第31話

「え、ミシェル?」

「オーベルは帰りたい。でも帰ったら殺されてしまう。ノノと私はオーベルに死んで欲しくない。だから帰したくない―――それなら、オーベルが死なないように帰すしかないわ!」

 そりゃ確かにそうかもしれないけど…――いや、どうしてそうなるの…!?

 そもそも私達が一緒に草原の国へ行ったところで、反乱をどうにかできるわけがない! 相手は何千人もいるんだぞ!

「出来るわ」

 ミシェル…?

「ノノ、私には出来るわ」

 ミシェルは、かつて無いほど清々しい表情で私を見つめた。

「オーベルを――…私の愛する人を害する者がいるのならば、その全てを倒してみせましょう」

 彼女の全身から、魔力が沸き上がる。

 だけど、それは今までミシェルが無意識に制御していた魔力ではない。ミシェルの明確な意思によって、広がりすぎず、淀みすぎず、まるでコップの中の水のように、静かに揺蕩っている。

 一瞬にして、この塔全てが、ミシェルの魔力の中だった。

 まるで澄んだ水の中にいるかのように、ミシェルの魔力の中では魔力が揺らめいて光を放ち、彼女にあらゆる全てが支配される。

「私はミシェル・ライフォテール。誇り高き大魔法使いヴァスガロン・ライフォテールの孫。その血脈に誓い、オーベルを狙う全ての敵を打ち払います」

「俺は、ミシェル、君にそんな事をして欲しいわけじゃ…」

「私がそうしたいのよ、愛しい人」

 ミシェルはそのままオーベルを抱きしめた。

「み、ミシェ――」

「ん?」

「ダメだ、そんなのは」

「ダメではないわ。それにオーベル、貴方に拒否権はないわ。私がそう決めたんですもの。お母様にも、お父様にも、お祖父様にも止めさせないわ。そして、たとえノノであってもね。それに、それにね―――ふふ」

 ミシェルは私を見る。

「ノノもオーベルのことが大好きなんですもの。止めたりしないわ」

 いえ、違います。

 私はそんなやつ好きでもなんでもありません。

 逆に今は、悪意も敵意もない。

 ミシェルとオーベルが抱き合っていても、心は騒がない。痛みがあるだけだ。

 ミシェルがオーベルに愛を告げていても、沸き立つ怒りも、悲しみもなかった。

 ただ、なんというか―――

 深い虚無感だけがあった。

 まるで、内蔵全部抜き取られてしまったかのように、空虚だ。

 ズキズキと、言葉にならない痛みを伴う闇だけが、蹲る。

 しかしそれ故に今の私は、冷静だった。


「でもミシェル、まさか、このまま行く気?」

「え? そのつもりだったけど…? どうして? だって、”門”はノノが直したのでしょう?」

「武装した連中が相手よ? こちらもそれなりに準備をしていく必要があるでしょ? 今度は武器を忘れたら困るわ」

「それはそうだけど……あ、武器ならあるわ!」

 ミシェルはそう言って、部屋の隅にトコトコと歩いていき、そこに立てかけられたものを手にとった。

 最初に彼女が、この塔へ持ち込んだもの。

 鉄断ち鋏だ。

 武器…か…? いや、武器だな…? 武器だ。

「いや、いやいやいや…!? 2人とも何を言ってるんだ!?」

 ここでようやくオーベルが意見を差し込んできた。ミシェルに抱きしめられて惚けているだけかと思ったら、あっさり立ち直ったか。ミシェルがぎゅっとしてくれることなんて早々ないぞ。もう少し惚けていればよかったものを。

「二人には関係のないことなんだ! それなのに、武器を持って一緒に来るっていうのか!? 馬鹿げてる! そんな事する必要なんて無い!」

「オーベル、ミシェルにはもう何を言っても無駄よ」

「ノノまで!?」

「ミシェルが言ったでしょ。拒否権はないと」

 言っておくが、ミシェルがそう言ったのなら本当に拒否権はない。ミシェルは大抵の事を許すし、大抵のことを受け止めるけれど、決めたことは絶対に曲げない。やると決めたら、それが叶うまで絶対にやる。

「武器だけでいいかしら? ノノ、他に必要なものはある?」

「鎧と兜はどうかしら?」

「なるほど…。そうね、今回はオーベルの騎士になるようなものだものね」

「いえ、オーベルによ。こいつ危なっかしいから」

「ふふ、ふふふ」

 ミシェルは愉快そうに微笑む。

「不思議だわ。守りたいものがあると、どうしてこんなに誇らしいのかしら。ねぇ、ノノは、いつもこんな気持ちだったのかしら?」

「どうして?」

「だって、ノノは私の騎士よ。今までも、これからもそうだわ」

「私は騎士じゃないわ」

「いいえ、騎士だわ。ノノがどう思っていようとも、私がそう思っているの」

「………」

 皆そう言うけど、ミシェルでさえそう言ってくれるけれど、私は騎士じゃない。騎士はもう辞めた。今はただの――…見習い裁縫師だ。

「オーベル、安心して。私の騎士ノノはこの国で一番強いのよ」

「ミシェル…」

 オーベルに駆け寄ったミシェルは、鉄断ち鋏を床に突き立て、彼の両手を手に取る。

「そして、私はこの国で二番目に強い魔法使いなの。貴方の敵を全て討滅し、貴方を故郷へ帰してあげられる。なにより私がそうしたいの。そうさせて頂戴。お願い」

 オーベルは歯を食いしばり、必死に答えを探していた。

 私なら、二つ返事で協力を受け入れる。そうしなければ己の望みが叶わないのなら、絶対にそうする。そうして貰えるなら、願ってもないことだ。リスクを承知で協力すると言ってくれてるんだから、断るなんて有り得ない。

 ましてや、その協力者が、本来敵のはずの魔人だというのなら尚更躊躇しないだろう。

 でも、こいつはこんなにも苦しそうな顔をする。

 私とは違う。この国の人間とは違う。その他大勢とは違う。

 ミシェルと同じだ。


 私にとっての”憧憬”―――…

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