第38話

 私は、舌戦を繰り広げんと口を開いたオーベルの肩を叩く。

「オーベル」

「ノノ?」

「何だ、貴様は」

 王様はそう言って、突然割って入ってきた私を怪訝そうに見た。

 だから私は王を睨み返す。

 魔法を帯びる、赤き瞳で。

「なっ――貴様!!」

 宰相が動揺する。ああ、やっぱりそうか。これが魔法だと、わかるんだな?

「私も驚いてるわ。こんなところでご同郷に会えるとは思わなかったから」

 私は王様から視線を外し、次に宰相を睨む。

「ライフォテールの狂犬ッ!!」

 あ、私のことを知っているのか。

 なら話が早いな。

 自己紹介する手間が省けた私は、レドウィグという名の宰相から視線を外さず、王様に命じた。

「王様、オーベルは無罪よ」

「……そうか、オーベルよ。全て許す、すまなかった」

「え!?」

 オーベルは驚きに声をあげる。突如王様が180度違う意見を言い出したら、そりゃ驚くというものだ。

 しかし、オーベルは”身に覚えがある”のか、すぐにトリックを見破った。

「ノノ!? まさか、魔法を!?」

「王様、オーベルが無実と認めるのならば、彼の言葉を信じるわね?」

「ああ…我はオーベルの言葉を信じる…。宰相、貴様が真の首魁なのだな」

 まるでうわ言のように、定まらない視線を虚空に向けて、王は宰相に告げる。

「兵よ、宰相を捕らえよ」

「くっ!?」

 至極あっさりと己の策略を壊された宰相は、その身から魔力を沸き立たせ、魔法を放とうとする。詠唱などという面倒な所作は必要なく、すぐに魔法が破壊力を伴って発現した。

 風の吹き込むことのない大広間に、暴風が吹き荒れる。机が飛び、人が吹き上げられ、剣や斧が舞う。

「兄様!」

 オーベルが兄の元へと走った。

 私は宰相の元へと駆ける。

 机や椅子、人を巻き上げ、暴風の壁を練り上げた宰相は、一気にそれを炸裂させる。

 机が、剣が、人が、風の力によって縦横無尽に広間に叩きつけられる。

 私の身体にも、容赦なく瓦礫やら武器やらが襲いかかってくる。だが、それは些末なものだ。

 腹部に瓦礫が食い込もうと、飛んでくる武器に肩を裂かれようと、関係ない。

 足が動く限り、最大限の力で、私は嵐の壁を抜けて宰相に肉薄する。

「ぐぬぅ! 貴様!」

 私は斧を横薙ぎに払う。

 宰相も戦いの経験がないわけではないらしく、首を狙った致命的な一撃を、腕を犠牲に逃れた。掌で斧の刃受け止めようとした腕は、肘まで真っ二つに裂かれ、そこで止まる。

「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 猛烈な痛みから悲鳴を上げる宰相。だが、その淡赤の瞳に帯びる闘志は消えていなかった。

 腕を犠牲に生き延びた宰相は、至近距離にいる私に向けて、ありったけの魔力を単純にぶつけてきた。巨大な衝撃が私の全身を打つ。

 さすがの私もこれには抵抗できず、そのまま弾き飛ばされる。壁まで飛ばされ、叩きつけられた。

 しかし、私の攻撃が無駄だったわけじゃない。大広間に展開された暴風は消えた。奴の右腕も使い物にならず、その痛みから、強力な魔法を使うための集中力は削いだはずだ。

 対して私は、痛みを噛み締めて立ち上がり、折れた背骨と砕けた頭蓋が再生する感覚を味わう。暴風によって身体に突き刺さったガラクタも抜け落ちる。

「が…っ! はぁ…! はぁ…! 馬鹿な…あれをまともに受けて立ち上がるというのか…!?」

 宰相は愕然としていた。その腕は私と違い治っていない。文字通り肘まで”骨ごと縦に”真っ二つにされた腕は、おびただしい血を流しながら、ダランと垂れ下がっている。これは痛そうだ。

 この傷であれば普通の人――ああ、いや、普通の”濡闇ノ国の住人”なら治るのに2週間はかかる。断ち切られた腕をくっつける方がまだマシだったろう。

 さぁ、第二ラウンドだ。

 奴と違い、既に大方の傷が再生した私は、再び全速で駆け出す。

 宰相は傷ついた腕を庇いながら、人間のそれを凌駕する速度で逃れようとした。だが私のほうが早い。

 宰相の背中に追いついた私は、その白髪を掴み、斧を振り上げる。再び首を狙う。

「ヒッ!?」

 短い悲鳴を上げ、宰相は自ら自分の頭を燃やした。最も単純な火の魔法。濡闇ノ国で、魔法使いの血を継いでいるのなら多くが使える魔法を、自分の頭に向けて使った。

 燃え上がる宰相の顔。だが、その御蔭で私が掴んでいた髪も焼け落ち、逃れることに成功した。私の斧は空を切る。

 おまけに、私の手にも火は登ってきて、私の手を少し焼いた。まぁ、すぐ治る。

「ああああああッ! ああああああッ!!!」

 自分の頭を燃やしながら、宰相は苦痛の声を上げて床を転がる。斧から逃れても、自分の顔を焼いたのだ、尋常な痛みじゃない。私が手にかける前に、痛みで悶絶死するかもしれない。それならそれで、手間が省けるのだが。

「ひ…ひぐゥ……な、何故だ……何故、だ…狂犬…!」

 酷い火傷だった。白髪も髭も燃え落ち、赤黒く爛れた顔から煙を立たせながら、宰相は私に言う。

「何故草原の国の者共の為に戦う…!? お前――お前も! 小奴らに親を殺されてるだろうにッ!」

 私は、動きを止めた。

「どういう意味?」

「わ、儂らが何故こうしていると思う!? 何故”門”を抜け、20年もここにいると思う!? 全てはこの草原の国を滅ぼすためッ!」

 ああ、なるほど。

 私は全て理解した。

「貴方も大切な人を戦争で亡くしたのね」

「こいつらに、この下等なクソ共に殺されたのだ! 愚鈍な王の命に応じたばかりに! 妻と娘が無残に殺された! お前なら分かるだろう! ”魔王”の娘ならば!」

「そうね…」

 オーベルと初めて出会った時、”そう”思わなくもなかった。

 こいつは、私の両親の仇だと、そう感じた。まったく憎悪が湧かなかったといえば嘘になる。

「憎しみが全く無いかと言えば、嘘になるわ」

「そうだろうが! なのに! 何故邪魔をする!? 私達が成し遂げれば、この下等生物共を全て駆逐できる! この国を滅ぼせる! 忌まわしき草原を、灰にできる!」

 宰相は、真っ二つにされた腕を魔力の刃で自ら断ち切った。新たに血が吹き出すが、負傷面は小さくなるので治療も再生も容易となる。賢い判断だった。まぁ、腕が新しく生え揃うまでにはおそらく何年かかることになるだろうが。

「お前の悲願を叶えてやれるのだッ! 立ち塞がる道理などないだろうが!」

「そうでもないわ」

 私は、斧の切っ先を宰相に向けた。

「同郷の魔法使い。貴方と私の違いは明白だわ」

「何を!?」

「お前は時間が止まってる。まぁ、あの国自体がそもそも時間の止まったような場所だけれど、それ以上よ。何年前のことだと思ってるの? くだらないわ。いい加減切り替えた方がいいわよ」

「貴様ッ!! 死者の無念をくだらないなどと!?」

「くだらないわ。くだらない。本当にくだらない。この世界のあらゆる事象はクソだわ。抱いた微かな望みすら叶わず、ただひたすらに理不尽で、私の預かり知らぬところで、万象一切が変わり果てていく。好いた誰かの心も、愛した誰かの想いも、変わり、消え、報われることはない。私達はあの湿地を憂うけど、そうじゃないのよ」

 私は、斧を降ろした。

「この世界全てが、救いようのない汚泥なのよ」

 宰相は、私の言葉に項垂れた。

「でも、その泥濘の中に時折、光り輝く宝石を見つけることもある」

「………」

「それがお前と私の違い。奪われた後、別の宝石を見つけられたか、そうでなかったかの違いだわ。どうせ世界のすべてがクソならば、次の宝石を探して愛でた方が健全でしょ」

 まぁ、その私の宝石も、今まさに奪われそうになっているから、私は必死なのだけれど。

 と、オーベルの方を見やる。

 私にとっては小憎たらしい強奪者であるオーベルもまた、私を見ていた。

 血まみれの姿で、兄に抱き起こされながら。

「オーベルッ!?」

 私は宰相の事など忘れ、オーベルに駆け寄った。

 

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