第42話

 魅了の魔法に加え、”魔法使いを作る魔法”を使ったことで私の魔力は完全に枯渇した。

 再誕の苦しみから解放されて咆哮し、生死の境から目覚めたはずのオーベルに、恨み言の一つでも言ってやりたかったが、それも叶わず、私の意識は深い泥の中に落ちていった。 

 

「ねぇ、貴方、お名前は?」

 濡闇ノ国の王宮で、私は初めて彼女に出会った。

 とても――とても綺麗な女の子だった。

 輝かんばかりに美しい、白いドレスを着ていたのを、覚えてる。

 あまりにもその姿が、泥沼ばかりのこの国の全てと掛け離れていたから、一瞬だけ、天使が現れたのかと思った。

 私は、天使に名を尋ねられて、答えることが出来なかった。

「ノ―――…」

「ノ?」

「………ノ―――」

 声が出ない。目の前の彼女に、心奪われてしまっていたから。

「ノノ? ノノっていうの? 素敵な名前だわ!」

 違うのだけれど、全然名前が違うのだけれど、けど、彼女が綻んだ笑みを向けてくれたのが嬉しくて、私は頷いてしまった。

「ねぇ、どうして貴方は王宮にいるの? 家族と一緒に来たのかしら? ねぇねぇ、どこの塔に住んでいるの? お友達になりましょう? 私、歳の近いお友達が居なくって。貴方とお友達になりたいわ!」

「―――」

 捲し立てるように言う彼女の顔が、ずいっと、目の前に近づいてきた。

 私にも友達はいない。

 私は、一人っきりだった。

 親に捨てられ、小さな塔で唯一人暮らしていた。

 そこに、王様の使いだというジジイが現れて、半ば無理やりここへ連れて来られたんだ。

 何かが変わってしまう、私の生活が、あの場所での思い出が、家族の記憶が、変わってしまう。終わってしまう。そう思って、怖かった。

 だけど…――

 何も悪いことだけじゃ、なかったみたいだ。

「友達――…」

 相変わらず、声が出ない。彼女の顔が近すぎるせいだ。ドキドキしてしまって、何も答えられない。朱い瞳が、私の顔を映している。

「あ! そうだわ! 私の自己紹介をしていなかったわ! 私の名前は、ミシェル。ミシェル・ライフォテールよ。よろしくね、ノノ!」

 大事な事を思い出した彼女は、パッと私から離れると、ドレスの裾を摘んで、優雅に礼をしながら名を告げる。

 ミシェル・ライフォテール。

 私の、友達―――…

 突然、何の脈絡もなく、運命のように、家族を失い何もなかったはずの私に、友達ができた。

 ああ、そうさ。

 あの時、私は”憧憬”を、見つけたんだ。

 胸に生まれた深い深い虚無が、満たされるのが分かった。

 鈍痛を放っていた心の虚空に、蜂蜜のように、甘い何かが広がって、私は涙した。

「わ、わ!? ノノ!? どうしたの!? あ、あ、ご、ごめんなさい…私、何か粗相をしてしまったの…? 泣かないで…ノノ…―――」

 

 この世界は須らく、全てがくだらない。

 この世界は腐った泥濘で、何もかもが沈んで朽ちていくだけの場所。

 だけど、あの人の言った通りだった。

 そんな場所でも、輝く宝石のようなものが存在するのだ。

 そして、それを胸に抱いて、また生きていける。

 私は貴方とは違う。

 私は、それに手を伸ばす―――…


「わわ!? ノノ…? ……。よしよし、よしよし―――」


 抱きしめた白い少女が、泣きじゃくる私の髪にそっと触れた。




 あの時と同じだ。

 彼女の白い柔らかな指が、私の髪に触れている。

 彼女の熱が、彼女の匂いが、彼女の魔力が、彼女の存在が、私に力をくれる。

「ノノ! よかった、目を覚ましたのね」

 目を開くと、ミシェルの顔があった。

 最高の目覚めだ。こんな事、なかなかあるもんじゃない。

「もう、心配したのよ? オーベルも、ノノを私に任せたと言って外へ飛び出して行ってしまうし…。ノノは倒れているし…」

 ここはどこだ? と、周囲を見回す。

 何やら豪勢な部屋だ。調度品には金細工も入ってるし、天井も高い。ベッドもふかふかだ。その上に私は寝かされ、さらに、ミシェルの膝枕に頭が乗っている。

 よし。わかった。

 私は再び目を閉じた。

「ノノー? 駄目よ、目を覚ましたのなら終わりよ」

「ちっ…」

 もうちょっと、あとちょっと、もう五分くらい膝枕を堪能していてもバチは当たらないと思うのだけれど、ミシェルが言うのだから仕方ない。私は未練がましくしていたが、ミシェルの柔らかい両手に頭を挟まれて、ミシェルの膝から降ろされた。

「まったく…。ノノは甘えん坊さんね」

「でも、ミシェルのおかげで回復したわ。ありがとう」

 魔力は全体の10%も戻ってきていないが、失った血も、自ら噛み切った舌も元に戻っている。

 戦うのには心許ないが、濡闇ノ国へ戻るくらいなら問題ないだろう。

 さあ、私達も故郷へ帰ろう。

「ミシェル、オーベルに挨拶をしてさっさと帰りましょう。この国は美しい場所だけれど、やっぱり私達の居場所じゃないわ」

「ええ、そうね。だけどノノ、私は帰らないわ」

「さぁ、いきま―――……は?」

「私は濡闇ノ国には帰らないわ」

「な…―――え? 何を言ってるの、ミシェル…?」

 本当に、一体何を言っているんだ、ミシェル!?

「私、オーベルと結婚します」

「ちょっとオーベル殺してくるわね」

 やっぱり生き返らせてやったのは私の判断ミスだったな。

 すぐ殺そう。今すぐ。

「ノノ、その反応はオーベルが危惧してた通りだけど、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるかぁっ!」

 何でそうなるんだ!? 誰か説明してくれ!

「ミシェル、いい? 草原の国へはオーベルを無事に送り届ける為に来たのよね? で、私は反乱の首謀者の宰相も派手にぶった斬ってやったし、王様の誤解も解いたわ」

「ええ。ノノの魔法で魅了された王様から説明は聞いたわ。けど、宰相は取り逃がしてしまったみたいだわ」

 なんてこった!

 今から追いかけて始末するか…? いや、面倒くさいな…。どうせこの国には戻ってこれないだろうし、もう放っておこう。それより私はオーベルを始末しに行かなければならない。優先順位を間違えてはならない。

「ともかく、ここにいる理由はない、そうよね、ミシェル?」

「ノノはそうかもしれないけど、私には戻る気がないの」

「どうして!?」

 どうしてそういう事言うの!?

「あの国は退屈なんですもの」

 ミシェルの回答は、実にシンプルなものだった。

「ここでオーベルと暮らすことに決めたわ。実はね、ノノがライフォテールに戻っている間にね、私、オーベルに告白したの。プロポーズよ。まだ、答えは貰えていないけれど、けど、たとえ断られても諦めないわ」

「………」

 なるほどね。なるほどなるほど。

「なるほど……じゃなーいッ! 何一つ納得できない!」

 何してるの!? 私が居ない間に何しているの!? オーベルが死の間際に言ってた告白の返事をしてないってそういうこと!? まさかそこまで一気に進展してたとは思わなかった! お付き合いしてくださいとか、そういう話だと思ってた! そうじゃなくて結婚とか! 話が一息に飛躍しすぎている!

「そもそも、オーベルは草原人よ! ミシェルとは釣り合わない! グレイドーン様も、フレジリア様も、キャストレード様も、アルトリージェ様も、当然、ヴァスガロン様も反対するわ! そんなの!」

「いいえ、しないわ」

「はぁ!?」

「だって、もうオーベルは草原人じゃないもの」

「………は?」


「ノノ、貴方が彼を魔法使いにしてしまったでしょう?」

「……………………………………………―――――――」


 そうだったー!!!


 私はベッドから飛び出してゴロゴロと床を転がり、壁にぶつかると、そのまま壁に頭を何度も叩きつける。

 バカバカバカ! 私の大馬鹿者ォッ!!

 そうじゃん! オーベルが魔法使いになったら何の問題もなくなるじゃないか!

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