第35話

 私としては、城壁を飛び越えたら中庭かどこかに上品に着陸するつもりだったのだけれど、灰色の羽鎧虫を操るオーベルは、事もあろうかそのまま王城の窓に飛び込んで行きやがった。

 仕方がない…。

 私もそれに倣う。

 窓をぶち破り、羽鎧虫を場内の床に滑らせる。

 そこは幸いに大広間だった。

 火花を散らしつつ、羽鎧虫の甲殻が石床を舐めて慣性を殺し、壁にぶつかる前に羽鎧虫は動きを止めた。

 オーベルが乗っていた羽鎧虫は慣性を殺し切れずに壁に突っ込んだようだが、突っ込む前にオーベルは羽鎧虫から飛び降りていたようで、床の上から立ち上がろうとしているところだった。下手くそめ。

 私は羽鎧虫から降り、オーベルに駆け寄る。

 見た感じ、骨を折ったり、内臓を傷つけていたりはしていないようだ。擦り傷切り傷は多いが、どれも致命傷ではないな。私がくれてやった兜と鎧が期待通りの仕事をしてくれたようだ。

「オーベル、立てる?」

「だ、大丈夫だ…」

 オーベルが立ち上がるのに手を貸してやると、ぞろぞろと王城の兵士たちが駆け寄ってきた。手には武器を持ち、明らかに羽鎧虫を怖れている様子だ。まぁ、無理もないか。草原の国の連中にとっては、羽鎧虫でさえ魔物に見えるらしい。

 ……。いや、窓から急に超重装甲の巨大虫が飛び込んできたら皆、怖がるか…?

「オーベル、やっぱり窓から飛び込むのは得策じゃなかったわね」

「そうみたいだな…」

 いささか強めに打ったせいで痛みが残るのか、脇腹を抑えてフラフラと歩くオーベル。

 歩みだしたオーベルを見て、兵士達はさらに困惑の表情を浮かべて足を止めた。

「我が兄――いや、王はどこだ? オーベルが戻ったと、王に伝えてくれ!」

 オーベルはこれまでの弱々しいイメージを一蹴するかのような、威厳に満ちた声音で兵士たちに命じる。

 だが、命令を受けた兵士たちに広がるのは、やはり困惑だけだった。

「…どうした?」

 オーベルも兵士たちの混乱した様子に気づき、怪訝な声を漏らす。

 私は最悪の展開を予測し、警戒を緩めない。

「兄様!!」

 オーベルと兵士が睨み合う中、大広間に少女の声が響き渡る。

 ああ、お姫様だなと、ひと目見てわかるような、豪華なドレスを着込んでいた。もこもこふわふわだ。あんな服、毎日着てたら重くて仕方ないだろうにと私は思う。

 騎士の鎧といい、草原の国では何でも重くてデカいものが重用されるのか?

 いや、そもそも、着込んでいても重さで泥沼に足がとられることはないのだから、軽装重視にする必要もないのか。

「カチュア! 無事だったか!」

 オーベルは兵士達の合間を抜け、賭けてきた姫君を抱きしめる。

「よかった…もう、何もかも手遅れかと―――」

「兄様! 何故戻って来たのですか!?」

「え?」

「早くお逃げください! この反乱は兄様が仕組んだものだと、王も宰相も疑っております!」

「なっ!? …そ、それは、どういうことだ…?」

「この反乱の首魁は兄様だと、宰相が王に告げたのです!」

「なんだとっ!?」

「ここに留まれば殺されてしまいます! 早く逃げて――」

「カチュア、王と宰相はどこだ?」

「兄様!」

「頼む、教えてくれ」

「………」

 カチュアは頑固な兄の覚悟を決めた表情を見て、その瞳を絶望に染める。そして、まるで助けを求めるように私を見た。

 そんな目で見られても、私にはどうしようもないのだけれど…

「兄様、あちらのお方は…?」

「彼女は何の関係ない。俺を助け、ここまで連れてきてくれた人だ。ノノ、ありがとう、この先は―――」

「オーベル、ここで私を怒らせたら、この場の全員死ぬことになるわよ?」

 全くそんな気は無いけれど、そう言っておかないとオーベルは「ここで別れよう、ここまで俺を連れてきてくれて感謝している」とかなんとか言い出して、一人で決着をつけにいこうとするだろう。

 それでは駄目だ。

 ミシェルが悲しむ。

「ノノ、だけど――」

「最悪、反乱の首謀者と名乗って死ぬことでこの自体を収めるつもりなのかもしれないけれど、そんな事を許すと思う?」

「………」

「妹さんも、そんなことは望んでないみたいよ」

 私は視線をオーベルの妹に返す。

 彼女は兄よりも一段聡明だった。私の視線を受けて小さく頷く。どうやら、何者かも分からない私を利用する気になったようだ。

「兄様、そんなことは駄目です…命を投げ出さないで…」

「でも、飛び込んでしまった以上、もう行くところまで行くしか無いわね。とりあず、私は宰相とやらの顔を見てから帰ることにするわ」

「………」

 私が踏み出すと、兵士たちが反応する。

 オーベルが敵かどうかは判断に困るところなのだろうが、オーベルを伴ってやってきた私は不法侵入者だ。兵士達としては最も対処しやすいのだろう。

「妙な動きを見せるな!」

「二人とも連行する!」

「待ちなさい! オーベルは私の兄です! 牢になど入れさせません! それよりも、貴方達は城外の敵に集中なさい!」

「しかしカチュア姫――」

 兵士達の意識が逸れたその瞬間、私は勢いよく踏み込み、一息にオーベルの元まで飛び込む。

 オーベルに視線を合わせると、彼もまた私の意図を汲んだらしく、小さく頷いた。その仕草、妹そっくりだな。

 オーベルは自分から私に抱きついてきた。抱えやすくていい。

「行くぞ」

 私は再度踏み込む。

 次の跳躍で、大広間の出口にたどり着いていた。

「なっ――」

 兵士たちが振り向くが、もう遅い。

 私は廊下へ疾走する。

「追え! 侵入者だ!」

 背後から怒声が聞こえてくる。

「ノノ、ありがとう…」

「気にしないで。これも仕事の内よ」

 オーベルを抱っこしながら、私は廊下を走る。

「それで、どうするの?」

「おそらく、兄―――いや、王は兵士たちの指揮をしているはず…。広間にいないのだとすれば、兵士の指揮所にいるのかもしれない…」

「そうじゃなくて、どうやって誤解を解くつもりなの?」

「…」

「宰相にまんまとやられたわね。お前が居ない間に、反乱の首謀者にすげ替えられてしまったのよ。状況は最悪だわ」

 オーベルを逃した魔術師が”門”の”鍵”を持っていたという事実に気づいた時点で、こうなることは予想できていたはずだ。いや、それよりも、捕虜どもからもっと念入りに情報を吐かせればよかっただろうか?

 何にせよ、時既に遅し、か。

 オーベルをハメた魔術師とやらは、オーベルを殺そうと思えばすぐにでも殺せた。しかし、こうして反乱の首謀者に仕立て上げる為に、決して逃れられず、誰にも見つけることの出来ない場所―――つまり、”自分たちが元々使っていた塔”へと幽閉したのだろう。

 状況は最悪だ。

 私が唇を噛んでいると、オーベルは、

「いや、そうでもない」

「へぇ?」

 何とも呑気な様子だった。

「俺を反乱軍に首謀者に据えたのなら、宰相は逆にこの城のどこかにいるはずだ。見つけ出して、奴を倒す」

「倒したとしても、貴方の名誉が回復するかどうかわからないわよ?」

 おまけに、宰相を殺したところで反乱が収まるかどうかもわからない。

「そうだな、そうかもしれない。もしそうだったら、絵描きにでもなるさ」

 絵描きって…。それは、ここでの暮らしを諦めるつもり、だということか。

「………あ、そ。なら好きにしなさい」

 なんとなく腹が立って、私は突き放すように言ってやった。私はもう二度と、お前を濡闇ノ国の土を踏ませるつもりはないのだが。

 けど、オーベルは苦笑していた。

 なんなんだ、まったく…。

 

 

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