう思う?」
「……え、ええっと…」
「ミシェルからプロポーズ受けたんだろ? あー、大丈夫、誤魔化さなくていいから。先に僕に心に決めた答えを教えて貰えたなら、こう、なんかいい感じにフォローしてあげるよ。断るにせよ、応じるにせよ大丈夫。ミシェルに告げ口なんかしないからさ。こう見えても口は堅いほうなんだ」
「………その…」
「おいおい、恥ずかしがるなよ。男同士、腹を割って話そうぜ。正直なところ、君がただの人間だったら僕としても悩むところだったんだけど、ノノから血を分け与えられてノトーリアスの血族となったわけだし、もはや君がミシェルとくっつくのに一寸の不満点もないんだよね。ミシェルと一緒に元気な曾孫を育ててくれそうだし。あれほどの絵を描く絵描きなら、濡闇ノ国で食いっぱぐれもないだろうしさぁ」
「………」
「しかしそれにしても、ノノの魔法は驚いただろ? まさかの魔法使いにしちゃう魔法なんだぜ。僕の血脈にも無い特別な魔法なんだ、アレ。ノトーリアス家にだけ伝わる、原初の”魔人”より継承する唯一無二の魔法。その性質上、決して絶えることのない、種としての根源たる力なんだよ。それはもちろん、君にも十中八九備わってる。性交しても子供を作れるけどさぁ、余計な血が交んないってのも、一考に値する繁殖方法だと思わないか? 王様がノノを気にかけてるのも、この魔法があるからなんだよねぇ、ほら、うちの国って人口の減少が問題になっててさ――――」
矢継ぎ早に捲し立てるヴァスガロンに肩を借りながら、オーベルは何とも回答しづらい問題について、王城へ帰り着くまでの間、ねっとりと質問される羽目になったのだった。
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