第16話

 計画は順調だ。

 私はガラクタ置き場から回収した魔力炉修理用の材料を抱えながら、ライフォテール魔法塔下層から中層への長い階段を登っていた。

 ミシェルとオーベルは先に部屋へ帰した。ミシェルをあんな小汚い場所に長居させるのは私の本意ではなかったし、脆弱なオーベルも荷物運びには何の役にも立たなかったからだ。

 ミシェルの強い希望(「お茶飲みたい!」)もあったので、ミシェルとオーベルは、私の部屋に先に戻って、運び込んだ物品の選別をしてもらっている。

 私は階段を往復しながら、ついでに下層の魔力炉へ寄り、炉技師のおっちゃんやグリンジャと話をした。余った部品があれば譲ってもらおうと思ったのだ。

 グリンジャは朝の事を気にしていたらしく、ミシェルの様子を詳しく訊いてきたが、私がミシェルの機嫌は上々だったと話すと、胸を撫で下ろしていた。

 そうしてグリンジャに恩を売ったことで、部品を分けてもらうことに成功した私は、調達したかった材料のほとんどを揃えることができた。

 加えて、炉技師のおっちゃんから不具合の原因に関しても情報収集をした。

 魔力炉が動いているにも関わらず装置が動作しないとなれば、やはり魔力経路が途切れているため、これを補修する必要があるようだ。または新たに経路を増設し、少なくとも”門”だけにでも魔力供給を行えば、使用可能になるはずだという。私の推測通りだ。

 技術的にも裏付けがとれたことで、計画は早くも次のステップに移れそうだった。

 この調子でいけば、部屋の床に転がって寝るあのオーベルを1日でも早く送り返すことができる。

 仕方なくオーベルを居候として部屋に置いているが、それも終わりというわけだ。

 ようやく厄介事が終わり、私とミシェルの日常が帰ってくると考えると心が晴れやかになる。

 もっとも、外は相変わらずの曇天だけれど。

 今日は雨こそ降っていないが、ジメジメした空気が重く伸し掛り、ふわふわと柔らかそうな黒い雲が天を覆い尽くしている。黒雲はどこか石に似ていて今にも落ちてきそうだった。

 だけど、天気予報士の話では、数日間は雨はなく、特に明日は雲の切れ間が現れるとの話だ。

 久方ぶりの晴れ空であるので、暇さえあれば、ミシェルを誘って見に行こうと思っている。

 きっとミシェルも喜ぶだろう。

「あら、ノノじゃない。どうしたの? ニヤニヤ笑って」

 ニヤニヤなどしてない。

 私は”いつもの顔”で、振り向いた。

 そこには、気だるげに階段に腰掛ける女がいる。さっきまで誰も居ないと思ったのだが…。

 肩に槍を立て掛け、ふわわと欠伸をするこの女は、ミシェルの姉――…

「いいえ、何もございません。アルトリージェ様」

「ふうん」

 アルトリージェ様は立ち上がる。ズッ…と、この水浸しの世界から浮かび上がるような鮮やかな紅の鎧を纏った女騎士が目の前に立ち塞がった。

「ねぇ、ノノ。最近何かあった?」

「何か、とは?」

「ミシェルのこと。最近変わったことはない?」

「…私には、特に心当たりはありません」

 まずいか…? 何か感づかれたか…?

 私の背中にゆっくりと汗が浮かんでくる。

「そ。ならいいの。ごめんね」

 軽く謝罪を口にするが、しかし、私に道を譲る気はないようで、ミシェルの姉という立場的に突破不可能な壁は私の行く手を遮ったままだ。

「あの」

「その荷物は? 随分重そうだけど」

「これは―――」

 なんと答えるべきか。

「これは、ミシェルがヴァスガロン様から頂いたという魔力炉の部品です」

「ああ、ちょっと前に泣いて喚いてねだってたやつ」

 ねだってたんだ…。見てみたかった。

「ふうん。ミシェルの奴、魔力炉なんて何に使うつもりなのかしら?」

「私にもさっぱりです。しかし、とにかく使えるようにしろとのご要望ですので」

「貴方も器用よね。普通の騎士は戦うだけが能だっていうのに、貴方は炉を組み立てられるのだもの」

 あれ、急に私の話になった。

 やり辛いな…。

 この人はいつもこうだ。まるで猫のように気まぐれにフラフラしており、雲を掴むように取り留めがない。何を考えているのかも、その濡れた睫毛からは読み取れないし、口紅を塗った豊かな唇からは、核心を欠く言葉しか発せられない。

 私もまた”いつもの顔”で表情を覆い隠してはいるが、アルトリージェ様のそれは私を越える断心術だった。まるで感情を読み取れない。

「私は、騎士ではありませんので。手に職をつけようと、様々な学問を摘んでいるだけでございます」

「そう? それ、きっと貴方がそう思ってるだけよ?」

「お戯れを」

 私は騎士ではない。それは間違いない。

 今はただの裁縫士見習いだ。騎士は落第。破門。おまけに炉技師も虫飼も長く続かなかった。おまけに、魔法使いとしての才覚もない。

 無能な私はこの塔の中で、職を転々としていた。

 何一つとして50年以上長続きしたものはなかった。

 何をやらせても、半端なまま終わるのだ。

「ねぇ、ノノ」

「はい」

「貴方、その荷物を運び終えたら時間あるかしら?」

 なんだ…? アルトリージェ様から私に、一体何の誘いだろうか…?

「聞いたわよ。貴方、伯父様とは剣を交えたことがあるのでしょう? 私とも一太刀交えて貰いたいのよ」

「謹んでお断りします」

 即答だ。そんなもん。

「どうして? 私に勝てたのなら、ミシェルの騎士になることを私からも推薦してあげてもいいのよ?」

 そ、それは、それは非常に…ひじょーに興味深い提案だけれども…!!

 だけど、それは私の”破門騎士”としてのプライドが許さない。

 私には、ミシェルの真の盾となる資格はないのだから。

「私がアルトリージェ様に勝てるわけがございません。そう誂われては、私も困ってしまいます」

「………それ、貴方がそう思っているだけよ」

 アルトリージェから放たれた言葉には殺気が籠もっていた。

 瞬間、私の首に輝く槍の切っ先が伸び、あっさりと肉を断ち、骨を削り、血飛沫が舞うビジョンが脳裏を過る。そして、一拍置いて、銀閃がビジョンを追うように迫ってくるのが見えた。

 そのまま受けても良かった。どうせ致命傷にはならない・・・・・・・・・

 だが、しかしそれでは、抱える荷物が私の血で汚れてしまう。

 血に汚れたままの荷物をミシェルが見たなら、大層心配するだろう。実はお前の姉に斬られたんだとミシェルに言うわけにもいかず、理由を話せないせいで私はミシェルを困らせてしまうだろう。

 だから私は、半歩だけ身を引く。

 それだけで音も空気も置き去りにする槍の閃撃は私の眼の前を通り過ぎていった。

 結局、音は置き去りにされたことも気づかなかったようだ。風圧だけが、私の前髪を揺らした。

「………」

 仮面を付けたように眉一つ動かさぬ顔が、その朱い眼が、格下に槍を避けられたという屈辱を濃く帯びる怨嗟を伴って、私にまっすぐ向けられていた。

 そう、朱い瞳――ただしそれは、ミシェルのものとは違う。

 もっと薄い、ぼんやりとした朱色だった。花火のように、華のように、羽鎧虫の羽鱗のように、鮮やかな色じゃない。世界に溶けていってしまいそうな弱々しい色。

 魔法使いだけど、魔法使いじゃない。騎士だけど、騎士じゃない。その両方。

 魔騎士、アルトリージェ・ライフォベール。

「お戯れはお辞めください。こんなところで槍を振るわれますと危ないです、アルトリージェ様」

 魔騎士の瞳に真に殺意が灯っていないことを見抜いた私は、次撃が来ないことを確信し、軽口気味にそう告げる。

「…そうね。誂い過ぎたわ。もう行っていいわよ、ノノ」

 赤い鎧の騎士が道を開けた。

「ありがとうございます」

 私は荷物を抱えたまま階段を登っていく。

 背後からの奇襲についても警戒していたけれど、幸いそれはなかった。

 アルトリージェの何を考えているか分からない不気味な視線を背中に浴びつつ、私は中層への階段を登っていく。

 一体何なんだ、ホントに…。

 というか、これが縁も所縁もない相手だったら、舐めた口きいてるんじゃないぞと言ってグーで殴って医務室送りにしてやるところなのだけれど、ミシェルの姉を殴るわけにも行かない…。

 やり辛い。ホントに…。

 まあ、こうやってちょっかいかけてくるのは初めてではないので、今日も私は冷静に対応できた。花丸だ。

 今日も、私には何の問題もない。

 


■□■□■



 アルトリージェ・ライフォテール。

 魔法使いとしての才能を有しながら、騎士としての位を有する者。魔騎士。

 この国において20人にも満たない精鋭の一人。

 その中でも、”武闘派”として知られるライフォテールの塔騎士達は、前線基地副司令であるリオエール卿を筆頭に、濡闇ノ国最強と謳われる実力者集団であった。

 だが――


 その最強の騎士と謳われし者が放つ一撃は、意図も容易く避けられた。

 相手は、両手に荷物を抱えた裁縫士見習いだったというのに。

 次撃を放つことさえできなかった。相手は初撃の回避に最小限の動きしか見せていないのだから、当たるはずがない。攻撃を完全に見切られた時点で、勝負はついていた。

 アルトリージェは屈辱に歯を食いしばる。ぎりっと歯が鳴った。

「ノノ―――」

 しかしすぐに、それは笑みに変わる。満足げな笑みに。

「ノノ…」

 口から彼女の名前が溢れる。

 脳裏に蘇る、己が放った斬撃を、最小の動きで躱すその所作。

 正にそれは、阿吽の呼吸とも見えた。

 自身の放つ意図を汲み取り、最短かつ最小かつ最良で以って応えた。それが先程のやり取りだ。

「あぁ…ノノ――あなたは、なんて――…」

 そこでハッとして、彼女はすぐに口を手で覆った。

「いけない、いけない…」

 この想いが漏れてはならない。この秘密が溢れてはならない。

 今の彼女は”最愛の妹の騎士”なのだから。本人がなんと言おうと、他者の全てがそれを認めていれば、否応がなしに彼女は騎士なのだ。

 だけど、ミシェルがこの塔を去ったなら、その時は―――…。

「ふふっ」

 雲のように掴みどころの無いはずの彼女の鉄面皮は、年頃の少女のように綻んでいた。

 

 

 

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