第39話

 ダグニム魔術師団による広域攻撃魔法。

 さらにそれを長編詠唱によって威力を底上げし、十一人分重ねたそれは、途方も無い威力を証明した。城壁に群がる反乱軍は、一切の抵抗もできずに光に呑まれ、肉体を焦がし、燃え尽きる。

 これだけの人数の魔術師を揃える登用力、長編詠唱に必要な時間。そして、敵を十分に引きつけるタイミング。全てが合致した時に始めて引き出せる力だった。

 唯一、防壁魔法を展開したサリヴァ以外には、その戦場に立つ者はいない。

 焼けただれだ大地は黒く染り、灰と炭だけが転がるだけだった。

 まさに、戦場においてただ一度の切り札であった。

「………流石に、燃え尽きましたかね。まぁ、そりゃ、そうか」

 しかし、彼とて無傷ではなかった。

 防壁を展開していたにもかかわらず、彼の両腕は半ば炭化していた。

「私が防壁を張っていてもこれなんですからね…」

 生身で受けたのなら、間違いなく炭になっていた。腕だけならば、時間はかかるがいつかは治る。しかし全身が炭になれば、流石に死んでしまうところだった。

 手筈通りであれば、城壁が破られ、城内で混戦が発生した際に、外の敵を一網打尽にするための切り札であったが、あの戦場に現れた魔女は、自傷を厭わぬ渾身の不意打ちでなければ、到底倒せない相手だった。単身で1000を超える兵士を殺して回るような怪物。自分たちとは違う、真なる魔法の申し子。

「惚けてる場合じゃないぞ…。父さんのところへ、行かないと…」

 彼は役目を果たした。

 突如現れた邪魔者は消し飛ばし、城壁に群がっていた反乱軍は全滅。あとは、この混乱に応じて王を殺し、オーベルを処刑。この国をぐちゃぐちゃに掻き回すだけだった。

 王も居らず、真実を知る者も消えた時、この国は混乱に飲まれ、やがて消える。

 そうしてようやく―――…

 いや、違う。と、サリヴァは感じる。

 こんなものでは足りない。

 全ての下等な人間共を、殲滅しなくては。

 人間たちがいるのは草原だけじゃない。

 草原の向こうの山脈にも、その先の海にも、さらにさらに、その先の別大陸にも、人間はいる。

 全員、全部、全て、殺してやる。

 そうしなければ、そうしなければ、溜飲が下がらない。

 自分たちとは違う、下等な生き物。

 連中に生きている価値なんて、無い。

 歩み去ろうと足を踏み出した。


「今のはとても綺麗だったわ」


 声が、聞こえた。

 澄んだ声が。


「ねぇ、もう終わりかしら? 少し短いわ。もう少し沢山やってもいいのに」


 背中を、汗が伝う。

 有り得ない、有り得ないと、サリヴァの頭の中で、ぐるぐると声が渦巻く。

 しかし、否定する材料はなかった。彼は、事実を受け入れる為に、声の方向へ視線を向ける。

 そこには、無傷のミシェル・ライフォテールが立っていた。

 そう、無傷のまま立っていた。

「馬鹿な…」

「どうしたのかしら?」

 彼女は小首を傾げる。

「無事で済むはずがない…! わ、私の腕だって、防壁魔法を張った私だって、この様なんだぞ!?」

「確かにそうね。もし当たったなら私も灰になっていたわ」

「は――?」

「でも、飛んでくるのが見えてたから。急いで”飛び退いて”魔法の範囲から逃れたのよ。ふう、久しぶりに全力で駆けて汗をかいてしまったわ」

「は、はは――…は?」

 そんなことが、出来るわけがない。

 魔法の速度よりも、走る速度のほうが早いなどと。そんな馬鹿なことがあるわけがない。

「あら、おかしい? お父様も叔父様も出来るのよ?」

「やっぱり化け物なんじゃないかよ! お前ら全員! ライフォテールの連中は!」

「本当に失礼な人ね」

 ぷんぷん、とミシェルは頬を膨らませる。

「そんな人には、少しきつめにお仕置きだわ」

「こうなりゃ死ぬまでやってやる! かかってこい! ライフォテールの魔女!」

 半ば焼け果てた腕から来る痛みで、サリヴァがどこまで魔力を操れるかわからなかった。痛みは集中力を奪い、魔力をかき乱す。精度は下がり、多くの魔法は使えないだろう。だが、しかし、ここで目の前の悪鬼を倒さねば、ここまで築いてきた計画全てが破壊されてしまう。

 逃げることはできなかった。

 サリヴァの全身を、暴風が包み込む。彼の血の中に濃く残る、彼の家族――彼の血族が最も得意とする魔法だった。

「おらあああああぁぁぁぁ!!!」

 魔力を渦巻く風に変え、ミシェルを飲み込もうと広げる。

 だが―――

「一度”見た”のなら、再現するのは簡単だわ」

 ミシェルの身体から、身震いするほど巨大な魔力の渦が沸き起こる。

 そして、それらが一気に強固な壁へと変わっていく。

 先程サリヴァが見せた防壁の魔法。それを完全に再現していた。

「なッ―――!?」

「私を誰だと思っているの? 全ての魔法はライフォテールおじいさまから始まっているのを忘れたの? ならば、その血脈には、最初からあらゆる魔法が備わっている。私にとって魔法なんて―――ただ”思い出す”だけのものなの」

 暴風が壁に触れる。ガリガリと、尋常ではない音を立て、人体をバラバラに引き裂く風の刃が防壁を削ろうとする。

「おおおぉぉぉぉッ!!!」

 サリヴァが吠える。

 しかし、どれだけ魔力を捻り出そうと、魔法の暴風で防壁を破壊することはできなかった。

「そ、そんな、そんな事が――」

 魔法は、才能が全て。努力は必要だけれど、絶対的な差はひっくり返らない。

 そんなことは分かっていた。分かっていたけれど。

 それでも彼は、慢心する魔女に一太刀浴びせられるはずだと思ってた。

「――いや! まだだッ!」

 炭化した両腕が、千切れそうな痛みを放つ。しかし、その痛みを飲み込んで、彼は別の魔法を編む。

 作り上げるのは氷の槍。無数の刃を、暴風の中に乗せる。

 暴風だけで削りきれないというのなら、更に魔法を重ねるまで。

 暴風の中を、氷の槍が泳いでいく。そして、その幾つかが、ミシェルの防壁に突き刺さっていく。

「穿けェ!!!」

 しかし―――

 全身全霊を以てしても、防壁を砕くことはできなかった。

 魔力を切らした彼は、暴風を維持できなくなった。

 狂気の風は止み、氷の刃は砕けて消えた。

 それと同時に、ミシェルの防壁も消える。

 そこには、彼の全てを凌ぎきった魔女の笑みがあるはずだった。

 だが、無い。

 防壁の奥には、誰もいない。

「なっ―――」

「これも貴方が見せてくれた魔法だわ」

 声は背後から。

 いつ背後へ回り込んだ? 防壁から出た姿は無かったはず…いやこれは―――

 姿隠しの魔法。

「!!!?」

 サリヴァが振り向く。振り向いた先に、白百合が咲いていた。

 そしてサリヴァの胸に、鈍い光を放つ刃が突き立った。

 鈍い音が風の止んだ戦場によく響く。

「本当は、鉄を断つものなのだけれど―――…肉でも問題ないでしょう」

「あ、あ…あ……」

 突き立ったハサミの柄に、ミシェルの両手が優しく添えられる。

 ミシェルは突き立てた鉄断ち鋏を軸にぐるんと回転し、突き立てた2つの刃を捻り上げた。

 肉を裂き、骨を砕いて、サリヴァはまるで哀れな鉄扉のように無理やり”開け広げられ”、血と内臓を溢しながら膝をつき、声もなく地面に伏した。


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