第23話

 私はババアの部屋の扉をノック無しで開いた。

「ヒッ!? の、ノノ!?」

 居た。見つけたぞ。

 ババアと何か話し込んでいたグリンジャは、私の姿を見るなり悲鳴を上げて、部屋の隅に逃げる。

「全く騒がしい子だね…。ノノや、一体どうしたんだい?」

 喧しい、ババア。とも言おうと思ったが、ここで事を荒立てるのはよくない。ババアにはとりあえず説明しておこう。

「グリンジャに緊急の要件がありまして」

「ご、ごめんよ、ノノ…! つい、つい皆に喋っちゃったんだよぉ…!」

 青ネズミのエサにしてやる…。

「ほらほら、グリンジャも怯えてるじゃないか。ノノ、とりあえず席に座りなさい」

「………」

 ババアに宥められ、私は感情と表情を殺し、とりあえず自分の作業台の席に腰を下ろした。何気なく裁縫バサミを手に取る。手入れは怠っていないので、布以外のものを両断することでも出来るだろう。

「はぁ、やれやれ全く…」

 ババアは疲れたように言った。

 言いながら、小型魔力炉の上に置かれ、湯気を立てる鍋からカップにお湯を注ぎ、紅茶を作って私の前に差し出した。香りからして良い茶葉だったので、大人しくカップを受け取る。

「ノノや、お前は器用だが、血が上るのが早すぎるのが悪いところだよ」

「そんなことはありません。私が本当に怒ってるのなら、グリンジャの命はもうありませんから」

「………」

 グリンジャが青い顔をして息を呑んだ。

「まぁ、お前の話はまた今度しよう。とりあえず、グリンジャのことだね?」

「はい」

「グリンジャに色々探らせたのは私だよ。グリンジャは従っただけ。だから、グリンジャに責任はない。ただまぁ、本人が喋っちまったところはグリンジャの責任とは思うけどね。しかし、何も血が流れるようなことじゃない。ほら、グリンジャ、ノノに謝るんだよ」

「の、ノノ、本当にごめんね…」

「1つ、私に一ヶ月話かけないで。2つ、金輪際――私やオーベルの話を他人にしないで。この2つの条件で手を打つわ」

「………」

 グリンジャは私の出した条件を飲み、即履行し始めた。

 私に何も言わず、そそくさと裁縫師の部屋から出ていく。私はその背中を目で追って、完全に出ていったのを確認してから、師匠ババアに向き直った。

「仲裁ありがとうございました」

 一応、頭を下げておく。泣きついたのはグリンジャだろうが、師匠がいなければ、見習い騎士時代に前線基地でやらかしたような流血沙汰になっていたかもしれない。

「けど、どうしてグリンジャに私やオーベルのことを探らせていたんですか?」

 どうせはぐらかされるだろうが、騒動の応酬として尋ねてみてもいいだろう。万が一にもありえないだろうが、師匠が既にオーベルの正体に気づいている可能性もある。

「ふむ」

 師匠は溜息を一つ漏らす。

「その様子だと、ノノは気づいていないみたいだねぇ」

「オーベルのことですか?」

「違うよ。ミシェルお嬢様のことさ」

「?」

 オーベルのことではなく、ミシェルのこと…?

「ノノ、お前があの小僧と帰ってきてから、お嬢様の様子がおかしいんだよ。何か聞いていないかい?」

「ミシェルからは、何も…?」

 そもそも、別に様子がおかしいところなんてない。いつものミシェルだ。

「専属料理人がミシェルお嬢様にお茶の淹れ方を教えて欲しいと言われたそうなんだよ」

「………」

 え? それだけ?

「それだけじゃないさ。フレジリア様には化粧の仕方を教えて欲しいとやってきたそうだよ」

「…はあ」

 ミシェルも女の子なのだから、そういうことが気になってくるのだろう。200年生きててようやくか、と思わなくも無いけれど、親友の成長を感じられて私は素直に嬉しい。

「それで、その、何の問題が?」

「全てはお前がオーベルという小僧を連れてきてから起きているんだ。ここまで言ってわからないかい?」

「オーベルがミシェル様に何らかの粗相をしたということですか?」

 例えば、「女の子ならこれくらいできなきゃダメだよ」等と失礼極まりないことを宣ったとか?

 もしそうだったらオーベルを抹殺する他無くなるわけだけど…。いや、クソがつくほどのお人好しであるあいつが、ミシェルにそんなことをするとは思えない。

 だとすれば、何だ?

「ミシェルお嬢様があの小僧に恋をしているんじゃないか、と言ってるんだよ」

「―――」

 

 昨日までのミシェルの言動が、行為が、私の中で繋がっていく。

 

「私はずっとあの小僧の情報を集めていた。だが、ノノ。お前にそれを知らせなかったのはね、お前が全部折込済みでミシェルお嬢様と小僧を引き合わせている可能性を考えてのことだ」


 羽鎧虫で帰るとき、オーベルの背中に乗りたがったこと。


「グリンジャを始め、塔の大半の連中はお前が男を連れこんだと思っているようだけどね、お前をよく知る連中はそうじゃないと確信している。お前の一番はミシェルお嬢様だからね」


 オーベルに心配されて、騎士と姫のようだと喜んだこと。


「ノノ、お前ならやりかねない。お嬢様を想えば、オーベルを自分の恋人だと偽って塔に引き込むくらいのことはする。何せお前は、お嬢様を嘲笑った騎士どもを全員叩き伏せるほどの忠臣なんだからねぇ」


 私に必死に、気付けの効能を持つ花について聞きたがったこと。


「だから私はお前に気取られないように探ってたのさ。けどそうじゃなかった。お前も何も分かっちゃいなかった。お嬢様の心の機微に何も気づいちゃいなかったってわけさ」


 キャストレードがオーベルの仕事を尋ねたとき、ミシェルが不機嫌だったこと。


 彼女の何気ない仕草全てが、答えに繋がっていく。

 彼女はいつもの彼女だった。しかし、いつもよりずっと、積極的だった。

「キャスレード様が戻ってきたのも、そういうことですか」

「いやまぁ、キャスレードお坊ちゃんが戻ってきた理由にゃ、お前のこともあっただろうけれどねぇ」

 道理で、あのデブがオーベルのことを知りたがっていたわけだ。

 思い返せば、アルトリージェ様も、ミシェルのことを気にかけていた。何か変わったことはないか? と言っていた…。

 ”家族”はみんなわかってた。ミシェルがいつもと違うってことに。

 私は、気づいてなかった。

 その他大勢と同じように…。

「落ち込んでる暇はないよ、騎士ノノ」

「私は、騎士じゃないです」

「そりゃお前がそう思ってるだけさ」

 またそれか。

 自分が何者かであるかは、自分で決めるんだ。

 他人が勝手に決めるんじゃない。

「ノノ、私はお前の話を信じる」

「?」

「オーベルとかいう小僧は、お前の故郷の村に住んでいて、虫だか獣だかに家を壊されて露頭に迷っていた、って話さ。お前は小僧を憐れんで、塔に招き入れたんだね」

「……師匠、それは」

「いいから聞きな。お前は一人で村にオーベルを迎えに行こうとしたが、ミシェルお嬢様が案の定着いていきたいと言い出して、しぶしぶ一緒に行くことになったんだ。そして、お嬢様はオーベルに恋をしてしまった――…なるほど、”よくある話”さね」

 恋をしてしまった――?

 そんな馬鹿なことがあるか!

 私は否定しようと口を開こうとするが、師匠が右手で制す。

 ふむふむ、と師匠は納得した様子を見せて、何度も何度も頷いた。

「そうだね? ノノ?」

 そして最後に私に訊いた。

 まっすぐ、私の目を見る。

 普段は絶対に見せない、赤い瞳で。

「………は、はい」

「なるほど、よくわかったよ。――――と、いうことで、間違い無いようですフレジリア様」

「!?」

 途端、師匠の隣の壁が溶ける。

 解けた壁から現れるのは、ミシェルの面影を帯びた婦人。

 氷のような表情を張り付けた静寂の婦人は、僅かに頭を下げながら、そこに立っていた。

 

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