7章 魔法ノ塔ノ少女
第41話
彼にとって唯一気がかりだったのは、息子のサリヴァのことだった。
全てを失って150年、魔法の研鑽に励み、”門”を作り、ただ一つ復讐と言う名の目的に向かって共に歩んだ息子。濡闇ノ国の微温い泥の上で微睡んでいるような魔法使いに遅れを取ることなどあるはずもないが、相手は魔王の娘だ。
戦いの最中、魔法をほとんど使うことなく自身を追い詰めた。ライフォテールの狂犬の異名に相応しい、恐るべき相手だった。
偶然、王子たるオーベルが傷を負い、隙を見せた為、どうにか逃げ出すことができたが、あの狂犬は猟犬でもある、自身を決して逃すことはないだろう。必ず、追いかけてくる。
それまでに、どうにか傷を癒やし、サリヴァと合流し、迎え撃つ準備を整えなければならない…。
しかし、どうしてあの女が現れたのだろうか。
オーベルに絆された?
いいや、そんなはずはない。あの女は”ライフォテールの魔女”にだけ懐く忠犬だ。魔女の命令でなければ、どれだけオーベルに絆されようと、仇のいた国へ来るはずもない。
それに、彼女は言った。
この泥濘で、自分は新しい宝石を見つけたのだと。それはきっと、魔女のことだ。
両親を失い悲嘆にくれていた彼女を、1度だけ彼は王宮で見かけたことがあった。全てを失い、仮面のような表情になった幼女。生きていながら、死んでいるような顔の少女――…。
それが、あのような”生きた”姿に戻るとは。
彼女自身がそう言ったように、彼女は宝石を見つけたのだ。
それがどれだけ幸運で、どれだけ幸福なことか。
ずっとずっと、闇の中で、思い出だけに縋って藻掻いていた我々とは、根っこから違う。持つ者と、持たざる者。天と地を分かつ程の差だった。
ならば、やはりこの草原の国へ現れたのは、魔女の命があってのことだろうか。
レドウィグ・レイムスは、王城から逃れ、草原をひた走っていた。
進む道の先にはサザングラスの街が見える。
あの街の小さな神殿に、塔への隠された”道”がある。
だが、いま塔へ戻ることはできない。
狂犬を送り込んできたのが魔女であろうと、そうでなかろうと、”大魔法使い”がこの事態を把握していないはずがない。
今戻れば、確実に捕縛される。
ならばどうするか?
どこへ戻るのか?
戻る場所などない。
今はただ逃れ、身を隠し、傷を癒やして、時を待つ他ない。
幸い、逃れる場所には事欠かない。草原を渡り、海へ逃れてもいいだろう。あるいは北へ進み、山の国に紛れる事もできるだろう。
どちらを選ぼうとも、サリヴァとの連絡手段があるし、拠点には備蓄も残されている。
問題はない―――問題はない―――…
土壇場で全てを崩されようと、まだ生きている。
なら何も、問題は――…
「やぁ、レイムス。久しぶりじゃないか。そんな必死な形相でどこへ行くんだ?」
反射的に魔法を放とうとした。
だが、練った魔力は、形になる前に何か巨大な物に打ち潰されて霧散する。
「おいおい、なんだよ突然。危ないじゃないか」
「き、貴様――」
視線の先には、少年が立っていた。
見覚えの無い少年だ。だが、彼は知っている。
その魔力の色を、形を知っている。
「ヴァスガロン――…ライフォテール…!!」
「正解。あれ? どうしたんだその顔。ビーチで日光浴でもしたかい? ちゃんと日焼け止め塗らないと駄目だぜ。僕らは肌が弱いからな」
少年は口を三日月に曲げて嗤った。紅い瞳が、深く深く輝く。
「いや、しかし驚いたよ。まさかアレだけのアーティファクトを君が作り上げるとは。しかも、20年近くも僕に隠し通すとはね。教え子だった頃の成績は、そりゃ酷いものだったけれど―――…変わるものだな」
ヴァスガロンは悲しげに目を伏せる。そして、長鍔の帽子を胸の前に降ろした。
「エナとライーナのことは本当に残念だった。これに関しては、王もその責をお認めになられている。故に、君たちの不法な越境を不問とし、さらに、廃塔扱いとなった居塔の所在についても、君たちに返還すると仰った」
だから――…と、ヴァスガロンは言う。
「戻ってこないか? レイムス。昔通りとは言わない。失われた者は戻ってこない。だが、それでも故郷に――」
「巫山戯るなッ!!!」
レドウィグ・レイムスは激昂した。
「そんな覚悟で、我々がここに居ると思うてか!! 貴様、ヴァスガロン!! 我々を愚弄するな…ッ! 王だと…? 不問だと…!? どれだけ我々の神経を逆撫ですれば気が済む…!?」
「レイムス、落ち着いて―――」
「最初から貴様は我々を始末する気だったのであろう!?」
「………」
「そうでなければ、狂犬など送り込むまい! 貴様がその姿になれるのならば、我々を気遣うのではれば、最初から貴様が来るはずだろうが!」
「…―――そうだね。その通りだ」
ヴァスガロンは帽子を被り直した。
「その通りだ、レイムス。僕は最初から君達に欠片の憐れみもない」
「醜悪―――醜悪ぞ…! ヴァスガロン、貴様、あの時も――!」
「ああ、そうさ。君の奥さんと娘を見殺しにしたのも、王命だったと言えど、決断したのは最終的には僕さ。全部、僕のせいだ。だけど、僕は何一つ”悪くない”。勝手に死んだ連中が悪い」
「ヴァスガロン!! 言ったな…! 我が家族を侮辱したな…ッ!!」
「僕の情けに応じないのなら、骸を晒せ、レイムス。やっぱり”僕は悪くない”。お前も勝手に死ね」
「何を言って―――」
「因果応報というやつだ、レイムス」
ヴァスガロンが言葉を終えた瞬間、レドウィグ・レイムスの胸から、ボロボロに刃こぼれした剣の切っ先が生々しい音を立てて突き抜けた。
「がぁッ!?」
血が、草原の風に乗り舞う。
何の気配もなかった。何の予兆もなかった。
だが、死は彼に追いついた。
「――レドウィグ、貴様だけは逃さん」
「お、オーベル…!? あの傷で…!?」
レドウィグ・レイムスが振り返ると、そこにいるのはオーベルであって、オーベルではない、誰かだった。
溶け込んだ背景から、徐々にオーベルの姿が現れ居でる。両目が爛々と赤に輝かせた姿で。
恐ろしい破壊跡の刻まれた、もはや用を成さぬ鎧は血まみれで、その鎧傷の奥に見えるのは、ざっくりと開いた深い傷。しかしそれは、ボコボコと波打ちながら再生し続けている。
「なっ―――!?」
有り得ない再生能力。それに、風景に溶け込む姿隠しの力。
通常の魔法使いであっても、これほどの再生能力は発揮できない。唯一、それができるとすれば、暴風に身体を裂かれながらも肉薄し、斧を振るってきたあの狂犬のみ。
それに、背景に溶け込むその現象は魔法だ。姿隠しの魔法に間違いなかった。
「お、お前ッ!? 魔法使いになっただと…!?」
「―――黙れ、死ね」
オーベルはそのまま、突き立てた刃を振り上げる。
人の生み出せる力を越える怪力を以てして、レドウィグの肋骨を裂き、鎖骨を裂き、剣がレドウィグの身体の中心から、右肩を裂いて外へと切り抜けていく。
「があああああああああああッ!?」
吹き出す血が、草原を濡らす。
痛みによって、膝をついたレドウィグは、正面に立っているヴァスガロンを見た。
ヴァスガロンは―――…祈るように、目を閉じていた。
「ヴァスガ」
言葉は続かず、代わりに、オーベルの返す刃によって、レドウィグの首は断たれ、宙を舞った。
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