6章 戦火ノ国ノ王子

第33話

 起動した”門”を抜ける。

 私は正直、何の感慨もなかったけれど、ミシェルはそうではないようで、わぁわぁ! とか、すごいすごいわ! と、ずっとはしゃいでいた。

 ちなみに、オーベルだが、ミシェルに一晩かけてじっくり説得されたようで、何とも言えない顔をしていた。私が奴の顔を見てると、居た堪れない様子で目を逸らしてくる。いい気味だ。

 さて――…


 魔力で作られた道は一瞬で終わり、私はよく乾いた石で作られた床を踏んだ。

 カビの匂いも、泥の臭いもしない、高い天井の明るい部屋だった。

 色鮮やかな天窓から、光が降り注いでくる。

 空気は肌がひりつくように乾いていて、衣服が吸った湿気を一瞬で固くゴワゴワに干してしまうかのようだった。

「ここは――」

「神殿だ」

 オーベルが私の疑問に応える。

「街外れの古い小さな神殿さ。追い詰められて逃げ込んだ場所なんだ」

 どうしてこのような場所に”門”の出入り口が設定されているのかはわからないが、オーベルにとっては幸運なことだったようだ。

「すごいわ! 陽の光が、ほら! 色んな色になって落ちてくる! オーベル、これはどうなっているの!? あの窓、ほら、絵が描かれているみたい!」

「あれは飾り窓だよ、ミシェル。色のついた窓で絵を作ってるんだ」

「わぁ! とっても素敵…! ねぇ、ノノ! あの窓、私の部屋にも作れないかしら?」

 今度はガラス職人になる必要があるか…?

 ともあれ、私は物珍しい他国の神殿というやつを見回しながら、現在の状況について思いを巡らせる。


 廃塔で転がっている草原の国の連中――…いわば捕虜の女魔法使いと騎士の男達に軽く尋問したところ、すでに王城は反乱軍に攻められており、激しい戦闘が起きているらしい。反乱軍は奇襲で崩れた王国軍を追い返し、そのまま王城を包囲しようとしていたとのこと。そして、それから2日が経過している。

「つまりこういうことかしら? 反乱軍はほぼ奇襲の形で王城を包囲した。しかし王族側は何とか防衛の体を保ち籠城して抗戦。とはいえ、備蓄物資や士気の問題から、王国軍は劣勢と?」

「………そう、だな」

 オーベルは辛そうな表情を向け、絞り出すように私に応えた。

「もっといえば、私達がオーベルを家に返すためには、王城を包囲している敵陣を蹴散らして城に入らなければならない、と」

「………」

「常識的に考えれば不可能ね」

「だが、俺一人なら――」

「ダメよ。オーベル」

 ミシェルがオーベルの腕をぎゅっとする。

 私の胸もギュッと締め付けられたが、今はそれどころではない。私はオーベルに質問を重ねる。

「ちなみになんだけど、あそこに転がっている捕虜達は、草原の国の兵の実力で言えばどの程度なの?」

「精鋭だ」

「あの程度で精鋭ならば、あとは数と機動力の問題ね」

 とにかく数が足りない。私達は3人しかいないのだ。

 それに、王城へ向かい、敵陣を突破するための足が欲しい。何も考えず敵を蹴散らしながら徒歩で王城へ近づくのは、現実的じゃない。それだけで1日以上の時間がかかってしまいそうだ。

 と、なれば――


「ほら、来なさい」

 私は灰色と黒色の羽鎧虫を門から引っ張り出す。

 羽鎧虫も、門の向こうは自分の住処と全く違う場所だと理解しているのか、引っ張り込むのはなかなか難儀だった。

 しかしようやく観念し、無事草原の国の土を踏むことになった。これで戦闘要員兼移動の足が2体追加だ。

 羽鎧虫で飛んでいけば王城まですぐに着くし、敵陣も、城壁も無視して王城へたどり着ける。

「オーベル、羽鎧虫の乗り方は忘れてないわね?」

「2週間、ノノの所へ行くときは俺が騎手をしてたんだ。任せてくれ」

「それなら、作戦はこうよ。私が敵陣に突っ込んで包囲網を引っ掻き回すわ。その隙に、ミシェルとオーベルは城に入って。籠城している王国軍を支援して」

「ノノ、そんな事をすれば君が――」

 まだ言うか。

 私はオーベルの頬を両手で挟んでやった。オーベルが酷い顔になる。

「言うことを聞きなさい」

「は、はひ…」

 弱い者に発言権はない。

「でもノノ。状況がわからないわ」

「そうね、実際には戦況を見て―――なんかいい感じだったら突入しましょう」

「まずはぶつかってみる、ということね! 私、そういうシンプルな作戦、好きだわ!」

 ミシェルには好評なので、この作戦で決定だ。

 私は黒い羽鎧虫に乗り込む。

 オーベルとミシェルも、灰色の羽鎧虫の背に乗った。

「行くわよ」

 手綱を握り、虫の背を蹴ると、羽鎧虫は羽を広げ、飛び上がった。

 その勢いのまま、カラフルに色づいたガラスを突き破り、私は空へと飛び出す。

「………あ」

 そこには、全く知らない世界があった。

 湿地なんて、どこにもない。

 見渡す限り、緑の平原が続く場所。

 青い空が広がる場所。

 白い雲が泳ぐ場所。

 日は西に傾きつつあり、もう間もなく、夕暮れに差し掛かるようだった。

 夕暮れになれば、この息を呑むような緑の大地は、空の海原は、朱に染まるのであろうか?

 それは、それはとても、痛快に思えた。全ての色が、黒か灰でしかない場所とは違う。赤も青も緑もある。時と共に目まぐるしく変わりゆく世界。

「これが、草原の国――」

 ああ、そうだな。

 こんな目が痛くなりそうな場所に住んでいたなら、きっと皆、絵描きになるさ。

『綺麗ね……ノノ……』

 私の耳に、ミシェルの声だけが届いてくる。

 ミシェルの魔力が広がり、私を包み込んでいる。

 ミシェルが魔法で私に声を届けているのだ。

『この景色を見れただけでも、ここへ来た価値があったというものだわ』

「…そうね」

『外の世界は、こんなに美しいのね』

「……ええ」

『…ノノ、私――』

 その先の言葉を、私は聞きたくなかった。

 耳を千切ってしまいたかった。そんな事をしても、魔力で送られてくるミシェルの声は、遮ることなどできないけれど、それでも、彼女の言葉を聞きたくなんて無かった。

 きっとまた、ロクでもないことを思いついたのだろうから。

 私は泣きそうな顔になりながらも、言葉を紡ぐ。

「ミシェル、まずは一歩ずつよ。まずはオーベルを助けなきゃ」

『………。そうね…。ごめん、ノノ。ありがとう』

「いいのよ」

『ノノはいつも私を導いてくれるわ。私を支えて、進むべき場所に一緒に来てくれる。本当に本当に、感謝しているのよ』

「………」

『ノノと一緒に、この景色が見れてよかった』

「私もよ、ミシェル」


 さぁ、いつまでも、美しい景色に見惚れてるわけにはいかない。

 私達が向かう場所もまた、視界の中に見えている。

 黒い煙を上げる城塞だ。

 蟻のように、数多の人々が群がる様が見える。

 その中には、木枠で作った塔のようなものも見える。アレはなんだろうか?

『アレは攻城兵器…っていうみたい。今、オーベルから聞いたわ。大きな石を飛ばすんですって!』

「どうして城壁を壊すのに魔法を使わないのかしら?」

『たぶん―――…城を壊すほどの魔力を、草原の国の魔法使い達は持っていないんだと思うわ。だから、ああして道具を使うのね』

「なるほどね」

 そう言っている内に、兵士たちの陣が眼下に迫る。

「よし、では計画通り、私が――」

『いいえ』

「ミシェル…?」

『私が行くわ。ノノはこのまま、オーベルと飛んで』

「馬鹿! ミシェ――」

 私は振り向いた。

 背後を飛んでいる羽鎧虫の上に、ミシェルが立っていた。オーベルの肩に手を載せて、ぽんぽんと触れている。

 オーベルも振り返り、何かを叫んでいるようだけれど、騎手である彼は手綱を捨ててミシェルを引き止めることなんて出来ない。

 ミシェルは最後に私を見て、微笑んだ。

「ミシェルッ!?」

 そして、そのまま飛び降りた。

『行って頂戴、ノノ。オーベルをよろしくね。絶対よ?』

「ミシェル―――ッ!!!」

 ミシェルの姿が、緑の大地に吸い込まれていく。

 あんな事をして、身体は大丈夫なのか!? 再生力を超える傷を負うのではないのか!?

 っていうか、どこに落ちた!? 通り過ぎてしまって、見回しても見えない!

 こうなれば、旋回して――…

 私が取り乱していると、オーベルが私の脇を抜けた。

「おい!!!!」

 何を勝手にしてる!

 私を抜く際、オーベルもまた苦しそうな顔をしていた。

「くそ…!」

 ミシェルは、たぶん、十中八九、大丈夫だ。魔法使いの彼女はそう簡単に死なない。

 彼女がどうするつもりなのかはわからないが、生きてさえいれば、軍勢を引っ掻き回すことなんて容易だ。私よりも適任と言える…。

 彼女を信じて、彼女に任せて、私はオーベルと行くしか無い。

「くそっ! こうなったら最速で片付けてやる!」

 私は王城を睨みつけた。

 

  

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