第25話
ミシェルがオーベルと共にどこかへ消えた。
まさかそんなことをするなんて、思ってもみなかった。
あのミシェルが、私以外のだれかと二人っきりで出かけるなんて、そんなこと――
「そんなこと、絶対に有り得ない!」
そう思っていたのに――…
だけど、だけど、ミシェルがどこへ行ったかはわかる。
私だから、わかる。
彼女は隣の廃塔だ。
あそこならば、心行くまでオーベルと二人きりでいられるのだから。
”家族になれば貰える場所”なのだから。
どうせ最終的には貰えるのだから、ちゃんと下見をしておこうだとか、オーベルの部屋を決めておこうなどと、思っているのかもしれない。
だが、だがしかし!
そうはさせない!
ミシェルの隣は私の場所だ!
オーベルの場所じゃない!
たとえ家族になれなくても、ミシェルは、私の―――…
などと考え事をしていた私は、そのまま廃塔の屋上に突っ込んだ。
気づいたときには殺しきれない衝撃が羽鎧虫と私の両方に襲いくる。為す術もない羽鎧虫は、その身を慣性に任せた姿で、石の上を火花を散らして滑っていった。
羽鎧虫の超重量に巻き込まれればただでは済まないので、私は羽鎧虫の手綱を手放し、乗り捨てる。
石床に落ちるダメージと、体を燃やすような痛み。私を墜落の勢いを転がることで消化しようとした。全身に擦過傷が生じる。
幸い、私の身体はボロボロになりながらも廃塔の縁で止まり、塔から落ちることはなかった。しかし黒い羽鎧虫はそのまま火花を散らしながら床を滑っていき、塔の下へと落下していった…。
羽鎧虫は恐ろしく丈夫なので、死ぬようなことはないと思う。そのうち登ってくるだろう。
私は羽鎧虫のことを頭の中から消し、為すべきことだけを見据える。
止まるわけにはいかない。
今負った幾多の傷はまだ癒えてない。だけど、止まるわけにはいかないんだ。
私は歯を食いしばり、立ち上がった。
「ノノ…!? どうしたの!? そんなに慌てて…」
脳を揺さぶられ視界がぶれたまま、憤怒の表情で立ち上がろうとしていた私の顔の傷に、そっと白いハンカチが当てられる。
冷たい。冷たくて、彼女の匂いがする。
目の前に、求める彼女の姿があった。
「ノノが着地に失敗するなんて珍しいわ。でも、あまりケガはしないでね? ノノが特別に丈夫なのは知っているけれど、けど、ノノがボロボロな姿になってしまうのは嫌だから…」
「み、ミシェル―――」
「ああ、動いちゃダメ。汚れたまま傷を放っておくと治りが悪くなってしまうでしょう?」
「ミシェル…」
「え、あ、え? あ、あらら? ノノ、泣いてるの…?」
私はそのままミシェルを抱きしめる。
彼女の強い香りが、飢えた私の心を満たした。
「わわ!? え、ノノ!? どうしたの!?」
「ミシェルがどこかへ行ってしまったと思って…」
「…私はどこへも行かないわ、ノノ。それより、それを言いたいのは私の方だわ。ノノったら、積荷を途中で放ってどこかへ行ってしまうんですもの。どこへ行っていたの?」
………。
そういえば途中だったね…。
でもあれはグリンジャが全部悪い。絶対に許さんぞ、グリンジャ。
「私やオーベルもたくさん探したのよ。ね、オーベル?」
オーベル…?
私はミシェルから手を離し、オーベルに向き直る。
オーベルのアホは、塔の屋上に敷かれたカーペット(おそらくこの塔のもの)に伏せた姿勢でいた。何故か涙目だ。
私が殴ったり蹴ったりする前から、なぜもう床を舐めて涙を流しているんだろうか?
「あ、あとちょっとで轢かれるところだったぞ…」
涙声でオーベルが私に訴える。
「オーベルが私を突き飛ばして庇ってくれたのよ! とっても格好よかったわ!」
あ、もしかしなくても私のせいか…?
いや、惜しかったというべきなのか…?
無意識にオーベルを始末したい気持ちが無意識にオーベルを狙ってしまったのかもしれない。あくまで無意識にな。無意識なら仕方ない。そうだろう?
「ノノー? それより、ちゃんと説明してね! どこへ行っていたの? 私たちにばっかりお仕事をさせるなんて、ずるいわ!」
「ご、ごめんね、ミシェル。ちょっとグリンジャを懲らしめてたのよ…」
「グリンジャを? どうして?」
「いや、あの、その…グリンジャが、オーベルの噂を流していたから…」
「噂って?」
「………わ、私と…その、お、オーベルが恋人だっていう………」
「……」
ミシェルの真朱の瞳が私を映す。
笑っても、悲しんでも、怒ってもいないミシェルの顔は、ただ私だけをじっと見つめてる。
「け、けど! グリンジャには、もう、釘を刺しておいたから、大丈夫だと思う…から……ミシェルは気にしなくて、大丈夫…」
「ノノ」
「は、はい…」
「ありがとう」
ミシェルの笑顔が、目の前で咲いた。
私の世界に、色が戻るようだった。
この笑顔を見たいがために、この笑顔を私に向けて欲しいと思うが故に、私は頑張ってるんだ。彼女の隣に居たいんだ。
「だって、ノノがオーベルの恋人だなんて噂が立ったら、私は、困ってしまうわ」
そして、ミシェルの口が、耳元で囁いた。
「だってだって、私はオーベルのことを――愛しているのですもの」
私にだけしか聞こえない声で、彼女は言った。
頬を紅潮させながら、ミシェルの笑顔が私の目の前に戻ってくる。
「えへへ、でも、今はみんなには内緒よ? オーベルにも、家族にも。ノノにだけ、教えてあげる」
私は――…
私は―――…
「あ、ねぇ! ほら、ノノ! 見て!」
私は、必死でいつもの表情を取り繕いながら、ミシェルの指さす方を見る。
「雲の切れ間が! 青空が見えそう! オーベルも! ほら!」
そう言いながら、フッ…と、ミシェルの小さな身体が私から離れていく。
オーベルの元へ駆けていく。
オーベルと視線が合った。
奴は、黒い瞳で、心配そうに私を見ている。
憐憫? 嘲り?
いいや、あいつはそんな奴じゃない。
あいつは、心の底から私を心配してやがる。
くそ。くそ。
誰のせいで、誰のせいで、こうなったと思ってる。
お前さえいなければ、お前さえいなければ。
お前なんか、嫌いだ。
大嫌いだ。
「ほら、ノノ! こっちに来て!」
「…今行くわ、ミシェル」
もう傷は全て癒えた。
身動きするのに支障はない。
支障はないはずなのに、その歩みは恐ろしく鈍重だった。身体が思うように動かない。
けれども、私は満身創痍の身体を引き摺って、ミシェルの傍らに立つ。
そのミシェルはオーベルの傍らに立っていた。
ミシェルを挟むように立つ私たちは、揃ってバカみたいに、空を見上げる。
灰色の雲が、剣で切り裂かれたようになっていて、その傷口から、青い、青い、血を流しているようだった。
陽光が降りてくる。
この、暗くて、ジメジメしていて、何でもかんでも直ぐカビて、虫やらネズミやらがそこら中にいる、この国に。
私の生きるこの国に、また余計なものがやってくる。
ほんとなら、この青空は、彼女と二人っきりで見たかったのに――…
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