第40話
オーベルは兄王に看護されていたが、芳しくないようだ。兄王は声高らかに、あの暴風から生き残った文官や兵士に声をかけ、治療できる者を寄越すよう叫んでいた。
オーベルに駆け寄った私は、すぐに奴の着込んでいる鎧を引き剥がし、服を引き裂き、その傷を見る。鋭い瓦礫か、机の残骸か、壊れた武器か、何かはわからないが、それがオーベルを深く斬りつけたようだ。傷は筋肉を大きく刳り、骨を砕いて、臓器まで達している。
「オーベル! おい! しっかりしろ!」
「…だい、じょうぶだ…。意識は、あるぞ…」
「ならそのまま意識を保て!」
私は自分の衣服を破り、それを傷に押し当てる。これだけ大きな傷だ。これでどれだけ血を止められるかはわからない。だが、一滴でも血を残せば、オーベルを助けることができるかもしれない。
できる、かもしれない…。
いや、正直に、認めよう。
無理だ。
草原人では、この損傷から回復することは、できない…。
確実に致命傷だ…。
「クソ…。どうしてこうなった…。どうして逃げなかった…」
「我を庇ったのだ…。オーベルが…」
同じくオーベルを看護しながら、狼狽する兄王が私に言う。
「オーベルは、裏切ってなどいなかった…。その身を持って、証明を――」
「黙れッ!」
私は叫ぶ。
「お前はさっさと宰相と反乱軍をどうにかしろ! オーベルの行為を無駄にするなッ!」
「だ、だが―――…」
「早くしろ! この愚図!」
私は兄王に命じる。
いまだ魅了されたままの兄王は、弟への思い故か、その命令になかなか従わなかったが、最終的には何かを振り切るように、混乱した大広間の収拾に向け、苛烈に指示を飛ばし始めた。
「…おい…ノノ…俺の兄様に……失礼だろ…王様、だぞ…」
「喧しい」
「ノノ、ありが、とう…」
「喧しいぞ」
「ノノが居て、くれなかったら……きっと、国を、救えなかった…」
「喧しいって言ってるだろ! 喋るな! 少しでも生きたいなら! 体力を温存しろ! 血を流すな! 死ぬぞ!?」
「…もう、この傷じゃ………無理だよ…」
ああ、そうだろう。
誰が見たってそう見える。そう判断できる。
「ノノ……ミシェルに…は…」
「ミシェルは泣くよ。絶対に泣く。泣いて、泣いて、きっと泣き止まない。お前の亡骸を抱いたまま、石になったみたいにこの場から動かなくなるぞ。困るんだよ、そんな事されたら! だから、お前には生きてもらわなきゃ困るんだ!」
「…俺…ミシェルに、告白……されて……」
「今そんな話をするな! 殺すぞ!」
「……はは…」
オーベルは笑った。そりゃそうだ。矛盾してるよな。
「実は、返事を…して、ないんだ……」
「馬鹿野郎! 特大の爆弾を置いていくな! 断るにしろ応じるにしろ、返事してから死ね! さらに面倒臭いことになるだろうが!」
前言撤回しよう。お前は絶対に殺さん!
「…だよなぁ……」
分かってるなら何とかしろ!
くそ! ミシェルを今すぐここに連れてくるか!? ミシェルの膨大な魔力があれば、”魔法”じゃなくても大抵のことはできる…かもしれない。
いや、間に合わない…。もうオーベルの命は消える…。こいつを下手に動かしても消える、待っていても、消える…!
「だか、ら……代わりに…返事を……」
「絶対に断るッ!」
だからそんな最大級の爆弾を私に託すな!
そんなのどう伝えたって、ミシェルを悲しませるだけじゃないか!
「自分で言え! 何でもかんでも私に頼るな!」
「………頼むよ、ノノ」
「ッ…!!」
くそ…くそ…くそ…!!
ああ、もう!!
「ノノ――…」
「嫌だ! お前、オーベル! お前! 何でもかんでも私に言えばどうにかなると思うな! もっと自分でなんとかしろ! 私にミシェルの絵を描く約束だって果たして無いし、配給権の借りも返してもらってないんだぞ! その上、更に恨まれ役をやれだなんて、図々しいにも程があるッ!」
ああ、本当に図々しい奴だ…。
本当に、本当に…。
お前なんて、大嫌いだ。
二度と会いたくない。顔も見たくない。
けど、死んでほしくない。
1000年に1度、この最低最悪な泥沼から見つかる、美しいもの。
私と、ミシェルの憧憬―――…
失うわけにはいかない。
奪われるわけにはいかない。
どんな代償を払おうとも。
「オーベル!」
もはや、彼から返事はない。
瞳から輝きが消えていく。
呼吸が絶えていく。
私は―――…
「…クソッたれ…」
オーベルを助ける方法はない。そうだ。その通り。
そう―――”人のまま”助ける方法はない。
”人を辞めさせる”のならば、一つだけ方法がある。
けど、これは――…これは――…
これだけは、絶対にやりたくなかった。
『ノノ――オーベルのこと、よろしくね?』
大好きな彼女の言葉が、私の迷いを真っ二つに断ち切る。
ああ、もう―――…
「これも、貸しにしておくぞ…オーベル」
オーベルの生命が消えるその前に、私はその唇に自分の唇を重ねた。
一瞬だけ、オーベルから、震えのような反応が帰ってきた。
だから嫌だったんだ。
私は最悪な気持ちになりながら―――オーベルの口腔に舌を伸ばし、そして、自らの食いちぎった。
オーベルの喉に落ちていく私の舌、そして、大量の血。
私は、私の中の血を、半分失うつもりで、オーベルの中に流し込んでいく。
舌が再生し始めればまた噛みちぎり、止めどなく流れる血をオーベルに与える。
与える、与える。
私の血を。
私達の魔法は、血に宿る。
私の使える魔法は3つ。
1つ、魅了の魔法。
2つ、沼渡りの魔法。
そして、3つ目―――
それは、”魔法使いを作る魔法”
「ォゴッ!!!」
オーベルの体が跳ねる。だが、私はそれを腕力で押さえつける。唇を重ねたまま。
オーベルの体内で、急激な変異が起こっている。私の流し込んだ舌と血が彼の身体を変えていく。
物心付く前、私は魔法なんて使えなかった。
母も、最初の父親も同じ。魔法の使えない、村人だった。
だけど、ある日――”作り変えられた”のだ。
私の、二人目の父親に。
長い髪が、その赤い瞳が、私に近づいてくるのを、微かに覚えている。
唇が重なり、流れ込んでくる血が、まるでマグマのように、私を中から灼いていく。その痛みを微かに覚えている。
変わっていく―――変わっていく―――作り変わっていく―――。
その恐怖を、ずっとずっと覚えている。
「ガ―――アガガガ――――アッ、アアアアアアアアアッッ!!」
オーベルが、唇の隙間からくぐもった絶叫を上げる。
苦しみ、藻掻き、掻き毟り、しかし、それでもそれから逃げられないのを、私は知っている。
ただ、自分が別の何かに変わっていく恐怖と痛みに耐え続けなければならないのを、知っている。
そして、私は唇を離した。
いつか誰かに告げられた、呪いの言葉を、今度は私が彼に告げる
そうだ、よく考えれば、これは”詠唱”だったのかもしれない。
「お前には既に必要なもの全てを持ち、何一つ過不足はない。食欲も、物欲も、色欲も、権欲も、強欲も、お前にとっては然したる理由になりはしない。お前は生まれ変わり完結する。だからこそ、お前が満たされることはない。望むものが手に入ることはない。永遠に」
だから
「我々は満たされぬ渇きに苛まれ続ける。そう宿命付けられている。この世界の大半に価値を見出せず、世界は無限の泥濘に見える。藻掻き、足掻いても、やがて我らは沼底へ沈み、そして果てる。だが――…」
だけど
「お前は逃さない。我が”憧憬”。お前を見捨てない。私にはお前がいる。お前を裏切ることはない。決してお前を独りにしない」
そうだ
「雨降る日も、風吹く日も、曇天の日も、晴天の日も、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧する時も、敬い、慰め、共に生きる。この生命ある限り―――」
「私と、
溶けた私の血肉が、オーベルの全身を駆け巡り、その身体を変異させ、やがて彼の漆黒の瞳が、私と同じ真紅に染まる。
膨大な魔力が溢れ、それが、彼の傷を急激に再生させていく。
抱きしめたオーベルの体に、再び熱が戻る。
「あああああああああああああああああああああっ!!!!」
オーベルは意識を取り戻し、獣のように咆哮した。
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