第32話

 結局、頑固者のオーベルから答えを引き出すことは出来なかった。

 なので、ライフォテールには私だけが戻ることになった。

 あの廃塔で、一晩じっくりミシェルの説得を聞き続ける羽目になるのは、少しばかりオーベルが不憫だったが、これまで私が受けてきた数々の抑圧を考えれば、むしろ軽いくらいだろう。もっと苦しみ藻掻いてもらいたい。

 ところで、ここへ来る時に乗り捨てた黒い羽鎧虫だが、しぶとく生き残っており、いつの間にかちゃっかり廃塔の虫舎に住み着いていた。

 寝藁も何もないのだけれど、何故か廃塔の虫舎を気に入っており、私が2週間籠もって”門”の修理に明け暮れている間、度々世話をしてやっていたおかげで、今は寝藁もあるし、水桶もある。

 世話してやった事を感謝しているのか、今ではこの黒い羽鎧虫も私に慣れ、自在に言うことを聞くようになってた。私の一声で、黒い羽鎧虫はライフォテール魔法塔へ向けて飛び立つ。


 帰り着くなりキャノンベールさんに羽鎧虫を任せ、自室に向かおうとしたのだけれど、

「ノノ! どこに言ってたんだ!? ボロボロだぞ…!?」

 ミシェルやオーベルから何も聞いてないのだろうか?

「ちょっとムシャクシャしていたので、武者修行のようなものをしてました。一度戻りましたが、すぐにまた出立します」

「…今度はどこへ行くんだ?」

「草原の国」

「は?」

「では」

 それ以上何も言わず、私は自室へ戻る。

「………」

 自室は、なんと驚くほど整頓されていた。確か、門の補修用資材を持ち込んで、かなり雑然としていたはずだけれど。

 おまけに、机の上に私がこっそり育てていたしょっぱい葉っぱの植えられた鉢が置かれていた。

 オーベルの奴が世話していたのだろうか。マメなやつだ。

 私はまずゆっくりお風呂に入り、その後食堂で好きなものを好きなだけ食べて、ゆっくり眠る。

 そして、ベッドの下に押し込んだ、古めかしい鎧と兜を引っ張り出す。

 騎士見習いだったときの装備だ。革袋に詰め込んで、持っていくことにする。ひょっとするとオーベルには少し小さいかもしれないが、合羽のサイズが丁度良かったようなので、きっとこれも大丈夫だろう。

 と、視界の片隅に煌めく抜身の剣が目に入った。

 ゴミ捨て場に転がっていた、刃こぼれしたボロボロの剣だ。

 これは素材にしなかったのか。

 私は何気なく手に取る。

 いや、できなかったのか…? 手にとって見て、この剣の堅牢さが改めて伝わってくる。

 切れ味には全く期待できないけれど、武器としては頼もしいかもしれない。私には斧があるけれど、これも持っていこう。

 あとは――…

 胸に大きな穴が開き、血で汚れた服を摘んで、ゴミ箱へと放り投げる。

 見習い裁縫師なのだから、繕うという選択肢もあったけれど、雑巾を量産している場合ではない。

 私は手持ちの衣服の中からそれなりにマシなものを選んで着る。

 さて、こんなものか?

 私は自分の部屋に振り返った。

 何故か、どこか寂しく感じる。

 たった数日だけれど、ここにはあいつがいた。

 鬱陶しいと感じたけれど、いざ居なくなると少し寂しいだなんて。

「行ってきます」

 私は誰も居ない部屋にそう言って、後にする。

 虫舎へ向かう。

 長い、長い、ライフォテールの階段を登っていく。

 そして、ようやく最後の一歩を踏みしめた時―――


「ノノ! 遅かったね。それじゃ行こうか」


 そこには、予想だにしない人物が私を待っていた。

 夜の闇のような深い黒の外套を羽織、バカみたいに鍔の大きな、トンガリ帽子を被った”少年”だ。

 それが誰か知っている。

 この塔に住む者は皆知っている。

 虫飼いのキャノンデールさんは、虫舎の隅で膝をつき、頭を提げたままだ。

「ヴァ、ヴァスガロン様――…」

 姿形は変わっても、その魔力を見間違うことはない。その証の赤を見間違うことはない。

「肉体の再構成はこれで4回目だけど、何度やっても綱渡りだよ。今回もうまく行ってよかった。草原の国じゃ顔が割れてるから、あのまま行くわけにもいかなかったしね」

 もしかして、部屋に籠もってたのって、ずっと肉体の再構成をしていたのか!?

 2000年もの時を生きる理由。他の誰にもできない、大魔法使いヴァスガロンにだけ許された大魔法。

 ああ、なるほど。”変装”の理由がわかったぞ。あの時もこうして忍び込んだのか。

「廃塔で不明な魔力の反応を確認してから、慌ただしく準備したんだよ。丁度帰省していたリオエールに様子を見に行かせたら、空間転移系の魔法を使った痕跡も見つけられたしね。こりゃまたあの国へ行く事になるんじゃないかと思って準備したんだ」

 つまり――…

「ヴァスガロン様には、最初から全てお見通しだったというわけですか」

「全部ではないけどね」

 ヴァスガロン様は半眼になり、頭痛でめまいを催しているかのような表情を浮かべた。

「ミシェルが彼に惚れ込むのは予想外だったよ」

 それは、まぁ、うん…。

「ここだけの話、ミシェルにはいずれこの塔を継いでもらおうと思っていたんだけど、アテが外れてしまった…」

「………」

「だからまぁ、現役をもう500年続けることにしたよ。肉体を作り変えたのは、そういう理由もある。息子達には悪いけどね。まぁ、あいつ等も研究室に籠もるようなタイプじゃないし、そもそも騎士だし、ライフォテールの”顔”は僕がやった方が息子達も楽だろ」

「そうは言いますがね、父上」

「うげっ」

 私の背後から、聞き知った声が放たれる。振り返って見えるのは、階段を登ってやってくる岩の塊みたいな男だった。

「その”顔”に、突然どこかへ行かれては俺も困ってしまうんですがね」

「くそ、出発のことは誰にも言ってないはずなのに、相変わらず勘がいいな…。そういうところ母さんに似過ぎだぞ、グレイドーン」

「はっはっはっ! ようやく父上から一本取ったぞ!」

「果たしてこれが一本と言えるかどうかは難しいとは思いますがね、兄さん」

 そしてもう一人、リオエール卿も階段から姿を現す。

「父上、此度の遠征、我らが騎士団は必要でしょうか?」

「リオエール…。お前もか。あのね、これは遠征じゃないから。そもそも国境を守ってる連中を動員したら国防が疎かになるでしょうが」

「幸いこの塔に手の空いた4名の騎士がいるわけですが。兄さん、私、アルトリージェ、そしてノノ」

 いや、だから私は騎士じゃないって…。

「ノノだけで十分だよ。お前にグレイドーンにアルトリージェまで連れて行ったら、草原の国に草の根一本も残らない」

「それは残念です」

「剣は使わねば錆びてしまいますぞ、父上」

「ええい、やかましい! まったく、戦闘狂共め…。魔法の良さがわからんドラ息子達は、大人しく留守番してなさい!」

「そうは言いますがな、父上。魔法よりも剣のほうが優れていますぞ。魔法使いというのは魔力の消費が大き過ぎる。確かに威力は目を見張るものがありますが、それはあくまで切り札的な運用をするべきです」

「兄さんに同意です。魔法使いは戦場を駆ける間に息切れしてしまいましょう。戦場では剣こそが戦線を保つのです。そも、我らが全速で駆ければ、父上の魔法でも捕捉することは困難では?」

「あー! もう! なんなんだほんとに! 兄弟揃って母さん似に育っちゃって! そのお説教、一字一句違えず400年前にも聞いた気がする!」

「ですから、父上」

「我らも是非」

「だーかーらー! 責任者が勝手に持ち場を離れちゃダメなんだって! 大体! 魔法が剣に劣るっていうのはね! それ400年前の理論だから! この400年間に僕がどれだけ魔法を発展させたと思う? お前達が言ってる欠点はもう全部克服したから!」

「そもそも、父上が最高責任者なのですぞ?」

「剣もまた進化しております、父上」

「僕のことはいいんだよー! もー! 脳筋どもーっ!」


「………。キャノンデールさん」

「お、おう」

 家族同士の微笑ましい口論の横を抜け、私は黙って出発することにした。

「黒い羽鎧虫をまた借りてきます」

「ああ。気をつけてな」

「ありがとうございます」

 ヴァスガロン様もついてくる気だったみたいだけど、絶対面倒くさいことになりそうだから置いていく。

 私は口論を繰り広げる大魔法使いの背中に一度振り返り、気づく様子もなさそうなので、羽鎧虫を蹴って曇る大空へと飛び出した。

 

 

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