第24話

 

 現れた氷の貴婦人、いや――…フレジリア・ライフォテールは、その柔らかそうな唇で告げる。

「一切合切、承知いたしました。マーサ様」

 魔法で姿を隠し、今までずっとそこに立っていたのか…!?

 グリンジャが師匠に泣きついてくる前からこの部屋にいて、いま姿を現したのか?

 まったく感知することができなかった。

 さすがの私も、心臓が飛び出るかと思った。

「ほほほ、このような老い先短い年寄りに様付けはお止め下さい。貴方様は私がお仕えするライフォテール家の大夫人であらせられるのですから」

「私は未だ裁縫の腕が伸び悩む若輩です。夫の衣服一つ繕えず、国一番の裁縫師に無理を言って居着いて頂いているのですから、師の名を呼ぶのに敬称は必要です」

「やれやれ、そろそろ国一番の席を弟子に譲りたいのですがねぇ」

「いいえ、そうはさせません」

「ほほほ」

 幸い、驚きで心臓は飛び出なかった。だけど、声も出なかった。

 フレジリア様と師匠の和気藹々とした会話をただただ見ていることしかできない。

「ともあれ、これで全て納得いたしました。ノノがミシェルに絆されているわけではない、ということですね」

「左様…。そして、ノノと同郷にして、腕の立つ絵描きということであれば、身持ちもそう悪くはありますまい」

「キャスレードの時もそうですが、このように突然子供が旅立ってしまうのは、身が引き裂かれるようで……寂しいものですね…」

「それは確かに―――って、どうしたんだい、ノノ? 魚みたいに口をパクパクさせて」

 驚いてるんだよ!

「え、あ、えっと、これは…どういう…こと…ですか……?」

「200年間、恋と縁のなかった娘に好きな人ができたと察して、居ても立ってもいられなくなったフレジリア様が、素行調査を私に依頼した、というわけだよ」

 な、なるほど…。

「オーベルが何者か分からないから、素行調査をしたということでしょうか? そして、素性さえ分かればそれを許すということなのでしょうか?」

 ひょっとすると、オーベルの正体に感づいている可能性もあった。だから念の為、私はフレジリア様に知りたいことを直接尋ねる。

「………」

 黙った!?

「おや、ノノ。お前は知らなかったかい? フレジリア様は極度の人見知りでねぇ」

 知ってるけど! でも、いまさっきまで喋ってたじゃん…!

 もう何度も顔合わせてるはずなんだけど、どうして私のときは露骨に黙るんだよ!

 ええい、そんなことはどうでもいい!

「フレジリア様はミシェルがオーベルに恋をしていることを許すんですか!?」

「………」

 喋れよ!!

「ノノ、お前も自分の娘ができたらねぇ――…」

「師匠、そういう話は置いといて貰っていいですか!?」

 YESかNOで答えてくれ!!

 いや、もう話の流れ的にYESなんだろうけどさ、これ!

「第一、オーベルは――!」

「ノノや。その話はもう片付いたよ」

 師匠は鋭い声音で私を制する。

 片付いた? 片付いているもんか!

「私もフレジリア様も、”それでいい”と判断したんだ」

 違う、そうじゃない!

 オーベルは草原人なんだ! そもそも人種が違う! 住んでる場所も、文化も! 何もかも違う! 何もかもミシェルに相応しくない! そんな奴に、そんな奴にミシェルをやるわけにはいかない!

「ノノ、オーベルの素性はもう問題じゃないんだよ。それに、そもそもミシェルお嬢様がオーベルを選んだんだ。よほどのことがない限り、私達からミシェルお嬢様へ干渉するのは、不敬になる」

 違うッ! そのよほどのことなんだよ!

 それに、ミシェルのあれは気の迷いだ! 決して本気じゃない! ゲジや毒虫や蛞蝓に向ける愛情に過ぎない! オーベルは、ただちょっと珍しい動物だってだけだ! ただそれだけでミシェルに好かれているだけだ!

 みんなあいつの本当の素性を知ったら、反対するはず―――!


 だけど、そんなことをしたら、あいつの命はない。

 もし、もしも、オーベルの命が危ぶまれることになったりしたら、ミシェルは、どうするだろうか?

 たぶん――…


 『――オーベル、安心してね。私がちゃんと守るから』


 …――彼女ミシェルならば、死ぬまで戦う。

 兄も、姉も、父も、母さえも敵に回すことを厭わないだろう。



「失礼します…っ!」

 私は二の句を告げられなくなり、強引に師匠の部屋から出た。

 フレジリア様に大変失礼な態度だったが、私に向けて一言も喋らない奴のことは捨て置く。

 私は階段を駆け上りながら、自問自答を繰り返す。

 本当にそうなのか?

 本気でそうなのか?

 気の迷いじゃないのか?

 気のせいじゃないのか?

 ミシェルがオーベルに向ける笑顔は、ゲジに向ける笑顔と同じなのではなく、生涯を共にしたいと考える相手に対する笑顔なのか?

 確かめなければ…!

 私は自分の限界を超えて疾駆する。瞬く間に上層へたどり着き、自室に転がり込むように飛び込んだ。

「ミシェル!」

 だが―――いない…!?

「馬鹿な…ッ!」

 ここで材料の仕分けをしているはずでは…!?

「ミシェル!?」

 材料の山を薙ぎ払う。だがいない!

「ミシェルッ!!?」

 ベッドの下に隠れてもいない! 浴室にもいない!

 どこにもいない!?

 塔の中――? 自分の部屋――? いや、彼女もオーベルを連れ回すリスクの高さはわかっているはず…!

 ならば、湿地か? 私の脳裏に歌を歌う彼女の姿が過る。

 いや、違う!

 私は踵を返し、虫舎に向かって加速する。


「ミシェルお嬢様? ああ、さっき来たぞ?」

「どうして止めなかったァッ!?」

 キャノンベールさんの胸倉を掴んで持ち上げ、壁に押し付け、さらに揺さぶる。

「ま、待って待って! ノノちゃんが虫を貸りたんじゃないか!」

「まさかあの虫をそのまま貸したのか!?」

「だ、だって、ノノに言われて来たってミシェルお嬢様が__」

「止めろ!! 男と一緒に虫に乗っていったら駆け落ちかもしれんだろうがッ!」

「はっ!? た、確かに…!?」

 どうして大事なところでそこに気づかない!?

 だが、これでどこへ行ったかははっきりした。

 私はキャノンベールさんを投げ捨て、適当な羽鎧虫を借りることにした。

 灰色はミシェルが乗って行ってしまったはずなので、代わりに、もっとも近くにいた黒色の奴に乗り込む。

 黒い飛鎧虫は私のことを物憂げに見て、のそのそと草を食べ始めた。

「動け! このノロマ! 早くミシェルを追いかけろ!」

 私がガンガンと足で甲殻を蹴ると、仕方ない…と言わんばかりの動作で飛び立ち台へとガチャガチャと歩いていく。

 ノロマな巨大な甲虫は、その甲殻の下に生えた、透き通る羽を伸ばし、ようやく飛翔した。

 逸る気持ちだけが宙を漕ぎ、私は毒づきながら、曇天の空を突き進む。

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