第27話

 ここ数年、夢なんて見なかったのだけれど、その日は力尽きていたからか、久々に夢を見た。

 父の夢だった。


「お前は連れて行かない」

 父は私にそう言った。

「お前はここにいろ。お前にはまだ早い」

 父の長い髪が、私の頬に触れた。

 私を見下ろした父は、真紅の瞳で魔法をかける。

 全身が石のように固まってしまう魔法だ。私は息をすることしかできなくなり、反論も抵抗も何もできなくなった。

「他人の心どころか、自分の心もわからぬ獣を野に放つわけにはいかんだろう」

 獣はどっちだ、と言いたかった。

 私は貴方のようにはならない、そう叫びたかった。

 貴方のことなんて大嫌いだと、心の底からそう思ってた。


「他人に何も期待していないお前が、他人のことなど興味もないお前が、人様のことを大嫌いだなんて笑わせる」


 私の身体は石のように動かなかったけれど、その言葉で、私の心が跳ね上がったのを覚えている。


「失望しているのか? なら逆に、お前は期待していたのか? 本当に他者を憎んでいるのなら、とっくにお前はそいつを殺してるはずだ。わざわざ理由を探してまでそうしていないのは、お前のいう”大嫌い”は、憎悪という感情ではない」


 心の中まで全て見透かされているようだった。

 その赤い瞳に、私という何もかもを。


「それは単なる”異物感”だ。お前の持っていない、掛け替えのないものが、このくだらない世界の片隅に存在していることを認め難いという感情だ。そしてそれが、壊そうと思うのに壊せない、見捨てられるのに見捨てられないもの―――もっと単純に言えば、それは”羨望”だ。

 お前には無い価値。お前には無い美しきもの。怒りに任せて壊すこともできず、しかし視線を逸らすこともできず、爪を噛んでただ見ているとき、お前はそれを”大嫌い”だと叫んでいるんだ。

 ああ、そうだろうさ、愛しき我が娘。お前には既に必要なもの全てを持ち、何一つ過不足はない。食欲も、物欲も、色欲も、権欲も、強欲も、お前にとっては然したる理由になりはしない。お前は生まれながらにして完結している。だからこそ、お前が満たされることはない。望むものが手に入ることはない。永遠に」


 永遠に―――…


「我々は満たされぬ渇きに苛まれ続ける。そう宿命付けられている。この世界の大半に価値を見出せず、しかし、時折このクズ山から出てくる宝石に手を伸ばすこともできず、膝を抱えたまま、沼底へ沈み、そして果てる。私は先に逝こう。だが、お前は連れて行かない」


 父も母も、王様に言われて旅立つことになった。

 それは務めだから仕方ない。だけど、私も、一緒に行きたかった。

 私を一人にしないで欲しかった。

 たとえ、先に待つ結末が死であっても、私は家族と居たかった。


「お前はここにいろ。お前にはまだ早い。お前は、お前自身の、お前だけの”憧憬たからもの”を見つけろ、さもなくばお前は…――」


 父の白い指が、私の涙を拭う。

 とても優しく、冷たい指で。


「――…私と同じ結末に至る。どうしようもない袋小路に追い詰められて、責められて、迫られて、何も選ぶことも出来ず、このくだらない世界の為に死ぬことになる」


 その時の父の顔を、私は忘れることが出来ない。

 泣いているような、笑っているような、哀れんでいるような、喜んでいるような、何の表情にも見える仮面のような表情。私が目指す”いつもの顔”で。


「ああ、そうだ。最後に言っておこう。私もお前が大っ嫌いだったよ。”ノア”」


 そうして、父は去った。

 それから190年が経つけれど、父も母も、戻ってきてはいない。

 きっと、たぶん、このくだらない世界の為に、死んでしまったんだろう。

 私という”憧憬”を遺して。

 結局、見つけられても死んでるじゃないか。

 いまならそう鼻で笑ってやれるのに。



 目覚めると、涙で頬が濡れていた。

 暗い魔法使いの研究室。その天井が見える。

 どのくらい寝ていただろうか?

 随分と懐かしい夢を見ていた。

 早くミシェルとオーベルを呼んで、さっさと奴を送り返そう。

 その前に食事を摂ったほうがいいか…?

 いや、そもそも二週間ロクに体を清めてない…。こんな姿でミシェルに会うつもりか? 有り得ない!!

 とにかく部屋に戻ろう。シャワーではなく湯船に湯を張って、全身隈なく洗ってから、お腹一杯にパンを詰め込んで、それから”門”の起動と洒落込もう。

 さぁ、身体を起こせ。

 帰ろう、我が家へ。

 私は身体を起こした。

 そこで、違和感に気づく。

 淡い光が、部屋を満たしている。

 魔力の光が――


「嘘でしょ…」

 思わず、私の口から驚きが溢れる。

 ”門”が、起動している。

 しかも、最初にミシェルが起動させたときのような、荒々しい起動ではない。ほとばしる魔力の奔流も起きていないし、激しい熱も沸き起こっていない。

 ただ静かに”門”は魔力を帯び、”向こう側”と”ここ”を繋げていた。

 有り得ない。

 私はまだ”門”を起動していない。だというのに、私の作った粗悪な路を通り、魔力が門に流れ込んでいる。

 確かに魔力炉を起動済みだ。最初に廃塔へ来たときミシェルが起動させた。だが、門を起動させない限り、門が魔力路を使って炉から魔力を吸い上げることはないはず。

 ならば、一体誰が門を起動した?

 私は立ち上がる。

 疲労と空腹の為か、かなりふらつくけれど、そんなことを気にしている場合じゃない。”門”が起動しているということは、それすなわち、私以外の誰かが、この廃塔の中に存在しているということだ。

 そして、そいつが”門”を起動したのだ。

 私は頭の中で、この廃塔にやってきそうな人物をリストアップしていく―――…

 カラン―――…と、私のつま先が、黒く乾いた血のこびり着いた短剣を蹴飛ばした。乾いた音が塔の中に響き渡る。

「…?」

 なんだこれは、どうしてこんなものがここに転がっている…?

 たしか、気を失う前にはこんなものはなかった。

 思わず拾い上げる。珍しい意匠の短剣だ。

 それに私は自分の衣服に一箇所、穴が開いていることに気づいた。

「………」

 ひょっとして、寝てる私に、誰かが短剣を突き立てたのか…?

「………小癪な」

 寝込みを襲うとは。

 侵入者が何者かは知らんが、私を始末しようとしたということは、敵対する存在と見て間違いないようだ。

 必ず見つけ出して殺し―――


 ドシュッ


 背後から強い衝撃が走った。

 鈍い音と共に、私の腹部から、鋭い槍の穂先が血を纏って生えた。

「あ…?」

 私はゆっくりと振り向く。

 そこには、見たこともない形の、黒鉄を纏った騎士が立っていた。

 騎士は私が振り向いたのを見ると、槍を大きく横に振り、私を振り飛ばす。

 私は特に抵抗せず、そのまま飛ばされ、背中からガラクタを詰め込んだ棚にぶつかって、ガラクタと一緒に崩れ落ちた。

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