第18話

「絵…? 絵描きかい!?」

「はい。湿地の土や植物から絵の具を作り、絵を描いていました。まだまだ腕が足りず、絵が売れたことはございませんが―――」

「それはいい! それなら是非とも絵を描いてもらえないか!?」

 言わんこっちゃない! 話が盛りがってしまった!

 私は慌ててオーベルを止めようとするが、ミシェルが私を制した。

 彼女は首を振って、様子を見ろと示す。

「はい。しかし、道具一式も失ってしまい、途方に暮れているところです」

「安心したまえ! 絵画道具なら私がすぐにでも用意しよう! いやぁ、こんな所で絵描きを見つけられるとは!」

 キャスレードの言葉に、オーベルは首をかしげる。

 オーベルは知らないだろうが、この国じゃ絵描きなんてほとんど居ないのだ。

 王様の居城に何人かいるだけで、普通の塔や村なんかに絵描きなんていない。何処を見渡しても暗い沼しかないんだから、描くものといえば有力者の肖像くらいだ。

 だから、そういった美術品というものは大抵高額で、故に、芸術家連中はこの国でも有数の場所――要するに王城とかに住んでる。

「こうしちゃいられない! 道具が用意できたらすぐにでも声を掛けさせてもらうよ! 少し待っていてくれたまえ!」

 キャスレードがそう言って、扉の前から足早に立ち去った。

 私は気配が完全に離れていったのを確認してから扉を開き、本当に立ち去ったのかを確認する。階段を登っていく、背の低い子豚のような男の背中が見えた。よし。

 周囲に人影もない。よし。

 私は安堵のため息を吐きつつ、扉を締めて、ゆっくり鍵をかける。

「どういうつもり!?」

 そして振り向き様にオーベルに叫んだ。

「す、すまない、ノノ…」

「そもそも、お前、絵を描けるの!?」

「た、多少は心得があるつもりだよ…」

「おいおいおい…」

 私は頭を抱えた。

「お前、キャスレード卿の依頼で絵を描くのよ!? 子供の落書きを描いてみなさい、お前、塔を追い出されて―――」

 私があらん限りに罵倒を頭の中に浮かべていると、オーベルは私の机から羊皮紙とペンを取り出し、サラサラと私を見ながら線を描き始める。

「お前、勝手に何して」

「動くな」

「はぁ!? お前、私に命令できる立場じゃな__」

「ノノ、動いちゃ駄目!」

 オーベルとミシェルの双方に動くなと言われ、私は渋い顔をして動きを止めた。

 それからしばらく経ち…


「よし、簡単にだけど描けたぞ。どうだ?」

 オーベルは私に、先程まで筆を走らせていた羊皮紙を渡してくる。

 そこには、不機嫌そうな女の絵が描かれていた。

 ひょっとして、これ、私かぁ…?

「………似てない」

「え? 似てないか?」

「似てるわッ!!」

「わぁ!?」

 背後から大声を掛けられて、私は思わず飛び上がった。

「わわ! ノノ、驚かせてしまってごめんなさい!」

 いや、ミシェルがそんな大きな声を出したのは久しぶりだったから少し驚いてしまっただけだ。

「それにしても、オーベルったら、本当に絵を描けるのね、すごいわ!」

「えぇ?」

 これが描けると言えるのか…? なんだか不機嫌そうな奴が睨んでる絵だぞ…?

「ペンで描いただけなのに、ノノの特徴をちゃんと掴んでて………ふふ、ほら、ノノの表情までよく描けてるわ! この気だるげな顔! そっくりよ! ねぇ、オーベル。この絵、私に下さいな!」

「え!?」

「ああ、ノノが要らないみたいだから、どうぞ」

「おい!?」

 とても私とは似つかないが、勝手に私の絵をミシェルに渡すな!?

 せめてもっとちゃんと描いたものを渡せ!

「ありがとう、オーベル! それじゃさっそくこの絵をお姉様やお兄様に見せてくるわ。二人共ノノのこと大好きだから、きっと喜ぶわ! そうだ! 額縁に入れて部屋に飾りましょう!」

「待って!?」

 流石にひっくり返ったような声が出た。

「ミシェル、待って! それだけはやめて!」

「ノノ! オーベル! また後でね!」

「ミシェル!?」

 ミシェルは風のように部屋から出て、階段を駆け上がっていく。

 ミシェルの全速力には、流石の私も追いつけない…! だが!

「ミシェル! 待ってぇ!」

 それでも走らなければ! あの二人に私のそんな顔の絵を見せるわけにはいかない! どんな顔をされるかわかったものじゃない! というか、ミシェルのことだから、二人だけじゃなくて、父親や母親にも見せるだろう。そうなったらもう収拾不可能だ!

 くそう、オーベル! 絶対許さんぞ!

 私は泣きたい気持ちを抱えつつ、階段を駆け上がるのだった。



■□■□■

 

「なるほど、絵描きか…」

 上層の客間で、キャスレードは独りごちる。

「なるほどな…」

 彼が抱く感情は納得だった。

 ノノが男を部屋に連れ込んだと噂を聞き、あらゆる仕事全てを投げ捨てて実家に戻ってきた。母上に事の次第を確認して、即座に彼女の部屋を訪ねてみれば、そこにいたのは絵描きの男だ。その実力はまだ不明だが、そう、絵描きである。

 多くの戯曲にあるように、芸術家というやつは、数多の恋に関わる。

 腑に落ちるとはまさにこのことだ。芸術家ならば、あらゆる女性の心を射止める可能性が存在する。

 そもそも、ここライフォテールにおいては芸術家は貴重だ。この塔にいる若い男といえば、騎士か技師くらいしかいない。どちらの汗臭く、汚れる仕事だ。女性へのウケが悪い。

 まぁ、名のある騎士ならばロマンスも生まれようが、ここにいるのは半ば魔物みたいな連中ばかりだった。それは彼の父と上妹も含めてだが。

「さて__まずは私が直接見極めようではないか」

 いま部下に絵描き道具を用意させている。確か会社の倉庫に品があったはずだ。

 彼の腕とその性分、果たしてこのライフォテールに相応しいかどうか、存分に見極めさせてもらおう――…

「お兄様! 見てください! ほら!」

 などと独り言ちていると、ミシェルが駆け込んできた。

「なんだ? どうしたんだミシェル?」

「ノノの絵です! ほら、見て! オーベルが描いてくれたのよ」

 目の前に突きつけられた絵を、キャスレードは受け取る。

「お、おぅ…」

 そこには、確かに、紛れもなく、愛する女性が描かれていた。

 早くも、キャスレードの敗北が濃厚となり始めていた。

 

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