4章 真紅ノ瞳ノ君

第21話

「うわぁ…!?」

 オーベルが悲鳴のような声を上げて飛び起きたので、微睡みを楽しんでいた私も現実へと引き戻された。

「朝から五月蝿いわよ…」

 寝返りをうち、寝ぼけ眼を頑張って開くと、まだ部屋は暗い。今何時だ…?

「ノ、ノノ!?」

 裏返った情けない声をオーベルが放つ。

「こ、ここは――の、ノノの部屋…か? 俺、俺は…? いつここに戻った!? 昨日、ノノと口論になった辺りから、記憶がないんだ…!」

「そりゃそうでしょ」

「そりゃそう…って、一体何をしたんだ!?」

「私が魔法を使ったのよ」

 魅了の魔法、とでも言えばいいのか。半端者の私が扱うことができる数少ない魔法の一つだ。これはかなり疲れるので、正直使いたくはなかった。

 それに、発動には大きな3つの条件がある。

 1つ、ある程度知能のある生物にしか作用しない。

 2つ、異性にしか正常に作用しない。

 そして3つ、相手が自分よりも魔力を多く持っている場合、有効に作用しない。

 だが、全ての条件を満たすオーベルに対しては、その効果は覿面だったようで、私に完全に精神を支配されたオーベルは、何でも言うことを聞いた。私が夕飯を食べろと言えば食べたし、寝ろと言えば寝た。

 ただ、常に魅了して置くことはできない。相手の抵抗力にも依るだろうが、長くて3時間が限界だ。常にオーベルに魔法をかけておけばどれほど楽かと思うが、できないものはできない。

 3時間、相手に何でも命令させることができる。だが、たった3時間を得るために代償として失う魔力は膨大で、約6時間の休息を必要とするレベルで消耗する。まぁ、それは私の魔力の低さのせいではあるのだけれど。

 とまぁ、私のこの魔法は、発動の条件が厳しい割に、消耗も激しく、有効時間も短いという、何とも使いづらい魔法なのだ。ライフォテール魔法塔の住人にこの魔法をかけて正常に作用する確率は五分。正式に魔法使いを名乗る相手に対しては完全に抵抗レジストされる。

 正直に言えば、人間相手にまともに成功したのはオーベルが初めてだった。

「あの時、お前の後ろにグリンジャが居たせいよ。本当はお前をぶん投げて黙らせようと思ったけれど、グリンジャがいたから、荒っぽいことができなかったの。運が良かったわね」

「………」

「昨日のことは忘れてあげるわ。でも、言葉に気をつけろというのは、本当よ。私の気分を削ぐような言動には気をつけて頂戴」

 私は目を閉じた。起床時間にはまだ早いので、もう少し寝ていられる。

「ノノ、ノノ、すまない、こっちを見てくれ」

「えぇ…?」

 折角二度寝しようと思ったのに、今度は何だ…?

 ベッドに横になったまま、身体の向きだけ変えてオーベルを見てやる。

 オーベルはまっすぐ私を見ている。

 一体何だ…?

「瞳の色が違う…。夢の中では、君は真紅の瞳だった」

「早速言葉に気をつけられてないわね…」

 知りたがりは寿命を縮めるぞ、本当に…。

「ま、いいわ。教えてあげる。私のような純血の魔法使いじゃない者は、魔法を使う時にだけ、魔法使いの証を得るのよ」

 魔法使いの多くは、証として瞳の色が赤である。ミシェルもそうだし、彼女の家族も全員そうだ。その鮮やかさに違いはあれど、魔法使いならば瞳は赤い。

 だが中には、そうでない者もいる。私のように、証を持たぬまま生まれ、魔法を使うときにだけ、仮初の証を得る半端者もいるのだ。

 そもそも魔法とは血統で全てが決まる。魔法の修行したとしても身につくのは自身が生み出せる魔力の総量(規模や威力等の効果深度に影響する)か、魔力を扱う器用さ(成功率や精度に影響する)だけで、自身の血統の中に使いたい魔法の適正がなければ、扱うことはできないのだ。

 例えば、炎を作る魔法を使いたくても、血統にその魔法の適正がなければ、そいつは永遠に炎を操る魔法を使えない。

 ミシェルも意識せず使える魔法は、今の所、あの”生き物を捻じり潰す”魔法だけだが、修行して魔力の扱い方を覚えていけば、もっともっと沢山の魔法を使えるはずである。

 この国で魔法使いと呼ばれる者はほぼ全てが純血の血統であり、数多の魔法の適正を持つ。そして次世代のことを考えて純血を保とうとする。だから基本的に魔法使いは魔法使いとしか婚姻せず、異なる血筋が重なり一家となった時、塔を与えられるのだ。

 逆に、適正のない血統がどんどん混ざっていけば、私のような半端者が生まれる。純血の魔法使いが半端者を娶らないのであれば、半端者は半端者と契る他なく、必然的にその血は純血から遠ざかっていく。そうしてやがて、魔法がまったく使えない者が生まれてくる。

 この国で魔法使いが減っているのは、そういう理由だった。

 と、いうことを、オーベルの奴に懇切丁寧に説明してやった。

 でもよく考えたら、この魔法の知識は濡闇ノ国の住人にとっては常識なので、不意にオーベルに魔法の話が振られた時に危なかったな。お前はどんな魔法が使えるんだ? なんて尋ねられた時に、迷わず答えられないと怪しまれる。

「もし万が一、魔法について尋ねられたら、迷わず使えないと答えておきなさいよ」

「ああ、わかった。……ところで、ノノは他にどんな魔法が使えるんだ?」

「他に…? 水の上を歩く魔法とか」

 幼少時の微かな記憶を手繰れば、私の”実の父親”は瞬間移動したり、稲妻を操ったりしていたのを思い出せる。使える魔法が血統依存だとすれば、真面目に魔法使いの修行をすれば、いつかそれらを私も使えるのかもしれない。

 しかし、ミシェルに拾われ、ライフォテール魔法塔に住むようになって、ミシェルの祖父である大魔法使いの元で修行した結果、使えるようになった魔法は、たった3つだけだった。父親が優秀な魔法使いであっても、私に魔法使いの才覚はなかったのだ。

「もうこの話は止めましょう」

「…わかった。ありがとう、話してくれて」

「お前の偽装の為に必要な知識を授けただけよ。もし万が一、塔の誰かに訊かれたなら、上手く答えなさいよね」

 今度こそ私は再び微睡みに戻る。

 久しぶりに魔法を使ったせいで、やっぱり疲労が溜まっているのか、すぐに私は眠りについた。



「おはよう! ノノ!」

 再び目を覚ましたとき、目の前に天使がいた。

「今日は随分お寝坊さんね?」

「ミシェル―――…」

 ミシェルの微笑みが私を見下ろしている。至福の目覚めと言えた。これ以上はなかなないぞ…。

 もう今日はずっとこうしていたいのだけれど、そうするとミシェルが不機嫌になってくるのは目に見えているので、止む無く私は身体を起こす。

 部屋は明るくなっている。今日は外から雨の音が聞こえない。カーテンの隙間から、淡い光が差し込んできていた。今日の天気は薄曇りのようだ。予報通りなら、青空が拝めるはずである。

「ふふ、ノノったら、髪の毛ぐちゃぐちゃよ」

「………」

 ミシェルに最低の寝顔を見られた…。最悪だ…。

 私は恐る恐る自分の頭に触れる。

 茨よりもぐちゃぐちゃの髪の毛の集合体がそこにあった。

 死にたい…。

「………シャワーを浴びてくるわ」

「ええ、ええ、ゆっくり浴びて来て頂戴。私はその間、オーベルと遊んでいるわね」

「すぐ出るから…ッ」

 オーベルと一緒には遊ばせない…!

 私の胸の中の残り火が、またメラメラと勢いを増し始める。

 私はタオルと着替えを手に、シャワー室へと駆け込んだ。

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